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子育てに正解はないけれど、愛情は子供も感じてると思います。

子育てをしていると、何が正解なのかわからなくなることがあります。

今日、ちょっときつく言いすぎたかな。
あのとき、もっと話を聞いてあげたらよかったかな。
他の家は、子どもとどんな話をして、どうやって向き合っているんだろう。

子どもが寝たあと、急に静かになった部屋で、そんなことを考えてしまう夜ってありませんか。

僕はありました。

うちは子どもが3人います。
上から男の子、女の子、男の子。全員年子です。

でも妻が言うには、うちには子どもが4人いるらしいです。

ええ、長男が一人増えていますね。
誰でしょう。

毎年のように子どもが生まれたので、正直、ゆっくり子育てを楽しむ余裕なんて、ほとんどありませんでした。

おしっこをしたらオムツを替える。
う〇ちをしたら、また替える。
おしっこで替えた直後に、秒でう〇ちをされる。

こいつ、わざとか?

そんなことを思ってしまう日もありました。

子どもが生まれる前は、僕は妻に言っていました。

「絶対、う〇ちのついたオムツなんて替えられん。においでゲボ出る」

それが、気がついたら。

う〇ち付きオムツ交換担当大臣になっていました。

人間、変わるものですね。
いや、変えられたのかもしれません。妻に。

そんな感じで、年子の子育ては本当にバタバタでした。

長男が1歳になるころには、もう次の子が生まれる。
長女も、まだまだママに抱っこしてもらいたい時期に次男が生まれる。

親としては、できるだけ平等に愛情を注ぎたいと思っていました。

みんな同じように見てあげたい。
声をかけてあげたい。
抱っこしてあげたい。

でも、実際はそんなにうまくいきません。

抱っこしてあげたい子がいるのに、下の子も泣いている。
話を聞いてあげたいけど、台所には洗い物が残っている。
子どもと遊んでいたら、妻の顔が鬼の形相になっている。

いや、最後のは完全に僕が悪いんですけどね。

でも、子育てって本当に予定どおりには進みません。

朝は急いで準備をさせる。
昼は仕事や家の用事に追われる。
夜になったら、ご飯、お風呂、寝かしつけ。

やっと静かになったと思ったら、今度は自分の中に反省会が始まります。

今日、あんな言い方せんでもよかったかな。
ちゃんと遊んであげられたかな。
うちの子育ては、これでいいのかな。

そんなふうに思うことは、きっと誰にでもあると思います。

僕は、子育てに一つの正解はないと思っています。

というより、一つに決められないんですよね。

同じ親から生まれて、同じ家で育っても、子どもは本当にそれぞれ違うからです。

長男は、小さいころからマイペースでした。

オムツがパンパンになっていても、う〇ちが出ていても、ひょうひょうとした顔をしている。
こちらが気づいて、「あれ、出ちゅうやん」という感じです。

床に座らせると、ひとりでレゴを持って、黙々と何かを作っている。
僕の膝に座っていても、ひとりで遊んでいても、あまり変わらない。

親としては助かる子でした。

でも、手がかからない分、この子のことをちゃんと見てあげられていたのかなと思うこともあります。

長女は、長男とは真逆でした。

小さいころは、とにかくママじゃないとダメ。

僕が抱っこしようとしても、体をそらしてママの方へ行こうとする。
抱っこしたら泣く。

父、完全に敗北です。

でも、ママが近くにいれば、オムツ交換は普通にさせてくれました。

そこはママじゃないとダメって泣かんのかーい。

担当大臣としての威厳だけはあったのかもしれません。

でも不思議なことに、次男が生まれる少し前くらいから、長女が僕の布団に入ってくるようになりました。

僕の横で寝るようになり、抱っこも普通にできるようになり、それからは僕にべったりになりました。

この子はこの子なりに、家の中の空気を感じていたのかもしれません。

それか、下の子が生まれることを察知して、今のうちにママを独占しておこうと考えていたのかもしれません。

なかなか策士です。

今では小学校6年生になりましたが、それでもまだ「一緒に寝よう」と言ってくることがあります。

かわいいです。

次男は、これまた不思議なことに、じいじっ子でした。

1歳くらいのころ、よく僕の両親と近場の温泉へ行ったり、ファミレスや居酒屋へ食事に行ったりしていました。

そのとき次男は、なぜかじいじの膝の上に行く。

旅行に行っても、気がついたらじいじに抱っこされて、あっちへ行け、こっちへ行けと、指をさして指示している。

久しぶりに「アッシー君」という言葉を思い出しました。
死語ですけど。

親としては、なんでそこまでじいじながやろうと思いました。

でも次男にとっては、じいじが落ち着く場所だったんでしょうね。

子どもの居場所って、いつも父親や母親だけとは限らないんだと思います。

今では、じいじに抱っこされていた記憶すらないそうです。

