「宿題しなさい」の前に見る場所|子どもが止まる5つの理由と、親が変える一言
※現在無料公開中です
夕方。
子どもの前には、開いたノート。
その横には、鉛筆。
でも、手は動いていません。
私は少し離れたところから、
「宿題した?」
と声をかけます。
返事はある。
でも、動かない。
しばらくして、
「そろそろやったら?」
と、もう一度言う。
それでも動かない。
三回目になるころには、
最初より声が少し大きくなっています。
「はようやりや」
「何回言うたら分かるが?」
本当は、最初から怒りたかったわけではありません。
ただ、自分から動いてほしかっただけです。
好きなことには、すぐ動くのに
学校から帰ってきて、
「ただいま!」
と言った直後に、
「遊びに行ってくる!」
ランドセルを置いて、すぐ出ていく。
ゲームなら集中する。
動画なら、呼んでも気づかない。
友達が誘いに来たら、二つ返事で動く。
好きなことをするときは、
誰にも言われなくても始められます。
まあ、準備や片づけまで自分からするかは、また別の話ですが。
でも、宿題になると急に耳が遠くなります。
聞こえてます?
おじいさんデスカ?
と聞きたくなるくらい、都合よく動きません。
そんな姿を見ていると、
「やる気がないんじゃないか」
「好きなことしかできない子なのか」
と思ってしまいます。
私も、何度もそう見てきました。
怒りたいのではなく、自分から動いてほしかった
最初から怒りたい親なんて、
たぶんあまりいないと思います。
子どもを責めたいわけでもありません。
ただ、
自分で考えてほしい。
言われる前に動いてほしい。
やるべきことを、少しずつ自分でできるようになってほしい。
そう思っているだけです。
でも、夕方の家の中は、
きれいごとだけでは回りません。
夕飯。
送り迎え。
お風呂。
明日の学校の準備。
こちらも一日動いて、
心の残量がほとんどありません。
そんなときに、
子どもがノートを開いたまま動かない。
頭の中で、何かがぷつっと切れることがあります。
そして、言ったあとで後悔します。
ちょっと強く言いすぎたかな。
もっと違う言い方があったかもしれん。
でも、言わんかったら、またやらんし。
怒ったことだけでなく、
そのあと余計なことまで考えて疲れます。
親に見えているのは「動いていない姿」だけだった
私は以前、
宿題をしない
=やる気がない
と考えていました。
でも、子どもがノートの前で止まっているとき、
親に見えているのは、
今、動いていない姿
だけです。
子どもの中で何が起きているのかは、
まだ見えていません。
問題の意味が分からないのかもしれない。
一問目に何を書けばいいか決められないのかもしれない。
漢字の量を見ただけで、
もう嫌になっているのかもしれない。
そもそも、まだ覚えていないことを聞かれているのかもしれない。
親から見ると、
「やっていない」
です。
でも、子どもの中では、
「どこから入ればいいか分からない」
だけのことがあります。
ここを見ないまま、
「早くしなさい」
を重ねても、
同じ夕方を繰り返してしまいます。
私は、何度も繰り返しました。
見る場所を変えると、最初の言葉が変わる
子どもを動かすために、
もっと効く言葉を探したこともあります。
でも、言葉だけ変えても、
見ている場所が同じなら、また元に戻ります。
「やる気がない子」
として見ながら、
優しそうな言葉に言い換えているだけだからです。
先に見るのは、
この子は、今どこで止まったのか。
です。
まだ覚えていないのか。
問題の意味で止まったのか。
始め方が分からないのか。
説明の仕方が合っていないのか。
量や疲れで、始める前から嫌になっているのか。
止まった場所によって、
次にかける言葉は変わります。
「早くしなさい」ではなく、
「どこから分からんなった?」
かもしれない。
「ちゃんと考えなさい」ではなく、
「これは、まだ覚えてないだけかもしれんね」
かもしれない。
「全部やりなさい」ではなく、
「一問目だけ一緒に見ようか」
かもしれません。
子どもが動いている別の場所も見る
私は3人の子どもを見ながら、
子どもが動き出す場所は一人ずつ違うと感じてきました。
長男はフルート。
長女はダンス。
次男はバレーやバドミントン。
そして、3人の英語。
親が良いと思ったものには動かなかったのに、
親が予想していなかった場所で、急に前のめりになることがありました。
宿題では止まっている。
でも、別の場所では何度も挑戦している。
親が見つけたいのは、
子どもの中にやる気があるか、ないかではありません。
どんなときに、その子の気持ちが少し動くのか。
