【大人のピアノ】「コンセルヴァトワール(音楽家を育成する孤児院)」発祥の、クラシックの大作曲家を鍛えた「虎の穴」即興演奏訓練法が絶滅した理由
👆noteで使用可能な画像を使わせて頂きました。ありがとうございます。
この記事シリーズは、もともと私が2010年代に、はてなブログに書いたこれらの記事👇
の最新アップデート版としてnoteにアップした、
これら一連の記事👇
の羅列が長くなってきたので、このマガジンに格納しています👇
最近の記事のひとつはこれ!👇
もはや当記事シリーズのテーマである
「クラシック音楽はメタルか?」から
大きく逸れて内容が進行しております。
ただし、
今回の記事も、
メタル、ジャズ、ポップスを包括する
西洋クラシック音楽の大作曲家たちがほぼ例外なく訓練を受けた、
当時のインプロ(即興演奏)特訓についてですので、
ご興味のある方は、引き続きご高覧くださいませ。
というか、
メタルもジャズもクラシック音楽も、
同じ音楽なのに、
ジャンルで隔離政策をとることのほうがおかしいと私は思うよ!
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
前回の記事で、
バッハからモーツァルトからベートーベンから
ショパンからリストからドビュッシーやラヴェルまで、
西洋クラシック音楽の作曲家がもれなく叩き込まれた、
インプロ(即興演奏)と作曲のためのパワフルな訓練である、
「partimento(パルティメント(伊)、パーティメントゥ(英))」と呼ばれる訓練は、
孤児を音楽家に育成するための施設「conservatorio(伊)」において、
孤児に音楽技能を仕込むメソッドだった。
ということも含めて、
partimento のことがわかる動画を貼り付けました👇
👆この動画を視たジャズ人さんは、
「partimentoって、ジャズの練習と似ている!」
と思ったのではないでしょうかね。
短いコード進行のパターンを覚え、
それにヴォイシングを重ねて、
即興演奏中に脳の引き出しから瞬時に取り出して使える「リック」を星の数ほど覚え、
ベースラインを見ただけで、即興で一曲その場で演奏できちゃう!
これはジャズですよ、ジャズ!
フュージョンもアドリブ演奏が含まれるから、
ジャズフュージョンだよ!
そう思ったジャズ人さんたちは、
「昔のクラシック作曲家たちは、すごかったんだなー!
だって、
自分たちが日々続けている練習と同じ、
今となっては思い出したくも無い、
出口の見えないような地道な即興練習を
子どもの頃から叩き込まれて、
即興演奏の鉄人になってから、
当時の音楽業界にデビューしていったんだもんなー!」
って思っちゃいませんか?
私はジャズの入り口にも入らないところで万年転がっていますが、
そんな私でも、
こりゃー、バッハやモーツァルトやベートーベンやショパンやリストやドビュッシーは、物凄かったんだなー!
って思いましたよ。
そして、
物凄かったのは、彼らの根性のほうですかね。
もう私なんて根性無いからさ~、
スケールやモードを何年たっても完璧に覚えられないの。
ジャズの基本的なコード進行で使う各種コードもさぁ。
こういった、
音楽をマスターするための「積み木」のようなものって、
覚えるプロセスが地味すぎる上に、
覚える「積み木」の数が山ほどあるでしょ?
普通の人間は、根性が尽きるか、発狂してしまう。
だから、
私のようなアマチュア道楽人は、
発狂しない程度に、ゆる~く続けていくのがいいと思うんだよね。
だから、
いつまでたってもジャズの入り口の外に転がっているわけなんだけど。
話を戻して、
「partimento」の訓練では、
ベースラインだけを見て、コードのヴォイシングやメロディを、
色々なパターンで瞬時に即興演奏していく。
「こんな方向性で即興演奏するべし!」といった指示が五線譜に書かれていることも多かったらしいですが、
作曲ルールに基づいて、ベースライン上に瞬時に音を重ねて即興演奏することが、どんなに大変なことか、
ジャズフュージョン人さんなら痛いほどわかるのではないでしょうか。
もはやそこには、
「こっちのヴォイシングにしようかな~、いや、あっちのヴォイシングにしようかな~?」
なんて吞気に考えてる暇なんて無いからね。
脳の中にしみ込ませた無数の作曲文法やリックやコード進行を包括的に統合して本能的に即興演奏し続けるための、
まさに「虎の穴」のような特訓だったろうね。
ただし、
partimentoは、クラシック音楽の即興演奏訓練であって、
20世紀以降の、今現在の音楽の即興演奏のためには、あんまり使えなさそうだね。
だいいち、
現代の音楽は、ジャズのハーモニーと、ハーモニーやトーナリティ(調性)を超越した現代音楽的な音が基本だからね。
21世紀のハーモニーを、
partimentoで即興演奏を仕込まれたモーツァルトたちが聴いたら、
どう思うだろうか?
