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◆読書日記.《加藤節『ジョン・ロック――神と人間との間』》

<2023年4月1日>

<概要>
自由で平等な市民社会の原理を探究し、民主主義の基礎を築いたジョン・ロック。啓蒙の時代を準備した「光」の思想家の背景には、「神なしではすますことのできない」宗教性と、「影」を色濃く帯びた思想的挫折があった。自由、信仰、寛容、知性……資料と歴史を読み解き、人間にとっての基本的価値を根底から見つめなおす。

本書・袖の内容紹介より引用

<編著者略歴>
加藤 節(かとう たかし、1944年〈昭和19年〉5月24日 - )は、日本の政治学者。成蹊大学名誉教授・法学部特任教授。専門は、政治哲学、西欧政治思想史。ジョン・ロック研究者として知られるのみならず、近年では南原繁や丸山眞男に代表される戦後日本における批判的知識人の思想史的系譜に関する研究でも有名。また、安倍晋三の恩師としても知られている。 

Wikipedia「加藤節」より引用

<本書の概要> 

加藤節『ジョン・ロック――神と人間との間』読了。

加藤節『ジョン・ロック――神と人間との間』岩波新書版

 前回の記事でも書いたように、今回もぼく個人の「民主主義思想の古典を読む」という今年の課題の一環として読んだ。前回はホッブズを取り上げたが、今回はジョン・ロックである。

 ロックと言えば『統治二論』で有名な「イギリス経験論の父」と呼ばれる哲学者である。
 政治思想史的には、ロックの主著の一つ『統治二論(別名『市民政府論』『市民政府二論』)』等)にまとめられている思想は、はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言の中に込められた政治原理の核心となり、そのためアメリカ独立戦争、フランス革命にも影響を与えた思想家と捉えられている。

 本書はそのジョン・ロックの思想を解説したものだが、「分かりやすい入門書」として書かれたものとは少々、趣が違っている。

 まず著者は、日本のロック研究の問題点を指摘する。
 日本のロック思想研究は、1949年の丸山眞男『ジョン・ロックと近代政治原理』という論考によって示された考え方の影響から、「丸山以降、ロックの政治思想を社会契約説、立憲主義、自由主義、「市民政治」論といった観点から分析するものが主流になったが、それらは、あきらかに丸山の問題核心を引きつぐ意味を持つものであった(本書P.213)」という。
 これによって日本のロック研究は「近代」的な国家形成の考え方という点が強調され、ロックの「宗教性」という側面が見逃されがちであったという。

 ロックは特に18世紀イギリスで多大な影響を与えた思想家でもあったために余計、作られたイメージ――啓蒙主義、自由主義、合理主義、社会契約説など――で語られる事が多かったようである。

 本書で語られるのは、そういった表面的なロックのイメージではなく、新資料を当たってロックの「実像」に迫り、今までの伝統的なロック像ではない新たなロック像を示す所にも目的があった。
 そういった問題を解き明かす必要があるので、「単なる分かりやすい入門書」と本書は明確に違っている。

 まず、ロックの思想というものは『統治二論』などの政治思想が中心と言うわけではなく、もっとその範囲は広い。
『人間知識論』のように人間の認識能力や知性の対象となる限界を考える認識論があり、『キリスト教の合理性』や『パウロ書簡注釈』などのキリスト教神学を扱ったものもある。その思想はときに挫折を余儀なくされ、またたびたび転向もあった。
 本書ではそういった多面的な部分を持ったロック思想を整理していくという目的も持っている。

 このように「これまでの伝統的なロック観の修正」という意味も込められたロック思想解説本であるからこそ、本書ではジョン・ロックの「宗教性」が強調される。
 それまでのロックの「神なしにすませられる合理性の思想家」としてのイメージというものを覆し、その多面性、複雑さを示し、一般的なイメージとは違って問題もあったロック思想の負の面も含めて解説する――という所で、どうしても「分かりやすい入門」という内容にはならない。
 あるいは、本書を読むには事前に他の「伝統的なロック観」に従ったライトな入門書にあたっておくか、もしくはロックの著作を読んだ後に見るのも良かったかもしれない。
 ……という感じで、少々初学者にはハードルの高い部分もある内容なので、本書を読む人は事前にその点、腹をくくっておくべきであろう。

