BUMP OF CHICKENとRADWIMPS ーーあのころの青春はいまも|あのころを振り返る #14
多くの人の「青春」を彩ったであろう2組が同じステージに立つ。
RADとBUMPが対バンする――このニュースを見た瞬間、思わず声を上げた。そして、友人にニュースをシェアしていた。
30代前半の僕はまぎれもなく「BUMP世代」「RAD世代」だと自認している。
しかしながら、少し世代が上の人、下の人と話していても、同様に「BUMP世代」「RAD世代」だと話しているのを聞くことも少なくない。
その時はすかさず「BUMP世代、RAD世代は僕です!!」と高らかに手を挙げたくなるが、皆がそれぞれ同じことを思っているのだろう。
それだけ長きにわたり幅広い世代の「青春」を彩っていたのだと思うと、両者の偉大さを思い知る。
そんな2組が対バンを行うだなんて、夢のようだ。
正直、公演当日が来るまで信じられない。
僕は足を運ぶことができないが、当日のセトリを想像し、互いの曲をカバーするのかなと妄想を広げている。
BUMP派とRAD派
良い意味で泥臭さもあり、等身大のカリスマ感のあったBUMP。
都会的でおしゃれ、洗練されたかっこよさのあったRAD。
僕個人の受け止め方だが、それぞれ違ったかっこよさがあった。
僕が中高生だった2000年代後半、一部でBUMP派、RAD派というのが存在していたように思う。
同級生の一部だが、実際に「BUMPを聴くからってRADを聴くと思わないで欲しい」「RADの話の流れでBUMPの話になるのが嫌」などと話す一派もいた。
最も過激な方からは「お前みたいなミーハーは聴くな」と辛辣なご意見を頂いた。未だに覚えている。
「いいじゃない、好きなものを聴けば」と今となっては思う。
僕はどちらも好きだったので、割とショックも受け、若干の罪悪感にも苛まれた。
とはいえ、好きなものは好きなので、あえて公言することはせず、こそこそと聴いていた。
『SCHOOL OF LOCK!』で新曲がオンエアされた時の高揚感は忘れられない。
振り返ってみると、同じようにどちらも聴いていた人が大半だったはずだ。
カラオケに行くと誰かしらが必ずRADとBUMPを歌っていたし、それだけ人気があり時代を象徴する2組だった。
BUMPと僕
僕がBUMPに出会ったのは2001~2002年、小学3,4年生のあたりだった。
言わずと知れた名曲『天体観測』をテレビか何かで紹介されて知った。
「天体観測」という漢字四文字のタイトルが印象的だったのを覚えている。
ただ、小学生の僕はまだまだ感受性が乏しく、額面通り「午前2時に集まって”天体観測”に行く曲」としか認識していなかった。
時を経て、中学生になった2005年。
出身小学校の違う友人がBUMPを好きだった。
シングル以外の楽曲や、曲の解釈を教えてもらったりして、聴く機会も格段に増えた。
最初に響いたのは『ダイヤモンド』だ。
何回転んだっていいさ 何回迷ったっていいさ
大事なモンは 幾つも無いさ
転んでばかりいた僕に手を差し伸べてくれているようだった。
自分に足りないものばかりに目を向けていたが、「大切なものは多くはない」という気づきをくれた。
『スノースマイル』はあこがれだった。
冬が寒くって 本当に良かった
君の冷えた左手を
僕の右ポケットに お招きする為の
この上ない程の 理由になるから
雪が降ったら雪遊び一択だった当時の自分にロマンチックな世界観を教えてくれた。
いつか”自分の右ポケットにも誰かの冷えた左手をお招きする”――そんな日を夢にみていた。
ちなみに30才を過ぎた今も”冬が寒くて本当に良かった”と思ったことは一度もない。
ロマンチックなサプライズは起きることなく、寒さに震えたまま20年の時が経過している。
中学時代、男女問わずBUMPは人気があった。
それは僕の地区だけではない。
大学で出会った今でも一緒にライブに行く友人は「『COSMONAUT』を受験勉強の時にラジカセでエンドレスに流していた」と話していた。