「えー!? その和声進行も有りなの? 俺たちの時代はご法度だったんだぞ! その和音も和音って呼ぶの? ズルいぞ現代人! だが俺も今からそれやる! 俺もさー、当時、やりたかったんだよー、その和声進行!」
って言っただろうね。
ところで、
前回の動画の最後の方に、気になる内容がありました。
それは、
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、リスト、ドビュッシー、ラヴェルそしてシェーンベルクやヒンデミットに至るまで、
歴代の作曲家たちが仕込まれた「partimento」という名の「虎の穴」特訓法が、事実上絶滅してしまったという点です。
プロの音楽家の育成に不可欠だった「partimento」という名の「虎の穴」特訓法が途絶えた理由は2つあると、私は思います:
理由のひとつは、
【1】富裕層の子女の「ピアニストごっこ」の隆盛
ふたつ目の理由は
【2】20世紀の2つの世界大戦
です。
【1】富裕層の子女のピアニストごっこの隆盛
ですが、
先日の記事に、フランツ・リストのWikipediaの記述を引用しましたが、
それによると、
若い頃パリに住んだフランツ・リストは、生活費を稼ぐために「生徒様」たちのお宅に出入りのピアノ教師の仕事を朝から晩までやっていたんだけど、「生徒様」の一人である、時の通商大臣の御令嬢とイイ仲になっちゃったんでしょ?
この恋愛ってさぁ、
リストが先に仕掛けたと思う?
私は違うと思うよ。
通商大臣の御令嬢のほうがリストに迫ったんだと私は思うよ。
だってさ、
一介の出入りのピアノ教師がだよ!
上顧客も上顧客の通商大臣の御令嬢に迫ると思う?
そんなことして、御令嬢に拒まれて不興を買ったら、リストはピアノ教師の職を失うばかりか、
社会の上流階級への心象が良くないでしょ?
上流階級の人たちは、音楽家のパトロンだよ。
そんなリスキーなことを、未亡人になった母親を抱えて、生活費に困って「お屋敷に出入りのピアノ教師」をしているリストがするかなぁ?
だから、
御令嬢の方がリストに迫ったにちがいないと私は思うよ。
つまり、
ピアノ教師は、そのようなワガママなお嬢さんたちに、強く言えない立場なんだよ。
「ピアノを上手に弾きたければ、音楽の総合力をつけなければならない!
そのために、 partimentoの特訓を開始する!
まずは和声進行のルールを覚えるべし!
覚えたら、
このベースラインの上に、和声とメロディーを即興で作るべし!
やるべし!弾くべし!作るべし!
明日に向かって打つべし!打つべし!打つべし!
立てぇぇぇぇぇ!立つんだ、ジョー!」
なんて、
「蝶よ花よ」で育てられた御令嬢に対して指導するはずがない!
そんなに厳しく指導したら、
本物の音楽指導を行ったら、
お嬢様たちに「リストはハンサムだけど、レッスンが厳しいから、他のハンサムなピアノ教師に乗り換えるわ!」
って言われちゃうかもしれない。
だいいち、
本物の音楽指導(partimento)は、
イタリアの「音楽家養成孤児院(conservatorio(伊)コンセルヴァトリオ)」で、孤児たちを音楽家に育成するための特訓だったわけで、
孤児が教わったものなんて教わりたくないでしょ、御令嬢は!
だから、お出入りのピアノ教師は、
当然ながら、生徒様に対する指導の手を緩めるというか、
「いや~、お嬢様、お上手になられましたね~(よいしょっ!)」
「ここは、このようにお弾きになったほうが。おや、手が小さくて届かない? それでは音を抜いて、それでも全然OKですよ~、いや~すばらしい(よいしょっ!)」
の太鼓持ちに徹したに決まっている。
太鼓持ち稼業はツライよ。
ところが、そのうちに、
「私、リストにピアノが上手いって褒められたのよ~。じゃあ、姪っ子にピアノを教えてあげるわ~!」
なーんていう、勘違いお嬢が出てくるのは目に見えている。
当然、partimento なんてマトモに教わったことがないから、
楽譜の譜面を見ながら、譜面どおりに弾けばそれが音楽家!だと思い込んでいる。
誤解が誤解を生んでいく。
でも、本物の音楽家たちは、お嬢たちの暴走を黙って見ているしかない。
だって、お嬢たちは、彼らの重要なお客様なのだから。
お嬢たちにそっぽを向かれては、本物の音楽家たちはおまんま食い上げになってしまう!