<ロックの生きた17世紀イギリスの状況について>

 本書ではロックの思想についてその極めて強い「宗教性」という部分に焦点を当てているのだが、ぼくのようにキリスト教に関する知識が少ない人間からしてみると、そのロックの宗教的な考え方を飲み込むのにけっこう苦労してしまう。

 斯様に、本書の内容を十全に理解しようとすると、けっこう事前知識が必要となってくる事は承知しておいてよいだろう。

 例えば、前回の記事でホッブズを紹介した際、ぼくは「ホッブズの政治思想については当時のイギリスやヨーロッパの時代背景や政治的背景などが分かっていないと理解しにくい部分がある」と言ったが、それはそのままロックにも当て嵌まる。
 本書を読む場合でも、この時期のイギリスの状況が頭に入っていないと理解しにくい部分も出てくるだろう。

 時代的には、ロックは1632年生で、ホッブズとは44歳差の同時代である。同じ17世紀を生きた同時代人ではあっても、この時代の微妙な差は大きかったようだ。

 ホッブズは16世紀末に生まれ、イギリスの「ピューリタン革命」の渦中にあって主著『リヴァイアサン』を著し(齢60を越した頃であった)、その後の名誉革命を体験する前に亡くなった。

 それに対してロックは「ピューリタン革命」の頃はウエストミンスター・スクールで学んでいた青春時代であった。彼が『統治二論』を書いたのは、「ドーヴァーの密約」問題で政治が揺らいでいた頃、反国王闘争を始めた雇用主のシャフツベリ伯爵を擁護するという意図があった(ロック四十代後半の頃であった)。
 そしてロックは18世紀初頭の1704年に亡くなるが、その思想は18世紀に大きな影響を与え、丸山眞男をして「17世紀に身を置きながら18世紀を支配した」と言わしめた思想家となるのである。

 要は、ロックやホッブズの生きた17世紀イギリスは、大きな政変が何度も発生した政治的激動の時代であり、彼らの主著が書かれた動機は、これら政変に密接にかかわっているのである。
 だから、ロックやホッブズの思想を理解する場合、歴史上の状況を無視しては考えられないのだ。

 と言う事でいったんここで、ホッブズとロックに関わる17世紀イングランドの政治上の主な出来事を年表にして整理してみよう。

<17世紀イングランドの政変年表>
・1642~49年:ピューリタン革命(清教徒革命)
・1649年:チャールズ1世処刑。イングランド共和国成立(イギリス初の共和制)
・1653年:クロムウェル護国卿(英国の最高統治権を得る)となり独裁体制が始まる。
・1660年:イングランド王政復古チャールズ2世が国王に即位
・1670年:ドーヴァーの密約・英国王と仏王国との間に密約
・1673年:ドーヴァーの密約が発覚し、シャフツベリが反国王闘争を開始
・1688年:名誉革命ジェームズ2世を王位から追放
・1689年:名誉革命ウィリアム3世が国王に即位

 ホッブズの『リヴァイアサン』は、ピューリタン革命の時代のイングランドの政情を抜きにしては考えられない。
 その当時の英国国内の政治的な対立勢力は、主に三つの対立軸に分けられると言って良いだろう。

・国権を巡る対立軸……王党派、議会派(その他、長老派、独立派、平等派など)
・宗教的な対立軸……国教会信徒、ピューリタン
・階級別の対立軸……貴族層、ジェントリ層、ヨーマン層、一般市民層、ディッガーズ

 このように、当時のイギリスは様々な派閥が入り乱れて対立している状態であり、ホッブズはこのような複数の権力の入り混じった政変を仲裁する意図で、不偏不党の立場から立憲君主制のイギリス政体のオルタナティブとしての社会契約論を説いた『リヴァイアサン』を著したのである。

 ホッブズのスタンスは「どの権力にも肩入れしない」という不偏不党の考え方が強かったのだが、それに対してジョン・ロックは明確に自分の雇い主であったシャフツベリ伯の肩入れをし、非常に「党派的」な活動を行ったという印象が強い。

