1978年、日本語に「革命」が起きた….村上春樹とサザンが切り拓いた言葉のフロンティア
正書法(正しい綴り)の不在を楽しみ、漢文すら和歌に変えてしまう。
大岡玲『日本語はひとりでは生きていけない』が教えてくれる、不自由で豊かな日本語の生存戦略。
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翔平 : 最近面白い本を読んだんだ。大岡玲という作家が書いた『日本語はひとりでは生きていけない』という本なんだけど、これが僕たちの使っている日本語のイメージを根本からひっくり返してくれるような内容でね。一言で言うと、日本語がいかにして今の形になったのか、その相克の歴史を辿る本なんだ。著者は、日本語の歴史を漢字(中国)への原点回帰と反発、英語(欧米)への憧憬と揺り戻しの歴史だと定義している。つまり、日本語は常に自分より格上だと思える「上位言語」を欲しがってきた、というわけだね。
奈美 : 上位言語……。私たちは無意識に日本語を使っているけれど、常に外の言葉に影響を受け続けてきたということでしょうか。
翔平 : そうなんだ。そこでまず奈美さんに聞きたいんだけど、「正書法」という言葉を聞いたことはあるかな?
奈美 : 正書法、ですか。あまり聞き慣れない言葉です。
翔平 : 英語で言う「オーソグラフィ」のことなんだけど、簡単に言えば「文字で表記する際の、統一された綴り方」のことだね。例えば、英語で犬を指す時は「dog」と書く以外に公的なルールはないだろう? でも、日本語はどうだろう。「犬」「いぬ」「イヌ」、あるいは「INU」。どれで書いても間違いではないよね。著者は、「日本語には正書法が確立されておらず、漢字、二種類の仮名、ラテン文字を使い分ける高い自由度があります」と指摘しているんだ。
奈美 : 確かに、メールやSNSでも、その時の気分で漢字にしたりひらがなにしたりします。それが「正書法がない」ということなんですね。
翔平 : そう。でも、この「正書法がない」という事実は、かつての知識人たちにとっては耐え難い欠点に見えた時期もあったんだ。例えば、文豪の志賀直哉は敗戦後、日本語は不完全で不便だから、世界で一番美しいフランス語を国語にしたらどうか、なんて極論を大真面目に主張していたくらいなんだよ。
奈美 : 志賀直哉がフランス語を!? それは驚きです。どうしてそこまで日本語を否定したくなったんでしょう。
翔平 : 彼は、漢字の読み書きの煩わしさや、同音異義語の多さに苛立っていたんだ。著者はこれを日本語の「不都合」と呼んでいるけれど、実はこの不都合こそが日本語の最大の武器である「あそび」や「ゆらぎ」を生んでいるんだね。日本語は「正確性の混乱を招くほどの『あて字』や無数の『同音異義語』、多層的な意味を持つ語彙など、『あそび』や『ゆらぎ』を本質としており、それが和歌や現代の歌詞などの言語芸術を支えています」というわけだ。
奈美 : なるほど。ルールがガチガチに決まっていないからこそ、表現に幅が生まれるということですね。でも、どうして日本語はそんなに混ざった状態になったんですか?
翔平 : そこには、古代日本人の驚くべき知恵があったんだ。奈美さんは学校で「漢文訓読」を習っただろう? あれって、外国語である中国語を、わざわざ記号を振って日本語の語順に直して読むという、世界でも珍しい手法なんだ。著者はこれを「対抗中国化」と呼んでいる。「古代日本人は、漢文を外国語としてそのまま受け入れるのではなく、補助記号を用いて日本語の語順で読む『訓読』を開発することで、中国人(漢人)にならずに中国の知を吸収する『対抗中国化』を果たしました」というんだよ。
奈美 : 中国人にはなりたくないけれど、中国の進んだ文化や知識は欲しい……。そのジレンマからあの複雑な読み方が生まれたんですね。
翔平 : そうなんだ。これが「和魂漢才」という精神に繋がっていく。日本の魂を持ちながら、中国の才(技術や知識)を取り入れる。でもね、日本人はただ模倣するだけじゃなかった。儒教的な厳しい規範は取り入れず、代わりに「恋」を文学の主軸に据えるといった、独自の「日本化」を常に行ってきたんだ。
奈美 : 知的な部分は中国から借りて、感情の部分は日本独自に守ってきた、という感じでしょうか。
翔平 : でもね、この混ざり合いが日本語の「書き言葉」と「話し言葉」を長く引き裂いてしまった。そこで登場するのが、紀貫之の『土佐日記』から始まる「言文一致」への長い旅路だ。二葉亭四迷の『浮雲』なんかも有名だけど、話し言葉に近い文章をどう作るか、多くの作家が苦闘してきたんだね。そして、著者が特筆しているのが1978年という年なんだ。
奈美 : 1978年……。何か特別なことがあった年なんですか?
翔平 : 日本語の歴史において、すごいシンクロニシティが起きた年なんだ。この年、村上春樹が神宮球場で「小説を書こう」と思い立ち、英語を翻訳するような独特の文体でデビューした。それと同時に、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でデビューしたんだ。桑田佳祐さんの、あの日本語とも英語ともとれる、意味よりもリズムや響きを重視した歌詞を覚えているかな?
奈美 : あ、分かります! 砂まじりの茅ヶ崎……。確かに、最初はなんて歌っているのか聞き取れなかったりしますよね。
翔平 : 著者もその衝撃を、「日本語の歌詞であるにもかかわらず、いわゆる日本語としてわからせようとする意識で歌っているようには聞こえなかった」と振り返っている。実はこの年、世界初の日本語入力システム、つまりワープロも発売されているんだ。1978年は、日本語が新しい「書き方」と「歌い方」を手に入れた、記念すべき転換点だったんだよ。
奈美 : 桑田さんの歌い方が、日本語の歴史と繋がっているなんて考えたこともありませんでした。でも、今の日本語って、SNSの言葉とかAIの文章とか、なんだかどんどん平坦になっている気がして少し不安です。
翔平 : そこなんだ。著者は、日本語の未来を拓く力は「歌」にあると信じているんだよ。桑田佳祐さんはもちろん、最近なら米津玄師さんやOfficial髭男dismといったアーティストたちが、日本語の伝統的な技法……例えば「本歌取り」や「掛詞」、それから豊かなオノマトペを現代的に再構築している。「彼らの『歌』こそが日本語の未来を拓く力となります」というのが、この本の大きな結論の一つなんだ。
奈美 : 米津玄師さんやヒゲダンの歌詞の中に、万葉集や平安時代から続く「あそび」が息づいているということですか?
翔平 : そうなんだよ。例えば、米津さんの『さよーならまたいつか!』という曲では、種田山頭火の句を「本歌取り」していたり、漢文脈のような硬い言い回しを絶妙に混ぜて、言葉の「ざらつき」を生み出したりしている。これは、ルールがない日本語だからこそできる、高度な「あそび」なんだね。
奈美 : 「日本語はひとりでは生きていけない」というタイトル、少しずつ分かってきた気がします。漢字や英語、そして歌や物語……。いろんなものと関わりながら、ゆらゆらと変化し続けることが、日本語の生命力なんですね。
翔平 : その感覚、大切だと思うよ。著者は最後に、AIが正しい日本語を生成する時代だからこそ、肉体を通した「歌」の言葉が必要だと説いているんだ。「日本語という宝に豊かな思いがけない未来があることを願いつつ」という言葉で締めくくられるこの本を読めば、奈美さんが普段聴いている音楽も、きっと違った景色に見えてくるはずだよ。