という連鎖が100年も続くと、
もはや、partimentoによる即興演奏スキルの全く無い、「ピアノ教師」ばかりになってしまった。
Wikipediaを読んで、私は、フランツ・リストは本来は作曲家志望だったような印象を持ったよ。
自分で演奏してリサイタルを開くのは、生活費を稼ぐ手立てだったような気がする。
ピアノ教師をしたのは、生活費を稼ぐためだったんだから。
つまり、
本来、ピアノ教師というものは、作曲家がバイトでやるような稼業だった。
だって、当時の作曲家とは、
作曲家=即興演奏家=演奏家であったから、
ピアノ演奏を人に教えるなんてことは、わけのないことだったからである。
それが、
いつのまにか、
音楽の基礎が全く無い、楽譜を見て楽譜どおりに弾くことしかできない「ピアノ教師」という存在が生まれ、自分は音楽を知っている!と言わんばかりに幅を利かせるようになり、お金まで取るようになってしまった。
そのおおもとの原因は、
当初は、御屋敷にお出入りする「ピアノ教師(=作曲家)」よりも身分が断然上の「生徒様」が、自分の近くにいる子どもなどに、楽譜を見てピアノを弾くという「ピアノの真似事」を教え始めたからではないか。
このような「御令嬢」が「ピアノ教師」になると、
当然、自分より格下の者にピアノを教えようとするだろう。
理由は、御令嬢は、他人に使われた経験が無いからである。
「いや~、お上手ですね~(よいしょっ!)」なんていう、
他人の機嫌を取る必要無く、生きて来られた人種だからである。
いきおい、自分の父親の領地の小作人や使用人の子ども相手に「教養」や「マナー」なんてものをくっ付けて、
「お嬢様の手慰みピアノ」を教え始める。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
じつは、同じようなことが、日本の江戸時代にもあったそうである。
江戸城の大奥。
大奥で働く女性には、2種類の階層があった。
①旗本の御令嬢
②御家人の娘や豪商・豪農の娘
である。
①旗本の御令嬢は、大奥に入ると、将軍の正室や側室にお仕えするお局様からの指図を受けて、頭脳労働に従事した。 いわゆるホワイトカラーですね。 将軍にお目見えできる「直参(じきさん)旗本」の御令嬢だけに、身分が手厚く守られ、おばあさんになって定年が来るまで大奥に居続けることができた。
これに対して、
②下級武士や豪商豪農の娘が大奥で働く場合は、「腰掛け」と呼ばれ、3年ぐらいの期限付きで女中奉公をした。 女中だから、お膳を運ぶ、床を掃除するなどの、ブルーカラー労働だ。 奉公期間が終われば、ハイそれでおしまい。大奥を退職するしかなかったそうだ。
昭和のバブル期までOLが「腰掛け」と呼ばれたのは、ここからきている。
ところが、
そんな「腰掛け」働きでも、大奥で奉公した経歴が短期間でも有ると、大奥仕込みの行儀見習いができているとみなされ、大奥を退職して地元に戻ると、一目も二目も置かれるお嬢様とみなされたそうだ。
大奥に「腰掛け」奉公した、江戸近郊の豪農(大地主)の娘は、大奥を退職して実家に戻ると、家の奉公人や小作農の子どもたちに、読み書きなどの教養や、大奥仕込みのマナーを教えたりしたそうだ。
(という内容を、かつて「謎解き江戸の歴史」というテレビ番組で視ました)
日本の女性ピアノ教師たちに、江戸時代のこのような名残を感じるのは、私だけだろうか。
そもそも、
本家ヨーロッパで、
「お屋敷に住む生徒様」と「お出入りのピアノ教師」の中身が、
「お屋敷に住むピアノ教師様」と「お出入りの生徒」にすり替わり、
教えるピアノの内容も、
楽譜を見て弾くことしかできない「お屋敷に住むピアノ教師様」が、
「楽譜を見て弾くことだけが音楽である」と言わんばかりに、
大人に対して抵抗する術を持たない無力な子ども相手に教える、
「御令嬢の手慰みピアノ」が「ピアノ教育」と呼ばれるようになってしまったのではなかろうか。
今回の記事は以上です。
以下は、前回までの抜粋です。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
「partimento(パルティメント(伊)、パーティメントゥ(英))」と呼ばれる、クラシック音楽における音楽家(=作曲家=即興演奏家=編曲家=演奏家=音楽監督)の養成メソッドが、どうしてイタリアのナポリで始まって、その後、パリのコンセルヴァトワール(音楽院)に移植されて、パリからヨーロッパ全土に広がっていったのか?
👆どうして、イタリアのナポリが発祥の地なのか?
について、なんとなく不思議に思っていたのですが、
👆この動画に、その答えの糸口が有りました。
それは、
「partimentoは、もともと、
孤児を音楽家に育成するための施設「conservatorio(伊)」において、
孤児に音楽パフォーマンスを仕込むメソッドだったそうです。
この、孤児を音楽家に育成する施設「コンセルヴァトリオconservatorio(伊)」が、フランス語の「コンセルヴァトワール(音大)」の語源なのでした。
音楽家養成孤児院(コンセルヴァトリオ)では、
partimento(即興演奏のための和声訓練)とならんで、
ソルフェジオも教えられたそうです。
ソルフェージュですね。
コンセルヴァトリオ(音楽家養成孤児院)で、
孤児たちは、
ソルフェージュと、トッカータの鍵盤演奏の訓練をうけたそうです。
秀逸な点は、
ソルフェージュの譜面も、トッカータの譜面も、
歌ったり弾いたりすることによって、
孤児たちが自然に音楽ボキャブラリー構築できるように、
即興演奏で使える「リック(lick)」がふんだんに盛り込まれていたそうです。
頭に染み込んだ当時の「リック(lick)」を駆使してあらゆる調(キー)で即興で作曲する訓練が「partimento」だったそうです。
👆上の動画では「lick」という言葉は使っていなかったと思うけど、
動画を視たジャズ人さんたちは「これは完全にリック(lick)」だろう!と思ったはずです。
「リック(lick)」を知らないクラシックピアノ人さんたちのために
説明すると、
ジャズ人たちが、何小節かのメロディーラインを何度も何度も何度も何度も何度も何度も、今度は別のキーで何度も何度も何度も何度も、次はキーを変えて何度も何度も何度も何度も何度も何度も弾いて練習している。
何つまらないことやっているのかしら?