 実際、ロックは反国王運動の綱領を記したパンフ『田舎の友人に対するある高貴な人士の手紙』を書き、シャフツベリの闘争に具体的な行動を以て加担している。彼の『統治二論』も反国王派の立場から、王党派のバイブルであったロバート・フィルマー『パトリアーカ(家父長論)』を真正面から批判する内容であったのである。

 王政復古~名誉革命に挟まれた時期の事件「ドーヴァーの密約」とは、当時のイングランド国王チャールズ2世による「イングランドのカトリック化」の企みでもあった。

 チャールズ2世は議会に通さず、フランスのルイ14世と密約を行った。それはフランスからの資金提供の見返りに対オランダ戦争にてイギリスがフランス側につく、というものであった。
 この密約には英国王のカトリックへの改宗という約束も含まれており、それが反カトリックおよび反国王の機運を呼ぶ事となる。この流れが最終的にチャールズ2世の追放と「名誉革命」という結果に行きつく事となるのである。

 ロックの『統治二論』の執筆背景にはこのような「ドーヴァーの密約」という歴史的な事件があったが、『統治二論』が実際に出版されたのは「名誉革命」よりも後の1690年の事になる。
 これは『統治二論』が明確にチャールズ2世の王権を擁護する『パトリアーカ』を攻撃する内容の「危険な」内容であったからなのだが、ウィリアム3世が国王に即位した後にまで、「抵抗権(革命を起こす権利)」を説いたこの本を匿名にしてまで出す意図は奈辺にあったのか? その所を著者は「端的にいって、それは次の点にあった。イングランドをとりまく国際情勢のなかで、当時プロテスタントの盟主と目されていたウイリアム治下の「祖国」をカトリックの最強国フランスへの「隷属」から防衛しようとするナショナリスティックな意図にほかならない(P.80-81)」と指摘している。

 このように『リヴァイアサン』も『統治二論』も「17世紀イギリス」という歴史的状況抜きには考えられない内容なのである。
 が、にも関わらずこの2著の評価が確立するのは、両者が亡くなった後の18世紀を待たねばならなかった。
『リヴァイアサン』『統治二論』が近代国家論、民主主義論の古典として読まれるようになったのは、この18世紀の時代に再評価が行われたからであり、それらの考え方がフランス革命やアメリカ独立戦争の理論的支えともなったのである。

「古典」というのは、このようにしばしば著者の意図とは離れた場所で評価されるものである。

<ロックの政治思想とその宗教性について/政教分離のロジック>

 ホッブズとロックの思想は、ほとんど真逆とも捉えられるスタンスをとっているにも関わらず、その行きつく先が同じ「社会契約論」であったという事実は面白い。

 ホッブズはあくまで人間個人を政治的基本単位として「唯物論」的発想を基に社会契約論の結論に至った。

 それが「国民」であっても「キリスト教徒」であっても「家族(血族)」であっても、「集団」を基本単位としてしまうと、何かしらの権力に従属した考え方になってしまう。「集団」そのものが、個人からしてみれば、ある意味何らかの「権力」そのものに他ならないのだ。

 だから、政治的にも、宗教的にも、どの権力にも肩入れせず、平等な観点から政治思想をスタートさせようと考えた場合、ホッブズのような「人間個人」を最小単位とせざるを得ないのだろう。

 それに対し、ロックは徹底的に「宗教」を発想の基盤としているのが、両者の好対照な所だと思える。

 ホッブズは不偏不党のスタンスであったのに対して、ロックはどちらかと言えば党派優先主義的。また、ホッブズが唯物論的なスタンスであるのに対して、ロックは非常に宗教的なのである。

 ロックがホッブズと同じく、政治の最小単位を「人間個人」としたのは、ロックに「宗教的個人主義」的な考え方があったからである。

 著者によれば17世紀の時代、信仰の真実性はどこで保証されるかと言う「信仰の分析」問題が議論されていたそうだが、カトリックはそれを教会の権威に求めた「権威原理」があり、それに対してプロテスタントはそれを知性による各人の吟味に求めた「検討原理」があったという。

