見出し画像

母を想う春の日に

この時期になると、胸の奥が少しだけ、チクっとすることがあります。

母の状態が悪化して入院した頃を思い出すからです。

癌と闘っていた母は、4月28日に旅立ちました。
あの春のことは、今でもはっきり覚えています。

「元気になったら、三春の桜を見に行こうね」

そう約束していました。

大きくて、美しくて、長い時間を生きてきた桜を、一緒に見に行きたかった。
その約束は、私の中でずっとやさしく光っています。

出血を止めるための放射線治療を受け、そのあと、ようやく認証された新薬に期待しました。

その薬は、母にとっても、私たち家族にとっても、最後の希望の光のように思えました。

けれど、現実は厳しいものでした。

全身状態や体力の低下もあり、癌の勢いに立ち向かうことは、もう難しくなっていました。

治療の時間は、思っていたより長くは続きませんでした。

苦しまないように。
少しでも穏やかでいられるように。

そう願って、意識を落とす処置、セデーションをお願いしました。

そして数日後、母は病室で静かに旅立ちました。

心臓が止まった、その瞬間のこと、
今でも忘れられません。

時間が経っても、
後悔がゼロになることはありません。

もっとできたことがあったのではないか。
別の言葉をかけられたのではないか。

そんな思いは、今もふと顔を出します。


今、肺がんで在宅療養をされている70歳の方がいます。

その方のやさしい笑顔が、ときどき母と重なります。

今日の訪問で、ご希望を伺うと、

「庭先を歩きたい」
と話してくださいました。

ちょうど関東では桜の開花宣言がありました。

けれど、その方の庭先の桜は、
まだもう少し先のようでした。

そのとき、ぽつりと
「それまで生きられるかな」
とおっしゃいました。

その言葉は、
かつて母が口にした言葉と重なりました。

胸の奥に、
あの頃の記憶が静かによみがえりました。

私は、否定はしませんでした。

ただ、
「この桜の開花宣言をしましょうね。」
とお伝えしました。

未来を言い切ることはできない。

けれど、
今日という日を一緒に見つめることはできる。

咲くかどうかを急がず、
今ここで春を待つことならできる。
そんな思いでした。

春は、出会いと始まりの季節と言われるけれど、
同時に、別れや喪失を思い出す季節でもある。

桜を見上げながら、
会いたい人を思い出すこともある。

胸が少し痛む日があるのも、
きっと自然なことなのだと思います。

母と見たかった桜。
母が見たかった桜。

そして、今、目の前の誰かが見たいと願っている桜。

私はこれからも、過去の後悔を抱えながら、でも今の私にできる寄り添いを大切にしていきたい。

悲しみを知った私だからこそできる看護を、
静かに続けていきたいと思います。

今年もまた、桜の季節がやってきました。

そのたびに母を思い出しながら、
私は誰かのそばで、春を過ごしたいと思います。

今日も最後までお付き合いくださり、
ありがとうございました🙂‍↕️

三春の滝桜

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集