て、思える、あの短いメロディラインのことです。
ジャズ人たちは、「リック(lick)」と呼ばれる短いメロディーラインを全てのキーで演奏できることを目指して、あのような単調な練習を黙々とずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと繰り返しています。
その最終目的は、覚えた「リック(lick)」を、アドリブ演奏中にいつでも、どのキーでも条件反射的にパッと弾けることです。
そして、いつかは必ず弾けるようになって、音楽の無限のユニヴァースに離陸していきます。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
ブリタニカによると👇
https://www.britannica.com/art/conservatory-musical-institution
conservatory, in music, institution for education in musical performance and composition. The term and institution derive from the Italian conservatorio, which in the Renaissance period and earlier denoted a type of orphanage often attached to a hospital (hence the term ospedale[イタリア語でhospital病院] also applied to such institutions). The foundlings (conservati 孤児) were given musical instruction at state expense; Naples was the centre for boys and Venice for girls.
The conservatori were thus the first secular institutions equipped for training in practical music (the choir schools of the Middle Ages were attached to churches, and music in medieval universities was a theoretical subject comparable to mathematics).
Institutions such as the Ospedale della Pietà (founded 1346, Venice) and the Conservatorio dei Poveri di Gesù Cristo (founded 1589, Naples) either trained or had as faculty members most of the leading composers of 17th- and 18th-century Italian opera.
👆「conservatorio」は、ルネサンス期のイタリアにあった、孤児院の一形態。病院に併設されることが多かった。 孤児たちは、公費で音楽パフォーマンスの教育を受けた。
男子の孤児の音楽パフォーマンス教育の中心地はナポリで、女子の孤児は主にヴェニスで音楽パフォーマンスの教育を受けた。
んだってね。
👆私が「音楽パフォーマンス教育」としたのは、
中世ヨーロッパの大学(university)で研究する「音楽」は、数学に似た理論的な研究対象だった
music in medieval universities was a theoretical subject comparable to mathematics
そうだから。
つまり、
「conservatorio(コンセルヴァトリオ)」とは、孤児を歌手や演奏家といった、人前で音楽芸を披露する芸人を養成するための孤児院だった。
17~18世紀のイタリアのオペラを支えたのが、「conservatorio」だったことがわかる。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
当時のイタリアでは、孤児が音楽家に育成された。
なぜ孤児が音楽家に育成されたのか?
上記の動画によると、
当時は、教会のオルガニストや聖歌隊や、宮廷や貴族のサロンで演奏するお抱え音楽家の需要が高かったからだそうです。
どうして?
と思うあなたは、現代人ですね。
現代人は、想像できなくなってしまっているけれど、
昔は、レコードも、蓄音機も、カセットテープも、ステレオも、CDも、サブスクも、ダウンロード音源も、なんにもなかったわけでしょ?
だから、
気の利いたBGMをかけたり、歌を聴きたいときは、
人間に演奏させたり、歌わせていた。
イタリアでは、音楽は、孤児にやらせる仕事だった。
上記のブリタニカ時点では、
「男子の孤児のコンセルヴァトリオの中心地はナポリで、女子の孤児の音楽教育の中心地はヴェニスだった」って書いてありますね。
女子の孤児には、何を仕込んだのでしょうね?
動画を視て想像したのは、歌手でしょうね。
オペラ歌手。
以前、「A=440hz」に落ち着く前に、もっと高いチューニングが好まれた時代があったそうで、それは、オペラ歌手に無理に高音を歌わせて、彼らの苦しんで歌う様子を楽しむ風潮があったんだって。
こんな曲を歌わせたのかな?(これはモーツァルトの曲ですが)👇
女性のオペラ歌手が、無理な高音を歌おうとして顔をゆがめて歌う様を観て喜ぶなんて、悪趣味だよね!
西洋って、悪趣味なところがあるよ!
コロッセオで奴隷とライオンを戦わせたりして。奴隷が負けるほうが多かったでしょう?それを見ているcitizen(市民権を持つ人間)たち。
ローマ時代の残虐なエンターテインメントを観る彼らと同じサイキが、クラシック音楽のコンサートでステージの演奏者を見つめる客席に漂っている気がする。
ルネサンス期のイタリア。
孤児を放っておけば、やがて大人になってから、社会の底辺で、よからぬ犯罪に手を染めざるを得ないだろう。
そこで、
孤児たちを音楽家に訓練するための施設が「conservatorio」で、
そこでの特訓が、「ソルフェージュ」や「partimento」だった。
ということが、見えてきました。
そうなんですよ!
「conservatory(=温室、音楽専門学校)」という言葉自体に、
わたしは、かねてから???と思っていたのです。
なんだか、なにかを保管する場所。温室とか、ジャムの瓶詰めとか。
その語感に、「隔離して閉じ込めておく」みたいなニュアンスを感じていたんだよね。
何を「隔離して閉じ込めておく」のかはわからないけど。
たとえば、温室は、
気候に合わない植物を、暖かい空間に閉じ込めて生かしておく施設だよね。
気候に合わない植物は、conservatoryの外の世界には出られない。外の世界では、生きて行けないから。
だから、conserveする。
芸能を守る。芸能に従事する人たちを守る。
彼らをconserveすることは、同時に、彼らを芸能の世界に閉じ込めて、一般社会から隔離することではなかったのか?