 要は「教会の権威に従うべきだ論」と「各人がその知性によって検討すべきだ論」との違いである。
 そして、プロテスタント国家であるイギリスのジョン・ロックは後者のスタンスに立っていたからこそ「宗教的個人主義」的な発想を持ち、それがホッブズと似たような結論へとロックの理論を導いたと言えるだろう。

 ロックは学生時代に経験したピューリタン革命で、戦争に明け暮れる人々を「戦争と流血の妖精」に憑りつかれた人間だと評し、神の被造物である「理性を持った生き物である人間」としての特徴を喪失した「狂気の世界」を作り出していると嫌悪感をつのらせていたという。
 その経験があるのだろう、ロックはそういった「政治的なもの」が、彼の聖域である「宗教的なもの」へ侵入してくる悪しきものだという意識があったようなのである。(ホッブズもロックも、その「平等」観はピューリタン革命の時代に起こった国内紛争の様相に対する嫌悪から発しているという共通点があったようだ)

 このようなロックのスタンスが、人間固有の「非政治的領域」である宗教的な領域を守るための「政教分離」の思想へと繋がり、また「政治に対する人間の優位」という考えが生まれる事となる。

 政治に対する人間の優位
 政治思想家としてのロックには、人間と政治との関係に関する一貫した態度がみとめられる。それは、政治に対する人間の優位を常に確認しようとする姿勢であった。その起点は、ロックが、「生命、健康、自由、資産」からなる「プロパティ」を人間の非政治的な「固有権」として聖域化したことにあった。これは、ロックにとって、人間に固有の「プロパティ」が政治をふくむ人間の営みのなかでは何ものにも優越する価値であることを意味していたからである。
 ここから、ロックの政治思想は、政治に対する人間の優位を確立する方向へと一直線に進んでいった。まず、それは、「プロパティ」の保全を目的とする正当な政治的統治を人間が作為すべきものとした点にあらわれた。次いで、ロックが、信託された目的を逸脱して「暴政」化した権力に対する抵抗権を、さらには、「プロパティ」の保全をはたす政治的統治を新たに樹立する革命権を容認したことも、政治に対する人間の優位の宣言であった。

本書P.194より引用

 政治の成立条件
(略)
 ロックにおいて、人間の優位の下に営まれるべき政治とは、次のようなものであった。合意によって政治社会を形成した人間間に生じる「固有権」をめぐる紛争を、統治権力を背景とする法によって解決して、各人の「固有権」が保証される平和的な共存状態を不断に作りだす作用がそれである。その場合、契約論者ロックにとって、紛争を解決するための法も、それを強制する統治権力も、政治社会の構成員の同意によって作りだされるべきものであったことはいうまでもない。
 他方、ロックは、そうした政治が終焉する事態も想定していた。ロックにおいて、統治権力が、「固有権」を保全すべき「人民」からの「信託」を破って「暴政」化した場合、そこで、法が支配する政治状態は終わり、武力による抵抗から革命へと至る戦争状態が始まるとされていたからである。ロックが、「法が終わるところ、暴政が始まる」とした理由もそこにあった。

本書P.196より引用

『統治二論』の「万人は平等であり独立である」という考え方は、ある意味カトリック的な教会権力や世俗権力、政治的権力が、各人の生活世界にまで深く影響を与えるという体制を否定するものであった。

 人間は一人一人が平等で独立した権利を持っており、それは教会や政治権力などに侵されていいものではない、というわけである。

 何人もその独立性を侵害され、本人の同意なしに他の権力に隷属を強いられる事があってはならない。――そういった権力者からの権利侵害(暴政)に対しては、人民はそれら統治権力への服従の義務から逃れ、彼らに対して自らを守る権利がある。
 ロックはこのようにして権力に対する「抵抗権」「革命権」の理論的基礎づけを行うのである。

