家族に遺したいのは、お金だけじゃなかった
― がんになった私が、後悔のない人生のために選んだ働き方
数年前の私は、雪のちらつく中、小さな舟に乗って水揚げをしていました。
今の私は、空調の効いた自宅の机で、AIを相棒にアプリを作り、文章を書き、本業の仕事もこなしています。
……我ながら、ずいぶん遠くまで来たものだと思います。
ハードの技術者をやっています。回路を設計したり、IoTのシステムを作ったり。
もともとは、会社の新しい柱を作ろうと、IoTの開発にまい進していました。センサーで現場のデータを採るシステムのひな形ができて、さて「これを使ってくれる人はいないか」と探していました。そこでたまたま出会ったのが、ある養殖の現場でした。
最初は、そのシステムの導入を手伝うだけのつもりでした。ところが、とある事情から、いつのまにか養殖そのものを手伝うことになっていたんです。まったくの畑違いの世界に、気づけば足を踏み入れていました。
「IT系サラリーマン」とは呼べなかった日々
そうして始まった単身赴任の日々は、とても「IT系サラリーマン」と呼べるものではありませんでした。
朝8時に現場へ入り、状況を確認して、設備をメンテして、水揚げをする。設備は毎日のように何かしら壊れるので、分からないことはその場で調べて直す。船に穴が空けば、炎天下で樹脂を練って船を補修する。夏は陽が昇る前の5時に出て水揚げし、夜中に仕掛け網を仕掛ける日もありました。餌やりは、陽が落ちかけの夕方。体力も気力もすり減らして、すっかり暗くなってからようやくパソコンを開き、メンバーの相談に乗る。我ながら、まあまあ無茶苦茶でしたね(笑)
なぜそんなことをしていたかというと、ただ現場を手伝いたかった、だけではありません。
この業界の一番の悩みは、後継者がいないことでした。しかもそれは「子がやりたがらない」より、「今やっている親が、こんなにしんどいことを子にはさせたくない」という方が大きいらしい。それを聞いて、私のような素人だからこそできる業界の変え方があるはずだ、と思ったんです。
力のない人でも、経験のない若手でも回せるように。水温などの環境データをITで採って、それに合わせた餌やりを考える。広い現場を歩いて回って動かしていたポンプを、IoTで遠隔操作したり、スケジュールで自動運転させたり。
現場に入って、その苦労を本当に知ったからこそ、必要とされるシステムを作れた。これは大きかったと思っています。
「がんです」と言われた日
ただ、その無理がたたったのかもしれません。
もともと小さな炎症があって、ごくまれにがん化することがあると言われ、定期的に検査を受けていました。でも現場が忙しくて、その通院の間隔がだんだん空いてしまっていた。
がんだと告げられた時の正直な気持ちは、「しまったなぁ」でした。
最初は「ステージ1くらいでしょう」と言われ、手術を受けました。ところが、その後にリンパ節への転移がわかり、ステージ4。決して楽な状況ではありません。
それでも、もう終わりだと決まったわけではありません。後悔してももう仕方ない。やれる範囲で自動化は進めていたし、これを機に現場を離れて、単身赴任で失った5年分、これからはできるだけ家族と過ごそう。そう切り替えました。
何を遺せるだろう、と考えた
その時、一番に頭をよぎったのは、家族のことでした。私がいなくなったら、何を遺せるだろう、と。
遺したいものは、二つありました。
一つは、現実的なこと。お金や手続きで、家族が困らないようにすること。きれいごとを抜きにすれば、これは切実です。
でも、それと同じくらい——いや、本当はそれ以上に遺したかったものが、もう一つありました。私がここに生きていた、家族と一緒に時間を過ごした、その「証」のようなもの。それを、どうしても遺しておきたかった。
だから手術の前に、二つの準備をしました。
一つは、事務的なこと。少ないけれどお金や証券を整理し、契約やパスワードも、残された家族がすぐ分かるように記録に残しました。
もう一つが、家族へのビデオレターです。妻に、子どもに、親や兄弟に向けて。これは手続きでも財産でもない。私がここにいたという証を、声と言葉で遺しておきたかった。これは今も、家族には見せていません。いざというときのために、そっとしまってあります。遺書のつもりで撮ったのに、撮りながら気づきました。これは「もしも」のためというより、ちゃんと、生きた証なんだな、と。
ベッドの上で出会ったもの
こう書くと深刻ですが、実は私、絶望はしませんでした。
超がつくほどの前向き思考が、昔から私の取り柄なんです。あきらめる、という発想がそもそもない。できることをやるだけ、という感じ。