そこなのだと思います。
この先では、
子どもが宿題の前で止まる理由を、
私が見落としてきた5つの場所に分けます。
そして、
まだ覚えていないとき
問題の意味が分からないとき
始め方が見えないとき
説明の形が合っていないとき
量や疲れで動けないとき
それぞれで、
親が最初に何を見て、どんな言葉をかけるかを整理します。
長女の「わからない」。
次男に説明が入らなかったときの顔。
長男が予想外の吹奏楽部へ入った話。
親が用意した英語では動かなかった長女が、
自分で入れたアプリから英語に入り直した話。
うまくできた話だけではありません。
見誤ったこと。
言いすぎたこと。
あとになって気づいたこと。
そこも、そのまま書いています。
これは、子どもを思い通りに動かす方法ではありません。
怒らなくなる魔法でもありません。
私も、今でも言いすぎます。
でも、また同じことでぶつかったあと、
次は、見る場所を一つ変えてみよう。
そう戻ってこられる記事にはできると思っています。
今日の夕方。
また怒ってしまう前でも。
もう怒ってしまったあとでも。
一度、ここへ戻ってきてもらえたらうれしいです。
ここから先は有料部分です。「宿題しなさい」の前に見る場所|子どもが止まる5つの理由と、親が変える一言
夕方。
子どもの前には、開いたノート。
その横には、鉛筆。
でも、手は動いていません。
私は少し離れたところから、
「宿題した?」
と声をかけます。
返事はある。
でも、動かない。
しばらくして、
「そろそろやったら?」
と、もう一度言う。
それでも動かない。
三回目になるころには、
最初より声が少し大きくなっています。
「はようやりや」
「何回言うたら分かるが?」
本当は、最初から怒りたかったわけではありません。
ただ、自分から動いてほしかっただけです。
好きなことには、すぐ動くのに
学校から帰ってきて、
「ただいま!」
と言った直後に、
「遊びに行ってくる!」
ランドセルを置いて、すぐ出ていく。
ゲームなら集中する。
動画なら、呼んでも気づかない。
友達が誘いに来たら、二つ返事で動く。
好きなことをするときは、
誰にも言われなくても始められます。
まあ、準備や片づけまで自分からするかは、また別の話ですが。
でも、宿題になると急に耳が遠くなります。
聞こえてます?
おじいさんデスカ?
と聞きたくなるくらい、都合よく動きません。
そんな姿を見ていると、
「やる気がないんじゃないか」
「好きなことしかできない子なのか」
と思ってしまいます。
私も、何度もそう見てきました。
怒りたいのではなく、自分から動いてほしかった
最初から怒りたい親なんて、
たぶんあまりいないと思います。
子どもを責めたいわけでもありません。
ただ、
自分で考えてほしい。
言われる前に動いてほしい。
やるべきことを、少しずつ自分でできるようになってほしい。
そう思っているだけです。
でも、夕方の家の中は、
きれいごとだけでは回りません。
夕飯。
送り迎え。
お風呂。
明日の学校の準備。
こちらも一日動いて、
心の残量がほとんどありません。
そんなときに、
子どもがノートを開いたまま動かない。
頭の中で、何かがぷつっと切れることがあります。
そして、言ったあとで後悔します。
ちょっと強く言いすぎたかな。
もっと違う言い方があったかもしれん。
でも、言わんかったら、またやらんし。
怒ったことだけでなく、
そのあと余計なことまで考えて疲れます。
親に見えているのは「動いていない姿」だけだった
私は以前、
宿題をしない
=やる気がない
と考えていました。
でも、子どもがノートの前で止まっているとき、
親に見えているのは、
今、動いていない姿
だけです。
子どもの中で何が起きているのかは、
まだ見えていません。
問題の意味が分からないのかもしれない。
一問目に何を書けばいいか決められないのかもしれない。
漢字の量を見ただけで、
もう嫌になっているのかもしれない。
そもそも、まだ覚えていないことを聞かれているのかもしれない。
親から見ると、
「やっていない」
です。
でも、子どもの中では、
「どこから入ればいいか分からない」
だけのことがあります。
ここを見ないまま、
「早くしなさい」
を重ねても、
同じ夕方を繰り返してしまいます。
私は、何度も繰り返しました。
見る場所を変えると、最初の言葉が変わる
子どもを動かすために、
もっと効く言葉を探したこともあります。
でも、言葉だけ変えても、
見ている場所が同じなら、また元に戻ります。
「やる気がない子」
として見ながら、
優しそうな言葉に言い換えているだけだからです。
先に見るのは、
