聖書研究の場 | 偽リバイバル•贖罪日間近? | 神•サンデー•労働のリズム | バベルの塔再建 | 共通善の真実
🦉 最近、アメリカではよりカトリック色が強くなってきました アメリカ250(リデディケート250)のイベント、教皇レオ14世の回勅の発表などカトリックの教理についてまだまだ未知で、違いが分かる方がいましたらコメントをくださると嬉しいです ☺️
「歴史は繰り返す」
というレールに進んでいるのを全身に感じます。
長年にかけて世界を牛耳るように計画し、富を無限に肥やし搾取続ける商法、自分が作った偶像を崇拝し、自分の偶像(功績)によって恩恵(利益)を得たと信じる考え方。また、単なる自己達成の野心を燃やし、数字(利益)・ビジネスを優先するやからは、カインの型でしるしがあり(創世記4:15)、結局落とし穴に堕ち易いのでしょう。(自らの罪を悔い改める例外のみ)
皆さん自身、アベルの型、カインの型のどちらだと思いますか・・?
参考:
🎥 🃏 | ハザエル王、カインvs対アベル | 獣の刻印vs神の印 | 終末に第一級殺戮者が他を殺す
🎥 2026年5月30日安息日ライブ | 教課 |「 誤解された伝道」
ルカによる福音書18章
24節 イエスは彼の様子を見て言われた、
「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。
25節 富んでいる者が神の国にはいるよりは、
らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
そして公然と隣人のものを搾取する考え方が分からないです。
気候変動や何らかの問題で悪しき人たちの都合に支障が出ると、預言者や義人のせいにしていましたね。この近い将来、これもリバイバルするので引っかからないように各自で引き続き聖書研究を続けてください。
もう『共通善』の本当の意味をご存知かと思いますが、メディアや政府などが打ち出している計画、SDGsの表の説明とは程遠いだと思います。
👇 の動画や動画の概要から真実を見つけてください。
聖霊の声を聞きわけて、真理の道へと導かれるよう切に願います 🙏
🎥 アメリカ250は神聖なリセット | アメリカ250は日曜礼拝法の基盤を築いた偽りのリバイバル

動画の概要
この動画のテーマは「アメリカ250周年記念イベント(アメリカ 250)を通じて示される宗教と政治の統合の動きと、これが終末に向けた偽りのリバイバル(counterfeit revival)であることの警告」です。講師はアメリカの宗教指導者たちと政治家たちが結託して「国家の主権を神に返す」という名目で、最終的に日曜法(国家的な日曜礼拝の法律)を成立させようとしている動きを「神聖なリセット(Divine Reset)」と呼び、その背後にある霊的・終末論的な危険性を強調しています。対して、真のリバイバル体験に至るための霊的手法(5つのステップ)を聖書から示し、視聴者に備えを呼びかけています。
対象は宗教に関心のある人:特に終末論やキリスト教の真理を探求する信者向けであり、彼らは宗教と政治が融合した動きの危険性を理解し、真の霊的回復へ向けた道筋を知ることができます。
タイムライン要約
00:00–02:56:イントロダクションと今後のイベント案内
▶︎ アメリカ250周年関連の夏の集会やジャマイカでの聖日集会を案内。
5月17日のイベントは始まりに過ぎないと断言。
02:56–07:18:アメリカ 250イベントの現地リポートと「神聖なリセット」の解説
▶︎ イベント参加者インタビューを交えて、「アメリカ250は宗教的な『神聖なリセット』であり、宗教面のグレートリセットである」と説明。
07:18–12:00:世界経済フォーラム(WEF)などと連動する「グレートリセット」と持続可能な開発目標(SDGs)の関係
▶︎ グレートリセットの政治・経済・宗教連携、デジタル社会の基盤と獣の刻印システムへの結び付き。抗議活動の存在も紹介。
12:00–19:08:マイク・ジョンソン氏とロバート・バロン司教の祈りの紹介と宗教の公的化批判
▶︎ ジョンソン氏の祈り、バロン司教の民主主義と宗教の関係に関する発言を紹介。個人信仰の排除、公共宗教の強調の危険性を指摘。
19:08–28:12:フランス革命 vs アメリカ革命の比較とローマ・カトリック教義の非聖書性の指摘
▶︎ 宗教と理性の関係の見解の矛盾、またカトリックの教え(マリア崇拝、聖人礼拝、日曜礼拝否定聖書根拠など)に疑問を呈す。
28:12–35:42:ティモシー・ドラン枢機卿の演説と教会と国家の結合推進
▶︎ ドラン枢機卿の演説から、「共通善(ローマカトリック社会教義)」の概念を解説し、個人権利放棄の危険を強調。
35:42–41:54:🃏大統領の演説と聖書引用による国家的日曜礼拝法制定の予兆
▶︎ 🃏支持の聖書引用(歴代誌下7章)を通じて、災害や疫病対策名目での国家的宗教法制定の可能性を示唆。
41:54–50:32:アメリカ250は旧約聖書の贖罪日に対する偽りの模倣である指摘
▶︎ 1776年第二回大陸会議による礼拝日の制定と今回の日曜礼拝の類似を挙げ、これは贖罪日の偽復活であると警告。
50:32–58:25:教会と国家の融合の深刻化と十戒の公的導入の動き
▶︎ 教会指導者たちが十戒の公的導入を主張するように変化したことを指摘し、日曜法成立が迫っている状況を解説。
58:25–1:06:48:1776年の公式宣言と現代の5月17日が重なった「偶然」でない神の導き
▶︎ 250周年の5月17日が日曜日だった偶然を神の計画と解釈し、全宗派一致の日曜礼拝推進の意図を説明。
1:06:48–1:26:45:真のリバイバルを経験するために必要な5つのステップと聖書に基づく祈りの重要性
1. 罪に勝利する祈り | 2. 聖なる集会 | 3. 自らを苦しめる(断食と祈り)
4. 火のささげもの(自己犠牲)| 5. イエスの祈り(ヨハネによる福音書17章)の黙想。この5つを実践し真のリバイバルを目指す重要性を説く。
主要用語・定義 🧩
リデディケート250(Rededicate 250):アメリカ独立250周年を記念して行われた宗教的国家献身イベント。
神聖なリセット(Divine Reset):宗教界における「大改革」や「国家の神への回帰」を意味し、政治・経済の「グレートリセット」と連動。
グレートリセット(Great Reset):世界経済フォーラムが提唱する経済・社会秩序の大規模改革プログラム。
日曜法(National Sunday Law):聖書預言に基づき、国家による日曜日の宗教的休息(礼拝)強制法。
贖罪日(Day of Atonement):レビ記23章に記された旧約の重要な祭日。罪の清算・神との和解を象徴し、断食・労働停止が伴う。Day of / H3117 | Atonement / H3725
聖なる集会(Holy Convocation):聖なる集会、神の前での礼拝や祈りを指す。
共通善(Common Good):ローマカトリック社会教説で、個人の権利よりも共同体の利益を優先する概念。
📌 キーインサイト
🔥 アメリカ 250イベントは、宗教と政治の結合による「国家的日曜法」制定への布石であり、偽りの宗教的リバイバルをもたらす危険性がある。
🌍 世界経済フォーラムのグレートリセット構想と宗教面でのリセット(アメリカ250)は連動し、デジタル経済を基盤とする獣の刻印システムと結びついている。
⛪ ロバート・バロン司教やティモシー・ドラン枢機卿ら宗教指導者は、個人信仰 (Personal Religion) の危険性を説き、統合宗教 (Corporate Religion) 主義を推進している。
📜 1776年の第二回大陸会議による公式宣言や聖書の贖罪日 (Day of Atonement)が、今回の政治宗教的動きの霊的・歴史的背景として重要であり、その偽りの模倣が行われている。
🙏 真の霊的リバイバルへの道筋として、罪に勝利する祈り、聖なる集会、自己断食と祈り、自己犠牲、イエスの祈りの黙想、の5つの霊的実践が示されている。
「アメリカ 250は宗教的にも政治的にもグレートリセットの宗教面とリンクしている」という見解。
ロバート・バロン司教の「私的信仰を排除し、公的宗教の統制を求める発言」に見られる民主主義批判。
教会指導者が「10戒の公的導入」を主張し始めた変化とその裏にある宗教と国家の融合。
250周年5月17日が日曜日に重なった偶然以上の神の計らいの指摘。
真のリバイバルに必要な5ステップの具体的な聖書根拠と実践法の提示。
推論構造 🔎
前提:アメリカ250周年リデディケートは「神への回帰」とされる宗教的な国の献身行事である。
過程:歴史的に1776年の宗教的献身後、教会/国家結合が迫害と宗教的統制を生んだ。現代のイベントは同様の方向性を持つ。
結論:アメリカ250周年は単なる記念行事ではなく、将来の「国家日曜法」に布石を打つ偽りのリバイバルであり、これに対抗して真の霊的準備が必要。
例え・事例 ✳️
🔸 Pat Holmes氏の「Divine Reset」発言(テキサス):イベント参加者が「神聖的なリセット」と称し、国家と宗教の強い結びつきの動きを象徴。
🔸 第二回大陸会議1776年5月17日の祈り・労働停止:その当時の宗教的状態と比較し、現代の同日イベントが聖書の預言的意味を含み日曜法への伏線であると解説。
🔸 司教バロンの政治的宗教主張:個人の自由を否定し、公共宗教の強要を唱え、憲法の自由概念に異議を唱える具体例。
🔸 🃏大統領の聖書引用:「歴代誌下7章」の引用による神への回帰要求が、日曜法の正当化に用いられる可能性。
学習者が間違いやすいポイント ☝️
🔹 日曜法成立を単なる宗教儀式の復活と誤解すること
→ これは政治的・経済的圧力と連動した国の法律制定の動きであり、大きな監視が必要。
🔹 恣意的に自由を解釈し「個人の宗教の自由」が万能と誤認すること
→ 現代の勢力は公共宗教の強制を目指し、個人の自由は制限されつつある。
🔹 1776年の宗教的献身を肯定的にのみ評価し、迫害の歴史的側面を見落とすこと
→ 過去の歴史を踏まえ、教会-国家結合が迫害と社会統制につながることを理解する必要。
🔹 リバイバル=宗教的熱狂と単純化すること
→ 偽りのリバイバルと真のリバイバルは明確に区別され、5つのステップを踏んだ生活的な信仰の深化が求められる。
よくある質問(FAQ)
1. 質問:アメリカ 250は何を象徴しているのですか?
回答:アメリカ250周年記念イベントは政治・宗教の融合を象徴し、国家的な日曜礼拝法の制定へとつながる偽りの霊的リセットとされています。
2. 質問:「神聖なリセット」とは何ですか?
回答:政治的・経済的グレートリセットに対し、宗教的側面での大きな刷新や制度の回帰を意味し、カトリック教会などが推し進める宗教統制の動きです。
3. 質問:真のリバイバルに必要な5つのステップとは何ですか?
回答:(1) 罪に勝利する祈り | (2) 聖なる集会 | (3) 自らを苦しめる断食祈り
(4) 火のささげものとしての自己犠牲 | (5) イエスの祈りの黙想です。
4. 質問:政治と宗教の統合はなぜ問題視されているのですか?
回答:アメリカの建国理念である政教分離を崩し、宗教が国家権力を通じて信仰を強制し、自由や多様性を侵害する恐れがあるためです。
5. 質問:米国の今後の展望は?
回答:日曜法など宗教的な戒律の法制化が近づいており、それに対し真の信仰者は霊的準備と自己の清めが求められると警告されています。
結論
本動画は「アメリカ 250」をきっかけとした宗教・政治の結合による国家的な日曜法制定の動きを、霊的・歴史的視点から警告し、偽りのリバイバルとされるその動きに対抗するべく、真の霊的復興のために必要な5つの霊的ステップを提示しています。情報収集から信仰理解、そして行動(自己の祈りと断食、教会の選択と参加)へと至る流れが論理的に示されており、視聴者に対して今後の時代を生き抜くための備えを実践的に促しています。
行動提案:聖書ヨハネの福音書17章のイエスの祈りを日々黙想し、断食祈りを強化すること、また「本当に信頼できる教会や指導者」を見極め、霊的にバランスの取れた信仰生活を送ることが重要です。さらに、この動画の内容を共感者と共有し、宗教と政治が結びつく現代の動向について意識を広げることも推奨されます。
🎬 関連動画と資料

