「がんです」と言われた日
「がんです」と言われたばかりの方が、もしこれを読んでいたら——これは、同じ言葉を聞いた日の、私の記録です。
うまい向き合い方が書いてあるわけではありません。ただ、あの日の私がどうだったかを、そのまま書いておきます。
妻が、背中を押してくれた
もともと、「がん化するかもしれない」と言われていた炎症があって、その状態が10年近く続いていました。
かかりつけのお医者さんはいたのですが、数年来ずっと診てもらっているうちに、いつの間にかルーチン化していたのかもしれません。そのころ、直近で痛みが増していたのですが、そういうことはたまにあったので「いつもの薬を出しておきますね」くらいの感じでした。
私のほうも仕事がとても忙しい時期で通院の間隔は開く一方でしたし、心に余裕もありませんでした。
そんな中、妻が心配して「別のお医者さんにも診てもらったら?」と勧めてくれたんです。
新しいお医者さんは、その炎症を見るなり言いました。「すぐに大きな病院で診てもらってください。紹介しますね。」
思えば、最初に動いてくれたのは私ではなく、妻でした。
「大丈夫でしたよ」を、期待していた
大きな病院で生検を受けました。組織を少し切り取って調べる検査です。
先生の表情から、たぶんがんなのだろうという察しはついていました。だから結果待ちの数日間で、がんと診断されたらそのあと何が起こるのか、どういう流れで進んでいくのか、ひととおり調べておきました。
それでも、結果を聞くまでは心のどこかで期待していたんです。調べたのはあくまでも念のためで、きっと「大丈夫でしたよ。良かったですね」と言われるはずだ、と。
「ステージ1くらいでしょう」
でも、結果はがんでした。
告げてくれた先生は、落ち着いた話し方をする方でした。こちらに寄り添ってくれる感じで、それでいて言うべきことは、しっかり言ってくれる。モニタの画像を見ながら説明を聞きつつ、良い先生に出会えたな、と感謝したのを覚えています。
見立てはこうでした。表層近くでとどまっている可能性が高く、恐らくステージ1くらいでしょう、と。
正直な受け止めは——「まぁ、仕方ないか……」でした。ステージ1なら、命の心配をする必要まではないだろうと思ったんです。
——この「ステージ1くらい」という見立てが、のちに大きく覆ることになります。いまの私は、ステージ4です。でも、それはまだ少し先の話。
その夜、妻に伝えた
じつは妻には、少し前から話していました。そもそも別のお医者さんに行くことを勧めてくれたのは妻ですし、「多分大丈夫だけど、もしかしたら初期のがんかも」くらいのことは事前に伝えてあったのです。
その日は家に帰って、タイミングを見計らって「えっとね……」という感じで伝えました。ステージ1くらいだし、お医者さんからは切れば大丈夫と言われているから心配しないで、と。
妻は取り乱すことなく聞いてくれました。もともとお互いを心から信頼している間柄です。あとから聞いたら、それなりにショックを受けていたようですが、私の様子を見て察するところもあったのだと思います。取り乱さなかったのは、私を困らせないようにか、それともまだピンときていなかったのか。
私自身もピンときていない妙な感覚でしたので、彼女も似たような感じだったのかもしれません。
その夜は、完全に眠れなかったということはありません。でも、ベッドの上で目をつぶると、やっぱりいろいろ考えました。
悲しい、というのとは違って、どうしようかなぁ、という漠然とした不安でした。事実としては受け止めていたけれど、ショックというよりは、まだどこか実感が追いついていなかった。それが正直なところです。
子どもたちと、両親と
子どもたちにはその日には伝えず、私自身も少し落ち着いた次の日に話しました。みんな心配してくれましたが、意識して元気に、大丈夫だから心配無用と、笑顔で伝えたのを覚えています。
一番ためらったのは、父と母に伝えることでした。息子ががんだと知ればそれなりにショックを受けるはずです。
実はそのころ、がんと分かる前から両親との旅行を予約していました。旅行の日程は、入院予定日の直前。キャンセルも、考えられなくはなかった。でも、もしものときに「あの時、一緒に旅行に行っておけばよかった」と後悔しないよう、その旅行だけは一緒に行くことにしました。
行き先は、子どものころから毎年訪れている思い出の地方です。大自然の中をドライブして、静かなコテージに泊まりました。思い出作りという感覚が、あったような、なかったような。おいしい料理を食べて、みんなでゆっくりコーヒーを飲んで、少し前に妻と子どもたちと行った旅行のビデオを一緒に見たりもしました。両親もとても喜んでくれて、いい時間を過ごすことができました。
両親に伝えたのは、旅行の最後です。旅行のあいだ暗い気持ちにさせたくなかったから。伝えるときは、サラッと軽く。本当に軽い手術だから心配しなくていい、とにかく大丈夫、あくまでも念のための処置だから、と。
そのときの両親は、そこまで大事とは捉えていないように見えました。私にそう感じさせないように、気を遣ってくれたのかもしれません。
ビデオレターを撮った日
入院の前に、もうひとつやったことがあります。家族へのビデオレター撮影です。
私のがんは、短期間でどうこうなるものではない、とは言われていました。それでも手術を受けるということは、そのとき何かあればそのまま——という可能性も当然あります。だから、作ることはマストだと思いました。まさかこの年で遺言のようなものを残すことになるとは思いませんでしたが。
家族が家にいない時間を見計らって、iPhoneで動画を撮りました。
話す言葉は自然と出てきました。できるだけ落ち着いた口調で、笑顔で話すように。——撮りながら、いろいろな思いがこみ上げてきたのを覚えています。
撮り終えると、今度は悩みがひとつ生まれました。元気なうちに見つかると、恥ずかしい。どこに隠しておこうか。でも、隠してしまったら、もしもの時に渡せない。
考えた末、動画はスティック型のSSDに収めて、保険会社への連絡先などをプリントアウトした紙と一緒に、自分の部屋の机の上に置きました。そして、妻にはこう伝えました。
「だいたいのことはこの紙に書いてあるよ。SSDの方には細かい内容を収めているから、何かあったときに中を確認してね。」
動画が入っているとは言いませんでした。こう言っておけば、妻はSSDの中身を、紙に書ききれなかった細かい資料だと思うはずです。だから、本当に何かが起こるまでは開けない。隠さずに、でも見られない。机の上が、いちばんの隠し場所になりました。
それから
そうして、入院の日を迎えました。
その先には、手術があり、想像していなかった知らせがあり、いろいろなことがありました。その話は、これから少しずつ書いていきます。
ただ、いまの私自身は、実はあの日からあまり変わっていません。
人生、なるようにしかならない。与えられた寿命の中で、一生懸命生きるしかない。
そう思って、今日も過ごしています。
告知のあと、何を調べ、何を決めたかは、別の記事に書きました。
※この記事から、コメント欄を開けてみました。
同じ時期を通っている方、通った方の言葉が届いたらうれしいです。
ただ、医療のことは書けません(治療の判断は、主治医や専門家にご相談ください)。
そのときの体調次第で返信は遅くなることがありますし、できないこともあります。
それでも、ちゃんと読んでいます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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