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ドイツの学校はなぜこんなに厳しいのか | 義務教育で落第が「普通」にある国の現実

こんにちは、ドイツ在住「煮ても焼いてもドイツ」のニヤキです。
ドイツ生活のあれこれを中心に情報発信をしています。


日本で子育てをする友達と話をすると、「塾」や「受験」など、子どもたちが置かれている「学歴」「学力」とのプレッシャーと親の負担が大きいことが伺えます。

実は子どもたちに過度の負担がかかっているのはドイツも同じこと。
もしかすると、ドイツの学校制度は、日本から見ると、日本以上に驚くほど厳しく映るかもしれません。

特に義務教育の中で「落第」が日常的に行われている点は、多くの日本人にとって衝撃的ではないでしょうか。
日本では「みんなで進級する」ことが前提で、落第はよほど特別な事情がある場合に限られるのではと思います。
しかしドイツでは、落第は制度として正式に存在し、しかも小学1年生であっても容赦なく適用されます。

なぜここまで厳しい制度が維持されているのでしょうか?
そして、その厳しさに対して学校側のサポートは十分なのでしょうか?
・・・実際に現場で起きていることを見ていくと、制度の理念と現実の間に大きなギャップがあることが見えてきます。

今回は2児の母として、ドイツの学校に通わせている親の立場で、思いの丈を叫ばせていただきます。


小学1年生でも落第する国

ドイツでは、読み書きや算数の基礎が身についていないと判断されると、小学1年生でも留年が選択肢に入ります。
これは「基礎ができていないまま進級すると、後でさらに苦しむ」という考え方に基づいています。
つまり、「今つまずいているなら、早い段階で立て直すべきだ」という価値観です。

日本では「子どもは成長のスピードが違う」という前提で、多少の遅れがあっても周囲が支えながら進級していきます。
しかしドイツでは、学年は「年齢」ではなく「習熟度」で区切るものと考えられています。そのため、6歳であっても学習の遅れがあれば留年が現実的な選択肢となります。

もちろん、州によって落第の頻度や基準は異なりますし、近年は落第を減らす方向に動いている地域もあります。それでも、落第という制度が「普通にある」こと自体、日本とは大きく異なる点です。

息子が小学生だったとき、毎年のようにクラスに「落第」してきた上の学年の子が加わっていました。ドイツでは入学するタイミングも個人に任されている部分があり、5~7歳と幅があります。
そこに落第してきた子が加わると、同じ学年なのに3歳以上も年が違う、ということが往々にして起こっていました。
・・・このころの3歳差って相当大きいと思うのですが。。

5年生以降はさらに厳しい現実

以前にも紹介しましたが、ドイツでは小学校が4年制、その後は3種類の学校に子どもが振り分けられ、それぞれ決められた年数学校へ通います。

ドイツの成績は1〜6の6段階評価で、1が最高、6が最低です。 この数字が、子どもの進路を直接左右します。

特に5年生以降は、成績が進級だけでなく学校種の維持(どの種類の学校に通えるか)にも影響します。

  • 6(最低評価)が1つでもあると進級が危うい

  • 6を相殺できる1(最高評価)が必要

  • 相殺できない場合は進級不可

  • その結果、留年または学校種を下げるよう勧告される

ここでいう「学校種」とは、ギムナジウム(大学進学コース)、レアルシューレ(中堅学力層)、ハウプトシューレ(基礎学力層)などのことです。

つまり、たった一つの科目の失敗が、子どもの進路を大きく変えてしまうのです。

日本のように「総合的に判断する」という仕組みはほとんどなく、テストの点数がそのまま評価に直結します。
救済措置も少なく、一度つまずくと挽回が難しいのが現実です。

テストは“人生を決めるイベント”

この制度のため、ドイツの子どもたちはテストのたびに大きなプレッシャーを受けます。

  • テストの点数が進級・進路に直結する

  • 一度の失敗が取り返しのつかない結果につながる

  • 成績が悪いと学校から「別の学校へ移るべき」と勧告される

特に10歳前後の子どもたちは、すでに「自分はどの学校に行けるのか」「将来どんな進路が開けるのか」を意識せざるを得ません。
日本では中学受験などがちらついていたとしても、まだ「好きなことを見つけよう」と言われる年齢かもしれませんが、ドイツではすでに人生の方向性が決まり始めています。

実際に何人も見てきました・・・ギムナジウムへ入学したものの、1~2年の間にレアルシューレへ転校する子どもたちを。
学校は救い上げなどはしません。ただ、レベルの下がる学校へ子どもを転校させるだけ、なのです。

なぜここまで厳しいのか?