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この、いわゆる「巡礼者」(ピルグリム)たちが、勇敢にも長途の航海の危険を冒し、荒野の種々の困難と危険に耐え、そしてついに神の恵みによって、アメリカの岸に偉大な国家の基礎をすえたのは、良心の自由を得たいという願いからであった。しかし、これらの清教徒たちは、誠実で神を恐れる人々ではあったけれども、まだ宗教の自由の大原則を理解していなかった。彼らは、大きな犠牲を払って獲得した自由を、等しく他の者に与えようとはしなかった。 「17世紀の最も進歩的な思想家たちや道徳家たちでさえ、新約聖書より発している大原則、すなわち神以外にはだれも人間の信仰をさばくことはできないということを、正しく認識したものはほとんどいなかった。」人間の良心を支配し、異端を定義し、処罰する権を、神は教会にゆだねられたという教義は、法王教の誤謬に最も深く根ざす誤りの1つである。改革者たちは、ローマの教義を否定はしたが、その狭量な精神から完全にぬけきってはいなかった。法王権の長期にわたる支配下において、キリスト教会全体をおおった濃い暗黒は、まだ全部消え去ってはいなかった。マサチューセッツ湾の植民地における有力な牧師の1人は、次のように言った。 「寛容であったことが世界を反キリスト教的にした。そして教会は、異端を罰しても何の害も受けなかった。」植民地開拓者たちは、教会員だけが政治に発言権を持つべきであるという規則を採用した。一種の国教が制定され、すべての住民は聖職者を支持するために献金することを要求された。そして、長官には異端を鎮圧する権が授けられた。こうして、世俗の権力が教会の手中にあった。やがて、こうした方法は、その必然的な結果である迫害をひき起こすことになった。





聖書は、主の再臨に先だって、初期の時代の状態に似た宗教的堕落の状態が起こるといっている。 「終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を 愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう」(Ⅱテモテ 3:1-5)。
「しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、
惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう」 (Ⅰ
テモテ 4:1)。サタンは、 「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
また、あらゆる不義の惑わしとを」もって働く。そして、 「自分らの救と
なるべき真理に対する愛を受けいれな」い者はみな、 「彼らが偽りを信じ
るように、迷わす力」に陥ってしまうのである(Ⅱテサロニケ 2:9-11)。こうした不信の状態に達した時に、初期の時代におけると同様の結果が生じるのである。
プロテスタント教会内の大きな信仰の差異は、どんなに努力しても一致を図ることはできないということの決定的証拠であると考える人が多い。しかし、ここ数年にわたって、プロテスタントの諸教会内において共通の教義を土台として合同しようとする気運が強く動き出している。このような合同を達成するためには、たとい聖書的見地からどんなに重要なものであっても、すべての者が一致しない問題点は、必然的に放棄されねばならなくなる。
1846年、チャールズ・ビーチャーは、ある説教の中で次のように言明した。 「福音主義のプロテスタント諸派の牧師たちは、単なる人間的恐怖にはなはだしく打ちひしがれているだけでなく、根本的に腐敗した状態のもとに生き、動き、呼吸している。そして、常に、自分たちの性質のあらゆる卑しい要素に訴えて、真理については沈黙し、背教の勢力にはひざをかがめている。これは、ローマが行ったことではなかったか。われわれもまた、同じことをしているのではなかろうか。そして、われわれは、前途に何を見るであろうか。それは、もう1つの全体会議、世界大会、伝道同盟、そして共通の信条ということである。」これが達成されるならば、その時には、完全な合同を確保するには、ただ1歩進んで暴力に訴えればよいのである。
米国の主要な教会が、その共通の教理において合同し、国家を動かして教会の法令を施行させ、教会の制度を支持させるようになるその時に、プロテスタント・アメリカは、ローマ法王制の像を造り、その必然の結果として、反対者たちに法律上の刑罰を加えることになるのである。
マタイによる福音書15章
6節 父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。
14節 彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。

(自動日本語字幕または吹き替え)


歴代誌下7章




(自動日本語字幕)29:22ごろから

(自動日本語字幕または吹き替え)
レビ記23章
24節 「イスラエルの人々に言いなさい、『七月一日をあなたがたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなければならない。
25節 どのような労働もしてはならない。しかし、主に火祭をささげなければならない』」。
27節 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。
28節 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。
29節 すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう。
30節 またすべてその日にどのような仕事をしても、その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。

(自動日本語字幕)6:33:20ごろから
しかし、信仰と敬虔さが一般に衰微したとはいっても、これらの教会の中に、キリストの真の弟子たちがいるのである。地上に神の最後のさばきが下るに先だって、主の民の間に、使徒時代以来かつて見られなかったような初代の敬虔のリバイバルが起きる。神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる。その時、多くの者が、神と神の言葉の代わりにこの世を愛してきた諸教会から離れる。牧師も信徒も、多くの者が、主の再臨に民を備えさせるために神が今宣布させておられるこれらの大真理を、喜んで受け入れる。魂の敵は、この働きを妨害しようとする。そして、こうした運動が起こる前に、偽物を提示することによってそれを妨害しようとする。彼は、自分の欺瞞の力のもとに置くことのできる諸教会において、神の特別な祝福が注がれているかのように見せかける。大いなる宗教的関心と思われるものが現れる。多くの人々は、神が彼らのために驚くべきことをしておられると喜ぶが、それは、別の霊の働きなのである。宗教的装いのもとに、サタンは、キリスト教世界に自分の勢力を広げようとする。
過去半世紀の間に起こったリバイバルの多くには、将来大規模にあらわれるのと同じ勢力が、多少とも働いていた。そこには感情の興奮と、真理と虚偽の混合が見られ、それは人を欺くのに好適なのである。しかし、だれも欺かれる必要はない。神の言葉に照らしてみるならば、これらの運動の本質を見定めることは、むずかしいことではない。人々が聖書の証言をおろそかにし、克己と世俗の放棄とを要求する明快で人の心を試す真理から顔をそむけるならば、神の祝福を受けることができないのは確かである。そして、 「その実によって彼らを見わけるであろう」という、キリストご自身がお与えになった規準によって、これらの運動は神の霊の働きではないことが明らかなのである(マタイ 7:16)。
列王記上18章

サタンは人々に対し、あらゆる病気をいやすことのできる偉大な医師のようにみせかけながら、他方では病気や災害を生じさせ、ついには人口の多い都市が破滅して荒廃する。彼は今も活動している。海や陸における事故や災害、大火災、激しい突風、すさまじい降雹、あらし、洪水、たつまき、津波、地震など、あらゆる場所に幾多の形でサタンは力をふるっている。彼は取り入れまぎわの収穫を全滅させ、ききんと困窮を引き起こす。彼は空気を恐るべき病毒で汚染させ、幾千人もの人が悪疫で死ぬ。これらのできごとはますますひんぱんになり、悲惨なものになる。破滅は人間にも、動物にもおよぶ。 「地は悲しみ、衰え、・・・・天も地と共にしおれはてる。地はその住む民の下に汚された。これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、とこしえの契約を破ったからだ」(イザヤ 24:4, 5)。
しかもこの大欺瞞者サタンは、神に仕える者たちがこれらの災害を引き起こしているのだと、人々に説く。天の神の不興を引き起こしてきた人たちは、すべての災いを、神の戒めに服従することによって絶えず違反者たちへの譴責 け ん せ き となっている人たちのせいにする。日曜安息日を犯すことは神を怒らせることであり、この罪が災害をもたらすのであって、それは日曜日遵守がきびしく実施されねばやまない、と宣言される。また、第4条の要求を主張して日曜日尊重を傷つける者は民を悩ます者であって、神の恩寵とこの世における繁栄とを妨げている、と宣言される。このようにして、昔神のしもべに向けられた非難が、同じようにもっともらしい理由のもとにくり返される。 「アハブはエリヤを見たとき、彼に言った、『イスラエルを悩ます者よ、あなたはここにいるのですか。』彼は答えた、『わたしがイスラエルを悩ますのではありません。あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです』」(列王紀上 18:17, 18)。民衆の怒りは偽りの非難によってかきたてられるので、彼らは神の使者たちに対して、背信のイスラエルがエリヤに対してとったのと同じような態度をとるであろう。
心霊術を通して現される奇跡の力は、人間に従うよりは神に従うことを選ぶ人たちに不利な影響を与える。いろいろな霊からの伝達は、神は日曜日を拒絶する者たちにそのまちがいを悟らせるために自分たちを送られたのだと宣言し、国家の法律は神の律法と同様に遵守しなければならないと断言する。霊たちはまた、世の中が非常に悪くなったことを嘆き、道徳的に堕落している状態は日曜日の冒涜に原因があるという宗教家たちの証言を支持する。彼らのあかしを信じようとしないすべての者に対して、ますます激しい怒りが引き起こされる。
ルカによる福音書23章
27節 大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。
#1.
・ 贖罪の日:まず第一に、贖罪の日に罪に打ち勝つために、祈りを通して神に近づかなければならない
・ 真理 = キリスト → キリストは現在、天の『至聖所』におられる
・ ヨハネによる福音書14:6
・ キリストの贖いの働きとは、調査の審査(調査審判)
・ 1844年10月22日から開始
#2.
・ 神と一つになるため、罪に打ち勝ち、維持する方法は?
・ 「5つの救いの鍵(ステップ)」を実行
🗝 5つの救いの鍵(The 5 Keys of Salvation)
1. 聖書の御言葉を暗記する / サタンが来た時、「・・・と書いてある。」
と言えるよう誘惑に対して聖書のみ言葉を蓄える / 詩篇119:11、
マタイによる福音書4:1-11
2. 神の御言葉を毎日学び、1日3回以上祈る(朝・昼・晩)詩篇55:16-18、 詩篇119:105 / 罪の誘惑への勝利
3. 断食と祈り(必要に応じて / 回数任意)/ マタイによる福音書17:15-21、 マタイによる福音書4:1-4
4. オールナイト祈祷会、又は、各自の祈り(必要に応じて)/ 創世記32:24-30、ルカによる福音書22:40-44
5. 真の安息日を守る(土曜日) / 日毎の罪への勝利(自信を生きた聖なる供え物としてささげる / 自己犠牲)土曜日のみならず毎日安息日の精神、
イザヤ書 58:13、出エジプト記20:8-11
・ 追加聖句:詩篇1:1-3、コリント人への第二の手紙6:14-17
#3.
・ 真の霊的覚醒を経験するために、魂を悩まさなければならない
・ 断食し、神に祈る / 私たちはキリストに対して「Yes」と言える力を高めるのを学ぶ
・ 神と一つになる鍵は、私たちの魂を苦しめる
・ 私たちは神に全て身を委ねる
・ 神は私たちに悪魔に立ち向かう力を与え、悪魔は私たちから逃げ去るだろう
・ エズラ記8:21-23、マタイによる福音書17:21、
マタイによる福音書4:1-11、ヤコブの手紙4:7-11
#4.
・ レビ記23:27
・ 神に火による捧げ物をささげる/自分自身を捧げる
・ ローマ人への手紙12:1-2
#5.
・ 贖罪の日にイエスの祈りについて深く思い巡らせる
・ 贖罪の日にイエスの祈りを読み、熟考し、深く思い巡らせる
・ 贖罪とは一つになることを意味する
・ ヨハネによる福音書17:11, 15-16, 19, 21-22, 24
・ 幕の内側でのキリストの祈り
・ 父なる神は私たちを悪から守る
・ 私たちは(贖罪の日に)現代の真理の中にいる人々と一つにならなければならない
・ 天国にいる自分を黙想
・ 新しい地にいる自分を黙想
ヨハネの福音書14章
6節 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