👆
これは私の思い違いでした。Wikipediaによると:
The term conservatory has its origin in 16th-century Renaissance Italy, where orphanages (conservatori) were attached to hospitals. The orphans (conservati 'saved') were given a musical education there, and the term gradually applied to music schools.[7][8] These hospitals-conservatories were among the first secular institutions equipped for practical training in music. By the 18th century, Italian conservatories were already playing a major role in the training of artists and composers.[9]
👆Wikiによると、孤児(conservati)は「saved(救われた)」者という意味なんだね。
「conservatory」は、
教会でのオルガン演奏や聖歌隊、宮廷やサロンでの演奏といった、
実用音楽を演奏・歌唱してギャラをもらって自活できる歌手や演奏者を育成する場所だったんだね。
「university(総合大学)」では、
先のブリタニカにあるように:
music in medieval universities was a theoretical subject comparable to mathematics
中世ヨーロッパの大学(university)で研究される音楽は、数学のような理論的な研究分野だった
わけでしょ?
ピタゴラスの音階とか、そういうことを、社会の上層部に生まれたインテリたちが研究する。
これに対して、
「conservatory」は、当時の商業音楽の世界で演奏してお金を稼ぐ、
実用音楽の演奏者の養成所だった。
なんか支離滅裂になりましたが、今日の記事は以上です。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
前々回の記事で、フランツ・リストのピアノ教師稼業に関してWikipediaの記事を引用したのがこれ👇
He(=Liszt) gave up touring, and in order to earn money, he gave lessons on piano and composition, often from early morning until late at night. His students were scattered across the city and he had to cover long distances. Because of this, he kept uncertain hours and also took up smoking and drinking, habits he would continue throughout his life.[26][27] During this period Liszt fell in love with one of his pupils, Caroline de Saint-Cricq, the daughter of Charles X's minister of commerce, Pierre de Saint-Cricq. Her father, however, insisted that the affair be broken off.[28]
リストのお父さんが腸チフスで亡くなってからは、演奏旅行をやめて、お金を稼ぐためにピアノと作曲の先生をしたんだね。それも、朝早くから夜遅くまで。 演奏旅行は旅費や滞在費がかかるし、未亡人になったお母さんの面倒もみなくてはいけなかったからなのかな?(←私の想像)
リストの生徒さんたちはパリのあちこちに散らばっていたから、リストは長い距離を移動しなければいけなかったんだって。 生徒さんの都合に合わせる不規則な生活が喫煙や飲酒につながったのかな?
この頃、リストは生徒の一人で当時の通商大臣のお嬢さんと恋愛関係になっちゃって、大臣から猛反対されたんだね。
大臣の御令嬢と、お屋敷の出入りのピアノ教師。身分が違い過ぎたんだね。
そもそも、リストのお母さんは、女中さんだったんだもんね。リストのお母さんは、恵まれない環境を必死に生きた女性だったろうね👇
👆これらから解ることは、
当時のヨーロッパでは、
ピアノの「生徒さん」のほうがピアノ教師よりも全然格が上だった!
ということだ。
ピアノ教師は、上流階級の裕福な「生徒さん」たちの御屋敷にお伺いする、「出入り」の身分だったということだ。
印象派の画家マネの奥さんも、もともとマネ家の3兄弟のピアノ教師として雇われた(けど実質的にはモネの父親の愛人だった)よね 👇
一体いつから、
ピアノ教師のほうが、生徒を自分の家に呼びつけて、上から目線で教えるようになってしまったのだろう?
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
それに関して、私は、過去に別の記事で(←リンク)、こんなことを書いていました👇
実は、
少人数による徒弟制度の見習い制度による育成システムは、かつての西洋クラシック音楽の音楽家育成システムもそうだったのです。
クラシック好きが陶酔したように崇め奉る、西洋クラシック音楽の大作曲家たちは、非常に狭い「音楽芸人」の徒弟制度の中で、育成されていきました。