この子は、今どこで止まったのか。
です。
まだ覚えていないのか。
問題の意味で止まったのか。
始め方が分からないのか。
説明の仕方が合っていないのか。
量や疲れで、始める前から嫌になっているのか。
止まった場所によって、
次にかける言葉は変わります。
「早くしなさい」ではなく、
「どこから分からんなった?」
かもしれない。
「ちゃんと考えなさい」ではなく、
「これは、まだ覚えてないだけかもしれんね」
かもしれない。
「全部やりなさい」ではなく、
「一問目だけ一緒に見ようか」
かもしれません。
子どもが動いている別の場所も見る
私は3人の子どもを見ながら、
子どもが動き出す場所は一人ずつ違うと感じてきました。
長男はフルート。
長女はダンス。
次男はバレーやバドミントン。
そして、3人の英語。
親が良いと思ったものには動かなかったのに、
親が予想していなかった場所で、急に前のめりになることがありました。
宿題では止まっている。
でも、別の場所では何度も挑戦している。
親が見つけたいのは、
子どもの中にやる気があるか、ないかではありません。
どんなときに、その子の気持ちが少し動くのか。
そこなのだと思います。
この先では、
子どもが宿題の前で止まる理由を、
私が見落としてきた5つの場所に分けます。
そして、
まだ覚えていないとき
問題の意味が分からないとき
始め方が見えないとき
説明の形が合っていないとき
量や疲れで動けないとき
それぞれで、
親が最初に何を見て、どんな言葉をかけるかを整理します。
長女の「わからない」。
次男に説明が入らなかったときの顔。
長男が予想外の吹奏楽部へ入った話。
親が用意した英語では動かなかった長女が、
自分で入れたアプリから英語に入り直した話。
うまくできた話だけではありません。
見誤ったこと。
言いすぎたこと。
あとになって気づいたこと。
そこも、そのまま書いています。
これは、子どもを思い通りに動かす方法ではありません。
怒らなくなる魔法でもありません。
私も、今でも言いすぎます。
でも、また同じことでぶつかったあと、
次は、見る場所を一つ変えてみよう。
そう戻ってこられる記事にはできると思っています。
今日の夕方。
また怒ってしまう前でも。
もう怒ってしまったあとでも。
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1.まだ覚えていないところで止まっている
子どもが宿題を見て、
「分からん」
と言う。
親からすると、
この言葉に少しイラッとすることがあります。
いや、まだ考えてないやん。
問題を見ただけやん。
もう少し読んでみいや。
そう言いたくなります。
うちの長女も、
問題を少し見ただけで、
「もう分からんもん」
と言うことがあります。
そこで、
「なんで分からんが?」
と言うと、だいたい空気は悪くなります。
親には、考える前から逃げているように見える。
子どもは、本当に分からないと言っている。
同じ「分からない」を見ながら、
親と子で別のものを見ています。
「分からない」は、全部同じではない
子どもの「分からない」には、
いろいろあります。
考え方が分からない。
問題文の意味が分からない。
どこから始めればいいか分からない。
そして、
まだ覚えていない。
これもあります。
漢字。
英単語。
歴史の言葉。
頭の中にまだ入っていないなら、
考えても出てきません。
買った覚えのないプリンを、
冷蔵庫の中でどれだけ探しても出てこないのと同じです。
そこにプリンはありません。
たとえが急に軽くなりましたが、
私はわりと本気でそう考えています。
だから、長女が「分からん」と言ったときは、
「できない」
と決める前に、
まだ覚えていないだけかもしれない
と見るようにしています。
「できない」ではなく、「覚え中」
最近、長女に、
「宿題で分からんところある?」
と聞いたことがあります。
長女は、
「いや、今は別にないかな」
と答えました。
でも、社会の歴史は、
これから覚えないといけないと言いました。
私はその言葉を聞いて、
今は、歴史を覚えている途中なんだな。
と思いました。
できない。
無理。
分からない。
そう言うと、
そこで話が終わったように感じます。
でも、
「覚え中」
と言うと、まだ途中です。
今日は全部入らなくても、
明日もう一度見ればいい。
今日一つ覚えたなら、
何も進んでいないわけではない。
そういう余白が残ります。
このとき、最初にかける言葉
まだ覚えていないところで止まっているなら、
「なんで分からんが?」
ではなく、
「これは、まだ覚えてないだけかもしれんね」
「今日は一つだけ覚えてみようか」
