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BUMP OF CHICKEN『Supernova』――僕らの時計は動き続ける|あのころを振り返る #15

2005年、中学一年生の11月。
思春期の僕に「生きていることの実感」と「命にもいつか終わりが来ること」をBUMPが教えてくれた。
青春時代の僕の「核」を作り、大人になった今、新たな意味を受け取っている。

前回、僕の青春と共にあったBUMPとRADについてのnoteを書いた。
改めて、両者の曲から”あのころ”を振り返っていきたいと思う。
まずはBUMPの一曲から。



ラジオから流れてきたSupernova


今から20年前、2005年11月。僕は中学一年生だった。
尊敬していた先輩が部活を引退し、1,2年生の新体制になった頃だった。
仲の良い友人に初めての彼女が出来たのもこの頃で、同性と異性の違いを認識する過程でもあった。

そんなある日、いつものようにラジオを聴いているとBUMPの新曲として『Supernova』が流れた。


熱が出たりすると 気付くんだ 僕には体があるって事
鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より


曲の冒頭、”発熱””鼻がつまる”という誰の身にでも起こる”感冒症状”の話から入る。
「たしかに鼻が詰まって息苦しいってことは、それまで自然に呼吸をしていたってことだ」と額面通りに歌詞を受け取った。
当時の僕にとっては、それだけでも大きな気づきだった。

歳を数えてみると 気付くんだ 些細でも歴史を持っていた事
それとほぼ同時に 解るんだ それにも終わりが来るって事

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より


当時の自分は12歳。
中学生になり、背が伸び、友人に彼女ができたり――それまでの自分とは違うフェーズにいる実感はあった。
それを思うと、短いなりに自分にも”歴史”があるような気がした。

この曲がラジオから流れた後に、『Supernova』の意味について説明があった。
たしか「星の命が終わる前の大爆発」そんな説明だった気がする。
「そんな意味があるんだ」と思いながら、曲のはじまりは鼻水や熱について歌っていたのを思い出していた。

僕らの時計は 止まらないで 動くんだ

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より


曲の冒頭では自分の感冒症状について歌っているのに、終盤にかけて歴史、存在、終わりの話をしている。
導入が身近な話なので、スケールの飛躍もシームレスに感じられた。そのため、自然と当時の僕には響くものがあり、”命の終わり”や”存在”についても思いを巡らせていた。



いつか”終わり”が来るという気づき


延べられた手を拒んだ その時に 
大きな地震が起こるかもしれない

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より


特に僕が響き、今でも大切にしているのはこの部分だ。

この曲がリリースされた前年、新潟県中越地震が発生した。
93年生まれの僕にとって、人生で初めて目にする大地震で東京でもそれなりの揺れがあったのを覚えている。

地震の被害を伝えるニュースで、自分と同い年の小学生が何人か亡くなったのを知った。
その報道に少なからずショックを受ける一方で、どこか現実味を感じられずにいた。

『Supernova』を聞いた時に、「地震はいつ来るかわからない」という当たり前の事実に改めて気づかされた。
その起きた時が、誰かと喧嘩をしたり、悪いことを言って後悔している帰り道かもしれない。

謝りたくても、その次がないのかもしれない。
そんなことを思うと怖くなった。それと同時にとても悲しくなった。
できるだけ別れる時に互いに嫌な思いをせず、傷つけたくないと当時の僕は思った。

地震に限らず、事故や病気でいつ命が終わりを迎えるか分からない。その事実にも気づかされた。

「じゃあね」というその時が最後になるかもしれない。
ならば、その時に嫌な思いを持ち帰らないようにしたい。
そして、できるだけ後悔しない選択をしたい。
そう意識するきっかけにもなった。それは今でも変わらない。

延べられた手を守った その時に
守りたかったのは自分かもしれない

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より

その一方で、その考えは自己防衛だとも言える。
見ようによっては煮え切らず、時に「嫌われたくない」「傷つきたくない」思いが先行してしまう当時の自分自身とも重なる。

大人になり意識せずともバランスが取れるようになってきたと思う。それも含めて僕自身の核ともいえる部分を作ったことには変わらない。


本当の存在は今でもここにいる


この曲は思春期の僕の核ともいえる部分を作った。
それから年齢を重ねて聞き直した時、別の意味で響く部分があった。それは「存在」についての問いだ。

この曲では何度も「存在」という歌詞が登場するが、当時の僕には何も分からなかった。
当たり前に身体も心も存在しているし、それについて疑問を持つこともなかった。

大人になるにつれ、様々な出会いと別れを通して、命がいつか終わる実感を得る。
けれども、終わりを迎えた命、あるいは過去の自分自身の存在は、本当に消えてしまうのだろうか?

君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は いなくなっても ここにいる

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より


僕は今もこうして過去を振り返りながらnoteを書いているが、どこか重なる部分があるような気がした。

記憶をたどりながら確かめるように懐古するが、過去には戻れず、手にすることもできない。
それでも、あの時の友人と過ごした時間、その時の感情はたしかに存在していた事実がある。

それは単なる思い出ではない。
今は会えなくなった人も、あの時の自分も、僕の中に生き続け、今の僕をつくることで存在している。

黒歴史と呼べるような恥ずかしい経験も、言えなかった言葉も、上手くいかなかった恋愛も、無駄ではない。

形を変え、今の僕という人間の血肉となっている。
その経験は「生きた存在」として今もここに息づいているのだと、この歌詞は教えてくれた。


未来へ踏みだせる今を


君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より

大人になり一番響いたのはこの部分だ。
中学生の時の僕は「今」の有難みもなく、目の前のことに精一杯だった。
欲しいと願わなくても、当たり前にあるのが「今」だった。

大人になった今、こうして過去を振り返っているが、決して過去に戻りたいわけではない。
自分、足跡、友人、家族といった「君」の存在を確かめ、未来への一歩を踏み出せる「今」が欲しい。それに尽きる。

そう気づけたのは大人になったからこそだ。
中学生の僕は「命の終わり」に気づき、大人の僕は「今」の意味に気づく。
20年前の自分の核を作った曲が、大人になった今の自分に新たな意味を見出している。


進み続ける僕らの時計


僕らの時計は 止まらないで 動くんだ

BUMP OF CHICKEN/『Supernova』より


時間は前に進み続ける。
20年前のまさに今日。11月23日に『Supernova』は発売された。
そして同じ日にRADWIMPSは『25コ目の染色体』でメジャーデビューを果たした。

今日はRADのデビュー20周年記念日だ。
そんな2組がまさにこのタイミングでの対バン。誰がそんな未来を想像していたのだろうか。
それも、時間が進み続けたからこそ辿り着いた”未来”なのだろう。

時に過去を振り返りながら、その都度の今を積み重ねる。
そんな気付きを与えてくれた「Supernova」とともに、これからも僕の時計は動き続ける。

また20年経った時、50歳を過ぎた自分が新たな意味を発見するかもしれない。そんな未来が楽しみだ。



*2025/11/30 追記

*当時の「ラジオ」の思い出について書いています。

*あのころの名曲とともに当時を振り返っています。
こちらもよろしければどうぞ。


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