クラシック音楽界で既に忘れ去られてしまった、かつて行われていた音楽家の徒弟制度については、イタリアはナポリの図書館に大量に保蔵されている楽譜が、かつてのヨーロッパで、音楽家=作曲家=即興演奏家をどのように育成していたかの一端を見せてくれます。
具体的には、「partimento=パーティメントゥ」という、当時の即興演奏能力育成方法です。「partimento」は、英語ではパーティメントゥと呼んでいますが、本家のイタリアでは「パルティメント」と発音するでしょうね。
「partimento」についてはこちら👇
「partimento」を紹介する人の動画(日本語吹き替え有り)👇
👆ナポリで確立した「partimento」とは、作曲家の即興演奏能力を鍛え上げるための強力なメソッドだったのです。
ベートーヴェンという「作曲オンリーで稼ぐ人」が出る以前は、
音楽家とは、自分で作曲して自分で演奏する、自作自演の音楽家だったのです。
ナポリの「partimento」は、パリのコンサーヴァトリー(英語読み)に移植され、パリからワルシャワの音楽院にも移植されていったそうです。
ショパンも「partimento」の訓練を受けたということです。(「partimento」に関する情報源については、私の過去の記事にその動画を貼ってありますので、興味のある向きは探して下さい)
つまり、本来は、
音楽家とは、作曲をし、演奏もし、王侯貴族のパトロンに「おい、ミュージシャン、退屈だから、何か気の利いた音楽を奏でろ!」と言われたら即座に対応できるだけの即興演奏能力を兼ね備えた、オールラウンドの音楽職人だったのです。
正真正銘の音楽職人の身分の中の、閉ざされた徒弟制度の中で伝承されてきた即興演奏能力育成方法である「partimento」。
その息の根を止めたのが、
ヨーロッパにおける中流階級の勃興による「お稽古ピアノ」という「素人芸」の出現です。
「ツェルニーは800曲も練習曲を書いたそうだ。よほど儲かったんだろう」と、あるアメリカの大学の音楽学部の教授が動画で言っていました(私がこの記事で書いている「partimento」の情報源の人です)が、
フランス革命によって王と王妃の首をちょん切った後、貧しい労働者階級が「中産階級」に成り上がっていく過程において、もともと王侯貴族の御用芸人であった音楽家たちは、急速にクライアントを失っていったのかもしれません。
音楽家たちが活路を見出したのが、王侯貴族の生活に憧れる「平民からの成り上がり」組のブルジョア階級の子女にピアノを教えることだった。
当初は、中産階級のお嬢さんたちに「partimento」を教えようとする熱心な音楽家もいたかもしれないけど、ルノワールの絵に描かれているような娘さんたちが、徒弟制度で厳しく教え込まれて伝承されるような「partimento」の厳しい特訓なんてやるはずがない。
「手っ取り早く、かんたんに、ピアノを弾きたいの ♪」なんていう、彼女たちのミーハーで軽薄な「ピアニストごっこ」志向を満たすために作曲家が作ったのが「ブルグミュラー」であり「ツェルニー」や「バイエル」練習曲なんだと思います。
素人のお嬢さんたちの「手慰み」の「ピアニストごっこ」願望を叶えてあげて、「お上手ですね~」なんておべんちゃらを言って持ち上げる「太鼓持ちレッスン」が、儲かったんだと思いますよ。
ところが、
一般大衆のご機嫌をとるようなことになると、一般大衆の次の世代には、「誤解」が「常識」になってしまう危険がある。
つまり、
ピアノのお稽古第一世代が勘違いして「楽譜どおりに間違いなく弾けば褒められる⇨ピアニストになれるかもしれない!⇨ピアニストになりたいの!」と言い出したのではないか?
そのために、パトロンからお金を放ってもらって生きて行く稼業の音楽家たちがお金欲しさに手を染めたのが、音楽の一般大衆教育ではなかったか。
じつは、I とか V とかの和音は、
バッハやベートーヴェンは使っていなかったそうです。
彼らが使っていたのはカウンターポイントと「partimento」なのです。
でも、
今のピアノの先生は、カウンターポイントも書けないし、即興演奏なんてほとんど出来ないでしょ?
それは、彼らが本物の音楽家ではないからです。
「プロ」のピアニストを名乗っているのにもかかわらず、
歌い手さんの声域や、フロント楽器の音域に合わせて、その場でキーを半音ズラして伴奏することすらできない!
雇い主(歌い手・ソリスト)の要望に即座に応えられないくせに、
「ピアノで即座に移調して弾くのは難しいのに、歌手やソリストはわかっちゃいないんだからー!」
ってさ、
わかっちゃいないのは、あんたの方だろーが!
超一流のピアニストさんは、瞬間移調演奏や、現場ですぐに楽譜を書き換えることなんて、息をするかのごとく簡単にやってのけることを、あんたは知らないんだね!
あんたは「わかっちゃいないんだからー!」って言うことによって、
自分は素人です!って公に宣伝しちゃってるんだよ!
それさえにも気がつかない。あちゃー😵! 救いよう無し。
でもさ、
その齢になるまで世間知らずで雨露しのげて生きて来られたことを、
くれぐれも御両親に感謝なさって、
年老いた御両親の面倒を親身に見られることですね(遺産をもらうためにも)。
つまり、ほとんどの「ピアノ教師」や無名の「プロピアニスト」は、
「素人向けのピアノのお稽古」レベルの訓練しか受けていないのです。
そういう意味では、
世に多くある音楽大学の大半が「ピアノのお稽古」の延長でしかないということになります。
だから、
音大を出ました! 音楽留学しました!
だけでは、本物の音楽家であるわけがない。
実際に、本物のプロたちがしのぎを削る音楽業界から、はなっから相手にされなかったでしょ?
ひどい場合は、
「初心者限定」や「シニア限定」と対象を限定して、ズブの素人相手だけを相手にピアノなんかを教えている。
どうして教える対象を「限定」しなければならないのか?
