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父と息子、入院中の共通点 ― 父がくれた、「書いた通りに動く」世界

ベッドの上の、親子

がんで入院したとき、私は病室にパソコンを持ち込みませんでした。それまで猛烈に働いてきた反動もあって、今度ばかりは心と体を休めよう、と決めていたのです。持ち込んだのはタブレットが一枚。本を読んで、映画を観て、これまでできなかったことを楽しむ。そのつもりでした。

ところが、です。実は生成AIのことは、入院する前から気になっていました。ただ、忙しくて、調べる時間も触れる時間もない。それがようやく叶ったのが、よりによって病室のベッドの上でした。タブレットで眺めたYouTubeやネットの記事。コードが書けなくても、AIと一緒ならアプリが作れるらしい。気づけば、休むはずのベッドの上で、夢中になって調べていました。

皮肉といえば皮肉ですが、この入院がなければ、この出会いはなかった。前向きに言えば、良い機会に巡り合えたのだと、今は思っています。

退院した私は、AIと一緒に、家族のためのアプリを作り始めます。手を動かすのはAI、決めるのは私。コードは、今も書けないままです。

そんなあるとき、ふと思い出しました。私の父も、ずっと昔、入院したベッドの上で、小さなコンピュータを叩いていたことを。

親子だなぁ、と思いました。

なぜそう思ったのか。それを話すには、私が「技術が好きだ」と気づいた、いちばん最初まで戻らないといけません。

1 ― 書いた通りに動く

小学生の頃、父がMSXを買ってくれました。当時人気のあった、家庭用のコンピュータです。正直に言うと、最初は「ゲーム機」でした。ハイドライドにサーカスチャーリーと、当時としては魅力的なゲームがそろっていたのです。……このあたりで、私の年齢はだいたいバレてしまいますね(笑)。

うちにあったのはSONYのHitBit。「ひ〜とびとの、ヒットビット」というテレビCMで一世を風靡した機種です。キーボード一体型で、家庭のテレビにつないで使う。今思えば、あれは敷居の低い「はじめてのパソコン」でもありました。

プログラミング入門の本を買ってもらって、興味本位で始めたBASIC。父に勧められて、電車で30分ほどの街のパソコン教室にも通うようになりました。簡単な図形が描けるようになり、小さなプログラムが組めるようになり、自分で打ち込んだ命令の通りに、画面の中が動く。書いた通りに動く。それが、たまらなく楽しかったんです。

休日には、父と一緒にゲームを作りました。作ったといっても、本に載っているコードをそのまま打ち込んだだけです。それでも、出来上がったゲームが動くと、父も喜んでくれました。父も、こういうものが大好きだったのです。まぁ、遊ぶのは主に私でしたが(笑)。

当時の記憶媒体はカセットテープでした。プログラムを音に変えて録音して、読み込むときはスピーカーから「ピ〜ガガガガ」と鳴る。あの音は、今でも耳に残っています。

2 ― 本当は、工学に行きたかった人

父は、技術が好きな人でした。メカやオーディオの構造や仕組みを、小さい私によく話してくれました。

ただ、父にはひとつ、諦めたことがありました。本当は大学で工学系に進みたかったのに、それができなかった。色覚異常があったからです。当時、それは工学の道を閉ざす理由になりました。父は法学部へ進み、銀行員になりました。

銀行員の父は、毎日夜遅くまで働いていました。当時は土曜日も勤務日でしたから、日曜日はくたくただったはずです。それなのにその日曜日に、私や妹を海水浴やスケートに連れて行ってくれる。とにかく家族が大好きで、大切にしてくれた人でした。今でも、本当に感謝しています。

3 ― 時代は変わった

私にも、父と同じ色覚異常があります。

でも、私が大学に上がる頃には、時代が変わっていました。父の頃には閉じていた工学への道が、私には開いていた。私は工学部に進み、技術屋になりました。父が選べなかった道を、私は選ぶことができたのです。

といっても、私が進んだのはハードウェアの道でした。回路設計が仕事になり、ソフトウェアは専門にならないまま。子どもの頃のBASICはといえば、何十年も触らないうちに、きれいさっぱり抜け落ちました(^^; 「コードが書けない」と冒頭に書いたのは、そういうわけです。でも、「書いた通りに動く」ものが好きだという気持ちだけは、ハードに移っても変わりませんでした。回路もまた、設計した通りに動く世界なのです。

父がいなかったら、私は技術屋になっていません。今この仕事が楽しいのも、元をたどれば、父のおかげです。

4 ― ベッドの上の符合

父が腰を痛めて入院したのは、私が小学生の頃でした。原因は、授業参観のイベントで行われた綱引き大会。張り切って、こともあろうに隣のクラスの分まで引っ張って、ヘルニアになって数ヶ月の入院です。……張り切りすぎて何かをやらかすのは、どうも親譲りな気がします(-_-;)

その入院生活で、父が楽しんでいたのがポケコン、ポケットコンピュータでした。電卓が少し大きくなったような機械で、表示できるのは小さな窓に映るドット文字だけ。父はプログラミングの本を買い込んで、見様見真似でプログラムを組んでいました。文字でキャラクタを表現して動かし、数字を組み合わせて、ゴルフゲームまで作っていました。

お見舞いに行くたび、新しいゲームができているんです。私はそれを、父のベッドの横で遊んでいました。

それから何十年か経って、今度は私が、がんで入院しました。冒頭に書いたとおり、休むと決めて、パソコンはあえて置いてきたはずでした。それなのに、気づけばタブレットの小さな画面の中に新しい世界を見つけてしまい、退院後には、AIとアプリを作り始めていました。

時代も道具も違います。父はポケコンで作り、私はタブレットでAIに出会った。それでも、似ているんです。制約だらけのベッドの上で、休めばいいのに、結局、コンピュータの世界に夢中になっていた。

この符合に気づいたとき、驚いたというより、なんだか、ほほえましく思えたんです。血は争えない、というやつです。

私も入院して、同じようなことをしていた。そう考えると——親子だなぁ、と思うのです(笑)。

5 ― 続いていくもの

今、父は退職して、畑をやっています。私はその父のために、菜園日誌というアプリを作りました。父は毎日、それを開いてくれています。

父がくれたMSXから始まったものが、巡り巡って、今、私が父に返すものになりました。

父がくれたのは、MSXという機械そのものではなくて、「書いた通りに動く」世界の楽しさと、家族を大切にする姿だったのだと思います。私はそれを、アプリという形で、父に、家族に、返していく。父から始まったものが、私を通って、この先へ続いていく。それは、なかなか悪くない話だと思うのです。


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Oilano|がんとAIと個人開発 ここまで読んでいただけただけで、十分うれしいです。 もしお役に立てたなら、あなたが感じた分だけで構いません。 がんと闘いながら次を書くための、元気のもとになります(^-^)