詩篇1
1節 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
2節 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
3節 このような人は流れのほとりに植えられた木の
時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、
そのなすところは皆栄える。
コリント人への第二の手紙6章
14節 不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。
15節 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
16節 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、
かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう」。
エズラ記8章
21節 そこでわたしは、かしこのアハワ川のほとりで断食を布告し、われわれの神の前で身をひくくし、われわれと、われわれの幼き者と、われわれのすべての貨財のために、正しい道を示されるように神に求めた。
22節 これは、われわれがさきに王に告げて、「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」と言ったので、わたしは道中の敵に対して、われわれを守るべき歩兵と騎兵とを、王に頼むことを恥じたからである。
23節 そこでわれわれは断食して、このことをわれわれの神に求めたところ、神はその願いを聞きいれられた。
マタイによる福音書17章
21節 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
マタイによる福音書4章
1節 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。
2節 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
3節 すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
4節 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
5節 それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて
6節 言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
7節 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
8節 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
9節 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
10節 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
11節 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
ヤコブの手紙4章
7節 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
8節 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
9節 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
10節 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
11節 兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
ローマ人への手紙12章
1節 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
2節 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ヨハネによる福音書17章
11節 わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
15節 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。
🎥 最後のペンテコステ」に備える | 時を告げる説教者 | 生と死のメッセージ | (罪)決別の誓い

動画の概要
この動画は、終わりの時代の霊的準備と人生の変革を促す力強いメッセージを中心に展開されています。テーマは「現代におけるバプテスマのヨハネの使命を生きること」と「2027年から2031年の終わりの時代を見据えて、霊的覚醒と清めの誓い(ナジルびとの誓い)を実践すること」です。目的は、視聴者に自らの霊性を鍛え、キリストの再臨に備えるために聖く清い生活を送り、祈りと黙想を通じてイエスを真に見上げるよう促すことです。
この動画は特に以下の人々に適しています:
✴️ 終末論に興味があり、霊的に深く備えたいクリスチャン
✴️ 家族や若者の霊的成長に関心を持つ信徒や親
✴️ 誘惑や罪と闘う人々
✴️ 教会のリーダーや宣教師、伝道者
✴️ 今後の世界が気になる方
視聴後には、人生の優先順位や生活習慣を神の御旨に照らし合わせて見直し、具体的に罪から「決別」する決意をし、イエスと一体となる体験的な信仰生活を送ることが学べます。
タイムライン要約
00:00-00:57:夏季大会とジャマイカ大会の案内、ビデオの告知と祈祷開始
▶︎ 夏季大会の日時告知、ジャマイカでの大会参加の呼びかけ、SNSで流布する論争動画に触れ、祈りで聖別した場を整える。
00:57-06:39:終わりの時代の危機の警告と備えの必要性の強調
▶︎ 「危機は徐々に近づいている」「最後の審判は間近」という聖書の預言を精査し、教会の覚醒を促す。これからの伝道と宣教の重要性を力説。
06:39-13:55:終わりの時代の期限の理解とバプテスマのヨハネの原型
▶︎ 2027年をキリスト再臨に関する6,000年計画の重要な節目とし、バプテスマのヨハネの出発点である27ADの霊的準備期間に学び、現代にその精神を引き継ぐ必要性を伝える。
13:55-20:09:バプテスマのヨハネの霊的成長と使命を受け継ぐ決意
▶︎ ヨハネが幼少期から使命に育てられたことを強調し、親は子に使命を繰り返し伝える役割を担うこと、信者は「再生」し霊的に強められる必要があると説く。
20:09-27:36:終わりのペンテコステと霊的な夢・幻の受け取り
▶︎ 福音の使命に集中することが夢や幻につながり、それが聖霊の臨在と働きをもたらす最終ペンテコステの準備となることを聖書から示す。
27:36-37:49:ソロモンの例に学び、霊的智慧と資源を神に求めること
▶︎ ソロモン王の願いを引き合いに出し、使命のために理解と知恵を神に祈り求める姿勢の大切さを強調。
37:49-40:40:ナジルびとの誓いの霊的解釈—節制と決別の必要性
▶︎ ナジルびとの誓い(ワインや酔いからの決別)を文字通りでなく霊的に実践し、生活習慣や飲食、過食を改めることの重要性を説く。
40:40-51:24:食物や生活からの自己制御と霊的純潔の促進
▶︎ 葡萄や干し葡萄(レーズン)などの象徴的意味と、良き物を犠牲にしてでも霊的成長のために自制をする本質を解説。
51:24-59:50:イエスを見上げることで罪からの回復と本当の悔い改めを得る
▶︎ 罪がイエスの心をどれほど傷つけるかを深く自覚し、具体的な罪を目に見えるように想像し、悔い改めと救いへと導かれるプロセスを説明。
59:50-01:15:00:ゲッセマネの黙想による罪の認識と悔い改めの深化
▶︎ ゲッセマネのイエスの苦悶を心に描くことによって罪の実相をリアルに感じ、具体的な罪と正面から向き合う霊的訓練を推奨。
01:15:00-01:24:00:祈りの呼びかけと罪からの決別の決意の勧め
▶︎ 罪と決別し、イエスと「結婚」するという決心を示し、祈りの場へ赴いて新しい霊的人生を始めることを推奨。
01:24:00-02:09:00:SNSに流布される切り取り映像への対応と正確な教義の説明
▶︎ 誤解のもととなった映像の断片を検証し、全体のメッセージの意図を明確化。2027年~2031年の終わりの時代の区間を示す根拠を詳細に述べ、偽情報や中傷に対する姿勢を示す。
02:09:00-02:12:18:教会の絆を強めるための連絡体制の整備と閉会祈願
▶︎ 教会員の連絡先を集め、家族のような関係をつくり互助体制を築く呼びかけと、伝道活動の天候祈願をもって終了。
主要用語・定義 🧩
ナジルびと(Nazarite):旧約聖書の誓約で、特定期間禁欲や清めを守ること。現代では「霊的ナジルびと」として罪や世俗的誘惑から離れる霊的献身の意味で使われる。
6,000年の救いの計画:アダムの罪から終末までの神の計画は6,000年とし、終末論の時期判断の指標となる。
霊的再生(Born Again):ヨハネによる福音書3章で語られる、新しい霊的生命への誕生。文字通りの生まれ変わりではなく、心の変革を伴う信仰体験。
5つのサバイバルの鍵(Five Keys of Survival):終末に際しての信仰生活を維持し、勝利するための実践的原則の総称。
終わりの時代の近さ(Nearness):終わりの時代が「近い」と認識することは、限られた期限の認識を意味し、実践的な警戒態度の根拠となる。
ゲッセマネの祈り:イエスが十字架の苦難に向けて最後に神に祈った場所とその祈り。苦悩を共感的に体験し、信仰の深化の例として重要。
幕屋の最も聖なる所(Heavenly Sanctuary):神の霊的裁きが行われる天の法廷としての概念。
📌 キーインサイト
🕊️ 終わりの時代の迫近を警告し、覚醒を促す聖書預言の基礎解説
🔥 バプテスマのヨハネの霊的準備期間(幼少期からの使命自覚)を現代に再現する必要性
🙏 ナジルびとの誓いの霊的意味:節制と自己犠牲による罪からの決別
👁️ イエスを見上げて、罪の本質を心に刻み悔い改めへ導く実践的祈りの手法
⚖️ SNS上の断片的動画による誤解や中傷に対して全体説明と聖書的立場を論理的に展開
🤝 教会や信徒間での家族的連携強化と相互支援の重要性
「サイレンス=弱さではなく、神のタイミングを待つ強さ」
2027年が終末の重要なマイルストーンであるが、神の裁量で前後する可能性も示唆。
罪は自身を傷つける以上にイエスを傷つけるものであり、その認識が真の悔い改めをもたらす。
祈りの中でゲッセマネを想像し、イエスの苦しみに思いを馳せることで罪に勝利できるリアルな体験が得られる。
現代の若者に対する説得は「なにかをやめろ」だけではなく、「何か良きもの」を示すことが最も効果的。
推論構造 🔎
1. 終末の時代到来の認識 → 警告伝道の必要性 → 使命自覚の促進
聖書と霊感書の証言で終わりが近いと認識し、警告の重要性を説く。これが使命と責任の自覚につながる。
2. ヨハネの洗礼者の幼少期からの使命認識 → 霊的成長 → 公の使命開始(4,000年地点)
使命への準備は幼少期から常に与えられ、霊的に強められて初めて公の使命が果たせる。
3. 霊的ナジルびとの誓い = 世俗的誘惑・罪からの分離 → 神の霊の注ぎと使命の遂行力付与
誓いによる離脱が霊の注ぎを可能にし、使命達成に必要な知恵や資源を与えられるとする密接な因果関係。
4. 罪の認識の深化(罪がイエスを傷つけることの自覚) → 神の悔い改めの霊働き → 真の悔い改めと魂の変革
ただの自己害への悲しみではなく、神の痛みを共に感じることで、具体的な罪の告白と離棄に至る。
例え・事例 ✳️
🔸 ヨハネの洗礼者の使命の幼少期からの準備
神の使命は幼少期から繰り返し言い聞かせられ、使命に生きる心が育まれていった。
🔸 ペテロの失敗と回復
イエスの予告を知りつつも三度の否認に至ったが、ゲッセマネでのイエスの姿を想起し涙することで心が砕かれ復活した実例。
🔸 ぶどうとぶどう製品の例示
ナジルびとの誓いにおける「ぶどう」「干しぶどう」について、新鮮であろうと何であれ断つ必要がある理由を霊的原則で説明。
🔸イメージトレーニングとしての「ゲッセマネに行く」
具体的な罪をもってゲッセマネへ行く瞑想を勧め、心の変革を促す実践法。
学習者が間違いやすいポイント ☝️
🔹 「6,000年説=正確な期限」と誤解しすぎることは避ける
動画内でも「おそらくこの期間だが絶対ではない」という柔軟性を持つ立場を提示。
🔹 断片的な動画クリップで教えを判断し誤解を生むこと
一部抜粋の誤用により、メッセージの趣旨や強調が歪められるリスク。
🔹 ナジルびとの誓いの形式的理解と実践の軽視
霊的誓約としての誓いであり、単なる禁酒や禁断とは異なり包括的な献身であること。
🔹 罪についての曖昧な告白や「ざっくりとした」悔い改め
罪の具体的認識が伴わなければ悔い改めにならず、実質的な霊的変化に結びつかない。
🔹 終わりの時代論議での一方的な扇動や恐怖の植え付け
過剰な日付推定や恐怖心の煽動は霊的成熟や賢明な準備を阻害。
よくある質問(FAQs)
1. 質問:6,000年説は1887年や1875年の証言と矛盾しませんか?
回答:それらの文脈は創造後の期間を指しつつも、預言は後の世代にも向けられており、終わりの時代は2027~2031年頃の区間と位置づけられています。
2. 質問:ナジルびとの誓いとは現代のクリスチャンがどのように実践するべきですか?
回答:飲酒や節度のない生活から遠ざかり、魂の清さを保つ霊的な誓いとして取り組むことです。物質的な意味より内面的な聖別が重視されます。
3. 質問:なぜ祈りの際にゲッセマネや裁判所の場面を想像するのですか?
回答:罪がイエスにどれほどの痛みを与えているかをリアルに感じ、悔い改めと(罪から)決別の決意を強めるための具体的な霊的訓練だからです。
4. 質問:SNSでの映像の断片的流布が問題視されていましたが、どう対処すれば?
回答:全体の文脈を理解し、断片のみを切り取った誤解に惑わされず、誠実な対話と聖書の証言に基づく正しい理解を求めることが重要です。
5. 質問:最終ペンテコステとは何ですか?またどう準備するのですか?
回答:聖霊の最終的な注ぎのことで、霊的復興と使命完遂のための力を得る時です。福音の使命に専念し、夢と幻を受け取る準備をすることが求められています。
結論
この動画は現代クリスチャンに対し、ヨハネのバプテスマの生き方を模範とし、終わりの時代に備える霊的準備を強く促すメッセージです。単なる終末論の知識にとどまらず、祈りや黙想、ナジルびとの誓いによる身を聖別することを通じて「イエスを見ること(Behold)」を中心に据えて、罪と真摯に向き合い変えられていく過程が描かれています。加えて、デジタル時代の誤解や中傷に対抗し、教会としての絆を固めることも重要な視点です。
行動提案:
1) 日々の祈りでゲッセマネを心に描き具体的な罪と直面して告白すること、
2) 個々が霊的ナジルびとの誓いを立て節制を実践すること、
3) 教会の連絡網に積極的に参加し相互扶助の体制を築くこと、
4) 誤情報に惑わされず聖書と霊感文書に照らして真理を追求することが挙げられます。これが情報の処理から洞察抽出、そして信仰の価値ある実践への完全な循環を形成し、信仰者の霊的成長と使命遂行に資するでしょう。
🎬 関連動画と資料
危機は徐々にわれわれに忍びよっている。太陽は空に輝き、いつもの軌道を通り、天はいまも神の栄光をあらわしている。人々はあいかわらず飲み食い、植え、建て、めとり、とついでいる。商人たちはあいかわらず売り買いしている。人々は最高の地位を争ってお互いにおしのけ合っている。快楽を愛する者たちがあいかわらず劇場や、競馬や、ばくち場におしかけている。最高の興奮が行き渡っているが、恩恵の時は急速に閉じられつつあり、各人の運命が永遠に決定されようとしている。サタンは自分の時が短いことを知っている。サタンは人々が欺かれ、惑わされ、心を占領され、夢中になって、ついには恩恵の日が終わり、恵みの戸が永遠に閉ざされるように、すべての手下を働かせてきた。
ヨハネの黙示録12章
12それゆえに、天とその中に住む者たちよ、
大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。
悪魔が、自分の時が短いのを知り、
激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。
💬 日本語自動翻訳
私たちのメッセージは生死に関わるメッセージであり、私たちはそれを神の偉大な力としてありのままに示さなければならない。・・・
終わりの日の危機が私たちに迫っており、私たちの務めの中で、人々が置かれている危険を警告せねばならない。預言によって明らかにされた厳粛な光景を、そのままにしておいてはならない。もし私たちの民が半分でも目覚目ていたなら、もし彼らが黙示録に描かれた出来事が目前に迫っていることを悟っていたなら、私たちの教会には改革がもたらされ、より多くの人々がそのメッセージを信じるようになったことであろう。もはや、一刻の猶予もありません。神は私たちに対し、報告をしなければならない者のように、人々の魂を見守るよう求めておられます。 ・・・
ルカによる福音書21章
31節 このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。
32節 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
33節 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
救い主は十字架におかかりになる前に、弟子たちに、ご自分が殺され、墓からよみがえられることを説明された。そして天使たちがその場にいて、主のみ言葉を頭と心に深く印象づけた。しかし、弟子たちは、この世においてローマのくびきから解放されることを期待していたので、彼らの望みの中心である主が不名誉な死を受けられなければならないという思いに耐えられなかった。彼らが覚えていなければならなかったみ言葉は、その心から消えさり、試練の時がやって来た時には備えができていなかった。イエスの死は、まるで主がなんの予告もしておられなかったかのように、彼らの望みを徹底的に打ち砕いたのであった。キリストのみ言葉によって弟子たちに将来がはっきり示されていたように、われわれにも将来のことが預言の中にはっきり示されている。恩恵期間の終わりに関係のあるできごとと、悩みの時のために備える働きとが、はっきり示されている。しかし多くの人々は、全然啓示を受けなかったかのように、これらの重要な真理を理解していない。サタンは、彼らに救いに至る知恵を与えるような感化をことごとく奪い去ろうとうかがっているので、彼らは悩みの時に備えができていない。
マタイによる福音書24章
37節 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
38節 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
39節 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
・・救い主の1つの言葉をもって、他の言葉を無意味にしてはならない。彼が来られるその日、その時はだれも知らないが、われわれは、それが近づく時について教えられており、また、それを知るように求められている。さらにまた、神の警告を無視し、主の再臨が近いことを知ることを拒み、またおろそかにすることは、ノアの時代の人々が洪水の来るのを知らなかったのと同様に、われわれにとっても致命的であることが教えられている。・・

