BEAMSって、いつからこんなに体制側になったん?
1. その違和感は、防衛省投稿だけの話ではない
BEAMSって、いつからこんなに体制側になったん?
最近、Threadsを見ていて、そんな違和感が残った。
きっかけは、防衛省への表敬訪問のような投稿だった。
防衛省に行くこと自体が悪い、という話ではない。自衛隊や防衛省そのものを批判したいわけでもない。誰かが関係者として呼ばれ、そこで写真を撮り、SNSに上げる。それだけを切り取れば、違法でもないし、本人に悪意があったとも限らない。
ただ、そこに漂う空気が引っかかった。
大臣席。
国旗。
執務室。
制服。
権力の空間。
そこに、カルチャー側の人間が軽いテンションで入り、記念撮影のようにSNSへ流す。
その瞬間、多くの人が感じたのは、政治的な賛否以前の違和感だったのではないか。
カルチャーの顔をしていたものが、いつの間にか権力の側に自然に座っている。
その感じが見えてしまった。
今回考えたいのは、誰か個人を叩くことではない。
BEAMSを単純に悪者にすることでもない。
むしろBEAMSは、日本のセレクトショップ文化、地域編集、商品開発、コラボレーションの領域で大きな仕事をしてきた企業である。
問題は、そこではない。
カルチャーの顔をしたものが、いつの間にか行政、自治体、官公庁、文化政策、地域創生の言葉に自然に馴染んでいること。
そこに、今のSNSが強く反応しているのだと思う。
2. BEAMSはもともとカルチャーの顔をしていた
BEAMSは、もともとカルチャーの顔をしていた。
セレクトショップ。
ストリート。
音楽。
雑貨。
古着。
若者文化。
海外のライフスタイル。
少し軽くて、少し洒落ていて、少し体制から距離があるように見える存在。
BEAMSは単なる服屋ではなかった。
服だけではなく、生活の空気を売っていた。
何を着るか。
何を聴くか。
どんな雑貨を置くか。
どんな本を読むか。
どんなカルチャーに触れているか。
そういうものを、軽やかに編集して見せる場所だった。
だからBEAMS的なものには、ある種の親しみやすさがあった。
ラグジュアリーブランドほど遠くない。
ハイファッションほど緊張しない。
でも、量販店ほど無色ではない。
ちょうどよく洒落ていて、ちょうどよくカルチャーっぽい。
その位置が強かった。
しかし、そのカルチャーっぽさは、今かなり別の場所へ接続されている。
行政である。
自治体である。
官公庁である。
地域創生である。
文化発信である。
観光PRである。
そして、そこに今回の違和感がある。
3. すでにBEAMSは行政と自然に接続している
BEAMSは、すでに単なるセレクトショップではない。
地域の魅力を発掘し、商品を監修し、イベントを作り、観光やふるさと納税、農林水産、スポーツ、デジタルコンテンツまで扱う、かなり広い編集企業になっている。
実際、BEAMS BUSINESS PRODUCEの地域プロジェクトページでは、地域の魅力を見つけ、磨き、再編集する地域ブランディングを掲げている。そこでは商品開発、ふるさと納税、観光、農林水産、店舗活用、イベント、スポーツまでがソリューションとして並んでいる。つまりBEAMSは、服屋というより、地域を編集する企業として自らを位置づけているのである。
https://www.beams.co.jp/beamsbusinessproduce/regionalprojects/
さらに、ビームスは自治体向け講演会も開催している。PR TIMESに掲載された発表では、自治体担当者約35名が参加し、地域との共創事業を加速する目的だったと説明されている。講演内容にも、地域、ファッション、フードイベント、メタバース、助成金活用などが並んでいる。ここではBEAMSは完全に、自治体に向けてカルチャー編集の方法を提供する側である。
