自己探求家になったわけ①:自分と他人と世界のほとんどを、ずっと無視して生きてきた
自己探求家、
なんて肩書を名乗ろうなんて、先週まで思っていませんでした。
しかし、ホロスコープ鑑定のサンプルとして自分の出生図を深堀りした結果、その結果に強い説得力を感じ「note でクリエーターをやっていくなら、それしかない」と決めました。
なぜ〝炭鉱夫〟という言葉が出てくるのかは、それだけで一本の記事になるため、後日改めて書くことにして、ここでは、
「他人のホロスコープを鑑定をするのに、なぜ〝自分〟の心を掘り抜くのか?」
ということを明らかにします。
①「書き手としての自分」以外の、すべてをディスカウントしていた私
「調べることは、愛することだ」
と『読みたいことを、書けばいい。』の中で田中泰延氏は書いています。
この本の中でもっとも強く私に響いた一文です。
「愛する」とは、優しくしたり、仲良くしたり、寄り添ったりすること、ではありません。
それは情で、愛ではないです。
愛情という日本語がアバウトに使われているため、まったく異なる心の働きが混同されてしまっています。
愛は、存在を認めること。
そこにいる、そこにある、とカウントすること。
なのです。
感情ではなく、生存に直結している認識です(すべての人間が承認欲求を持ち続けているのはそのためです)。
今回、自分の出生図を改めて鑑定し、はっきり自覚したことがあります。それは、
書き手としての自分しか、私は愛してこなかった。
書き手としての自分のために、他の自分のすべての部分と、周囲の人たちや環境を、犠牲あるいは燃料にしてきた。
ということでした。
書き手としての自分以外のすべてを、ディスカウントしていたわけです。
この『書きたいこと』に対する執着は、私の場合、『書けないうちに死んでたまるか!』という恐怖から来ています。
「書きたいことを書きたい」という衝動は、突き詰めて言えば、死んで消滅することからの逃走であり、抵抗です。
恐怖を外化する行為とも言えます。
「書きたいこと」が「書くべきこと」と重なるのが多いのはそのためです。
「書きたい」をやり遂げて感じるのは、達成感=排泄し切った快感です。快感である以上、ほんの一瞬でそれは消えます。
「読みたいものを読みたい」という衝動も、基本的には同じですが、「書きたい」よりも逃げ込むことに振り切ったスタイルの抵抗です。
辛いことがあったとき、好きな音楽や、漫画やアニメや、推してるアイドルが作ってくれる世界の中に〝逃げ込む〟ことで、一時的に消滅の恐怖を打ち消し、忘れているわけです。
この「書きたいものを書きたい」と「読みたいものを読みたい」の二つの状態には、他者がいません。
対象となる存在はあっても、独りだけの世界で完結していて、本当の意味でのエネルギーチャージは起こることがありません。
一時的に元の状態へ戻すだけで、「前より増える」とか「大きくなる」といった現象にはつながらない。
ゆえにどちらの衝動も〝楽しさ〟を含まない。
どちらも強烈に癒やされますが、楽しいわけではないのです。
②影の部分を認められ、愛されて起こった〝自己拡大〟
これまでの人生の大半を、無自覚なまま、自分を癒やすために費やしてきてしまった、ということに気がつき、私はしばし呆然としました。
「マジかよ⋯⋯何十年も、エントロピーの法則と戦っていただけだったのか!!」
言葉にして書いてしまえば、当たり前のことでしかありません。
エントロピー増大の法則と戦いながら、動的平衡を作り出すことで、人間を含めたあらゆる生き物は、生存時間を勝ち取っているのですから。
そうだと頭で分かっていても、癒やしの快感と、楽しさの区別がついてなかったという事実は、とても悔しく危ういことでした。
「50年以上も生きていながら、自分はまだ純粋な〝楽しさ〟を知らないんじゃないか?───あの瞬間も、あの瞬間も〝ホッとしていた〟だけなのでは?」
そう考え、過去を振り返ってみると、「ホッとした」感覚が伴わない〝楽しかった記憶〟は、少ないながらも存在していました。
それらの記憶に共通していたのは、自分の存在が大きくなった感覚でした。それは生き延びられた安堵感とは、まったく異なるものでした。
中でも印象的だったのは、「漫画家として週刊雑誌でデビューすることが決まった時」から「初連載を終えた時」までの、2~3年の期間です。
強いプレッシャーこそあったものの、この間、私の中で〝楽しい〟感覚が途切れることはありませんでした。
なぜ自己拡大し、エネルギーがチャージされ続ける状態を、年単位のスパンで維持できたのか───?
作家として名前が世に出たことや、執筆一本で暮らしていけるだけの金銭的な安定を手に入れたことで、私は報われ、癒やされましたが、それは〝楽しさ〟の発生や維持とは、直接関係のないことでした。
やっぱり決定的だったのは、自分が日常の生活の中で、ずっと〝影〟にしてきたネガティブな部分───怒り、痛み、悲しみや、暴力的な破壊衝動など───が、漫画作品のかたちで表に顕われたことであり、その〝影〟が出版社や読者によって認められたことでした。
私の〝影〟は、存在を認められ、そこに存在している、と多くの人たちからカウントされました。
端的に言って、愛されたわけです。
その結果、私自身が、私の〝影〟の部分を認めること=愛することができるようになりました。
そして、その影の〝体積〟の分だけ、私自身が拡大し、連載が続いている間中、〝楽しい〟状態が維持されたわけです。
楽しさとは、無視していた自分の〝影〟の部分を認識し、合体した時に感じる〝自己拡大感覚〟である。
自己拡大した状態で活動する人には、ふさわしい収益が発生する。
「なるほどな⋯⋯」
自分の出生図を深堀りして得た、第二の気づきを噛みしめながら、私は苦々しい気持ちになりました。
自分の心、人の心が、そんな構造になっていることを、当時の私は知らなかった。そして、無自覚だったゆえに〝楽しさ〟を失い、今に至っているからです。
(後半に続く)
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