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【大人のピアノ】ピアノの楽譜を、額面どおり信じられるか?


先日、私が暇つぶしにやってみた、
フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」の冒頭部分の「なんちゃってアナリーゼ(楽曲分析)」で👇

👇これが私の「なんちゃってアナリーゼ(笑)」

👇につづく

👆の楽譜のですね、
緑の枠で囲った「キメ!」の部分なんですけどね、
私、片手で9度はギリギリで届くんですけど、
緑枠内の連続和音を上手く弾けないんですよ。
ところで、ピアノの先生方は、
「オクターブが届かなくてもピアノは弾けますよ!」
って始終言ってるでしょ?
9度がどうにかこうにか届く私だったら余裕で弾けるはずですよね?
先生、弾き方のお手本を動画で見せてくださいませんかね?
あ、片手で10度が届く先生や、小指が長い先生は、私の参考になりませんからご遠慮ください。
片手でようやく9度に届いて、しかも小指が短い先生に限定してお願いします。
もっと言えば、
片手で9度に届かない先生が理想ですね。だって「オクターブに届かなくてもピアノは弾けます!」なんでしょ?
片手で9度にも届かない人が、片手で12度が届いたリストの曲を、楽譜どおりに、音をバラすなんていうズルい手を使わないで、全ての指のアーティキュレーションも完璧に弾ける方法を、実際に演奏して見せて下さい。
言葉での解説指導はナシよ。言葉でケンバンは動かないから(笑)。
それから、指の股をグイグイ広げたり、指の股を切るなんていう傷害行為もナシよ。訴えるからね!
ズルや傷害行為をすることなく、片手オクターブの手でも、オクターブ和音の高速移動演奏が完璧にできる魔法の技を、ピアノの先生方は持っていらっしゃるから、「オクターブに届かなくてもピアノは弾けます!」って言っているに違いないのだから!
緑枠の部分の演奏です👇

それから、上の2小節目の細かすぎる音符が連なっているところの、この音って、楽譜では「#」がついてるんですけど、「X」に聞こえるんですが、私の聞き違いですかね?👇

👆「キサマの聞き違いに決まっているではないか!素人の分際で、神聖なる楽譜を批判するとは言語道断!」
はい、はい。そうですよね。
ということは、フランツ・リストは、この箇所だけ、旋法(モード)をハーモニックマイナー(和声的短音階)系ではなくて、メイジャー(長音階=アイオニアン)系に変えたことになるね。
何オクターブを駆け抜けるように弾く「ラン(複数オクターブにまたがる速弾き)」の全体をハーモニックマイナー系の音に揃えておきながら、この1音だけアイオニアン系のモードに変えるって、「高速道路にそこだけ岩を置く」ような行為だと思うよ。「そこで躓(つまづ)け!間違えろ!」演奏家泣かせだね、フランツ・リストは!自分だってこの曲を弾いただろうに。👈もし、この楽譜の臨時記号表記が正しいとすればね。

それから、下の図のオレンジ色で囲った部分👇

👆オレンジで囲った部分も、
片手で9度に届くのがやっとの私は、届かないんですけど、
「オクターブに届かなくてもピアノは弾けますよ!」なんでしょ?
どうしたら弾けるのか、実際に演奏してお手本を見せて下さい。
バラし弾きや、指の股を切る・指の股をグイグイ広げるような猟奇的な方法ではなくて、教えてください。
ピアノの先生、あなたが隠している、オクターブにしか届かない手でも片手10度の和音を、全ての音を同時に弾いてビシっと弾ける、秘密の方法を!公開して下さいよ!

それから、
オレンジ枠の部分も、「B3」の音符に「#」がついてる方が自然に感じるので「#」をつけてみましたけど、私の耳がまちがっているんでしょうかね?👇

わたしには、右手の「B3」の音に、どうしても「#」がつくように聞こえるんだけど、
たぶん、いや、絶対に私の耳がおかしいんですよね!
だって、楽譜は絶対な存在である!ですものね、
「素人ふぜいの耳が正しいはずがない!
 お前の耳が間違っているのだ!」

はい、はい。
私の耳が間違ってるに決まってます。
でもさ、
上の図の「B3」の音から私が書き足した「#」を取り去って、
楽譜どおりに演奏すると、
 G#7(#9, b13)
という、めっちゃくちゃジャジーなコードになっちゃうんだよね!

このテンションコードはですね、ジャズの中でも最もジャズ的なコードなんですよ!
だから、ここの部分だけ、突拍子もなく、いきなりジャジー(笑)!
フランツ・リスト、いきなりジャジーだな~!!!(笑)
というか、
リストは、この曲を全体的にハーモニックマイナー系のモード(旋法)で統一しているのに、どうしてこの部分だけメロディックマイナー系のモードの、しかも最もジャジーに響く「オルタード・ドミナント」のモード(コード)をぶち込んだのか?
フランツ・リストって多重人格者だったんですか? 
それとも、この楽譜の表記が間違っているんでしょうか?

もちろん、
セロニアス・モンク大師の仰せの通り、
この世に間違った音は存在しなくて、
この音の方が、その音よりも、いい感じだよね~。
ということだとは思うんですが、
そうはいっても、
「場違いな音」っていうのはあるわけで。
それが、ことさらクラシック音楽の場合は、
「場違いな音」は「間違いである!」
とされることが100%ではないの?クラシックピアノ人のみなさん?