「答えを見たあと、もう一回隠して言ってみようか」
くらいでいいと思います。
いきなり全部を覚えさせようとすると、
また量に負けます。
一つだけ見る。
一回だけ言ってみる。
今日入らなければ、また明日見る。
子どもだけでなく、
親もそのくらいで考えた方が続けやすいです。
2.問題の意味が分からないところで止まっている
文章を読んでいる。
数字も見ている。
でも、何を聞かれているのか分からない。
こういうこともあります。
親は問題の答えが分かっているので、
「ここに書いちゅうやん」
と思います。
でも、子どもにとっては、
どの言葉が大事なのか分からない。
何を使えば答えになるのかも分からない。
文章は読めても、
問題の意味が頭の中でつながっていないことがあります。
このときに、
「ちゃんと読んで」
だけでは、あまり変わりません。
本人は本人なりに読んでいるからです。
答えを教える前に、止まった言葉を見る
こんなときは、
「どの言葉から分からんなった?」
「何を聞かれゆうと思う?」
と聞くようにします。
答えが合っているかを見る前に、
問題をどう受け取っているかを見る。
たとえば、
「全部でいくつですか」
を聞かれているのか。
「残りはいくつですか」
を聞かれているのか。
ここが分からなければ、
足し算か引き算かも決まりません。
親には簡単に見えても、
子どもはその手前で止まっています。
このとき、最初にかける言葉
「もう一回ちゃんと読んで」
ではなく、
「何を聞かれゆうか、一緒に探そうか」
「大事そうな言葉はどれ?」
「分かるところまで、言ってみて」
と聞きます。
答えまで全部教える必要はありません。
どこまでは分かっているのか。
どの言葉からつながらなくなったのか。
そこが分かれば、
親が手伝う場所も小さくできます。
3.始め方が分からないところで止まっている
ノートは開いた。
宿題も出した。
でも、鉛筆が動かない。
この姿を見ると、
「ぼーっとせんと、早く始めて」
と言いたくなります。
でも、子どもは、
何から始めればいいか決められずにいるだけかもしれません。
漢字。
計算。
音読。
明日の準備。
やることがいくつも並ぶと、
最初の一つを決めるだけで嫌になることがあります。
大人でも同じです。
やることが多すぎると、
なぜか急に机の片づけを始めたくなります。
子どもだけを責められません。
全部ではなく、最初の一つを決める
始め方で止まっているなら、
「全部終わらせなさい」
ではなく、
「どれからなら始められそう?」
と聞きます。
それでも決まらないなら、
「一問目だけ一緒に見ようか」
「まず名前を書こうか」
「漢字を一つだけ書いてみようか」
くらいまで小さくします。
大切なのは、
最初から全部やらせることではありません。
動き始める入口を一つ作ることです。
一問目が終わると、
そのまま二問目へ進む日もあります。
一問目で終わる日もあります。
それでも、最初から言い合いになるよりは、
次を見る余地が残ります。
このとき、最初にかける言葉
「早く始めて」
ではなく、
「どれからならできそう?」
「一問目だけ一緒に見ようか」
「まず名前だけ書こうか」
です。
親が答えを全部出すのではなく、
最初の一歩だけ小さくします。
4.説明の形が合っていないところで止まっている
こちらが順番に説明している。
子どもも、こっちを見ている。
でも、顔がふわーっとしていく。
うちの次男には、
そういうことがあります。
目はこっちを見ている。
でも、頭の中は別の場所に行っているような顔です。
その顔を見た瞬間、
ああ、この説明では入っていないな。
と分かることがあります。
最初は、同じことを言い直していました。
言い方を少し変えて、もう一度説明する。
それでも顔は変わらない。
こちらは説明しているつもり。
子どもは聞いているつもり。
でも、届いていません。
言葉で入らないなら、絵や動きに変える
次男には、
順番を言葉だけで説明するより、
頭の中に絵が浮かぶように話した方が入ることがあります。
文字だけで分かりにくいなら、図にする。
物の動きなら、実際に動かしてみる。
体の使い方なら、自分でやってみる。
そうすると、
「ああっ」
と、急に目が開くことがあります。
ここで大事なのは、
「この子は絵で理解するタイプ」
と決めることではありません。
同じ子でも、
その日や内容によって違います。
疲れていれば、何をしても入らない日もあります。
見るのはタイプではなく、
目の前の反応です。
説明したあと、顔が止まっているか。
自分の言葉で言い直そうとしているか。
少し前のめりになったか。
