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【短編集‐花の冠】第十九話『風を運ぶ者(一)』


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風を運ぶ者(一)


――記録の間にて


図書館は沈黙し、風が止まっていた。

サリムは白い花を手に持ったまま、微動だにしなかった。
その傍ら、机の上には閉じられた『最初の本』が置かれている。
背表紙の奥に、語られた記憶が静かに眠っていた。
再び開かれることは、もうないのかもしれない。

大木の枝は風がないのにさやさやと揺れた。
幹の下部には苔が生え、誰にも掘り返されることのない埋土まいどが、そこに眠っていた。

「……お母さんと、お父さん。あの人たちは、きっと……」

声が途切れた。
サリムは手を伸ばし、花をそっと本の上に置いた。

「グラージュ」

「……ああ」

「過去を見て、僕は二人に触れることができた。
お母さんとお父さんは、僕に会えて喜んでくれた」

サリムは、しばらく黙ったあと、グラージュに問う。

「それって……二人を救えたってことなのかな?」

グラージュは、風もなく葉を揺らす大木を見ていた。

「救われたのは、彼らなのか、自分なのか……」

短く間があった。

「サリム。俺たちにできたことは、最後まで見た。それだけだ」

グラージュはゆっくりと息を吐いてから、サリムのほうに顔を向けた。

「……でも」

サリムが顔を上げる。

「でも?」

「お前には、意味があった。違うか?」

机の上の花が、ふわりと揺れた。

「……うん。僕は、ずっと両親に捨てられたと思ってたんだ。
みんなにそう言われてきたし、小さなころの記憶はなかった。
でも、もし、あの記憶が……お母さんかお父さんのものだったなら……」

サリムの声が細くなり、言葉が途切れた。
喉の奥で何かが詰まり、続きの言葉は音にならなかった。

グラージュは、うつむき小刻みに肩を揺らすサリムの元まで歩き、その肩に手を置いた。
サリムの肩の揺れは大きくなり、やがて図書館にはサリムの嗚咽が響いた。


************


サリムの嗚咽が消え、図書館に再び静寂が訪れたころ、

「……カタン」

と、奥の方から、小さな音がした。

サリムとグラージュは顔を見合わせ、小さくうなずくと、音の方向に向けて歩を進めた。

そこには一冊の本が、床に落ちていた。
青い革の表紙。
中央に、銀の箔押しで小さな文字がある。

サリムは足を止め、その言葉を読み上げる。

「ねえ、グラージュ。僕にも読めるよ。『風を運ぶ者』って書いてある」

「ああ、そうだな……」

グラージュは真っすぐとその本を見つめた。

「次は……グラージュの記憶?」

「いや、俺の記憶ではない。……違う者の記憶だ。
たぶん、俺が唯一『友』と呼んだ男の……」

風が吹いた。
眠っていた図書館が、ふたたび呼吸を始めたかのようだった。
天井に届く大木の葉が、語りかけるようにざわめいた。

風は、本の表紙をそっと押し上げた。

中には、絵が一枚だけ描かれていた。

若かりし頃のグラージュと、隣に立つ男――

「グラージュの隣にいるのは誰?」

サリムの問いにグラージュは答える。

「俺の唯一の友、フェイルだ」

「フェイル……『風を呼ぶ者』って意味の名前だよね?」

「ああ、フェイルが俺を呼んでいる……」

グラージュはゆっくりと本の元に歩く。
そしてそれを、両手で確かめるように掴むと、そのまま扉へ向かって歩き出した。

「行こう……次は俺が見届ける番だ」

風が、ふたたび彼らの背を押した。


《続く》


➡第二十話 『風を運ぶ者(二)』

5月21日 12:00



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