見出し画像

【短編集‐花の冠】第二五話『語りかえ(二)』

<< 前話 【一覧】 次話 >>


語りかえ(二)ーサリムー


ページが闇を開いた瞬間、世界の輪郭が、ゆっくりと溶けていった。

音が消え、光が引き、ただ、重たく沈む空気だけが残った。

書棚の隙間から、黒い霧のようなものが滲み出してくる。
冷たいわけでも、熱いわけでもない。
それは“語られなかった想い”が、息を吹き返したようだった。

「……サリム」

グラージュの声が低く落ちる。

「感じるか? あのときの匂い……雨と泥と血。
 あいつの声が聞こえてきそうだ」

僕は、ゆっくりとうなずいた。

記憶でも、再現でもない。
ただ、確かに――フェイルの気配が、生きていた。

そのとき、図書館の奥から風が吹いた。
僕たちを呼ぶように、そっと。

黒い霧が避けて、一本の道が浮かび上がる。
その先には、かすかに光が灯っていた。

「……見える?」

僕の問いに、グラージュが答える。

「フェイルの本が……俺たちを進ませようとしてる」

僕は、胸に抱いた本を見下ろした。
青い表紙は、どこか温かかった。
まるで、本そのものが、語りたがっているようにさえ思えた。

暗がりの奥――
暖炉が地下への口を開けていた。

石の階段。
地下へと続くその先は、ただ黒く沈んでいた。

「サリム。地下が俺たちを呼んでいる。……いや、呼んでいるのはフェイルか?」

僕は小さくうなずいた。

「フェイルが残した言葉。僕にも教えてくれないかな?」

「……そうだな」

グラージュがそう答えたとき、本が鈍く光った。

僕は本に促されるように頁をめくった。

「これは……」

グラージュの言葉に、僕は手を止める。

「これ……フェイルの最後の言葉?」

「ああ。俺が聞いた、最後の言葉だ」

死ぬ機会を待っていたんだ。虚勢を張って生きてきた……
家にも、妻にも……子供にも……
そんな自分が嫌だった。全部捨てて逃げ出したかったんだ……

戦場はいつだって死にあふれていた。
ありがたいことに、死への感覚は麻痺していった。

でも……誰かのせいにしないと、俺はダメなんだ。

最後に……俺は、お前を助けた。奴隷だったお前を。
それが俺の“正義”だ。……それは国にも、家にも、家族にも伝わる。
美しい正義の男として、俺は人の中で生きていける。

あんたには……俺が、弱さを抱えて生きてきたことを……
そしてその重荷を背負わすことを、許してほしいんだ。

その言葉は、弱くて、そして――あまりにも残酷だった。

グラージュは黙ったまま、視線を落としていた。

「でも、グラージュ」

「……なんだ」

「その言葉が真実だって、本当に言えるの?」

「どういうことだ?」

「どうしてだろう。僕には、『生きたい』って言っているフェイルの気持ちが聞こえるんだ」

言葉のあと、しばらくの静けさが落ちた。

フェイルのためじゃない。
……僕たち自身のために。

「行こう」

僕がそう言うと、グラージュも迷いなく歩き出した。

階段の前に立ち、ひと呼吸だけ置く。

そして、僕たちはゆっくりと、闇の中へと降りていった。

本を抱えて、語りの続きを探しに。

風はまだ、そこにあった。
静かに、でも確かに――僕たちを導いていた。


《続く》



➡第二六話 『語りかえ(三)』 

6月3日 12:00



TALESでも連載中なので、そちらにも♡ください


ギネス挑戦中!
リレーエッセイ「テーマ:チャリティ」


現在、中編小説『コントラクター』連載中!


いいなと思ったら応援しよう!