ズルさのかたち――昭和、平成、令和
「サツマイモがふかせたから、みんなで食べなさい」
5歳頃ですから1952年頃のことです
私は近所の子のグループと一緒に遊んで居ました
3軒の家から子どもが集まっています
その日は子どもは7人いました
私から見れば小学1年生は大きなお姉さんでした
その子のお母さんが、おやつのサツマイモを
竹製の深みのあるザルに
子どもの小さな手にちょうどいいような
八百屋さんでは流通しないサイズの
小さなサツマイモを、大人の手で2掴み
くらいですから、20個程度くれました
小さいけれど味はいいので動物に与えず
おやつや料理に使います
(天ぷらには出来ない大きさです)
温度は熱くなく子どもが火傷しない
じんわり温かい、ぬくもりがある程度です
そのお姉さんが、仲良しの女の子に
多くサツマイモをわけるので
公平にわけてないと釈然としなかった記憶があります
お掃除は誰かしらサボる
1959年、昭和34年
小学6年。11,12歳です
松葉杖無しで歩けるようになっており
お掃除します
私の村では学期ごとに掃除の班を決め
週替りで
トイレ
下駄箱
自分のクラスと、その前の廊下
渡り廊下
をローテーションします。
村の子は農作業を通じて
誰かがやらないと終わらないし
手を抜くと負担をかけることを知っていますから
もくもくとやる子が多いです
サボる子もいます
例えば、体力が有り余っていて
授業の間の短い休みでも机の間を走るとか
クラスの後ろで飛び跳ねる子は
掃除の時間はどこかへ消え
終わる頃に帰って来ていました
あるいは、お話が好きな女子は
雑巾を持つまではしたのですが
窓際に寄りかかって
話をして掃除の時間をやり過ごします
もくもくと掃除をする側だったので
イラッとはしましたが、言うことはせず
掃除を済ませました
サボられると仕事が増えるので
ズルいなあと思いつつ
クールな女子高生の反抗期
1964年、昭和39年のことです。
東京の下町の高校2年生になっていました。
学校でいらいらすることは無かったです
例えば図書委員でサボる子がいても
そういうものと期待していなかったです
乗り換えて通学するので
余力が無かったのかもしれません
私の高校は受験が終わった三年生も
アルバイトは禁止だったので
まだお金は稼げません
働くところも思い浮かばないです
そんな中で、裕福ではないのに
父が故郷の慣習を大事にするので
倹約して仕送りするものですから
父の古さに苛立った記憶はあります
(父は見栄を張っているのではなく、
故郷は現金収入を得にくいので
出来る者がするという信念でした)
仕送りしないで、おかず増やしてもいいじゃないと
駅前商店街のサツマイモの天ぷらもコロッケも
美味しいですし
「俺は4年遅れてるから時間が無い」
1970年代半ば、新婚時代です
共稼ぎだから家事は分担すると言ったのに
する素振りが無いのはどういうことですかと
三ヶ月話したのですが
研究時間が欲しいと別の話題を持ち出します
ただ社会にでて、夜間大学を経て研究者になっているので
そう言われると手伝わないといけない気持ちになるので
ずるいなあと思いつつ
家事と仕事を頑張ったところ
腎盂腎炎で40度近い熱を出し
近所の開業医の60代くらいの
ベテランの女性医師に
「繰り返すから、きちんとなおしましょう」と
教えて頂きました
幸い腎盂炎はきれいに治りましたが
仕事は退職することになりました
仕事を教えてくれた上司が
次の職員を雇うまで穴埋めして下さり
体のことも心配して頂きました
職場には恵まれました
イオンでパートしてるし
夫の死後、1990年代に子育てをすると
PTAや町内会で役員の押し付け合いも起きます
家庭の事情で断った方がイオンでパートなさってるので
パートに出たいのは他の方もそうだからズルい
とは思いました
小さなことですが、町内会の役員、雪かきをするしない(私はします)
町内会の掃除に来ない、なぜか町内会の会計をじゃんけんする羽目になるなど
幾つも同時に起きるので、慣れるまで大変でした
小学校のお掃除をするしないと似ていますね
引退し療養している2025年
帯状疱疹後神経痛をまだ治しているので
社会との接点は若い頃より少ないです
負っている責任が変化しましたから
意識を向けることも変わり
人生経験から感じ方も変わりました
いまなら、ちゃっかりしてるなど
他の見方になると思いますが、その時々の私にはそう見えました
おしらせ