文化庁との接続もある。ビームスは、文化庁と日本遺産オフィシャルパートナーシップを締結している。PR TIMESの発表では、BEAMS JAPANが地方自治体や異業種企業とコラボレーションし、商品開発やガイドブック発行など多くのプロジェクトに取り組んできたことも説明されている。
さらにBEAMS JAPANは、地域の名所や景勝地への出店も進めている。POTLUCK YAESUの記事では、BEAMS JAPAN GATE STOREとして、地域のパートナーと共創しながら出雲、神戸、宮島、日光、善光寺などへ展開している様子が紹介されている。
文化庁メディア芸術祭との関係もある。BEAMS公式サイトでは、第24回文化庁メディア芸術祭の受賞作品展スタッフTシャツをBEAMSがデザインしたことが紹介されている。
https://www.beams.co.jp/news/2668/
こうして見ると、BEAMSはすでに行政や文化政策の外側にいる企業ではない。
むしろ、行政が文化を発信する時に使いやすい編集装置になっている。
ここに、今の違和感の核がある。
4. 何が気持ち悪いのか
行政と組むこと自体が悪いわけではない。
地域文化を発信することも悪くない。
地方の産品を磨き直すことも、観光の入口を作ることも、伝統工芸を現代的に見せることも、必要な仕事である。
むしろ、それによって救われる地域や事業者もあるだろう。
BEAMSの編集力が、地域の魅力を分かりやすく伝えることもある。
だから、BEAMSが自治体や文化庁と組んでいるから悪い、という単純な話ではない。
問題は、カルチャーの顔をしたまま、体制側の場所にあまりにも自然に座れてしまうことへの違和感である。
かつてカルチャーは、少なくとも建前としては、体制から少し距離を取るものだった。
完全な反体制でなくてもいい。
政治的な抵抗でなくてもいい。
ただ、どこかに余白があった。
行政の言葉では言い切れないもの。
市場の論理だけでは測れないもの。
若者の違和感、街の空気、生活の癖、ローカルな美意識、少しだらしないもの、少し説明しにくいもの。
そういうものを拾うのがカルチャーだった。
しかし今は、そのカルチャーが行政の言葉に翻訳されていく。
地域資源。
文化発信。
共創。
地方創生。
観光コンテンツ。
ブランディング。
関係人口。
魅力の再編集。
これらの言葉は、便利である。
便利であるが、同時に何かが抜け落ちる。
カルチャーのざらつきが、行政に提出できる企画書の言葉に変わっていく。
そこが気持ち悪いのだと思う。
効率化や便利さの中で、人間的な余白がどう消えていくのかについては、以前モバイルオーダーの記事でも書いた。
▶ モバイルオーダーに感じる違和感
5. カルチャーが体制側に吸収される瞬間
ストリートだったもの。
若者文化だったもの。
反骨っぽく見えたもの。
少し遊びだったもの。
少し無駄だったもの。
そういうものが、いつの間にか官公庁、自治体、文化政策、観光PR、地方創生の言葉に置き換わっていく。
この時、カルチャーは抵抗ではなく、潤滑油になる。
行政がそのまま言うと硬いことを、カルチャーが柔らかくする。
官公庁がそのまま発信すると届きにくいものを、ブランドが洒落た形で届ける。
地域資源という言葉だけでは人が動かないから、BEAMS的な編集で欲しくさせる。
これはビジネスとしてはかなり正しい。
しかし、カルチャーとしては少し怖い。
なぜなら、かつて外側にあったはずの感性が、体制側の伝達技術として機能し始めるからである。
行政がカルチャーを使う。
自治体がブランドを使う。
官公庁がインフルエンサーを使う。
政治的空間が軽いSNSの文体を使う。
この構造が見えた時、人はかなり強く反応する。
Threadsで起きた嫌悪感も、たぶんここに近い。
単に、防衛省に行ったから嫌なのではない。
カルチャー側の人が、権力空間に入り、その空気を軽く消費しているように見えたこと。
その背後に、すでにカルチャーが体制側へ吸収されている構造が透けたこと。
そこに反応が集まったのだと思う。