(1) 善と悪との大争闘は、時の終わりにいたって、ますます激しさを加えるのである。すべての時代において、サタンの怒りはキリストの教会に向けられてきた。そして神は、ご自分の民がサタンの勢力に対して強く立つことができるように、恵みと霊を与えてこられた。キリストの使徒たちが、福音を世界に伝え、またそれを将来の時代のために記録しなければならなかった時、彼らは聖霊による光を特別に与えられた。しかし、教会が最後の救いに近づくにつれて、サタンはますます強い力をもって働くのである。彼は、「自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって」やってくるのである(黙示録12章12節)。彼は、「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議」をもって働く(テサロニケ第二・2章9節)。かつて神の天使の中で最高の地位にあった偉大な頭脳の持ち主が、六千年の間、欺瞞と滅びの働きに全力を傾けてきた。この長年の争闘の間に、サタンが身につけた腕前と狡猾さ、またその間にますますひどくなった残虐さの、あらんかぎりを尽くして、 彼は最後の争闘において神の民に迫るのである。この危機の時にあたって、キリストに従う者たちは、主の再臨の警告を世に伝えねばならない。そして民は、キリストがおいでになる時、「しみもなくきずもなく」彼の前に立つことができるように、備えをしなければならない(ペテロ第二・3章14節)。今日、神の恵みと力が特別に授けられることは、使徒時代に劣らず必要なのである。

(2) 約6,000年近くも続けられてきたキリストとサタンとの間の大争闘は、まもなく終わる。そこでサタンは、キリストが人間のためにしておられる働きを妨げる努力を倍加し、魂を彼のわなの中に捕えておこうとする。救い主の仲保のお働きが終わり、もはや罪のための犠牲がなくなってしまうその時まで、人々を悔い改めさせず、暗黒の中に閉じこめておくことが、サタンのめざすところである。

(3) ・・このように新しい変装の下に、大反逆者サタンは、天において始まり、地上において6000年近く続いている、神に対する彼の戦いを、依然として続けるのである。

(4) 「叫びは地の果にまで響きわたる。主が国々と争い、すべての肉なる者をさばき、悪人をつるぎに渡すからである」(エレミヤ 25:31)。大争闘は、6,000年にわたって続いてきた。神のみ子と天使たちは、人類に警告し、啓発し、そして救いをもたらすために、悪魔の力と闘ってきた。今や、すべての者が決定を下した。すなわち、悪人は、神に反抗するサタンの戦いに、完全に加担した。神が、ふみにじられたご自分の律法の権威を擁護される時が来たのである。今や争闘は、サタンとの争闘だけでなく、人間との争闘ともなる。「主が国々と争い」「悪人をつるぎに渡すからである。」

(5-6) サタンの反逆の働きは、6,000年の間、 「地を震わせ」た。彼は、 「世界を荒野のようにし、その都市をこわし」た。彼は、 「捕えた者をその家に解き帰さなかった。」6,000年の間、神の民は、彼の牢獄に入れられてきた。そして彼は、彼らを永久に捕えておこうとした。しかし、キリストは、彼の鎖を断ち切って、補われている人々を解放されたのである。

(7) サタンの破壊の働きは、永久に終わりを告げた。6,000年の間、彼は自分の意志を実行し、地を災いで満たし、全宇宙を悲しませてきた。被造物全体が共にうめき、共に産みの苦しみをしてきた。今や神の被造物は、サタンの存在と誘惑から永久に解放された。・・

・・その時から483年がたつと、紀元27年の秋になる(付録参照)。その時、この預言は成就した。「メシヤ」とは、「油を注がれた者」という意味である。・・

・・イエスがサタンと争うために荒野へ入って行かれた時には、アダムの時のようではなかった。4000年間にわたって、人類は体力も知力も道徳価値も低下していた。しかもキリストは退歩した人類の弱さを身につけられた。こうすることによってのみキリストは人類を堕落の一番深い底から救うことがおできになるのであった。

「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」紀元31年、われわれの救い主は、そのバプテスマから3年半の後に十字架にかかられた。カルバリーにおいてささげられた大いなる犠牲によって、4000年の間神の小羊を指し示してきた犠牲制度は終わった。型は実体と出会い、儀式的な制度のあらゆる犠牲と供え物は、そこで終わるのであった。
マルコによる福音書1章
9節 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
ルカによる福音書1章
76節 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。
主のみまえに先立って行き、その道を備え、
77節 罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。
78節 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。
また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、
79節 暗黒と死の陰とに住む者を照し、
わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
80節 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。
・・ザカリヤに言われた天使のことばは、神をおそれる両親から幾度となくヨハネにくりかえされていた。子供の時からヨハネの使命は彼の目の前におかれ、彼はその聖なる責任を引き受けていた。彼にとって荒野の孤独は、疑いと不信と不潔がほとんどすみずみまで行き渡っている社会からのありがたい逃避だった。彼は試みに抵抗する自分の力を信用しなかった。そして深い罪悪感が失われるのを恐れて、罪とのふだんの接触を避けた。
ルカによる福音書1章
16節 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
17節 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
ヨハネによる福音書3章
3節 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
4節 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
5節 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
6節 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
7節 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
ヨハネの黙示録14章
6節 わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、
7節 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。
8節 また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。
9節 ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、
10節 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。
11節 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
12節 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。
ヨハネの黙示録10章
11節 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。
伝道の書5章
3節 夢は仕事の多いことによってきたり、愚かなる者の声は言葉の多いことによって知られる。
ルカによる福音書2章
46節 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47節 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
49節 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
(欽定訳聖書:And he said unto them, How is it that ye sought me? wist ye not that I must be about my Father's business?)
使徒行伝2章
17節 『神がこう仰せになる。終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。
18節 その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。
列王記上3章
5節 ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。
7節 わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。
9節 それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。
11節 そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、
12節 見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。
13節 わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。
民数記6章
ルカによる福音書1章
1節 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
15節 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
18節 するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。
民数記6章
2節 「イスラエルの人々に言いなさい、『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、身を主に聖別する時は、
3節 ぶどう酒と濃い酒を断ち、ぶどう酒の酢となったもの、濃い酒の酢となったものを飲まず、また、ぶどうの汁を飲まず、また生でも干したものでも、ぶどうを食べてはならない。
ヨハネは、生れた時からナジル人として神にささげられていたので、その誓願を守って一生の間献身した。彼は、らくだの毛皮の衣を着、皮の帯をしめて、古代の預言者の服装をしていた。彼は荒野の「いなごと野蜜」を食べ、山の清い水を飲んだ。



テトスへの手紙1章
7節 監督たる者は、神に仕える者として、責められる点がなく、わがままでなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、
テトスへの手紙2章
11節 すべての人を救う神の恵みが現れた。
ルカによる福音書21章
34節 あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。
35節 その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。
36節 これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。