 ロックは人間を「理性的被造物」として見た。
 人間はその各人がそれぞれ神から与えられた義務をはたすために、何がその個人に与えられた義務であるのかを自ら問い、認識するために人間に理性を与えられた。人間は自由でなければ、その神から与えられた義務を"自ら"はたす事ができない。
 故に人間は「自由」が各個人に保証されなければならないし、その義務をはたすために各人の「生命、健康、資産=固有権」が保証されなければならない。このため、ロックの政治思想もその最小単位を「人間個人」にして、その固有権を保全すべきだという考え方に至るのである。

 このようにロックはあくまで人間を「宗教的」に分析した。ロックの思想は近代国家論や民主主義論に大きな影響を与えたものの、その思想は彼の「宗教性」とは切っても切れない関係にあったのだ。

<ロックの「理性と信仰とは互いに矛盾しない」という考え方と『人間知性論』について>

 西洋哲学は古くから「世の中で確実なものとは何か?何を以てして疑い得ない真理と言えるのか?」という難問を抱えていた。
 人間の認識は真理に、物事の真実にどれくらいまで近づいているのか。そして、それを認識する能力は人間に備わっているのか?

 ロックにとって「疑い得ない確実なもの」は、二つ存在した。それが「神からの啓示」と「理性」であった。

 ロックは「神の啓示したことはたしかに真理だし、疑いの余地はない(P.171)」と言っているそうである。

 では、その「神の啓示」は本物の「神」からの啓示だったのか否かという事は如何に証明するのか?

それが神の啓示であるか否かは、理性が判断しなければならない(P.171)」という事となる。

 理性の検証を無くして啓示を叫ぶものは「狂信」である。だが、それでは果たして人間が正しく「神からの啓示」を判断する方法はあるのだろうか?――そもそも、神の存在と言うものは「薄明」の内に隠され、その存在は謎のままである。人間に、その存在を認識するすべは果たしてあり得るのだろうか?

 ロックは神に対する全幅の信頼を寄せていながらも、「神の沈黙」との間でジレンマを抱えていたようである。彼はその存在を「確実なもの」とするロジックを打ち立てねばならなかった。

 ロックは『人間知性論』にて人間の認識能力と理性、それによって判断を行う人間理性の限界を探究したのだが、――ぼくからしてみれば、ここでロックの結論は先に出来上がっており、それに辿り着く「式」を作り上げていたように思われる。

 ロックの強固な思想は「理性と信仰とは互いに矛盾しない」であり、このテーゼを成立させるために両者の整合性を取ろうと試行錯誤したのが、ロックの神学論だったとも言えるだろう。
 が、この両者には大きな溝が横たわっており、後にカントが「人間の理性によって神の存在証明は不可能である」と結論付けたように、ロジックで神や信仰を基礎づけるのは古からの困難事であったのだ。

 ちなみに「理性と信仰とは互いに矛盾しない」――というロックのテーゼを、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、事実上否定している所は注目すべき点だろう。
 ウィトゲンシュタインにとって「信仰」のような形而上学的なものは論理化も言語化もできない……故に両者にとって「矛盾」も何もなく、それ(神の存在)は沈黙のうちに受け入れるべきものなのだ、というわけである。

 論理は人間が形而下の世界を計る物理的な尺度にはなるが、「神」は論理で計る事の出来る次元を超越した存在である。故に、言語化などできず、論理で導き出す事などできない。そのため、古から試みられてきた「神の存在証明」という哲学的問題は、その問題設定の時点からして誤謬なのだ……それが『論理哲学論考』のテーゼであった。

<まとめ/次回の予定>

 本書の内容は、このように今まであまり語られてこなかったロックの「宗教的性格」を浮き彫りにし、彼の政治思想だけではない広範な思想とその転変を説明するというものであった。(本書の副タイトルを「神と人間との間」にしている事からも、本書が特にロックの宗教面にスポットを当てていると言う事が分かるだろう)

 が、これはあくまで本書が「日本の伝統的なロック観」の修正を試みる意図があったからであり、ロックが18世紀以後の政治思想に多大な影響を与えた『統治二論』に、その考え方がどれほど出ているかは直接本に当たるしかあるまい。

