哲学夜カフェの翌日
(昨日は雑感をポッドキャストにとりあえず残したが、ちょっと文字にもしておこうと思う。カレーのように一晩寝かせて熟成・・・とまではいかないが笑)
世の中には哲学カフェ、というのがあるらしい。
哲学は興味あるし、
会場のTOKUBOOKS(茨城県下妻市)は大好きだし、
ファシリテーターさんはそのご近所さんで棚オーナー仲間だし、
仕事は定時で上げてもらえることになったし!
絶対に面白いので、行ってみた。
まずは、TOKUBOOKSのすてきなnoteを見てほしい。
そういうわけで、
「ふつう」を考える
素敵な時間になったわけだが、
問題は、今日である。
仕事場で、お客さんに向かって話す僕の言葉、
「まぁ、ここはふつうにやってもらって・・・」
「あとはふつうにやるだけです。」
今日になって初めて気づいたけど、俺、めっちゃ「ふつう」っていってるやん!!
「ふつう」
と、言ったそばから、すかさず
「その『ふつう』ってなんだよ!」
という脳内ツッコミが入る。
ツッコミが入るが、打ち返せない。
「説明する」と言っておいて、何のことはない、僕はお客さんの「ふつう」を勝手に拝借して、説明した気になっていただけで、実際は、具体的なことを「ふつう」でぼかして、お客さんの「ふつう」で補完してもらっていただけなんだ。
もちろん、今日のところは、そこで止まって説明を放棄しても仕方がないので、とりあえずいつも通りにやらせてもらったが、
無自覚に「ふつう」を使いすぎることは、どこかで、それぞれの「ふつう」のずれが少しずつ大きくなることを招く。
そしてどこかで破綻する。
あるいは、もしかするともっと悪いことに、「ずれ」に気づかないまま、誤解しあっていることに気づかないまま、お互いの「ふつう」を共有しあった気になる。見た目上は何もなくても、知らずに溜まったエネルギーはいつか大地震になるかもしれない。
ふつう
「ふつう」に頼って、
お互いが「同じであること」を前提にして、
違うことにがっかりするより、
「ふつう」に甘えずに、
お互いが「異なること」を前提にして、
たまに見つかる「重なり?」に感動したい。
そのためにも、お互いのちがいを、良くも悪くもぼんやりさせる
「ふつう」
には、気を付けないといけないな、と思った。
お互いの気持ちが「不通」にならないようにしないと。
おあとがよろしいようで!
5/24 朝追記
主催者さんが当日の振り返りをきれいにまとめてくれている!
こちらもどうぞ!