そこを見ます。
このとき、最初にかける言葉
「さっき説明したやろ」
ではなく、
「この説明では分かりにくかった?」
「絵にしてみようか」
「実際に動かしてみようか」
です。
分からないのは、
子どもに力がないからとは限りません。
今の説明が、
その子の中に入る形になっていないだけかもしれません。
5.量や疲れで、始める前から嫌になっている
漢字が一ページ。
計算が何十問。
音読。
明日の準備。
子どもが宿題全体を見た瞬間、
「無理」
となることがあります。
一問一問ならできる。
でも、量を見た時点で気持ちが負ける。
学校で疲れている日もあります。
友達とのことで気持ちがざわついている日もあります。
眠い日もあります。
ただ遊びたい日もあります。
全部を、
「やる気がない」
で片づけると、
その日の子どもの状態を見落とします。
できる量まで小さく区切る
量で止まっているなら、
「全部終わるまでやりなさい」
ではなく、
「まず、ここまでやったら一回休もうか」
と区切ります。
計算を5問。
漢字を一列。
音読を一回。
そのあと、もう一度見る。
もちろん、休憩したまま戻らないこともあります。
あります。
かなりあります。
でも、その日はまた声をかけます。
最初から全部を見せて動けなくなるより、
今できる量を見せた方が入りやすいことがあります。
このとき、最初にかける言葉
「全部早く終わらせて」
ではなく、
「今日は、まずここまでにしようか」
「この5問が終わったら一回休もう」
「疲れちゅう?先に10分休んでからにする?」
です。
休ませれば必ず動くわけではありません。
先にやらせれば必ず終わるわけでもありません。
その日の子どもを見ながら、
入口を選び直します。
宿題では止まっていても、別の場所では動いている
子どもが宿題で動かないと、
動かないところばかりが目に入ります。
でも、別の場面では、
自分から動いていることがあります。
長男が吹奏楽部に入ったとき、
私はかなり驚きました。
私たち夫婦は、どちらかというと体育会系です。
部活に入るなら、
スポーツを選ぶものだと勝手に思っていました。
最初、長男本人も、
「部活には入らん」
と言っていました。
ところが、友達と一緒に吹奏楽部の体験へ行き、
帰ってくると、
「明日も行く」
と言いました。
二回目の体験のあとには、
吹奏楽部へ入ると決めていました。
しかも、選んだのはフルートです。
親の予想から、
かなり遠いところへ行きました。
フルートを希望する子が3人いて、
選ばれるのは2人。
長男は、それを気にしていました。
家では、
ペットボトルの口へ息を吹きかけて、練習のようなことまでしていました。
私が、
「練習しなさい」
と言ったわけではありません。
本人の中に引っかかるものがあったから、
自分でやってみたのだと思います。
子どもの気持ちは、小さな動きで出る
子どもは最初から、
「これを本気で続けたい」
とは言わないことがあります。
「明日も行く」
と言う。
帰ってきたあと、話が少し増える。
できなかったことを気にする。
家にあるもので試してみる。
そういう小さな動きに、
気持ちが出ていることがあります。
長女のダンスもそうでした。
次男のバレーも、
友達に誘われて始めたあと、できることが増えるにつれて自分から声を出すようになりました。
最初の入口は、
立派な目標ではありません。
友達がいた。
少し楽しかった。
前よりできるようになった。
もう一回やってみたくなった。
そんなところから始まっています。
親が用意した入口が、子どもに合うとは限らない
私は英語が好きです。
字幕なしで洋画を見られるようになることが、今でも夢です。
そのため、子どもたちにも英語を習わせていました。
親としては、
英語は将来役に立つ。
早くから触れた方がいい。
そう考えていました。
でも、子どもたちはだんだん動かなくなりました。
オンライン英語の画面を消す。
時間が終わるまで別のことをする。
単語カードも、ほとんど読めていない。
形としては続けている。
でも、子どもの中へ入っている感じがしませんでした。
親が用意した入口では、
入っていけなかったのだと思います。
自分で開いた入口から、入り直すこともある
最近、長女が自分で英語学習のアプリを入れました。
私が入れさせたものではありません。
本人が自分で見つけて、
一緒にやってほしそうに話しかけてきました。
誕生日は英語でどう言うのか。
今日の日付はどう言うのか。
正解をすぐ教えず、
違うところだけ教えてほしい。
そんなやりとりをしたあと、
長女が言いました。
「ちょっと英語が好きになってきた」
そのとき思いました。
