お知らせ◉松島朝義の世界展「窯変する沖縄」を開催します
松島朝義さんは、2024年に作陶50周年を迎えた陶芸家。
沖縄県内だけでなく、県外でも高く評価されている大御所ですが、独立独歩の道を歩んできたせいか、孤高の人という印象が強く、とくに後続の世代にとっては、仰ぎ見るような存在でもあります。
民芸酒場おもろでは、この謎に包まれた松島作品の魅力を、次の世代にも繋げたいと考え、作品展を企画しました。
用の美から、無用の美へ
2025年は「民藝」の語が誕生して100年目。これを記念し、民芸酒場おもろは、〈琉球南蛮〉の第一人者、陶芸家・松島朝義の個展を開催します。
松島は1947年、敗戦後の混乱が続く沖縄で生まれました。1966年、アメリカ施政権下の沖縄で実施された、国費・自費沖縄学生制度の下、中央大学法学部に入学。時は政治的騒乱の季節。松島は学生運動に身を投ずるとともに、根源的な沖縄論を精力的に発表。先鋭的な活動家・理論家として勇名を馳せることとなります。
大学卒業後の1974年、那覇市首里に居を構え、作陶を開始。松島は誰の弟子に就くこともなく、独学で土と水、風と炎の技芸を身につけました。古陶に範を仰ぎながら、沖縄の土を捏ね、琉球松を燃しながら、「琉球・沖縄の陶器とは何なのか?」というテーマを、ひとり黙々と掘り下げていったのです。

第2次世界大戦後、沖縄の焼物は、壺屋を中心に、ふたたび新たな歴史を歩み始めます。とりわけ、壺屋3人男と呼ばれた、小橋川永昌(1909-78)、金城次郎(1912-2004)、新垣栄三郎(1921-84)の活躍はめざましいものでした。しかし、松島はそうした流れに敬意を表しつつも、壺屋的なるものからは遠く離れ、独自の路線へと向かいます。
松島の試みを理解するための補助線として、そのとなりに、國吉清尚(1943-99)の格闘、島武己(1943-2024)の葛藤、あるいは、山田真萬(1944-)の思慮を置いてみると、松島もまた、彼ら先達と同時代の空気を呼吸していたことがわかります。國吉も島も山田も壺屋で修行し、伝統を徹底的に身体化した作家ですが、彼らは、伝統を内側から喰い破るようにして、おどろくべき革新を成し遂げました。方向性や方法論は、まったく異なるものの、この3人の大胆な挑戦は、後続の松島を大いに勇気づけたにちがいありません。
時代精神と並走しながら、内省的な探求と実践的な研鑽から生まれた松島の手仕事。それらは、次第に琉球南蛮と呼ばれるようになり、歴史的な深みと地理的な広がりを喚起する、剛毅にして繊細な作風へと結実します。琉球・沖縄の古層から汲み出された色と形。汎アジア的な美的洗練と技術的達成。松島の〈手の思想〉は、ゆるやかに練り上げられていきました。

その一方、ここ10年以上、松島が手すさびとして作りつづけている、不可思議でユーモラスな造形物には、熟達ではなく稚気が、洗練ではなく即興が満ちており、琉球南蛮の雄渾ぶりを知る者たちを、いささか戸惑わせる結果をもたらしました。と同時に、生活雑器でもなければ、装飾品でもなく、むろん、いわゆる芸術作品でもない正体不明の物象は、いっさいの作為が消え失せた〈無為の形〉として、好事家を魅了してもいるのです。
民藝運動の核心を成す〈用の美〉の観念は、100年という長き時間を経たあと、松島朝義の身体をとおして、ついに〈無用の美〉と呼ぶべき存在を生み出しました。わたしたちは、ここに歴史の弁証法を見ないわけにはいきません。
本展では、あまり知られることのなかった陶片子や陶片手などを中心に、松島朝義の世界を2回に分けてご紹介します。民藝の未来に、そして、陶芸の可能性に関心のある方々に、足を運んでいただければ幸いです。

松島朝義
1947年 沖縄生まれ
1973年 沖縄県立首里高等学校を経て、中央大学法学部を卒業
1974年 那覇市首里当蔵で作陶をはじめる(灯油窯)
1978年 同地に登り窯を築く(三連房)
1982年 恩納村名嘉真ヤーシ原に穴窯を築く
1990年 恩納村志嘉座川に窯場を移転。半地上式穴窯を築く。以後、首里当蔵の陶房とともに作陶の拠点となる
2000年 第20回西日本陶芸美術展大賞受賞(西日本新聞社主催)
2003年 日本工芸会正会員。沖縄県教育委員会『沖縄の陶器類関係資料調査報告書』参加
2007年 第41回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞(工芸部門)
I. 無為の形──陶片子と陶片手
会期 2025年11月21日(金)〜12月20日(土)
会場 民芸酒場おもろ(沖縄県那覇市)
II. 手の思想──窯変する沖縄
会期 2026年2月予定
会場 同上