入院中は、時間だけは、たっぷりありました。世間で騒がれ始めていた生成AIを、じっくり調べる時間ができたんです。働いているうちは、こういうのはなかなか手が回りませんからね。
YouTubeで眺めていて、「素人でもアプリが作れる」という話に出会いました。忙しく働いていた頃なら、心のどこかで気になっても、立ち止まる余裕はなかったと思います。でもベッドの上で見ていたら、「あれ、これなら私にも作れるかも」と思えた。ハードの技術者で、ソフトは一行も書けない私が、です。
そしてもう一つ、はっきりした考えが浮かびました。
この経験。もしものときの準備や、がんになってから何をすべきか。それを支え、発信することは、誰かの役に立つ「仕事」にならないだろうか、と。自分の経験が、同じ場所にいる誰かの役に立てたら、うれしいじゃないですか。
体力に頼る働き方は、もうできません。でも、頭と経験、そしてこのAIがあれば——まだ、やれることがあるかもしれない。ベッドの上で、私はこれからの働き方を、考えはじめていました。
これから
今は体力が落ちて、在宅中心の生活です。前のように現場を駆け回ることは、できなくなりました。
でも、入院中に思い描いた働き方を、今、少しずつ試しはじめています。頭と経験とAIがあれば、体力に頼らずに価値を出せる。お金を稼ぐことだって、できるかもしれない。そう思えるからです。
同じように、体力は落ちたけれど家族のために何とかしたい人は、きっとたくさんいるはずです。少しでもお金を遺したい。それは切実です。でも、それだけじゃない。自分が生きた証を、家族と過ごした時間を、なんらかの形で遺したい。お金とは別のその思いも、きっとどこかにあるはずです。
私にとっては、こうして書くことが、その両方なのだと思います。経験を誰かの役に立て、いくらかの糧を得る。それが、私の新しい働き方。そして書いて遺すこと自体が、私が生きた証になる。お金だけでは遺せないものを、言葉でなら遺せるかもしれない。
そして、お金や言葉のほかに、もう一つ。
AIで作ったアプリの中に、義母のためのものと、父のためのものがあります。義母の確定申告を少しでも楽にするアプリと、園芸を趣味にしている父のための、家庭菜園アプリ。どちらも、ただ「二人に楽をしてほしい、喜んでほしい」というだけで作ったものでした。
でも最近、ふと思ったんです。私がいなくなったあとも、父が畑でそのアプリを開くたび、義母が確定申告でそれを使うたび——私はそこに、まだ少しだけ居られるんじゃないか、と。二人を助けながら、覚えていてもらえるんじゃないか。作ったときは、そんなことは考えていませんでした。ただ家族を思う気持ちのほうが、先に形になっていた。これも、お金とは違う、私が遺せるものの一つなのだと思います。
それに、正直に言えば——家族のためだけ、ではありません。私自身、まだ「何かをやれる、やり遂げたい」という思いがあるのです。
後悔ゼロの人生なんて、きっとない。多少の悔いは残るのでしょう。それでも最後に、「いろいろあったけど、良い人生だったな」と、納得して締めくくりたい。
だから私は、書いていきます。それが、同じ場所で眠れずにいる誰かの、ささやかな支えになればいい。
最後に。いま、しんどい中にいる方が読んでくださっていたら、私の話をもう少しだけ。
私は、「何かをやりたい」「まだやれる」という気持ちに、ずいぶん助けられています。無理はしない。でも、この気持ちがあるうちは、案外なんとかなる——そう思えるようになりました。
もうひとつ。一人で抱え込むのをやめて、周りに頼ることにしました。
頼るのは申し訳ない、という気持ちも正直ありました。でも、あるとき気づいたのです。もし逆の立場だったら——大切な人が同じ状況で私を頼ってきたら、私は喜んで助けるはずです。だったら、私が頼るのも、きっと同じこと。
世の中、助け合いだと思うのです。
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ただ、医療のことは書けません(治療の判断は、主治医や専門家にご相談ください)。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
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ここまで読んでいただけただけで、十分うれしいです。
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がんと闘いながら次を書くための、元気のもとになります(^-^)