友
今月、久しぶりに「文具さん」とお茶をした。
11:00に集合して17:00まで喋り倒した。
noteで読ませてもらった数々のおもしろエピソードの詳細を、直接ご本人から聞くという贅沢な時間。
文具ファンクラブ会員番号1番としては大満足の1日だった。
noteの皆さんとの交流が始まってからの文具さんは、とてもいきいきしている。
小学生のとき一緒に遊んでいたあの頃と同じ、可愛くて優しい笑顔だった。
そうそう、私はこの笑顔が見たかった!
とても優しい笑顔の人なんです。
でも彼女は優しいだけじゃない。
学生の頃から確固たる自分を持っている。
簡単に揺るがない内面の強さがある。
改めてそれを感じたのがこちらの記事。
彼女は納得のいく答えがみつかるまで妥協しない。
私はというと、鉛筆と箸の「正しい持ち方」について、これがいかに合理的かという説明を受け、そんなにいいならそうしますとあっさり受け入れた派だ。
その後の人生もそう。
不器用ということもあり、最も合理的であることを好み、目指してきた。
そういう話を聞けば、ならばそうしましょう!と、比較的あっさり受け入れることが多かった。
善悪に対する倫理観だけはこだわりやプライドがあるが、それ以外は合理を重視して、ゆらゆらふらふらと流されるように生きている。
そんな人間なので、時々ゆらゆらし過ぎて、自分の本音がわからなくなる。
そんな私と真逆の文具さんは、納得するまでしっかりと自己向き合って、自分らしさを構築してきたようだ。
だからこそ確固たる自分を持っているんだなとしみじみ感じた。
私は突風が吹けばあっという間に飛ばされて、元いた場所を見失いがち。
戻るまでにかなりの時間と労力を費やしたりする。
合理を求めてきたのにとても非合理。
私には文具さんのような粘り強さが足りないなと反省。
彼女から学ぶことがとても多い。
そんな私が今一番思っているのは、彼女にとっていい友人でありたいということ。
先日、文具さんが「ひこひとちゃんに会ってから運がよくなってきたよ」なんて言ってくれた。
嬉しかったし、何よりとにかくホッとした。
というのもここ数年、YouTubeを見てばかりで本から離れ過ぎた代償として、驚くほど言葉がでなくなってしまった。
彼女がコツコツ積み上げてきた豊かな感情と、磨きあげられた思考、そこから生み出されるユニークで哀愁と温かさのある文章に感動したのも束の間。
この感動をうまく伝える語彙力がない!
感想が貧弱!
友人としては役不足だと感じていた。
だからこそ私が勧めたnoteで、記事を書いたりnoterさんとの交流を心から楽しんだりして、「運気が良くなった」と感じてくれていたのなら、一定の役目は果たせたのだと心の底からホッとした。
ただそこで20数年ぶりの再会を終わらせたくはない。
私自身も言葉を取り戻し、彼女にとっていい友人でありたい。
これからも邪気のない、フレッシュで高品質なエクスロラバージン運気を贈り続けたい。
大袈裟に聞こえるかもしれない。
でも本気でそう思っている。
学生時代の暗黒期、私は独りだった。
クラスで独り、ただ机を見つめながら自分の情けなさをくる日もくる日も噛み締めていた。
ある時は、真後ろから私を馬鹿にして笑う声が聞こえてきた。
それでもひたすらにただ机を見つめるしかなかった。
そんな時、私の支えになっていたのは思い出だった。
過去の楽しかった記憶。
その中のひとつに、文具さんと毎日楽しく遊んだ小二の日々も含まれていた。
私にだっていい友達がいたことがあるんだ。
心を許せたいい友達がいたことがあるんだ。
辛いときに何度そんなことを思っただろう。
彼女からしたら普通に遊んでいただけ。
でもそんな、「普通」が救いになった。
彼女への感謝は、あの世にまで持っていくつもりだ。
そんな恩人にとっての、いい友人でありたい。
まずはその思いを言葉にすべく、この記事を書いた。
ゆらゆらふらふら合理を求めて失敗しがちな私だけど、世話になった姐さんへの恩義だけは決して揺るがない、極道ばりの任侠道を歩みがち。
迷惑にもなりかねないので表面上は普通を装っているが、文字にするととても鬱陶しい笑
けれどそれが正直な気持ち。
文具さんに会って、そんなことを思った。
↑以前作ったショート動画、今の心境にピッタリかなと思ったので、もしよかったら見てやってください🐼
文具さん関連の話も貼っておきます。