カワイソじいじ。

こうやって見ると、3人とも全然違います。

同じ家で育っても、甘え方も、落ち着く場所も、反応の仕方も違う。

だから、子育てを一つの型に当てはめるのは、やっぱり難しいんですよね。

ただ、僕が子どもが生まれたときに、これだけはやろうと決めていたことがあります。

できるだけ、たっぷり愛情を注いで育てよう。

これだけは思っていました。

でも、正直に言うと、愛情を注ぐって何をしたらいいのか、最初はよくわかりませんでした。

だから、とにかくできるときは抱っこする。
ハグする。
絵本を読む。
一緒に遊ぶ。
「大好きよ」と伝える。
「あなたは大切な存在だよ」と伝える。

そんなことを、自分なりにやってきました。

もちろん、愛情を注ぐというのは、何をしても怒らないということではありません。

ダメなことはダメと伝えてきました。

外食に行って、大きな声を出したり、通路を走ったりしたら止める。
人に迷惑をかけることをしたら注意する。
先生や周りの人を見下すようなことを言えば、それは違うと伝える。

そこは、親として逃げたらいけないところだと思っています。

ただ、叱るときも、できるだけ理由を伝えるようにはしてきました。

たとえば食事に行ったとき、子どもが大きな声を出したり、通路を走ったりしていたら、自分のところに呼んで話します。

「ここは家じゃないよね」
「他の人もご飯を食べに来ているよね」
「走ってぶつかったら、どうなると思う?」
「大きい声を出したら、周りの人はどう感じると思う?」

こんなふうに、できるだけ子ども自身が考えられるように話してきました。

もちろん、1回言っただけで聞くわけがありません。

次に外食へ行っても、普通にはしゃぎます。

そりゃそうです。

保育園児が1回で理解できたら、親は苦労しません。

また言う。
また止める。
また話す。
そして、また少し反省する。

そのくり返しでした。

家でも同じです。

ゲームをなかなかやめないときもあります。

「もうやめなさい!」だけで終わる日もあります。
僕もあります。

でも、少し余裕がある日は、

「あと何分で終われそう?」
「明日の朝、眠たくなったらどうなると思う?」

そんなふうに聞いてみることもありました。

それで毎回すぐやめるかというと、まあ、やめません。

だいたい一回はごねます。

ここで一発でやめるなら、たぶん子育ての記事なんて書いてません。

でも、ただ取り上げられた記憶だけが残るより、少しでも自分で考える時間が残った方がいいのかなと思っています。

とはいえ、毎回きれいにできたわけではありません。

疲れている日もあります。
仕事で余裕がない日もあります。
つい感情的に怒ってしまう日もあります。

僕も何度もあります。

あとから、「今の言い方はよくなかったな」と思うこともありました。

でも、子育てで大事なのは、間違えないことではなく、向き合い直すことなのかなと思います。

怒ってしまったことを、なかったことにはできません。

でも、そのあとにかける一言は変えられます。

「さっきは大きい声になったけど、ごめんね」

「でも、大事だから言ったんだよ」

「次はどうしたらいいか、一緒に考えよう」

そんなふうに言い直すことはできます。

これで完璧な親になれるわけではありません。

そもそも、完璧な親なんているのかもわかりません。

でも、子どもはそういう親の姿も見ていると思います。

親が完璧だったかどうかより、ちゃんと見てくれていたか。
自分のことを気にしてくれていたか。
本気で止めてくれたか。
失敗したあとも、また向き合ってくれたか。

そういうところを、子どもは子どもなりに感じているんじゃないかと思うんです。

子どもって、親が思っている以上に家の中を見ています。

お店の人への態度。
夫婦の会話。
電話で話している声。
疲れているときの反応。
兄弟への接し方。

見ていないようで、ちゃんと見ています。

たまに、そんなところまで見てたのかと思うこともあります。

ある日、長男が言いました。

「なんか、ご飯食べる机って変えた?」

僕が「なんで?全然変わってないで」と答えると、長男はこう言いました。

「なんか最近、机が小さくなった気がしたき」

それは、あんたが大きくなったからよ。

子どもって、大人が気にしていないようなことも感じているんですね。

同じように、親の言葉や行動も見ています。

親がいくらいいことを言っていても、やっていることが違えば、子どもは気づいています。

娘は妻の言葉づかいにとても似ています。

とにかく口が強い。

これは妻には絶対見せられません。

長男は、僕が冗談やおっさんギャグばかり言っているから、似たようなオチャラケたことを言うようになりました。

次男は……。

なんかあったっけ?

あー、僕に似て、何にでも興味を持って、とにかくやりたがります。

今はバレーボールとバドミントンをやっていますが、さらにバスケットボールにも入りたいと言ってきました。

でも、すぐ飽きるんでしょ?