英語が嫌いだったのではなく、
入り方が合っていなかっただけかもしれない。
同じ英語でも、
親が用意した形では入らない。
自分で見つけたアプリや、
日常の短いやりとりなら入れる。
宿題でも同じです。
親が正しいと思う順番が、
その子の入口になるとは限りません。
だから、
やったか、やらなかったか。
それだけではなく、
どこなら少し前のめりになったか。
どんな説明なら顔が変わったか。
何をもう一回やりたがったか。
そこも見ます。
止まった理由が違えば、かける言葉も変わる
子どもが動かないとき、
親が最初に見るのはこの5つです。
1.まだ覚えていない
最初の言葉は、
「これは、まだ覚え中かもしれんね」
2.問題の意味が分からない
最初の言葉は、
「どの言葉から分からんなった?」
3.始め方が分からない
最初の言葉は、
「一問目だけ一緒に見ようか」
4.説明の形が合っていない
最初の言葉は、
「絵にした方が分かりやすい?」
5.量や疲れで動けない
最初の言葉は、
「まず、ここまでにしようか」
全部を使う必要はありません。
正解の言葉を探し当てる必要もありません。
一つ言ってみて、
子どもの反応を見る。
違うと思ったら、次を試す。
親も、その子に合う言葉を覚えている途中です。
また怒ってしまった日に、ここへ戻る
ここまで読んでも、
また怒る日はあると思います。
私はあります。
「どこで止まったのか見よう」
と思っていたのに、
「早くしなさい」
が先に口から出る。
落ち着いて聞くつもりだったのに、
返事の仕方に腹が立つ。
あとになって、
また同じ言い方をしてしまったな。
と思う。
それでいい、とは言いません。
でも、一度失敗したら全部終わりでもありません。
そんな日は、
この5つだけ思い出します。
まだ覚えていない?
問題の意味が分からない?
始め方が見えない?
説明の形が合っていない?
量や疲れで動けない?
全部を考えなくても大丈夫です。
今の子どもに一番近そうなものを、
一つだけ見ます。
そして、次に言う言葉を一つだけ変えます。
親も、まだ覚え中でいい
子どもに合う言葉を、
最初から全部分かっている親はいません。
兄弟でも違います。
昨日うまくいった言葉が、
今日は効かないこともあります。
疲れている日。
機嫌が悪い日。
ただ遊びたい日。
子どもにもいろいろあります。
親にもあります。
だから、毎回完璧にできなくていいと思っています。
子どもだけが覚え中なのではありません。
親も、
この子はどこで止まるのか。
どんな言葉なら入るのか。
どのくらい待てばいいのか。
覚えている途中です。
私も今でも言いすぎます。
あとで、
あの言い方は強かったな。
と思います。
子どもの反応を見て、
言い方を変える。
また失敗する。
また見直す。
きれいな子育て論ではありません。
どちらかというと、
現場対応型の親バカ職人です。
子どもを変えるより、最初に見る場所を変える
人を思い通りに変えることはできません。
親だからといって、
子どもの気持ちを自由に動かせるわけではありません。
私も、人から言われただけでは簡単に変わりません。
それなのに、
親が言えば子どもは変わる。
そう考える方が無理があります。
夕方の忙しさも、
すぐには変えられません。
夕飯は必要です。
送り迎えもあります。
明日の準備もあります。
親も疲れます。
全部を一瞬で変えることはできません。
でも、
自分が最初に見る場所は変えられます。
最初に出す一言も、
少しだけ変えられます。
子どもを急に変えようとするのではなく、
今、どこで止まっているのかを見る。
それだけで、
責める前に一呼吸おけることがあります。
「早くしなさい」の前に、
「どこから止まった?」
と聞ける日があります。
「なんで分からんが?」の前に、
「まだ覚えてないだけかもしれんね」
と言える日があります。
それだけで、
子どもが急に勉強好きになるわけではありません。
何も言わなくても、
全部自分から動くようになるわけでもありません。
でも、
できないと決める時間が、
どこで困っているのかを見る時間に変わります。
責める時間が、
少しだけ一緒に見る時間に変わります。
今日うまくできなくても、
次の夕方にまた試せます。
子どもも途中。
親も途中。
また同じことでぶつかってしまったときは、
この5つの見る場所へ戻ってきてください。
全部を変えなくて大丈夫です。
次にかける言葉を、
一つだけ変えるところからでいいと思います。
僕の大好きな人のnoteです。
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