【短編集‐花の冠】第十八話『記憶の村(四)』
記憶の村(四)―サリム―
静かに燃え広がる家の中で、ふたりは最期の言葉を交わし始めた。
「野盗は死んでいる、でも、手が硬直して外れそうもない。
俺にもその力はもう残っていない……」
「いいのよ、あの子が生きているから」
「そうだな、両親がいなくても、大きく元気に育って欲しいな……」
「ねえ、あなた」
「ん?」
「私は幸せだったわ。あなたがいて、あの子がいて」
「ああ、俺もだ。ミーナ、ありがとう」
「ナージャ……あの子の成長をもう少し見てみたかったね。
せめてお母さんと呼んでもらいたかったわ」
「ああ、俺も話をしてみたかったよ」
「お母さん! お父さん! 僕はここにいるよ!」
僕は叫んでいた。
その声が届くとは思っていなかった。
――だからこそ、その時、母がゆっくりと顔を上げたとき、息が止まりそうになった。
目が、僕を見ていた。
「……あなたは?」
「見えてる……の……?」
思わず僕が声を出すと、ふたりとも、静かに微笑んだ。
「ええ……わかるわ。あなた、なのね。
きっと神様が最後に私たちの願いをかなえてくれるのね」
炎にのまれるなかでも、僕の服には火も煤もつくことがなかった。
「もう……心配ないのね」
母の目が、やわらかく揺れた。
手を伸ばす。そこには二人の感触があった。
母と父の手が、僕の手を握っていた。
父が言った。
「大きくなってくれて……ほんとうに、ありがとう」
「お父さんとお母さんが、この命をくれたんだよ」
母は嬉しそうに僕の手を撫でた。
そして、グラージュに視線を移した。
「あなたが、この子を……」
父も頷く。
「頼む、俺たちの代わりに、支えてやってくれ」
グラージュは静かに頷いた。
「……わかった。任せろ」
火の粉が、舞った。
「毎日お花をありがとう。
あなたは……もっと先へ行って。
風の先へ……未来へ」
母の声が、風に溶けていく。
その瞬間、あたりの炎がゆっくりと色を変えた。
赤から橙へ、そして白へ。
すべての音が、遠くなっていく。
父と母の姿は、光に包まれながら、薄れていった。
それは消えるのではなく、
どこかへ還っていくようだった。
僕はその場に立ち尽くしていた。
身体が、ふわりと軽くなる感覚があった。
足元の焼けた床も、煙も、もうそこにはなかった。
次の瞬間――
柔らかな風が頬を撫でた。
まばたきをしたとき、目の前に見慣れた机があった。
色とりどりの花と大木。
白く磨かれた大理石の床。
壁の棚にきれいに収まった書架。
そして、あの静寂。
僕たちは、図書館に戻っていた。
父と母の感触が残る手に目を移す。
そこには、白い花が一輪、そっと握られていた。

《終》
