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小学生に怪しまれながら歩くFIRE民──午後の散歩は必須なのか?

はじめに

FIREしてから、生活のリズムは大きく変わった。
朝はマーケットを見る。 とはいえ、長期投資が中心なので、画面に張り付くのはせいぜい2時間ほどだ。

午後は自由時間。
ジムに行く日もあれば、図書館に行く日もある。 家庭菜園をいじる日もあるし、ブログやNOTEを書く日もある。一見、理想的な生活に見える。だが、その中で、ふと引っかかる瞬間がある。

小学生とすれ違う時間

ウォーキングに出るのは、だいたい午後。
気がつくと、時間は小学生の下校と重なる。
道が急ににぎやかになる。 ランドセルの集団が、わさわさと流れてくる。
この時間帯になると、 「そろそろ外に出るか」という合図でもある。
しばらく歩いていると、かなりの数の小学生とすれ違う。

そのとき、ふと思う。
「この子たち、俺のことどう見てるんだろう?」

FIRE後の日常の違和感を記事にしてます。↓↓↓

昼間にいる大人

ウォーキングに出るとき、身だしなみは正直ラフだ。
ヒゲは2日に1回くらい剃る。 だが、髪は整えない。整髪料も使わない。
平日の昼間。 ぶらぶら歩いている、少し髪がパサついた中年の男。

小学生から見れば、どういう存在に映っているのか。
仕事してない人? ちょっと怪しい人? なんとなく暇そうな人?
考えても答えは出ないが、妙に気になる。

「普通」から外れた時間軸

会社員だった頃、平日の昼間に外を歩くことはなかった。
平日の昼間にいる大人は、どこか特別な理由がある人だと思っていた。
休みの人、営業の人、何か事情のある人、少なくとも、「毎日いる人」ではなかった。

だが今、自分がその側にいる。
毎日、同じ時間に歩いている。
つまり、 「社会の標準的な時間軸」から外れている。

小学生のほうが忙しそうに見える

すれ違う小学生たちは、どこか忙しそうだ。朝起きて、学校へ行き、今はその帰り道。 やるべきことがあり、流れの中にいる。
一方、自分はどうか。歩く時間も自由。 帰る時間も自由。
その瞬間、少しだけ奇妙な感覚になる。
「どっちがちゃんとしているんだろうな」 と。

FIRE=社会不適合者?

ここで、一つの考えが浮かぶ。FIREとは、社会からの離脱なのか。 あるいは、社会の枠組みから自由になった状態なのか。
外から見れば、平日の昼間にいる、定職に見えない、生活リズムが読めない、そういう存在に見えるかもしれない。
だとすれば、「社会不適合者」に見える可能性はある。
だが、それは本質ではない。

本質は「自分で時間を設計しているか」

重要なのは、外からどう見えるかではない。
自分で時間を使っているか。 自分で生活を設計しているか。
ここだ。
会社員のときは、時間は与えられていた。 FIRE後は、時間を自分で作る必要がある
何もしなければ、ただの「暇な人」になる。 だが、意図して動けば、「自由に設計された生活」になる。

おわりに

小学生とすれ違う時間。
それは、自分の立ち位置を確認する時間でもある。
あの子たちがどう思っているかは、分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
自分はもう、 「決められた時間を生きる側」ではない。

だからこそ、 どう見られるかではなく、どう生きるかを選ぶ必要がある。
昼間に歩くおじさんでもいい。 その時間を、自分で選んでいるなら。

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