ルカによる福音書22章
40節 いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。
41節 そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、
42節 「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
43節 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
44節 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
「もっとよいものを」というのが、教育の合言葉であり、すべての真実な生き方の法則である。キリストがわれわれにいかなるものを捨てよとご要求になっても、それは主がその代わりに何かもっとよいものを提供してくださるためである。青少年たちは、一概に悪いとはいえなくても、しかし一番いいものとはいえないような目的や研究や楽しみを持つことがよくある。そのために彼らは人生の最もとうとい目標からそれる。若い人たちに彼らの大事に思っているものを放棄させるには、強圧的な手段や直接の非難では効果がない。彼らをみえや野心や放縦よりももっと何かよいものに導くべきである。彼らをもっと真実な美、もっと高い原則、もっと高い人生に触れさせなければならない。 「ことごとく麗わしい」キリストを彼らに仰がせなければならない。ひとたびキリストの上に注視が定まると、そこに生活の中心が見いだされる。青年の熱意と気高い献身と情熱はここに真の目的を見いだすのである。義務をつくすことが楽しみとなり、犠牲を払うことがよろこびとなる。キリストの栄えをあらわし、キリストのようになり、キリストのために働くことが、人生の最高の抱負となり、最大の歓喜となるのである。
食欲を制し健康を考慮して食するように子供たちは教えられるべきで
あるが、彼らには、自分を害するものだけを捨てていることを明白に示
しなさい。何か良いもののために有害なものを捨てるのである。食卓に
は神が豊富に与えて下さった良い物を備えると同時に、極めて魅力的に
整えなさい。食事の時間を楽しい幸福な時間にしなさい。神の賜物を楽
しむとき、賦与者に対し感謝に溢れる賛美をもって応えよう。
今も、このとおりでなければならない。世界の人々は偽りの神々を拝んでいる。彼らをそのような間違った礼拝から、引き離さなければならないが、それは偶像を非難することによってではなくて、それよりも更にすぐれたものを見せることによってでなければならない。神のいつくしみを人々に知らせなければならない。 「『あなたがたはわが証人である』と主は言われる」(イザヤ 43:12)。
ゼカリ書12章
10節 わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。
コリント人への第二の手紙7章
10節 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
われわれは、自分の悪い行為によって面白くない結果が自分自身にふりかかるために悲しむことがよくある。しかしこれは悔い改めではない。罪について本当に悲しむことは、聖霊の働きの結果である。みたまは、救い主を軽んじ悲しませた心の忘恩を示し、われわれをくだけた心をもって十字架のもとに行かせる。われわれが罪を犯す度に、イエスは新たな傷を受けられる。自分が刺したイエスを仰ぎ見る時、われわれは、イエスに苦悩を与えた罪について悲しむ。このように悲しむことによって、われわれは、罪を放棄するようになるのである。
ルカによる福音書22章
60節 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
61節 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
62節 そして外へ出て、激しく泣いた。
青ざめた苦難の顔、ふるえる唇、あわれみとゆるしの顔つき、―そうした光景がペテロの心を矢のように刺し通した。良心がめざめ、記憶がよみがえった。ほんの2、3時間前に自分は主といっしょに獄までも死までも行きますと言った約束が思い出された。救い主が2階座敷で、彼がその夜主を3回こばむであろうと言われた時の悲しみを彼は思い出した。ペテロはイエスを知らないと断言したばかりだったが、いま激しい悲しみのうちに、主が自分をこんなにもよく知っておられ、こんなにも正確に自分の心と、自分自身も知らなかった虚偽を読み取っておられたことに気がついた。
思い出が潮のように彼を襲った。まちがいを犯している弟子たちに対する救い主のやさしいいつくしみ、その親切と寛容、そのやさしさと忍耐―何もかもが思い出された。彼は、 「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」との注意を思い起こした (ルカ 22:31, 32)。彼は自分自身の忘恩、虚偽、偽証を恐怖の思いでふりかえった。もう1度主を見た時、彼はそこに神聖をけがす手が主の顔を打つためにふりあげられるのを見た。それ以上その場にいられなくなって、彼は、断腸の思いで法廷を走り出た。
使徒行伝5章
29節 これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。
ホセア書6章
1節 「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、
またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。
2節 主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。
3節 わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。
主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、
わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。
ペテロは、孤独と暗黒のうちに道を急いだが、どこへ行くのかわから
ず、またどこへ行こうとかまわなかった。ついに彼は自分がゲッセマネにいることに気がついた。2、3時間前の光景が彼の心にまざまざとよみがえった。血の汗にまみれ、苦悩にけいれんしていた主の苦難のお顔が彼の前に浮かびあがった。彼は主がただ1人で祈りのうちに泣き苦しんでおられた時、一方ではその試練の時間に主といっしょに苦しむべき者たちが眠っていたことを、激しい後悔とともに思い出した。そして「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」と言われた主の厳粛な命令を思い出した (マタイ 26:41)。彼はもう1度法廷の場面を目撃した。救い主の屈辱と悲嘆に自分が最も重い負担を加えたことを知ることは、血の出る思いのする彼の心にとって非常な苦痛であった。イエスが苦悶のうちに天父に魂をそそぎ出されたその場所にうつぶせに倒れて、ペテロは死んでしまいたいと思った。
💬 日本語自動翻訳
罪によって魂を汚すより、貧困、非難、友人との別れ、あるいはどんな苦難をも選ぶべきです。不名誉や神の律法に背く前に死ぬことは、すべてのクリスチャンの座右の銘であるべきです。改革者であると公言し、神のみ言葉の最も厳粛で清めの真理を尊ぶ民として私たちは現在において、よりはるかに高い基準を掲げなければならない。他の者たちが汚されないように、教会内の罪と罪人は、迅速に対処しなければならない。真理と純潔さは、アカンたちから陣営を清めるのに徹底的な働きを必要とします。責任ある立場にある者たちは、兄弟の罪を放任してはならない。その者に、自らの罪を捨て去るか、教会から離れなければならないどちらかを示しなさい。
ヨハネによる福音書1章
29節 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
マタイによる福音書26章
マタイによる福音書27章
マルコによる福音書14章
マルコによる福音書15章
ルカによる福音書22章
ルカによる福音書23章
ヨハネのよる福音書13〜19章
イエスに近づける方法
場面ごと | 使徒たちのような2階座敷やゲッセマネの経験をする
2階座敷でパンを食べ、ぶどう汁を飲んでいる場面 | ゲッセマネ・最後の場面
・ その場にいるところを毎日想像する
・ その聖句の中に、神が誰かに語りかけているような指示が見られたら、まるで神が自分に語りかけているかのように振る舞う
・ その場面に身を置いてみる
・ まるでゲツセマネの草の上を歩いているかのように想像する
・ キリストの間近におられるかのように、ひざまずき、その場に身を置く
・ キリストが見える
・ どんな情景であれ、その場に身を置いてみる
・ その場面に約束を表しているのなら、その約束を信じ、その日にそれを受け取る
・ もし誰かがキリストに語りかけているという意味の祈りであるなら、それは祈りです。コミュニケーション(伝達)であり、それをあなたの祈りとする
・ もし何らかの自己吟味の現れが見られるなら、その点について自分自身を見つめ直す
・ 力が湧いてくるまでそこに留まる
・ キリストと一つになったと感じるまでそこに留まる
・ 満腹を感じたら食べるのを止める / もう食べられなくなるまで食べ続けるのは止める
・ さもないと酩酊状態になるか、(死んだように)眠りにつくかそのどちらかになる
テモテのへの第一の手紙3章
5節 自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。
ペテロの第二の手紙2章
21節 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
🦉 文字起こしが不可ですので、グーグルChrome、又は、マイクロソフトEdgeから動画と英語版教課ガイドを日本語で変換し、動画に沿って学んでみてください。正しく理解しなければ、容易く偽教理に流される問題の一つだと感じます。益々心霊主義の教えが広がってきますので、時間が掛かるかもしれませんが、各自で聖書と聖霊様に導かれてください 🕊️✨
🎥 安息日学校 | 牧師が「魂の眠り」の教義を否定!死後10秒で何が起こるのか?

🎥 プロテスタント |「我々はアメリカ人の自由を制限する」| 終わりの時代における肉食対プラントベース食

動画の概要
本動画は、アメリカにおけるキリスト教ナショナリズムの台頭と「日曜法」の予兆を背景に、信仰と自由の問題、特に「自由が過剰に与えられている」ことへの批判と、その結果としての宗教的義務化(特にキリスト教的価値観の国家への強制)をテーマにしています。また、終末論的視点から「食事改革(特にプラントベース食への転換)」の重要性を説き、この改革が救いと再臨の準備に不可欠であると説いています。
この動画は、キリスト教信仰者、特に福音主義・プロテスタント系の人々、またアメリカの宗教的自由の行方や終末論を関心する人に適しています。視聴者は「宗教的価値観と政治が交錯する現状」「将来予想される宗教法制の社会的インパクト」「旧約聖書と新約聖書に基づく食事と信仰の関係性」について多角的に学ぶことができるでしょう。
主要用語・定義 🧩
プロテスタントとカトリック教徒(Papist):プロテスタントはキリスト教の一派で宗教改革に基づく教派。Papistはローマカトリック教会の信徒を指し、ここでは旧態依然とした権威主義的傾向を揶揄的に表現。
日曜法(Sunday Law):国家が日曜を公式な礼拝日として法的に義務づける法律。教義に基づいた礼拝の強制が伴い、宗教的自由の制限問題となる。
マナ(Mana):イスラエル民族が荒野で食べた奇跡の食物。元は植物性で、神の養いとサバスの象徴として解釈されている。
至聖所・聖所・中庭:旧約の神殿構造の区分。至聖所は最も神聖な場所(神の座す場所)、聖所はその一歩手前の場所、中庭は祭儀と献げ物の場。キリストの地上滞在は中庭に比喩され、昇天は至聖所に入ることと解釈。
贖いの血の儀式 (動画25:39ごろからの説明 / 全動画の視聴お勧め):祭司が罪の象徴である獣の血を至聖所の幕に注ぎ、民の罪を贖う旧約の儀礼。
キリスト教ナショナリズム:国家をキリスト教の価値観に基づいて統治しようとする政治思想。信教の自由を制限し異端とみなすものを排除する傾向。
タイムライン要約
00:00~00:49:
▶︎ イントロ・祈り。現代アメリカのプロテスタントがローマカトリックの言説を繰り返し、自由を制限しようとする危険性について。
00:50~06:10:
▶︎ キリスト教ナショナリズムのリーダーたちの発言紹介。自由の制限、道徳の強制、行政や法律による宗教的規制の正当化。自由は過度であり制限すべきだという主張が繰り返される。
06:11~09:33:
▶︎ ローマ教皇の自由制限発言を引用し、プロテスタントとカトリックの自由観の収斂を指摘。宗教の私的領域が消滅し、公的宗教制度の復活を警告。日曜法の接近を示唆。
09:34~17:18:
▶︎ 米国における日曜法賛成派の牧師同士の議論紹介。州法としての宗教的強制とその違法性、公民権との摩擦にも触れ、宗教権力と国家権力の一体化の現実を説明。
17:19~24:00:
▶︎ 終末論的視点の健康改革論開始。バプテスマのヨハネは健康改革者であり、再臨準備のためにプラントベース食を勧める必要があると説く。旧約聖書「出エジプト記16章」の白眉的解釈へ繋ぐ。
24:01~30:55:
▶︎ 出エジプト記16章でイスラエル民族が肉食を望んだが、神は「マナ」(プラントベース食)を与え、それが40年間続いた経緯を解説。プラントベース食と安息日(七日目の安息日)が密接に関連していると強調。「肉食は日曜法の象徴」と言及。
30:56~38:50:
▶︎ マナを「契約の箱(幕屋の至聖所)に置かれたもの」とし、終末期の神の聖所の象徴と解釈。コリント人への第一の手紙10章でこの出来事が終末のための象徴的教訓であることを示す。
38:51~43:40:
▶︎ イスラエルが肉を欲しがり神の怒りを買った事件(罰の疫病)を、終末期の反逆の象徴として語る。これは獣の刻印との因果関係が暗示される。43:41~54:23:
▶︎ キリストの時代・現代の食事事情との聖書的整合性を論じる。キリストが地上(幕屋の「庭」)では肉を食したが、天の聖所(至聖所)に登った後は霊的生活を象徴し肉食は終わるとする解釈。
54:24~01:08:14:
▶︎ 聖職者の肉食に関する旧約規定とその象徴的意味を説明。大贖罪日以外は肉食は許されていたが、1844年にキリストが至聖所に入った時点で肉食は終わったと結論付ける。
01:08:15~01:18:58:
▶︎ ヨハネの黙示録14章の「子羊について行く者たち」(144,000人)の解説で、信者はキリストに従い天の至聖所に入ることと霊的食物の重要性を訴える。健康改革の必要性、肉食による病気リスク、クリスチャンの真実への順応を強調し、終わりに祈り。
📌 キーインサイト
✝️ キリスト教ナショナリズムの自由制限意図
プロテスタントもカトリックも「自由が多すぎる」として宗教的道徳を国家権力で強制しようとしている
⛪️ 日曜法の接近と宗教の公的役割復権
「私的宗教」の崩壊、公的な宗教規制の復活が進みつつあり、日曜法制定が迫っている
🍞 旧約聖書『マナ』の象徴的意味
イスラエルの荒野の「マナ」はプラントベース食であり、七日目の安息日と深く結び付いている。肉食は異端の象徴とされる
🐟 キリストの地上と天の働きの象徴的食事論
地上ではキリストは魚を食べたが、天の至聖所での働きに入った以降は肉食をやめるのが霊的象徴。肉食は実質的に終わっていると説く
🐄 終末の健康改革と霊的準備の重要性
再臨準備のため、信者は肉食をやめ、節制と自己管理を通じて真の健康改革を成す必要がある
推論構造 🔎
前提:アメリカの宗教的自由は現在危機に瀕している。
理由:プロテスタントとカトリック両方で、国家による道徳律の強制が進んでいる。
結果:自由が制限され、非同意者や異教徒が迫害される恐れが高まる。
解決策提案:終末の時代に備え、信仰者は真理に立ち返り、特に食生活の改革を通して備えるべきである。
聖書的根拠:出エジプト記のマナとイスラエルの経験、レビ記の祭司の習慣、そして新約聖書におけるキリストの天的役割を踏まえると、霊的成長には完全肉食断ちが重要。
結論:信仰者は法律的強制の迫る日曜日礼拝、又は、安息日の律法の時代に、健康と霊性の両面から備える必要がある。
例え・事例 ✳️
🔸 イスラエルの荒野での肉とマナの要求と神の応答
イスラエルの民が肉を求めた際、神は一晩だけ肉を供給した後、40年間マナ(プラントベースのパン)で養った。この例は神の摂理と食生活の霊的意味を示し、終末の食習慣の重要な指標とされる。
🔸 祭司の肉食例
祭司は日々の奉仕の間、聖所の外の中庭で罪の獣の肉を食べた。これにより、罪の代表としての役割を象徴し、肉食が常に否定されていなかった事実を例として用いる。
🔸 キリストの地上および天上での位置づけ
キリストは十字架以前は地上(中庭)、その後天上(聖所、至聖所)に入ったとされる。地上では魚などの肉を食べたが、天上に移ってからは霊的な食事へ移行するという代表的な例。
学習者が間違いやすいポイント ☝️
🔹 「キリストが魚を食べたから肉食は許される」という単純な議論
⇒ 誤り。時代とキリストの「場所」(地上か天上か)を考慮せず、終末の文脈を無視している。
🔹 肉食は伝統的に許されているとの錯覚
⇒ 祭司の肉食は一定の儀礼的文脈に限られる。終末期は別段階で食事の意味が変化するとされる。
🔹 国家は個人の宗教的自由を尊重すると信じること
⇒ 動向は逆方向で、宗教的強制が進みつつある。
🔹 自由=無制限の権利と誤解すること
⇒ 本講義では、自由は神の法則に従う制限のあるものとされる。
よくある質問(FAQ)
1. 質問:なぜアメリカの一部キリスト教徒は自由の制限を主張しているのですか?
回答:彼らは「道徳的堕落を防ぐため」として、聖書の価値観に基づく規制を国家に求めています。
2. 質問:日曜法とは何ですか?
回答:主に「日曜日の礼拝を法的に義務化し、従わなければ罰則を科す」法律を指し、宗教的強制の一形態です。
3. 質問:動画で言う「マナ」とは何の象徴ですか?
回答:マナは荒野でイスラエルに与えられたプラントベースの食物で、霊的な教えと安息日に関連する象徴的な食事です。
4. 質問:なぜ肉食をやめてプラントベース食を勧めるのですか?
回答:健康面の理由だけでなく、終末の霊的準備として旧約聖書・新約聖書の教えに基づく順守として位置づけられています。
5. 質問:キリストは実際に肉を食べたのに、なぜ今はダメなのですか?
回答:地上(幕屋の「庭」)にいた時は許されていたが、天の「至聖所」に入った今は、霊的象徴として肉食は廃止されるべきだと解釈されています。
結論
本動画は、アメリカの宗教的自由の制限と日曜法制定の危機を警告するとともに、終末論に基づいた霊的・肉体的準備の必要性を力説しました。特に、「プラントベース食への転換=霊的清めと再臨準備」というメッセージが中心です。視聴者は「現代の宗教政治的潮流を洞察し」「個人信仰の堅持と健康的生き方を模索し」「終末認識を深める」ことが求められます。
行動提案:日曜法などの動きを注視しつつ、自身と家族の信仰理解を深め、食生活や生活習慣の見直しを進めることが奨励されます。また、現代の宗教的圧力に抗して自分の信仰と自由を守る準備が必要でしょう。次回も継続的な学びが推奨されます。
🎬 関連動画と資料


