私たちを夢中にさせたもの
一匹の野良猫が、止まっていた時間を動かしてくれた。
母が亡くなって三か月ほど経った頃のことです。
季節が少しずつ移り変わっても、私たち家族の時間だけは止まったままでした。
朝は来る。仕事にも行く。ご飯も食べる。
でも、それは「生きている」というより、「今日をなんとか終わらせている」という感覚だったように思います。
姉と私は、父の仕事を支えるため、交代で実家へ帰省していました。
母がいた頃は当たり前だった家の風景が、すっかり変わっていました。
テレビはついていても誰も見ていない。
食卓は静か。
父は仕事から帰ると、ただぼんやり座っている時間が増えました。
食欲もなく、「何か食べよう」という気持ちさえ湧かない様子でした。
悲しみとは、こんなにも人から「動く力」を奪ってしまうものなのだと、その時初めて知りました。
そんなある日、一匹の野良猫が家の駐車場へ現れました。
茶トラの小さな猫。
痩せ細り、毛並みは艶を失い、バサバサ。
体つきがあまりにも小さいので、最初は子猫だと思ったほどです。
窓越しに眺めながら、
「この子、大丈夫かな。」
そんなことを姉と話していました。
すると父が、ぽつりと言いました。
「先は長くないだろうから、腹いっぱい食わせてやれ。」
その言葉を聞いた時、私は少し驚きました。
父はどちらかと言えば、
「餌なんてやるな。」
「一度あげたら毎日来るぞ。」
そんなことを言う人だったからです。
でも、あの時の父は違いました。
きっと、自分自身も悲しみの中にいて、「助けられる命があるなら助けたい」という気持ちが自然に湧いたのかもしれません。
それから、その猫は毎日のように家へ来るようになりました。
ご飯を食べる姿を眺めるだけなのに、不思議と家族の会話が増えていきました。
「今日は食べたね。」
「昨日より元気そう。」
「少し毛艶が良くなったかな。」
ほんの短い会話です。
でも、その小さな会話が、静まり返っていた家の空気を少しずつ変えていきました。
ところが、さらに驚く出来事が起こります。
ある日、その猫が二匹の子猫を連れてきたのです。
「あの子、お母さんだったんだ。」
あんなに小柄だったので、まったく想像していませんでした。
子猫たちはまだ幼く、おぼつかない足取りで母猫の後ろを歩いていました。
一方、お母さん猫の目は鋭く、警戒心でいっぱい。
少し物音がするだけで耳を立て、周囲を確認しています。
子どもたちを守るため、気を張り続けてきたのでしょう。
その姿を見ているだけで、胸が締めつけられました。
そして忘れられない出来事がありました。
ある日、お母さん猫が私をじっと見つめました。
そして歩き始めたのです。
少し進んでは振り返る。
また少し歩いて振り返る。
まるで
「ついてきて。」
そう言っているようでした。
半信半疑のまま後を歩いていく私。
今思い返しても、不思議な時間でした。
まるで映画か童話の中に入り込んでしまったような感覚でした。
しばらく歩くと、お母さん猫が立ち止まりました。
「何だろう?」
辺りを見回した私は思わず息をのみました。
そこには、子猫たちがいたのです。
家に来ていた二匹だけではありません。
側溝から、小さな顔をひょこっと出す三匹の子猫。
さらに少し離れた場所には、父猫と思われる猫もいました。
全部で五匹の子どもたち。
「こんなにいたの?」
思わず声が出ました。
その瞬間、私の中にひとつの思いが浮かびました。
「この子は、私たちを信頼してくれたのかもしれない。」
もちろん、本当の気持ちは猫にしか分かりません。
でも、自分の大切な子どもたちがいる場所へ人間を案内する。
その行動には、何か特別な意味があるように感じたのです。
その一方で、現実も見えていました。
ここは自然豊かな田舎。
でも、自然が豊かということは、それだけ危険も多いということです。
交通事故。
カラスや野生動物。
病気。
暑さや寒さ。
食べ物を見つけられない日もあるでしょう。
そして、お母さん猫は、この先も何度も妊娠・出産を繰り返すかもしれません。
「このまま見守るだけでいいのだろうか。」
家族で何度も話し合いました。
そして地域で活動されているボランティアさんへ相談することにしました。
そこからは、本当にたくさんの方が力を貸してくださいました。

保護、病院への搬送、検査、不妊去勢手術、ワクチン、里親探し…。
私たちだけでは到底できなかったことを、経験豊富な皆さんが一つひとつ丁寧に進めてくださいました。
子猫たちは約二か月の間に必要な検査や処置を終え、それぞれ新しい飼い主さんのもとへ迎えられていきました。

幸せそうな写真が届くたび、家族みんなで笑顔になりました。
お母さん猫には「さくら」という名前をつけました。
父猫とともに不妊手術を受け、耳先を少しカットした「さくら耳」となって、元いた地域へ戻っていきました。
地域猫として生きる道を選んだのです。
最初は一匹の野良猫との出会いでした。
でも、振り返れば、その出会いは私たち家族を夢中にさせてくれました。
今日は来ているかな。
子猫は元気かな。
保護はうまくいったかな。
里親さんは決まったかな。
悲しみしかなかった毎日に、小さな楽しみや、小さな希望が生まれていました。
人は、何かに夢中になれると、少しだけ前を向けるのかもしれません。
そして、私はあの時間を振り返るたびに思うことがあります。
猫たちは、マインドフルネスの先生だったのではないか、と。
動物は、昨日を悔やみ続けることも、何年も先の不安を抱え込むこともありません。
お腹が空いたら食べる。
眠くなったら眠る。
危険を感じたら逃げる。
安心できたら身体を伸ばして眠る。
「今、この瞬間」を全力で生きています。
一方で私たち人間は、頭の中で過去と未来を何度も行き来します。
「あの時、ああしていれば。」
「もし、これから悪いことが起きたら。」
そんな思考に心を奪われてしまうことがあります。
だからこそ、猫を眺めている時間は自然と呼吸がゆっくりになり、「今」に戻ることができるのでしょう。
母を亡くした悲しみが消えたわけではありません。
今でも思い出して涙が出る日があります。
でも、悲しみだけだったあの時間に、一匹の猫が新しい風を運んできてくれました。
そして、人と人とのつながりも運んできてくれました。
命を守るために動いてくださったボランティアの皆さん。
新しい家族として子猫たちを迎えてくださった里親さん。
たくさんの優しさに触れることができました。
我が家には今も猫がいます。
私は「猫師匠」と呼んでいます。
のんびり眠り、ご飯を食べ、窓の外を眺め、気持ちよさそうに伸びをする姿を見ていると、
「今日という日は、一度しかないよ。」
「今を大切に生きよう。」
そう静かに教えてくれているような気がします。
母が旅立ったあとの深い悲しみの中で出会った、さくら親子。
あの出会いは偶然だったのかもしれません。
それでも私には、止まってしまった私たち家族の時間を、もう一度ゆっくり動かすために訪れてくれた、小さな命からの贈り物だったように思えてなりません。
今日も、あの頃を思い出すたびに心が少し温かくなります。
そして、命は支え合いながら生きていることを、あらためて教えてくれたさくら親子に、心から「ありがとう」と伝えたいです。

今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました🙂↕️😊🤲🐾☀️
それから、
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