まあ、これは僕に似たのかもしれません。

こうやって考えると、子どもは親の言葉だけでなく、毎日の動きを見て育っているんだと思います。

だからこそ、親の愛情も、言葉だけではなく日々の中で伝わっているのだと思います。

毎日きちんと遊んであげられなくても。

忙しくて話を聞く時間が短くなっても。

つい大きな声で怒ってしまう日があっても。

それでも、子どもの顔を見て、また声をかける。
ダメなことはダメと伝える。
できたことはちゃんと見る。
寝顔を見ながら、明日はもう少し優しくしようと思う。

そういう毎日の中に、愛情はちゃんと入っていると思います。

子育ての形は、家庭ごとに違っていいと思います。

厳しく線を引く家庭もある。
子どもに考えさせることを大事にする家庭もある。
習い事に力を入れる家庭もある。
放課後はとにかく遊ばせたい家庭もある。

住んでいる家も違うし、親の仕事の時間も違います。

じいじやばあばが近くにいる家庭もあれば、夫婦だけでなんとかしている家庭もあります。

子どもの性格も、兄弟の人数も、年齢差も違います。

だから、ほかの家庭とまったく同じようにできないのは当然です。

うちはうち。
よそはよそ。

昔からよく使われる言葉ですが、子育てでは本当にそれでいいんじゃないかと思います。

わが家の場合は、3人を一気に育てるような感覚でした。

正直、誰に何をしたか、細かいことはあまり覚えていません。

長男に「こんなことしたよね」と言っても、「ん?知らん」で終わることもあります。

だから、細かいところまで完璧にやってきました、なんて口が裂けても言えません。

でも、やってきたことはシンプルです。

子どものことを見る。
話を聞く。
ダメなことはダメと教える。
なぜダメなのかを話す。
次はどうすればいいのか、一緒に考える。

これをくり返してきただけです。

もちろん、これが絶対の正解だとは思っていません。

だって、結果は子どもがおじさんになったときにわかることですから。

長い。
答え合わせが長すぎます。

ただ、今でも僕が大切にしている言葉があります。

小学生のころ、友達が万引きしたものをもらって、そのお店に呼ばれたことがありました。

父は厳しい人だったので、帰ったらしばかれると思っていました。

でも帰りの車の中で、父が言ったのは一言だけでした。

自分で責任をとれないことは、今後絶対するな。

それだけでした。

その言葉は、今でも僕の中に残っています。

どんなことに取り組むとしても、かなり大事な考え方だと思っています。

だから僕も、子どもには何度も伝えています。

自分で責任をとれないことはするな。

すごく厳しい言葉に聞こえるかもしれません。

でも、僕にとっては、父親が本気で向き合ってくれた言葉でした。

子どもは、3歳をすぎても変わると思います。

小学生になっても、中学生になっても、変わる。

大人の言葉が少しずつ理解できるようになったり、友達との関わりの中で気づいたりすることもあります。

だから、今さら遅いなんてことはないと思います。

もちろん、小さいころにたくさん抱っこしたり、声をかけたり、一緒に過ごした時間は、子どもの中に残ると思います。

でも、3歳までにすべてが決まるとは思っていません。

親も子どもも、少しずつ変わっていくものだと思います。

あ、一つだけ気をつけていることがあります。

子どもの前で、「この子はこれができない」「向いていない」みたいな話は、できるだけしない方がいいと思っています。

ひそひそ話のつもりでも、子どもには聞こえています。

そして子どもは、「自分はできないんだ」「向いていないんだ」と思ってしまうことがある。

何が向いているかなんて、親が決めることではないと思います。

子どもの可能性は、親が思っているよりずっと広いです。

うちの子がフルートに本気になったときも、そう思いました。

親が決めつけずに見ていると、子どもは思ってもいない方向に伸びることがあります。

子育てに正解はないと思います。

ただ、あえて避けたいことがあるとすれば、愛情を注がないことと、愛情の形を間違えてしまうことなのかなと思います。

愛情を注ぐというのは、お金をかけることだけではありません。

何でも買ってあげることでもありません。

子どもの言うことを全部聞くことでもありません。

子どもに向き合う。
話を聞く。
ダメなことはダメと教える。
必要なときには本気で止める。
そして、あなたのことは本当に大好きで大切な存在だと、日々の中で伝えていく。

僕は、それが愛情なのかなと思っています。

親も迷います。

間違えたと思って後悔することなんて、しょっちゅうあります。

それでもまた、子どもに向き合う。

そのくり返しが、その家なりの子育てになっていくのだと思います。

今、子どもを育てながら、今日の自分の言葉を思い返しているお父さん、お母さんへ。

うちはこれでいいのかな。
間違ってないのかな。
この育て方で大丈夫なのかな。

そう不安に思うことは、きっと誰にでもあると思います。

でも、子どもの顔を見ている。

話を聞こうとしている。

ダメなことはダメと伝えている。

うまくいかなかった日でも、次の日また子どもの前に立っている。

それなら、完璧ではなくても、ちゃんと子育てをしている姿なのだと思います。

子育てに正解はないけれど、愛情は子どもにも伝わっている。

僕はそう思っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

僕自身も、まだまだ子育ての途中です。
偉そうに正解を語れる立場ではありません。

でも、3人の子どもを育てながら、迷ったこと、失敗したこと、あとから気づいたことは、これからも書いていこうと思っています。

子育てのこと。
仕事のこと。
人との向き合い方。
そして、不動産の現場で見てきたこと。

きれいごとだけではなく、できるだけ自分の経験から書いていきます。

同じように迷いながら子育てをしている方に、少しでも届けばうれしいです。

この記事を読んで、少しでも自分の家のことを思い浮かべた方は、スキを押していただけるとうれしいです。

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