あなたに押し付けるつもりだ」と認める(自動日本語字幕)

と発言(自動日本語字幕または吹き替え)

1:00:52ごろから




(自動日本語字幕)34:14ごろから、58:23ごろからと1:03:15ごろから
これまで、第三天使の使命の真理を伝えた者は、単に人騒がせな者としか思われないことがよくあった。米国において宗教的不寛容が勢いを増し、教会と国家が結束して、神の戒めを守る者を迫害する、という彼らの予告は、なんの根拠もないばかげたことであると評されてきた。この国は宗教自由の擁護者であったのだから、これ以外の何ものにもなり得ない、と確信をもって宣言されてきた。しかし、日曜日遵守を強制する問題が広く論じられるとき、長い間疑われ信じられなかった事件が近づいてくるのがわかり、第三天使の使命は、今までになかったような結果をもたらすことであろう。
・・彼は、キリストの初臨に道を備えたことにおいて、主の再臨に民を備えさせる人々を代表していた。世は放縦に陥っている。誤謬と作り話があふれている。魂を滅ぼそうとするサタンのわながふえている。 「神をおそれて全く清く」なりたい人はみな節制と自制について教訓を学ばねばならない (Ⅱコリント 7:1)。食欲と情欲はもっと高い知能に服従させられねばならない。この自己訓練は、われわれに神のみことばの聖なる真理を理解し実行する力を与えてくれる知能の力と霊的な洞察力とにとって欠くことのできないものである。この理由から、節制はキリスト再臨に備える働きの一部である。
ルカによる福音書1章
13節 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
15節 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
マルコによる福音書1章
13節 イエスは四十日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。
15節 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。
マタイによる福音書3章
3節 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」
と言われたのは、この人のことである。
4節 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、
いなごと野蜜とを食物としていた。

我々の飲食の習慣は、我々が世の中に属しているか、または主の偉大な真理の剣で世から切り離された人々の仲間であるかを示す。彼らは主の特殊な民であって、良いわざをするために熱心な人々である。神は、聖書の中で語っておられる。ダニエルと3人の友人の実例には、健康改革に関する説教が含まれている。神は、イスラエルの子らの歴史において語っておられるが、彼らの益のために肉食は差し控えるよう求められた。天からのパンで彼らを養い、「人は天使のパンを食べた」。ところが、彼らは世的な食欲を鼓舞し、エジプトの肉鍋に思いを寄せれば寄せるだけ、神が彼らを肉体的にも知的にも、また道徳的にも健康に保つために与えて下さった食物を嫌った。彼らは肉鍋を慕ったが、これは丁度、今日も多くの者がしていることなのである。
主の来臨を待っている人々の間で、肉食は最終的に廃止されるであろう。肉類が彼らの食事の一部を占めなくなるのである。我々は常に、この目的を覚えつつ、それに向かって着実に行動するよう努力すべきである。肉食の習慣にある限り、神が喜んで与えて下さった光に調和しているとは考えられない。特に我々の健康機関に属している者は、全員が果物と穀類と野菜を食して生きて行くよう自らを教育すべきである。もしも我々が、これらのことで原則に基づいて行動し、クリスチャンの改革者として自分自身の味覚を教育し、自らの食事を神のご計画に調和させるならば、その時初めて、この事で他の人々に感化を及ぼすことができ、神に喜ばれることだろう。
キリストの間近い来臨を待望していると公言する人々の間に、より大きな改革が見られるべきである。信者の間で未だに行われていない働きを、健康改革がすることになっている。肉食の危険に目覚めるべき人々で、尚も肉を食しており、そのために肉体と知能と霊的な健康を危険にさらしている者たちがいる。肉食の問題について、現在半分しか改心していない多くの者が、神の民から離れ去って、もはや彼らと共に歩まなくなるであろう。
出エジプト記16章
1節 イスラエルの人々の全会衆はエリムを出発し、エジプトの地を出て二か月目の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、
2節 その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。
3節 イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。
4節 そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。
5節 六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。
11節 主はモーセに言われた、
12節 「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。
13節 夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。
14節 その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。
15節 イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。
21節 彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。
22節 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、
23節 モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。
24節 彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。
25節 モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。
26節 六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。
27節 ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。
28節 そこで主はモーセに言われた、「あなたがたは、いつまでわたしの戒めと、律法とを守ることを拒むのか。
29節 見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに六日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、七日目にはその所から出てはならない」。
31節 イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
32節 モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。
33節 そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。
34節 そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。
35節 イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた。
36節 一オメルは一エパの十分の一である。
創世記1章
29節 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
使徒行伝17章
30節 神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
31節 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
ヨハネの黙示録22章
14節 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
出エジプト記25章
22節 その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。
出エジプト記26章
34節 また至聖所にあるあかしの箱の上に贖罪所を置かなければならない。
コリント人への第一の手紙10章
1節 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
2節 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
3節 また、みな同じ霊の食物を食べ、
4節 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
5節 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
6節 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
7節 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
8節 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
9節 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
10節 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
11節 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
12節 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
民数記11章
4節 また彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起し、イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、「ああ、肉が食べたい。
5節 われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。
6節 しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない」。
7節 マナは、こえんどろの実のようで、色はブドラクの色のようであった。
31節 さて、主のもとから風が起り、海の向こうから、うずらを運んできて、これを宿営の近くに落した。その落ちた範囲は、宿営の周囲で、こちら側も、おおよそ一日の行程、あちら側も、おおよそ一日の行程、地面から高さおおよそ二キュビトであった。
32節 そこで民は立ち上がってその日は終日、その夜は終夜、またその次の日も終日、うずらを集めたが、集める事の最も少ない者も、十ホメルほど集めた。彼らはみな、それを宿営の周囲に広げておいた。
33節 その肉がなお、彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。
34節 これによって、その所の名はキブロテ・ハッタワと呼ばれた。欲心を起した民を、そこに埋めたからである。
ヘブル人への手紙9章
3節 また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。
4節 そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、
ヘブル人への手紙10章
19節 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
20節 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
21節 さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、
レビ記6章
14節 素祭のおきては次のとおりである。アロンの子たちはそれを祭壇の前で主の前にささげなければならない。
16節 その残りはアロンとその子たちが食べなければならない。すなわち、種を入れずに聖なる所で食べなければならない。会見の幕屋の庭でこれを食べなければならない。
25節 「アロンとその子たちに言いなさい、『罪祭のおきては次のとおりである。罪祭は燔祭をほふる場所で、主の前にほふらなければならない。これはいと聖なる物である。
26節 罪のためにこれをささげる祭司が、これを食べなければならない。すなわち会見の幕屋の庭の聖なる所で、これを食べなければならない。
レビ記10章
17節 「あなたがたは、なぜ罪祭のものを聖なる所で食べなかったのか。これはいと聖なる物であって、あなたがたが会衆の罪を負って、彼らのために主の前にあがないをするため、あなたがたに賜わった物である。
18節 見よ、その血は聖所の中に携え入れなかった。その肉はわたしが命じたように、あなたがたは必ずそれを聖なる所で食べるべきであった」。
ヨハネの黙示録14章
4節 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。
ルカによる福音書24章
13節 この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
14節 このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
15節 語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
16節 しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
25節 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
26節 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
27節 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
28節 それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
29節 そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
30節 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
31節 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
36節 こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕
37節 彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。
38節 そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。
39節 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。
40節 〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕
41節 彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。
42節 彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、
43節 イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。
ヨハネの福音書21章
5節 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
6節 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
7節 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
8節 しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。
9節 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。
10節 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。
11節 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
12節 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
13節 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
14節 イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。
🎥 なぜ教皇はメモリアルデーに回勅を発表したのか | 教皇が日曜法推進 | 教皇が新たなバベルの塔を築く