ライブやフェスで見かける多くの同世代を見かけると、この人たちの青春や人生の節目にもBUMPがいたのだろうと想いを馳せる。
離れた場所で同じ時代を過ごした、どこか”同志”のような思いでいる。
RADと僕
対してRADとの出会いは鮮明に覚えている。
2006年、中学二年生の時だ。
偶然聴いていたラジオで『セツナレンサ』を聴き、「このかっこいい曲は何だ!!」と衝撃を受けた。
最初は洋楽かと思ったが、日本語の歌詞が聞こえ、更に驚いた。
それまで自分が聴いたことのない新しさがあった。
『RADWIMPS 3~無人島に持っていき忘れた一枚』『RADWIMPS 4~おかずのごはん~』という2枚の名盤がリリースされたのもこの年。
時を同じくして多くの名曲に出会うことが出来たのは幸運だった。
今でも同世代の人と話していると、RADと言えばこの2作を挙げる人も多く、それだけ印象的で人気のあるアルバムだったと言えるだろう。
2008年、高校生になると熱心なRADファンの子と同じクラスになった。
『アルトコロニーの定理』が発売された時には、「早く聴いて欲しい」と早々にCDを貸してくれた。
彼女の恩恵を受けて、僕も早々に新作を聴くことが出来た。やさしさに感謝である。
数日後、僕が拙い感想を伝えると「そうだよね!」「落書きくんの視点はなかった!すごい!」と目を輝かせながら耳を傾けてくれた。
*当時は「サブスク」なんてものはなく、レンタルするにもアルバムの場合は一定の期間が必要だった。
彼女が使っていたメールアドレスにはRADの楽曲が散りばめられ、愛に溢れていた。
CDショップに貼ってある宣伝用のポスターを「欲しい」と店員に伝えたら「無理です」と断られたなんて話も思い出した。
なんてことのない記憶だが、RADが呼び起こしてくれた。
また、男子同士でカラオケで歌っていた時に知ったのが『もしも』だ。
友人の歌う『もしも』が当時の僕にあまりにも響いてしまい、数日後には近所のタワレコへと足を運んだのが懐かしい。
*インディーズ販売の1st,2ndはレンタルされていなかった。
現在もストリーミング解禁には至っていない。
もしも…本当にもしも…君が僕の事を思ってくれてたら
なんて考えてる僕をどうか叱ってやってくれないか
一言一句が自分の気持ちを代弁してくれてるようで、脳天を殴られたような衝撃だったのを覚えている。
時を経て、30才が近くなってきた数年前。
新たに同僚になった同世代の友人も『もしも』の思い出を語っていた。
自分にとって大切な曲が、誰かにとっても大切な曲だと思うと、なんだか込み上げてくるものがあった。
BUMPもRADも、あのころの青春とともにあった。
*公式から音源があがっていないので、よかろうもんのカバー動画をどうぞ。
青春は今も
ざっとBUMPとRADの思い出を振り返ったが、どちらも僕にとってはあのころと今をつなぐ大切な存在だ。
このnoteを読んでくださった方にも、きっとBUMPやRADにまつわる思い出や、大切な曲があるのではないだろうか。
もしよければ、ぜひ教えて欲しい。
今でも音楽シーンの最前線で活動してくれているからこそ「青春」は過去となっても、音楽を通して僕の中に生き続けていると教えてくれる。
BUMPとRADの対バンに行くことは叶わないが、幸運にもRADとYOASOBIの対バンのチケットを取ることが出来た。
YOASOBIのコンポーザーのAyaseさんは同世代。自分と同時期にRADの音楽に触れてきたはずだ。
あのころ聴いていた音楽が、今も僕の中で鳴り続けている。
そして、同じように育った世代が新しい音楽を作り、また次の誰かの「青春」になっていく。
本日リリースされたRADWIMPSのトリビュート盤もそのかたちのひとつだろう。
RAD、そしてBUMPの曲についても次回以降で振り返っていきたいので、引き続きお付き合い頂けると嬉しい限りだ。
*2025/11/23 追記
*2025/11/30 追記
*当時の思い出をあのころの名曲とともに振り返っているので、よろしければこちらもどうぞ。
