「noteと私」——不器用な飼育員の、現在地ドキュメンタリー
LaLaLaさんが運営する「収益ラボ」の共同マガジン企画。
今回のお題である「noteと私」というテーマを前に、キーボードに置いた手がピタッと止まった。
いや、止まっている場合ではないのだけれど。最近の自分を振り返ると、5月のテレビ放送の対応やら、9月の「牛舎シアター」に向けたガントチャート作成やら、さらには簿記3級試験、そして今度はマラソン大会やらで、もう頭の中が常にフル回転状態だった。(というか、完全にキャパオーバーだろ、と自分でも思う。なぜ次から次へとタスクを抱え込んでしまうのか……ドMなのかな?)
でも、だからこそ、このタイミングで「noteと私」について考えるのは、悪くないのかもしれない。思考の整理も兼ねて、ちょっと今の脳内をそのまま実況中継してみようと思う。
私にとって、noteという場所は大きく3つの意味を持っているようだ。
1. 泥臭い目標達成のための「伴走者」
私にとって、noteの役割の1つ目は間違いなく「伴走者」だ。
「ぱぐぱぱん」として絵本を作りたい。命や喪失、動物たちのリアルを伝えたい。そう息巻いてはいるものの、現実は決して甘くない。 日々の業務は「努力」という名の気合で乗り切ろうとしがちだが、私はなるべく「仕組み化」で解決したい人間だ。KPIだKGIだと小難しい顔をして語りながらも、本音を言えば「どうすれば迷わずに済むか」をずっと探している。
noteは、そんな私の泥臭い目標達成のプロセスを、黙って聞いてくれる伴走者だ。(たまに振り返って自分の過去記事を読むと、「うわっ、この時めっちゃ焦ってるな」と赤面するのだけれど、それも含めて良きペースメーカーになっている)
2. 肩書きを下ろす「サードスペース」
そして2つ目。noteは私にとっての「サードスペース(第三の場所)」だ。
職場である牧場では、動物ファーストなイベントづくりに奔走する飼育員として立ち回っている(一応、会社的には管理職代行なんてお堅い肩書きもあるけれど、私の本質はあくまで飼育員だと思っている)。 そして家に帰れば、小2と小5の二人の子どもの親であり、妻と「今年の家計簿改革をどうするか」「あのエアコン、どうするよ」なんて真面目に話し合う夫になる。
役割が、多い。(そしてどれも手を抜けないからタチが悪い!)
そんな中、noteを開く瞬間だけは、すべての肩書きを下ろせる気がするのだ。飼育員でもなく、親でもなく。ただの「少し不器用だけど、何かを形にしようともがいている一人の人間」に戻れる場所。 この「隙」だらけの自分をポンと自己開示できる場所があるのは、精神衛生上、非常にありがたいことだと思う。
3. 他者と交わるドキュメンタリーの舞台
最後に3つ目、「他者の考えに触れる」場所としてのnote。
私は自分の頭の中や、日々の失敗、葛藤を、まるでドキュメンタリーのようにここに書き綴っている。でも、それは決して一人語りで終わるわけじゃない。 noteの海を泳ぐと、他の誰かの「リアルなドキュメンタリー」にぶつかる。自分とは全く違う境遇の人が、同じように何かに悩み、もがき、学び、それでも前に進もうとしている。
そんな他者の思考に触れるたび、「あぁ、自分だけじゃないんだな」と勝手に気づきを得て、勝手に学んでいる。(ほんと、どれだけ他力本願なんだって話だけど、この有機的なつながりが心地いいのだ)
こうして思考のプロセスを垂れ流してみると、私とnoteの関係性がはっきりと見えてきた。
目標に向かって一緒に走ってくれる伴走者であり、 肩の力を抜いて息継ぎができるサードスペースであり、 誰かの人生と交差して学びを得る、ドキュメンタリーの舞台。
うん、悪くない。
よし、とりあえず今日の思考の現在地はこんなところか。 さてと……感傷に浸るのはこれくらいにして、そろそろ牛舎シアターの準備に戻るとしよう。(あ、その前に子どもたちの音読チェックしなきゃ……現実ってやつは、本当に待ってくれない!)
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