ちなみに、
これらの楽譜は、カナダのサイトで著作権落ちの作品の楽譜をダウンロードできるでしょ?あれからダウンロードしたものなんですよ。
「楽譜が古いから間違っているのだ!」
そうなんでしょうね。

でも、
昨今売られている楽譜に、間違いが無い!とは言えるのだろうか?

たとえば、私がいまだに捨てずにもっている
全音の『バッハの平均律曲集Ⅰ』(定価700円消費税表示なし!
とかね、
「pp」とか「ff」とか cresc. とか dimin. とかが沢山書いてあるんですけど、
これらの強弱記号って、JSバッハ本人が書いたものなんですかね?

というのは、
JSバッハは、時代的に、
フォルテピアノやピアノフォルテを弾いていないと思うんですね。

JSバッハのキーボード(👈英語で鍵盤楽器はkeyboard instrument)曲は、
もともと、ハープシコードか、オルガン用に書かれたんじゃないですかね?

でさ、
ハープシコードやオルガンって、
音の強弱つけられますかね?
って話なんですよ。

ピアノという楽器はさ、
ハープシコードやオルガンでは不可能だった音の強弱表現を可能にした楽器だから、
わざわざ「フォルテピアノ」とか「ピアノフォルテ」って名前が付けられたんでしょ?ピアノってさ。

だから、
JSバッハの曲の楽譜に書いてある強弱記号って、
JSバッハ本人が付けたものじゃないと思うんだよ。

だったら、
JSバッハのケンバン楽器曲におびただしく付けられている強弱記号って、
一体、誰が、なんの権威で、付けたんでしょうかね?

つまり、
強弱記号や、速度記号や、音符までもに、
作曲家のオーセンティシティーが、どれだけ残っているのか?
「この記号は、この音符は、作曲家自身が書いたものである!」という、
正統性(authenticity)は、誰が担保しているのか?

「そこはppで弾きなさい!」ってピアノの先生は言うけど、
その「pp」、作曲家本人が書いたものなのか?

【大人のピアノ】は、こういった点まで気になっちゃうんですよ。
「そんなことは考える必要はありません!楽譜どおりにお弾きなさい!」
へえそうですか、には、【大人ピアノ】は、ならないんですよ。
こちとらガキじゃねぇんで。

ちなみに、
2010年代に私がいろいろな動画を視ていたころに、
「歴代の大作曲家たちの楽譜には、どこまで正統性が保証されているのか?」ということが気になりだしたのでした。

当時、ハープシコード奏者たちの動画を視てわかったのは、
 ハープシコードは、音の強弱がつけられない。
 よって、ハープシコードで音の強弱をつける場合は、
  ①一度に弾く音の数を増やすことによって、全体的な音を強める。
  ②アルペジオを重ねていくことによって、クレッシェンドをつくる。
という内容でした。

①の例は、たとえば、
 C4の音だけ弾くと、音が1個しか鳴らないけど、
 C4とC5を同時に弾けば、音が2個鳴るから、それだけ音が強くなる。

②の例は、
 C4を弾きながらE4を弾いて、
 👆の2つを押さえながらG4を弾いて、
 👆の3つを押さえながらC5を弾くと、
 音が「タイ」でつながって、1個から2個、2個から3個、3個から4個と音が増えていくから、クレッシェンドの効果を出せる。
 これを、弾いたら各音が次々と減衰していくスピードを頭の中で計算しながら、強弱表現を行う。

というものです。

でも、JSバッハの楽譜を見ると、
こういう①や②とは全然関係なく「pp」や「ff」が乱れ書きされている。
音が2個しか書いてなくても、ある場所は「ff」、別の場所には「pp」が、平気で書かれている。
音がどんどん重なっていくところでもないのに「cresc.」やクレッシェンド記号が平気で書かれている。

そして生徒たちは、
JSバッハが書いたはずのない強弱記号どおりに弾かないと、ピアノ教師に怒られる。
「そこはクレッシェンドで!」
「そこは「ff」って書いてあるでしょう!?」
はい。書いてあります。
そのとおりに弾きます。
私は生徒です。
生徒は、生徒であること自体が、教師よりも劣った存在だからなんですよね?
先生は、優れている。
先生は、いつも優れている。
先生は、いつも正しい。
先生が言うことは、その楽譜を書いた作曲家本人よりも正しい。
先生は、クラシック音楽の歴代の作曲家が訓練された「12キーでの即興演奏も、作曲法も、ほとんど知らない。
子育てや家事の合間に、片手間でピアノを教えている。
自分の子どものオムツを替えながら、
パンを焼きながら、ピアノを教えている。
それなのに、
先生は、作曲家よりも偉い。
偉いんでしょ?
先生、たいそうな御身分ですね。
でも、【大人のピアノ】は、
ピアノ教師の頭越しに、ピアノを、音楽を、見ている。

その記号は、その指示は、
その「ソステヌートペダルを踏め!」は、
作曲家本人の意向なのか?
それとも、
「権威ある誰か」が、後世に書き加えたものなのか?
そもそも、
「権威ある誰か」は、一体全体、どんな権威を持っていたのか?
その「権威」とは?
「お嬢の手慰みピアノ」が起源のピアノ教育の歴史のなかで、大した思慮も無くベタベタと付けられていったものなのか?
厳しい作曲家養成訓練とは無縁の「お嬢の手慰みピアノ」教育における「権威」とは、いったいどんな「権威」なのか?👇







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