……と言う事で、当初は岩波文庫で出版され、一般に知られている『市民政府論』のほうを読もうと思っていたのだが、2010年に出版された『完訳・統治二論』がつい先日、偶然手に入ったので、次回はこちらを読んで、実際のロックの思想過程を追ってみようと考えている。

左:ロック『市民政府論』、右:ロック『統治二論』
※どちらも同じ本だが『市民政府論』は、『統治二論』の後半部分のみを訳出したもの。前半部分の論文「統治について」も含めて、当時出版された2論文そろった形式で訳したものが右の『完訳・統治二論』である。また、右の岩波文庫版『統治二論』のほうの訳者は今回取り上げた『ジョン・ロック――神と人間との間』の著者・加藤節である。

 最近つくづく感じているのは、思想書というものはしばしば誤読されるし、しばしばその歴史的文脈からも切りはなされて読まれるものだ。

 ロックの『統治二論』の意図した所は、自らのパトロンであったシャフツベリ伯の政治的立場を擁護する「政治的な狙い」があった。
 王党派を攻撃し、その権力の根拠を否定するための論陣を張り、更には王権とは違った政体の考え方である「社会契約」を示した。
 統治権力は絶対的なものではない、それが法に反するようであれば、人民は抵抗する権利がある――。

 この「王党派/チャールズ2世派への攻撃」の意図は、18世紀になると「抵抗権」「革命権」という部分がクローズアップされ、アメリカ独立戦争やフランス革命の理論的支柱となるのである。

 ロック思想の「実像」は、本書に書かれているように「党派優先主義的」な側面があり、その発想は非常に「宗教的」であった。
 そして『統治二論』についても、その成立過程や執筆意図は、歴史的文脈から離れては考えられないものであった。

 が、『統治二論』は本書で書かれたロックの「実像」とはまた違った「アメリカ独立戦争時に影響を与えた際の読まれ方」という読み方があっても良いだろう。

 そういう読者の様々な「解釈の幅」を、どこからどこまで許容するのが『統治二論』という本であったのか――そういった情報は、入門書や解説書を読んだだけでは実感する事は出来ない。解説書を読んだ後に、実際の本にあたる意味と言うものはそう言う所にもある。
 アンチョコだけを以てして「その本を読んだ」とするような昨今の「ファスト教養」というものが、文字通り「中身がない」というのは、そういう意味もある。

 ちなみに「ロック思想」ではなく、あくまで加藤節『ジョン・ロック――神と人間との間』を読んでのぼくの感想としては、――ロックやホッブズの昔からそうだったが、古から流れるの文脈によって出来上がった民主主義的な法律や国際法といったものは、基本的に「可哀そうだから、こうしようよ?」とか「こうしてあげるのが優しさじゃないの?」といった「感情論」や「精神論」や「道徳」といった「心の理屈」で成り立っているわけではないのだな、という事をしみじみ実感したという所であろうか。

 様々な教訓や、そういった歴史的事例の反省によって「そうしないと人類は衰退する」という「論理」を積み上げてきたからという理由が大きく関係しているのである。

 哲学者の考え方というものには「歴史」の影響と言うものが無視できない。その中で生きて考える哲学者もまた逃げようもなく「人間」なのである。
 時代によっては、大いなる偏見から自由ではありえないし、ロックのように理性と論理を重んじた思想家であっても、自身の「宗教的確信」には疑念を挟む事はなかった。彼は敬虔なピューリタンの家に生まれ、生涯クリスチャンとして生きた思想家であった。

 そういった時代的制約の中で思考して来た彼らの正しさや過ちを、後の時代の我々が検証できるのは、人間に与えられた「理性」であり「論理」が、彼らの時代と変わらず通用しているからでもある。

 ホッブズとロックのスタンスに大きな差がありながらも、その両者の思想に「政治的最小単位としての人間個人」「その個人の自己保存」「社会契約論」といった多くの共通点が見られるのも、発想の根は違っても、両者がその方法論として「論理」を重んじたという共通点があったからであろう。

 また、徹底的に宗教的であったロックの思想が今もわれわれの検討に耐えうるのも、その方法論が徹底して「論理的」であったからでもあるのだろう。


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