動画の概要
本動画は2026年5月25日に公開されたローマ教皇レオ14世の回勅『マグニフィカ・フマニタス / 壮大なる人間性』を詳細に分析し、その内容と背後に潜む宗教的・終末予言的な意味合いを解説しています。
教皇が与えたメッセージは、労働と休息、そして特に「日曜日の休息(Sunday rest)」を法制化しようという動きを助長しており、それは過去の教皇レオ13世の回勅『レールム•ノヴァールム(Rerum Novarum)』の延長線上にあります。動画の語り手は、この回勅を通じて教皇が現代の「新しきバベルの塔(New Tower of Babel)」の建設を謳いながらも、実際は偽善的にその害悪を否定しつつ推進していると批判しています。
さらにAI(人工知能)技術やグローバル主義、プライバシー・所有権の制限など、21世紀の産業革命2.0世代の労働政策と結びつけて解説し、最終的に信仰的視座から真の安息日(旧約で指定された7日目の安息日)とキリストの教えに立ち返ることを強調しています。
誰に向いているか:
✴️ 終末論や宗教予言に関心がある人
✴️ ローマ教皇の方針や回勅の意図を理解したいキリスト教信者
✴️ AIや労働政策と宗教的視点の関連に興味がある人
✴️ 日曜日安息日法制化の動きを警戒・分析したい人
動画を通じて学べること:
❇️ 教皇回勅の歴史的文脈と現代への影響
❇️ 「新しきバベルの塔」としての現代教皇の矛盾する姿
❇️ AIや労働政策と終末期の宗教的意義の結びつき
❇️ 霊的に受け取り、保持し続けるための聖書的な歩みの指針
タイムライン要約
00:00 - 03:40 教皇レオ14世の回勅『マグニフィカ・フマニタス / 壮大なる人間性』の公開と背景紹介
▶︎ 2026年5月25日、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)に公開された回勅について説明。
▶︎ 回勅は新たな「バベルの塔」構築を否定しつつ実際は推進している矛盾を指摘。
03:40 - 10:30 労働と休息をめぐる歴史的文脈、AI技術との関連
▶︎ 回勅が前教皇レオ13世の『レールム・ノヴァールム』の継承であることを強調。
▶︎ 1888年の日曜日法運動から、現代のAIによる第2次産業革命までのつながりを解説。
10:30 - 20:10 回勅の中心テーマ:資本と労働、労働組合の復興問題
▶︎ 「労働」、「休息」、「労働組合」などの語彙が頻出し、具体的施策が示されている。
▶︎ 回勅の文脈と聖書の預言(ダニエル書など)を比較し、教皇の偽善性を論じる。
20:10 - 30:30 「新しきバベル」か「新しきエルサレム」かの対比と教皇の矛盾点
▶︎ 教皇は自らを現代のネヘミヤだと位置づけているが、実態はニムロド=バベルの塔建設者として批判されている。
▶︎ AI時代を「新しきバベル」と呼び、テクノロジーによる人間支配の危険を指摘。
30:30 - 40:50 「マグニフィカ・フマニタス / 壮大なる人間性」の根本的偽善と人間尊厳の覆い隠し
▶︎ 名称は「人間を称える」としているが、実際は奴隷制やプライバシー剥奪を推し進めている。
▶︎ 聖書の文脈に照らし、教皇の権力強化と自己賛美を暴露。
40:50 - 50:50 「共通善(common good)」の真意と私有財産権の否定
▶︎ 「共通善」はグローバル主義・全体主義の隠語であり個人権利の否定を意味する。
▶︎ トマス・アクィナスの言葉を引用し、政府や教会による財産の没収・法的暴力を肯定している点に言及。
50:50 - 59:00 日曜日休息法(Sunday rest)推進の証拠と実際の政治家との連携
▶︎ 労働者の「ワークライフバランス」の名目で日曜日の法制化が進められている実態。
▶︎ アメリカの政治家(マルコ・ルビオ、JDヴァンス)もローマカトリックの価値観を支持。
59:00 - 01:08:00 日曜日リズムの復活とその霊的危険性
▶︎ 日曜日の「労働リズム」と「休息リズム」の復権を回勅が要求していること。
▶︎ これがヨハネの黙示録の預言に合致する偽りの崇拝制度であることを強調。
01:08:00 - 01:17:00 最高の日である安息日の霊的意義とキリストの使命の宣言
▶︎ イエス・キリストが安息日に聖霊に満たされ、公的な使命を宣言したシーンを引用。
▶︎ 真の覚醒はここにあり、偽りの権威ではないことを教示。
01:17:00 - 01:38:00 聖霊の受け取りと保持のための実践的指導
▶︎ バプテスマ・悔い改め・祈り・断食を通じて聖霊を得て保ち続ける方法を解説。
▶︎ 誘惑に勝つ霊的な訓練が必要であると強調。
01:38:00 - 01:45:30 聖霊への祈りと救いの確信のための励ましの言葉と賛美歌
▶︎ 「私は愚かな悪霊を持っていない」と告白し、聖霊を求める具体的な祈りを共有。
▶︎ 祈りと賛美歌で終調し、信者が真の力を得るよう励ます。
主要用語・定義 🧩
回勅(Encyclical): 教皇が全教会に向けて発布する正式な教書・声明。教義的、社会的な指針を示す。
バベルの塔(Tower of Babel): 神に反逆し一つの言葉と力で支配を目指した古代の建造物。ここでは既存の権力体制や支配機構の象徴として使われる。
教皇権(Papacy): ローマ教皇の制度およびその権威。動画では終末における偽預言者的権力とされる。
レールム・ノヴァールム(Rerum Novarum): 教皇レオ13世が1881年に発表した社会教説回勅。産業革命時の労働問題に対応。
共通善(Common Good): 個人の利益を超え、社会全体の利益を意味する理念だが、本動画では個人権利を犠牲にする統制主義的意味で用いられる。
普遍的目的と知的財産権(Universal Destination of Goods): 財物の共有性を示すカトリック教義。私有財産権の絶対性否定を含む。
サンデーリズム(Sunday rhythm): 日曜日の休息・礼拝を社会に強制するリズム。
獣の刻印(Mark of the Beast): 黙示録に登場する終末のしるし。社会的・経済的支配のシステムを指す。
労働組合(Labor Union): 労働者の権益を守る組織。ここでは教会と連動し、終末の混乱の引き金とされる。
📌 キーインサイト
🗓️ 教皇レオ14世の回勅は歴代回勅の延長線上にあり、「日曜日休息」という形で世界的に日曜日の法制化を推進している。
🗼 「新しきバベルの塔」という表現は、テクノロジーと政府権力による全体支配と個人の拘束を象徴し、教皇自身がこの矛盾を隠すために言葉を操っている。
🏢 AI技術や大規模データセンター設置は「獣の刻印」の基盤と見なされ、プライバシー・個人所有権の喪失が計画されている。
🌐 「共通善(common good)」は隠語的に個人権利の剥奪とグローバル統制を意味し、法的強制を通じて信仰者の自由を奪う。
📆 サンデーリズム(Sunday rhythm)は、聖書の真の安息日に対する偽りの置き換えとして黙示録に描かれ、世界の宗教・政治権力が協力して推進。
🙏 真のクリスチャンは聖霊の受け取りと持続を目指し、聖書に基づいた悔い改め・洗礼・祈り・断食を実践すべきこと。
📜 キリストが安息日に公的使命を宣言したことは、信者にとっての希望と覚醒の根拠となる。
推論構造 🔎
前提1:古代のバベルの塔は人類の傲慢と神の秩序への反逆の象徴であった。
前提2:教皇権(Papacy)は終末においてこのバベルの塔の現代的継承者である。
推論:教皇が新たなバベルの塔を否定しながら、実際にはAI監視システムや日曜日礼拝強制などの手段でそれを再構築している。
結論:教皇は偽善的に表向きの政策を掲げつつ、実態として人類の自由を奪う支配体制を推進し、終末の危機を演出している。
例え・事例 ✳️
🔸 1888年アメリカの産業革命と日曜法案:教皇レオ13世のレールム・ノヴァールムは労働者の権利確保とともに日曜礼拝法(Sunday Law)を後押し。これは終末の前兆例として例示される。
🔸 2026年現代のAI時代:教皇レオ14世は同様に労働者保護を謳うが、裏ではAI監視システムと「獣の刻印」構築に関与。この二つの時代における産業革命が対比される。
🔸 ジョナサン・ベリーの「サンデーリズム」推進:教皇の戦略的用語と一致し、産業改革、労働政策と日曜休息をセットにする動きの代表例。
学習者が間違いやすいポイント ☝️
🔹 「安息日(Sabbath)」や「日曜日(Sunday)」の単語が回勅に直接記載されていないからと言って、日曜日安息日強制の意図がないと誤解すること。
🔹 「礼拝(worship)」の言葉が文中に無くても、「休息 (rest)」や「ワークライフ(work-life balance)」などを通じて、強制的な日曜休暇政策が暗示されている点。
🔹 教皇が「共通善」「人間性の称揚」を公言しても、その実態は個人の自由剥奪・所有権侵害、奴隷化に他ならない偽善的な表現であることを見落とさないこと。
よくある質問(FAQ)
1. 質問:この回勅に日曜日法と言う言葉は直接書かれていますか?
回答:直接「日曜日」という単語はないが、「休息(rest)」や「労働リズム(labor rhythm)」、「ワークライフバランス」などの表現が日曜日法制化の隠語として使われている。
2. 質問:なぜ教皇は「バベルの塔」を否定しながら推進しているのですか?
回答:これは偽善的な表現であり、表向きは危険視しながら実際は同様の全体主義的支配体制の強化を目指しているためだ。
3. 質問:AI技術と宗教的統制にどんな関係があるのですか?
回答:AIやデータ監視システムは個人の行動追跡と経済活動の統制を可能にし、「獣の刻印」システム(ヨハネの黙示録に出る終末の支配)を実現するツールとして警戒されている。
4. 質問:本物の安息日はいつで、どうやって守るのですか?
回答:聖書は7日目の安息日(土曜日)を守るよう教え、キリストもこの日曜日に神殿礼拝を行い使命を受けたため、それに従うことが信仰の核心。
5. 質問:聖霊を受けて保持するためにできることは?
回答:悔い改め、洗礼、祈り、断食によって聖霊を受ける経験を得て、その後も日々の霊的生活と実践によってその聖霊を保持し続けることが必要。
結論
教皇レオ14世の回勅『マグニフィカ・フマニタス / 壮大なる人間性』は一見すると労働者の権利保護や人間性の尊重を掲げているが、実態は聖書的な終末預言に登場する反キリストの支配体制(新たなバベルの塔)の建設を制度的に推進する文書である。
特に日曜日の安息日法制化を促し、AIによる監視社会やグローバル主義に結びつけることは、信仰者にとって極めて重要な警告である。
こうした政治・宗教的動きに惑わされず、聖書の本物の安息日に立ち返り、イエス・キリストの示された聖霊の受け取りと保持、日々の祈りと断食、聖確な交わりで備えることが求められる。
行動提案:
✴️ この回勅の言葉の裏にある思想や政策を深く理解し、冷静に判断する。
✴️ 聖書と予言の学びを深め、霊的な備えを日々実践する。
✴️ 信仰者同士で励まし合い、互いに祈り支え合うことを継続する。
✴️ 地域社会や政治の動きを注視し、妥協すべきでない信仰の核心を守る態度を持つ。
この動画を通じて示された知識と霊的教訓は、複雑な世の中で真理を見極める助けとなり、最終的な救いへの道を照らす灯火となるでしょう。
🎬 関連動画と資料
現在ローマ教会は、その恐ろしい残虐行為の記録を弁解しながら隠し、
世界にもっともらしい顔を見せている。この教会はキリストのような衣を装っている。しかし教会は変わっていない。過去に存在した法王制のあらゆる原則は、今日も保持されている。最も暗い時代に案出された数々の教理は、今もなお支持されている。だれも欺かれてはならない。今日プロテスタントが尊敬しようとしている法王制は、宗教改革の時代に世界を支配していたのと同じものである。その時神の民は、自分の生命の危険をおかして、この教会の悪を暴露するために立ち上がったのであった。教会は、かつて王たちや諸侯たちの上に君臨し、神の大権を主張した時と同じ誇りと尊大不遜な心を持っている。今日もこの教会の精神は、かつて人間の自由を押しつぶし、いと高き者の聖徒たちを殺した時と同じに残酷であり、専横である。
法王制はまさしく、預言の中でこのようになると言われているとおりのもの、すなわち終末時代の背教である(Ⅱテサロニケ 2:3, 4参照)。自分の目的を達成するのに最も都合のよい性格を身に装うことが、この教会の方針の1つである。しかしカメレオンのように変わりやすい外見の下に、この教会はへびのような不変の毒を隠している。 「異端者もしくは異端の嫌疑ある者との誓約は守ってはならない」と教会は明言している。1000年にわたるその記録が、聖徒の血によって書かれているこの権力が、今日キリストの教会の一部として承認されてよいであろうか。

