陽気に記憶が溶けていく|季節はずれな彰化の午後
この話は「3分の2のバーワン確率、及びブヨブヨまみれの衝動」の続きにあたります。あのブヨブヨまみれの昼飯のあと、僕は八卦山を目指すことになりました。
2014/1/3 彰化
山のふもとの歩道のわきには仏像マークの案内板があって、青い地図の真ん中にはちょっと太めの大仏の印がしてあった。坂道の途中の手入れされた花壇のうえに真冬のゆるい太陽が平べったく降り注いで、その草いきれからは生ぬるい初夏の匂いがもわんもわんと浮きあがっていた。なんだかヘンな気分だった。キリキリ尖った真冬の東京から飛んできたら、角が取れたようなヌルヌル陽気の季節になっていたんだからしょうがない。いきなりゴールデンウィークの季節がやってきた。


登り坂の空がひらけたところに旅遊服務中心という案内所があった。「中心」というのは「センター」という意味である、ということにこの頃にようやく気がついた。英語の単語をそのまま漢字に訳しただけ、という単純にそういうことなんだけど、僕にとっては驚くべき発見だった。
ガイドブックを片手に突如あらわれた平日の昼間の珍客に、職員のおばさんは椅子から飛び上がって「日本人?」と訊いてきたから「我是日本人」と答えると、うわあ、と目を大きく見ひらいてとなりで書類の整理をしていたお兄さんの袖を引っ張った。
お兄さんは僕に紙コップ渡して、壁際のウォーターサーバーを指さした。僕は言われるままコップに水を注ぎ、カウンターの椅子に腰を下ろした。それからおばさんは僕に何か伝えようとしてくれていたけど、日本語がうまく出てこないようだった。おばさんは手にしていたスマートフォンに何かを入力して、翻訳された日本語を僕に見せていろいろと質問した。
そしておばさんは日本語が上手くなくてごめんなさいと片言の日本語で言った。台湾にいるのに日本語しかできない僕のほうがよっぽどごめんなさいなんだと言いたかったけれど、それを台湾の言葉でどう言えばいいのか分からなかったから、結局なにも言えなかった。
近くまで来たらまたいつでも遊びにいらっしゃいと言われて、おばさんとお兄さんと別れた。案内所にいる間に、空を覆っていたうすい雲はワタアメのようにちぎれちぎれに散らばって、その後ろには真夏のような青い空がさわやかに広がっていた。

脱いだダウンジャケットを小脇に抱えて階段を昇っていると、どこかで見た顔が降りてくる。しまうま君だった。彼とは昨日まで台湾南投秘境めぐり年越ツアーでいっしょだった日本の友達で、別れたあとにまた台湾で会うということはまったく考えてもみなかったから、僕はびっくりしてしばらく、あーっ!あっ、あう~、となって言葉が出てこなかった。陽気のせいもある。しまうま君はついさっきまで大仏をみていたと言った。



八卦山の大仏は20メートルと少しの高さがあって、近くでみあげるとけっこうデカイ。案内所で貰ったパンフレットには、1961年に完成したとあって、意外にも最近に造られたものなのだと知った。表面から反射する光が艶やかに輝いてみえるので、奈良の大仏と比べるとものすごく新しいんだあ、という探究的観点で正しく歴史を理解しようと思ったけれど、いったい奈良の大仏とはどのような感じだったのか、そういえば実際に見たことがあったのか、いや、もしかしたら見たものとばかり思いこんできてしまっていただけなのかもしれない。──そんなふうに、記憶があいまいになってしまったので、とうとう真実はわからなかった。陽気のせいもある。


正面の広場のようなところで学生風の2人組みの女子が大仏を背景に交代で写真を撮りあってはしゃいでいた。ほかに観光している人はまばらで、そのたびに今日はごくごく普通のどこにでもころがっているありふれた平日である、ということを思い出すのであった。

大仏が見つめる先は、半円状に突き出した見晴らしのよい舞台になっていて、舞台から眼下に広がる緑の森の向こうには、午後の陽光をうけた彰化の街なみが、まぶしくも静かにたたずんでいた。僕はすぐ後ろのベンチに腰を下ろして、足もとであくびをしている黒いタイワンイヌといっしょに、やわらかい光に包まれた、どこまでも白い午後を眺めていた。

この午後の続きを、すこしだけ歩いてみました。
🌿 はるのぬけみち|午後の内側、地図の外側
📍八卦山大仏風景区(彰化市)。街と午後を見晴らす、あの丘の上。
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