背景には、ドイツの教育観があります。

  • 能力別に分けることが公平である

  • 得意な子は伸ばし、苦手な子は別の道で成功すればよい

  • 学力の差は努力の差であるという古い価値観が根強い

  • 早期選抜こそ効率的であるという考え方が制度を支えている

これらは一見合理的に見えますが、現代の多様な学習スタイルや発達特性を十分に考慮しているとは言い難い側面があります。

学校のサポートは驚くほど薄い

私も何度も苦言を呈していますが、制度は厳しいにもかかわらず、学校側のサポートは十分とは言えません。

  • 先生が長期病欠するのは珍しくない

  • 代理の先生がいない

  • 授業が突然キャンセルされる

  • 特別支援の枠が足りない

  • 学校側からの学習支援はほとんど期待できない

制度上はサポートがあることになっていても、現場では人手不足や予算不足で機能していないことが多いのです。 つまり、「厳しい評価 × 弱いサポート」という最悪の組み合わせが、子どもたちと家庭に重くのしかかっています。

家庭が背負う負担

結果として、家庭は自力で子どもを支える必要があります。

  • 家庭教師をつける

  • 塾(Nachhilfe)に通わせる

  • 親が毎日学習をサポートする

  • 精神的なケアも家庭が担う

制度は「能力主義」を掲げていますが、実際には家庭の経済力とサポート力が子どもの進路を決めるという矛盾が生まれています。
親がサポートできる家庭、そうでない家庭が当然ながらあります。
また、第2外国語・第3外国語などになると、親に知見がないとそれはもうお手上げ・・・(うちは上の子の選択が「フランス語」ですが、私は全くわからないし、旦那も10年生までやっただけなので、ほぼ分からない)

成績には「テスト以外の要素」も強く影響

ドイツの成績評価は、日本のようにテストの点数だけで決まるわけではありません。むしろ、Mündlich(口頭試問・授業中の発言)授業態度なども大きな割合を占めています。

授業中にどれだけ積極的に手を挙げたか、先生の質問にどう答えたか、課題への取り組み姿勢はどうだったか――こうした「見えない部分」が成績に反映されます。

一見すると、子どもの総合的な力を評価しているように見えますが、実際には教師の主観が強く入り込む余地が大きいという問題があります。

Mündlichの評価基準は学校や教師によって大きく異なり、明確なルーブリックが存在しないことも珍しくありません。授業中に積極的に発言していても、教師が「十分ではない」と判断すれば評価は上がりませんし、逆に教師に好印象を持たれている子は高い評価を得やすいという現実もあります。

我が家には、教師から煙たがられるタイプの生徒・児童が2名ほどおります・・・損するタイプの子・・・。

さらに、ドイツの授業は「発言して参加すること」が前提のため、内向的な子やドイツ語が母語でない子は不利になりがちです。
テストで高得点を取っても、Mündlichが低ければ成績全体が下がり、進級や進路に影響することもあります。

つまり、子どもの学力だけでなく、性格や語学力、教師との相性までもが成績に影響するという構造があるのです。

こうした主観的評価が、厳しい進級基準と組み合わさることで、子どもたちのプレッシャーはさらに大きくなっています。

おわりに

ドイツの学校制度は、長い歴史の中で「能力別に分けることこそ公平である」という理念を掲げてきました。しかし、実際の現場を見ていると、その理念が子どもたちの現実と必ずしも噛み合っていないように感じます。

落第や進路変更が当たり前のように行われ、頻繁に実施されるテストが子どもたちの将来を早い段階で決めてしまう。しかも、その厳しい評価に対して学校側のサポートは十分ではありません。

この仕組みは、言い換えれば「切り捨ての構造」です。学力という一つの尺度で序列がつけられ、そこから外れた子どもは早い段階で別の道へと振り分けられます。
頭でっかちな子、テストが得意な子、教師との相性が良い子だけが上へ進み、そうでない子は静かに選択肢を奪われていく。
そこに本当に子どもの多様性を尊重する姿勢があるのか、疑問を抱かずにはいられません。

さらに心配なのは、この仕組みが国全体の未来にどのような影響を与えるのかという点です。
社会に必要なのは、テストが得意な子だけではありません。創造性のある子、手を動かすのが得意な子、人を支えるのが上手な子、ゆっくり育つ子――本来は多様な力が社会を支えています。
しかし、早期選抜と厳しい評価が続く環境では、そうした多様な芽が育つ前に摘まれてしまう危険があります。

そして何より、子どもたちが幼い頃から過度なストレスにさらされていることに強い違和感を覚えます。
10歳前後で人生の方向性を決めるようなテストが続き、失敗すれば進路が閉ざされる。そんな重圧を、まだ自分の感情をうまく言葉にできない年齢の子どもたちが背負う必要が本当にあるのでしょうか。
「子ども時代にしかできない経験」や「安心して失敗できる環境」が奪われていくことは、個人にとっても社会にとっても大きな損失だと感じます。

ドイツの教育制度には良い面もありますが、厳しさとサポート不足のバランスが崩れている現状は、見直しが必要であると強く感じています。
私のように「他国」の教育を受け、同時に他の国がどういった教育をしているのか知っている立場であると、ドイツ式の教育方針(義務教育)は時代にそぐわないというか、全く子どもに寄り添っていない、子どもをYESマンに育てるだけの飼育場として映りません。
・・・でも、ドイツで生まれ育った人にこれらの指摘をしても、全く響く様子はありません。
彼らもまた、この教育制度で大きくなった人たちなので。

子どもたちが安心して学び、失敗し、成長できる環境とは何か・・・?
私はドイツの学校に子どもたちを通わせていることにとても不安と疑問を抱いています。

そして私は常に、「選択肢」を考えながら、様子を伺っています。


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