(自動日本語字幕)




19世紀の半ば以来、米国の預言研究者たちは、このあかしを世に発表してきた。今日起こっている数々のできごとの中に、その預言の成就に向かっての急速な進展が見られる。神からの命令に代えてそこを補うために奇跡を捏造 した法王教の指導者たちと同じに、プロテスタントの教師たちも、日曜日遵守には神の権威があると主張するが、やはり同じように、聖書上の証拠に欠けている。日曜安息日の違反に対して人々に神のさばきが臨むという主張がくり返されるであろう。すでにそうした主張が始まっている。そして日曜日遵守を強制する運動は確実に勢力を得てきている。
ところがこの階層の人たちは、急速に広がっている堕落は、主としていわゆる「キリスト教的安息日」を汚すことにその原因があるのだから、日曜日遵守を強制することが社会道徳を大いに向上させるであろうと主張する。この主張が特に強調されるのは、真の安息日の教理が最も広く宣べ伝えられてきたアメリカにおいてである。アメリカにおいては、最も目だった重要な道徳的改革の1つである禁酒禁煙運動が、しばしば日曜日遵守運動と結びつけられる。日曜日遵守運動の主張者たちは、自分たちは社会の最高の利益を促進するためにほねおっていると称し、彼らとの協力を拒む者は、禁酒禁煙運動と改革の敵であると非難される。しかし、誤謬を助長する運動が、それ自体は善である働きと結合しているからといって、その誤謬を支持してよいということにはならない。われわれは、健全な食物にまぜることによって毒を隠すことはできても、それが毒であることには変わりないのである。それどころか、毒と気づかれないために、それだけいっそう危険なものとなる。
神を拝む者たちが、第4条を尊重することによって特に目立つーなぜならこれは、神の創造の力のしるしであり、神が人間に崇敬と服従を要求なさるその証拠だからであるーのに対し、獣を拝む人々は、創造主の記念を踏みにじり、ローマの制度を高めようと努めることによって目立つものとなる。法王制が最初にその高慢な主張をしたのは、日曜日のためであった(付録参照)。そして、最初に国家の権力の助けを求めたのは、日曜日を「主の日」として守ることを強制するためであった。しかし聖書は、主の日として、第1日ではなくて7日目をさしている。キリストは、 「人の子は、安息日にもまた主なのである」と言われた。第4条の戒めには、「7日目はあなたの神、主の安息である」と言われている。そして、主は、預言者イザヤによって、その日を「わが聖日」と呼ばれた(マルコ 2:28、イザヤ 58:13)。
教会と国家の高官たちは、すべての階級の人々に日曜日を尊重させるために、結束して買収や説得や強制を行うであろう。神の権威の欠如は、圧制的な法令によって補われる。政治的腐敗は、正義を愛し真理を尊ぶ思いを破壊しつつある。そして自由の国アメリカにおいてさえ、為政者や議員たちは民衆の歓心を買うために、日曜日遵守を強制する法律を求める大衆の要求に屈服する。非常に大きな犠牲を払って得られた良心の自由は、もはや尊重されなくなる。まもなく起ころうとしている争闘において、われわれは預言者の言葉の成就を見るのである。 「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」(黙示録 12:17)。
今、少ししか信仰を働かせていない者は、サタンの欺瞞の力と良心を強制する法令の下に屈してしまう危険が多分にある。そして、たとい彼らが試練に耐え得ても、常に神に信頼する習慣を養ってこなかったために、悩みの時には、さらに大きな苦難と苦悩に陥ることであろう。彼らは、自分たちが学ぶことを怠っていた信仰の教訓を、恐るべき失望のもとにあって学ばなければならなくなる。
神の聖なる要求をふみにじってきた者たちの恐怖と失望とは、描写することができない。主は彼らに神の律法をお与えになった。彼らは、自分たちの品性をそれと比較して、まだ悔い改めて改革する機会のあるうちに、自分たちの欠点を知ることができたはずであった。しかし、世の支持を受けたいために、彼らは律法の教えを捨て去り、またほかの者にも、それを犯すように教えたのである。彼らは、神の民が安息日を汚すように強制してきた。今となっては、彼らは自ら軽べつした律法によって罪に定められるのである。彼らは、もはや弁解の余地はないことを、恐ろしいまでにはっきりと知る。彼らは、自分たちが仕え礼拝する対象を自ら選んだのである。 「その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と仕えない者との区別を知るようになる」(マラキ 3:18)。


ダニエル書8章
23節 彼らの国の終りの時になり、罪びとの罪が満ちるに及んで、ひとりの王が起るでしょう。その顔は猛悪で、彼はなぞを解き、
24節 その勢力は盛んであって、恐ろしい破壊をなし、そのなすところ成功して、有力な人々と、聖徒である民を滅ぼすでしょう。
25節 彼は悪知恵をもって、偽りをその手におこない遂げ、みずから心に高ぶり、不意に多くの人を打ち滅ぼし、また君の君たる者に敵するでしょう。しかし、ついに彼は人手によらずに滅ぼされるでしょう。
独占企業の活動や労働組合やストライキによって、都市の生活状態は刻々、困難になっていっている。恐ろしい災難が迫っており、多数の家庭が、都市から離れねばならなくなる。

ヨハネの黙示録14章
8節 また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。
ヨハネの黙示録17章
1節 それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。
2節 地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
3節 御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
4節 この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
5節 その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
ヨハネの黙示録18章
2節 彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
3節 すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
4節 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
5節 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
6節 彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。
7節 彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。
8節 それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
9節 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
10節 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
11節 また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。
12節 その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、
13節 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。
ヘブル人への手紙11章
8節 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
9節 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。
10節 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
11節 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
12節 このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
13節 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
14節 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
15節 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。
16節 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

ヨハネによる福音書12章
3節 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
4節 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
5節「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
6節 彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
ヨハネによる福音書17章
12節 わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。
テサロニケ人への第二の手紙2章
3節 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
4節 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。


ヨハネの黙示録17章
6節 わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。
ヨハネの黙示録18章
13節 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。
ダニエル書7章
25節 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、
半時の間、彼の手にわたされる。
ダニエル書8章
11節 またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。
12節 そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。
13節 それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。
23節 彼らの国の終りの時になり、罪びとの罪が満ちるに及んで、ひとりの王が起るでしょう。その顔は猛悪で、彼はなぞを解き、
24節 その勢力は盛んであって、恐ろしい破壊をなし、そのなすところ成功して、有力な人々と、聖徒である民を滅ぼすでしょう。
25節 彼は悪知恵をもって、偽りをその手におこない遂げ、みずから心に高ぶり、不意に多くの人を打ち滅ぼし、また君の君たる者に敵するでしょう。しかし、ついに彼は人手によらずに滅ぼされるでしょう。
テサロニケ人への第二の手紙2章
2節 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
3節 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
4節 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
イザヤ書14章
12節 黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。
もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
13節 あなたはさきに心のうちに言った、
『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、
北の果なる集会の山に座し、
14節 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
バベルの人々は、神から独立した政府を設立しようと考えていた。そのなかには、神を恐れる人もいくらかあったが、不信の人々の主張に欺かれて、その企てに引き入れられていた。主は、こうした忠実な人々のために、刑罰をのばし、人々の正体が明らかになるように時間をお与えになった。これが行われている間、神の子らは彼らに思いとどまらせるように働きかけた。しかし、人々は、一致団結して天に反逆を企てた。もし彼らが止められずに進んでいったならば、彼らは、黎明期の世界を堕落させてしまったことであろう。彼らの連合は、反逆に基づいていた。それは、自己賞揚の王国であって、神には主権も栄誉も与えられないところである。もし、この連合が許されていたならば、巨大な勢力が動き出して、この地上から義を追放し、それとともに平和と幸福と安全を奪い去ったことであろう。 「聖であって、正しく、かつ善なる」神の律法の代わりに、人々は自分たちの利己的で残忍な心のはかるところにかなった律法を定めようとしていた (ローマ 7:12)。
・・現代にも塔の建設者がいる。無神論者はいわゆる科学的推論によって、彼らの学説を打ちたて、啓示された神の言葉を拒否する。彼らは、神の道徳的統治に批判を加え、神の律法を軽視し、人間の理性の十分なことを誇る。そして「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている」(伝道の書 8:11)。


マタイによる福音書23章
3節 だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。
28節 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
ルカによる福音書12章
1節 その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。
マルコによる福音書8章
15節 そのとき、イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。





列王記上21章








ヨハネの黙示録13章
14節 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
15節 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
16節 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
17節 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。











ルカによる福音書4章
16節 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
17節 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、
こう書いてある所を出された、
18節 「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
ナザレ人は、もう1度イエスのみことばを聞いて、神のみたまに動か
された。しかしいまになってもなお彼らは、自分たちの間で育たれたこ
の人が、自分たちとはちがったお方であり、自分たちよりもすぐれたお
方であることを、みとめようとしなかった。イエスが、ご自分は約束の
メシヤであると主張しながら、実際にはイスラエルの立場を拒否された
ことについて、すなわちイスラエルが異教の男女よりも神の恩恵を受け
る価値がないことを示されたことについて、にがにがしい記憶がまだ彼
らの心を苦しめていた。だから彼らは、 「この人は、この知恵とこれらの
力あるわざとを、どこで習ってきたのか」とたずねても、イエスを、神
からつかわされたキリストとして受け入れようとはしなかった (マタイ
13:54)。彼らが不信仰だったために、救い主は、彼らの中で多くの
奇跡を行うことがおできにならなかった。イエスの祝福に心を開いてい
たのは、少数の人々にすぎなかったので、イエスはしぶしぶ立ち去り、
ふたたびもどられなかった。
マタイによる福音書3章
15節 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
16節 イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
17節 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
ヨハネによる福音書1章
33節 わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。
使徒行伝2章
36節 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。
37節 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。 38節 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
39節 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
40節 ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
41節 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
42節 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
43節 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
44節 信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、
45節 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。 46節 そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
47節 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。
ルカによる福音書11章
9節 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
13節 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
14節 さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、物を言えなくする霊であった。悪霊が出て行くと、口のきけない人が物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。
イザヤ書61章
1節 主なる神の霊がわたしに臨んだ。
これは主がわたしに油を注いで、
貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、
わたしをつかわして心のいためる者をいやし、
捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
2節 主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、
また、すべての悲しむ者を慰め、
3節 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、
灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、
憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。
こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、
主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。
4節 彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。
🎼🎹 讃美歌 | I must tell Jesus / 告げよ主に