彼女らは、ちょっと腕に覚えの有る「大人のピアノ経験者」に、演奏や音楽知識で負けるかもしれないということを、自覚しているからです。
先生である自分が、生徒よりも「知らない・弾けない・弾いても下手」なことがわかってしまったら、自分の親がつぎ込んでくれ巨額の「ピアニスト(最悪でもピアノ教師)」育成費用が、「サンク・コスト(沈没費用)」つまり「ドブに捨てた大金」であることが、白日のもとにさらされてしまう👇
だから、
「初心者限定」や「シニア限定」と対象を限定して、ズブの素人だけに教えようとする。
ズブの素人しか相手にできないようなレベルのピアノ教師が、演奏のプロであるはずがないのです。
ところが、
クラシック音楽家の徒弟制度が事実上絶滅してしまっても、
今もどこかで、本物の音楽家の育成が行われている。
だから、音楽は途絶えないのだ。
現代における音楽家の育成は、
ライブハウスで、レコーディングスタジオで、
今この瞬間も行われている。
少人数制の徒弟制度のようなやり方で。
この徒弟制度の門をくぐれるのは、
10代をオタクのように、音楽に没入して、
先人たちの演奏を完璧に再現演奏できるぐらいコピーして弾きこんできた若者たちである。
先輩ミュージシャンたちに「見込み有り」と思われたミュージシャンの卵には、次のライブの演奏のお声がかかる。
そこで結果を出せば、またその次のライブに呼んでもらえる。
一つ一つの仕事を着実にこなすうちに、先輩ミュージシャン経由で、
他の人たちにも紹介してもらえて、やがて、
先輩のバンドのサポートメンバーに加えてもらったり、
バンドが募るオーディションに応募して正式なメンバーになったりして、
音楽業界のトップの演奏家だけで構成される一流の世界に引き入れてもらえる。
そこまできたら、最初の頃に比べたらかなり楽になっているはずだ。
自分の演奏に「信用」が出来たからである。
演奏を頼む先輩ミュージシャンたちも、自分の仕事案件を失敗させるわけにはいかないから、過去に一緒に演奏して実力が判明している若手に声をかける。
こうして、音楽業界の頂点に在る、超一流のミュージシャンたちだけで構成される本物の音楽家の世界に、自分の場所を持つことができるようになる。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
今回の記事は以上です。
以下は、前回までの記事の内容です👇
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
「フランツ・リストのリサイタルは即興演奏がふんだんに含まれていた」という内容をどこかで読んだ記憶があったので、
手っ取り早くWikipediaを見たら、👇
こんなことが書かれていた👇
A renowned child prodigy, Franz began to improvise at the piano from before the age of five, and his father diligently encouraged his progress.[7]
👆いわゆる神童ですね。フランツ少年は5歳のときに既にピアノで即興演奏していたんだね。 大作曲家や著名ミュージシャンに共通するエピソードだね。
Liszt coined the terms "transcription" and "paraphrase", and would perform arrangements of his contemporaries' music to popularise it.
👆「トランスクリプション(採譜)」という言葉を最初に使ったのはリストだったんだね! へー!
Like Czerny, Salieri was highly impressed by Liszt's improvisation and sight-reading abilities.[15]
👆ツェルニーやサリエリは、リストのインプロ(即興演奏)と初見演奏に舌を巻いたんだね! リストのインプロ聴いてみたかったなー!
👆これらから、
リストは、子どもの頃から非常に優れたインプロヴァイザー(即興演奏家)だった。
インプロ(即興演奏)できる子どもが、音楽文法と作曲テクニックをガチに学ぶと、プロの作曲家になる。
現代でも、プロの作曲家は演奏活動もするよね。
演奏家が作曲活動もする。
リストはヴァーチュオソ(演奏の名人)だった。
👆つまり、
クラシック音楽では、
作曲家=即興演奏家=演奏家
の3拍子揃っているのが、プロの音楽家だ。
👆3拍子揃っていないと?
アマチュアということですね。
👆一体いつから、
即興演奏も作曲もロクにできないアマチュアが、
プロ気取りで演奏したり教えたりするようになったのだろう?
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
と書いたんですが、
こう書くと、
「フランツ・リストは特別なのです!」
という声が聞こえてきそうですが、
そう言う人たちは、そう言うことによって、
「私はピアノ素人でーす!」
って言っていることになるのを、私は知ってるよ。
実は、
ベートーベンとかショパンとかリストとか、
今はもう歴史に埋もれてしまった無名の作曲家たちも含めて、
西洋クラシック音楽の作曲家たちは、全員もれなく、
プロの音楽家になるためのインプロ(即興演奏)特訓を受けていたことを、
あなたは知らないね?
私は、
そこらへんの普通の一般大学を出てから
一般企業で働いた、
ごく一般的な音楽素人だけど、
どういうわけか、
あなたよりも知っていることがあるんだなこれが。
21世紀は、世界中の優良な動画コンテンツが見放題だからね!
優良なコンテンツをディグって視続けていると、
素人でも、怠け者の「プロ」よりも物知りになれるのが、
「風の時代」とか「魂の時代」っていうんですか?
令和の時代は、
怠け者の無能なプロや専門家よりもAIに聴いたほうがよっぽどマトモな答えをくれるしね。
というわけで、
私が視ていた動画のひとつに、
「クラシック音楽の作曲家たちは、例外なく即興演奏したのに、
クラシック音楽の即興演奏の伝統は、事実上絶滅してしまった」
という内容の動画が有ったんですよ。
そもそも、
クラシック音楽の作曲家というのは、
もれなく即興演奏家であり編曲家でありソリストでもあり音楽監督でもあった!
オールラウンドなミュージシャンだったそうですよ。
それを示すかのように、
モーツァルトもリストも「神童」と呼ばれた。
なにが「神童」だったのか?というと、
子どもでありながら、ちゃんとした曲を作曲したり、即興演奏をした。
という点が「神童」と呼ばれた理由だったわけでしょ。
👆と、ここまでは、
フランツ・リスト君は、現代でいったら、ヤマハがやっている子ども作曲コンクールの最優秀賞レベルの子っていう感じだよね。
ところが、子どもから、現代の中高大学生ぐらいの間に、
リスト君は、当時の音楽業界のメジャーな作曲家から、
大人の作曲、つまりプロの作曲手法を教えてもらって、音楽業界にデビューしていった。
さっき引用した:
Like Czerny, Salieri was highly impressed by Liszt's improvisation(以下略)
から想像できるのは、
ツェルニーも、サリエリも、リストの即興演奏に舌を巻いただけではなくて、
「こんなにスゴい即興演奏ができるリスト君は、プロの作曲テクニックを仕込めば、将来はすごい作曲家になるぞ!」
ってリスト君の作曲家としての将来性に期待したからでしょ?
だから、Wikiにあったように、
ツェルニーだったっけ?(⇦Wikiで確認して!)は、
「リスト君、授業料は要らないから、タダで作曲を教えよう!」って、無料で教えてあげたんだよ。
それくらい、
「リスト君は、これからの音楽をネクストレベルに押し上げてくれる、大作曲家になる有望株だぞ!」
と、当時のメジャーな作曲家たちが思ったわけだ。
それは、
リスト君の即興演奏能力が、そう思わせたのだ。
どうして、
当時の作曲家(=音楽家)が、即興演奏の能力に注目したか?
というと、当時は、
プロの音楽家になるための訓練を受けると、もれなく即興演奏ができるようになる!
という特訓が、プロの音楽家養成システムに組み込まれていたからだ。
それが、これだ👇
A partimento (from the Italian: partimento, plural partimenti) is a sketch (often a bass line), written out on a single staff, whose main purpose is to be a guide for the improvisation ("realization") of a composition at the keyboard.[1]
と説明にあるように、音楽家の卵たちは、
👇のようなベースラインに基づいて、和声法に則った音楽的な即興演奏をする訓練を受けたんだって。
👇あ、この記事をコッソリ読んでいるピアノの先生や、音楽コンテンツを有料販売するような「プロ」の音楽専門家さん、ちょうど初見演奏に良い教材だから、今すぐここで初見で弾いてみてくださいよー。ベースラインだけだから、皆さんにとっては、二段構えの楽譜の初見より全然かんたんでしょ?👇
とはいっても、
当時、西洋クラシック音楽の作曲家たちが受けたインプロ(improvisation 即興演奏)の訓練は、
現代のインプロとはちがうみたいだね、って当たり前か!
現代のインプロはこんなだもんね👇
これはインプロというよりちゃんと曲があってのアドリブ演奏かな?👇
これはインプロだね👇
これもインプロだね👇
👆これらのような、現代のインプロと、西洋クラシック音楽のインプロは違うけど、
西洋クラシック音楽の大作曲家たちは、
当時のプロミュージシャンの絶対必要条件だった当時のインプロを、
さっきも書いた「partimento」と呼ばれる訓練で仕込まれたんだって。
現代はすごいね!
もうこんな動画主さんが出現しているよ(日本語吹き替え版有り)
人によっては、キートランスポーズ機能のあるケンバンを手元に置いて視ると便利かもね👇
👆あなたの「移動ド」が試されるね。
「partimento」は、その総本山であったイタリアのナポリから、パリの音楽院に移植され、パリからワルシャワに~、、、と、ヨーロッパ各地に移植されていったという。
「ワルシャワの音楽院に移植」ということは、ショパンも「partimento」の訓練を受けたということだね 👇
👆今回「partimento」を知った動画を検索したら、この動画主さんを見つけてしまって、私はこれからこれらの動画を視たいので、
今日の記事はここまでです。
ちなみに、
すっかり忘れ去れていた「partimento」に、現代の日の目をみさせたのは、この人の本だと思います👇
👆円安の折でむちゃ高いー!私は、かなり前に買ったけど、最初の10ページぐらいしか読んでません(自慢することじゃないよ)!
👇この人が著者らしい👇
興味深そうな動画👇
今回の記事は以上です。
関連記事👇
前回の記事の最後の部分です👇
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
今まで貼り付けた動画などを、そのまま貼り付けておきます👇
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
バロック&古典派と、ロマン派の音楽の違いのひとつは👇
これじゃないかなぁ?と私は思うんですけどね…👇
ロマン派の例(その①)👇
ロマン派の例(その②)👇
👆ロマン派に対して、バロック派や古典派の音楽は👇
👆バロック&古典派、そしてロマン派、
どちらもマイナーキーの暗い曲調で、激しい暗さが有るんだけど、
何かが違うと感じませんか?
何が違うんでしょうか?
👆ここですよ!ここ!これが「音」の歴史でしょ!?
ここからは、私みたいなどこの馬の骨とも分からない者よりも、
大人にピアノを教えているピアノの先生方や、大人相手に教材を売っているような専門家?さんたちに、ぜひ答えてもらいましょう!
と書きましたが、
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
👆私の個人的な印象ですが、
どちらも同じような「激しく暗い」音が鳴っているんだけど、
バロック&古典派は「ディミニッシュコード」。つまり、
「マイナー3rd(短3度)」を積み上げた「減3」や「減7」の和音。
これに対して、
ロマン派は「ハーモニックマイナースケール」。つまり、
「増2度」=「♭6 - 7」のインターバルを持つ音階。
の違いではなかろうか?
と勘繰っておりますが、
大人相手にピアノを教えたり、コンテンツを切り売りしておられる、「プロ」の音楽の専門家の皆様は、どう思われますかね?
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷
~ピアノ方丈記~