カルチャーやファッションが、情報量をどう制御するかについては、こちらの記事でも書いている。
▶ なぜ今、引き算が高級に見えるのか
6. 防衛省投稿が燃えた理由
防衛省投稿が燃えた理由は、防衛省そのものへの賛否だけでは説明できない。
もちろん、防衛政策や自衛隊に対して強い意見を持つ人もいる。
しかしThreadsで広がる違和感は、もっと空気に近い。
カルチャー人が権力空間に入る。
大臣席に座る。
国旗がある。
制服がある。
執務室がある。
そこにSNS的な軽さが乗る。
この組み合わせが強い。
なぜなら、それは権力との距離感の問題だからである。
権力空間は、本来かなり重い場所である。
誰でも入れる場所ではない。
誰でも座れる席ではない。
そこに入れること自体が、すでに特権性を帯びる。
にもかかわらず、それが軽いテンションで投稿されると、見る側にはこう映る。
自分たちとは違う場所にいる人たちが、権力の近くで楽しそうにしている。
しかも、それがカルチャーの顔をしている。
この組み合わせが、かなり嫌われる。
Threadsは、こういう空気に敏感である。
本当に悪いことをしたかより、どう見えたかが先に走る。
法律違反かどうかではない。
正しいかどうかでもない。
なんか嫌。
その感覚が最初に来る。
そしてそのなんか嫌は、意外と雑ではない。
そこには、権力との距離感、内輪感、特権感、庶民感覚とのズレが含まれている。
7. BEAMS批判は嫉妬だけではない
もちろん、成功している企業への嫉妬も混ざるかもしれない。
BEAMSほどのブランドになれば、行政とも組める。
自治体から呼ばれる。
文化庁ともつながる。
地域プロジェクトを監修できる。
官民連携の場に呼ばれる。
それを見て、ずるい、と思う人もいるだろう。
しかし、今回の違和感を嫉妬だけで片づけるのは雑である。
多くの人が反応しているのは、もっと構造的なことだと思う。
カルチャーが、いつの間にか庶民の側ではなく、行政や権力の側の言語を話し始めている。
そこへの違和感である。
かつてカルチャーは、街の側にあるように見えた。
若者の側にあるように見えた。
生活者の側にあるように見えた。
少なくとも、そういう顔をしていた。
しかし今は、カルチャーが行政の企画書に入り、自治体のPRに入り、官公庁の文化発信に入り、地域創生の事業に入っている。
それは悪いことだけではない。
しかし、見え方としてはかなり変わる。
街の側にいたはずのものが、いつの間にか制度の側にいる。
この反転に、人は敏感である。
そしてThreadsは、その反転をかなり雑に、しかし鋭く拾う。
8. カルチャーは、使いやすくなるほど危うい
カルチャーは、使いやすくなるほど危うい。
行政に使いやすい。
企業に使いやすい。
自治体に使いやすい。
観光に使いやすい。
SNSに使いやすい。
その時点で、カルチャーはどこか牙を抜かれている。
もちろん、全部が反骨である必要はない。
カルチャーが常に反体制でなければならないとも思わない。
地域を盛り上げることも、文化を広めることも、商品を売ることも、悪ではない。
しかし、カルチャーがあまりにも使いやすい編集技術になると、そこには違和感が残る。
本来、カルチャーには、扱いにくさがあったはずである。
説明しにくい。
管理しにくい。
効率化しにくい。
正しい目的に回収しにくい。
そういう余白があった。
しかし、体制側に最適化されたカルチャーは、非常に使いやすい。
かわいい。
おしゃれ。
若者に届く。
地域の魅力を伝える。
SNSで拡散しやすい。
行政の硬さを和らげる。
企業イメージを良くする。
その瞬間、カルチャーは権力の外側ではなく、権力を柔らかく包む包装紙になる。
ここが怖い。
ファッションやカルチャーが、商品なのか、表現なのか、アートなのかという問題については、こちらでも考えている。
▶ ファッションはアートなのか、服なのか
9. BEAMSが悪いというより、BEAMS的なものが見えてしまった
BEAMSが悪い、という話ではない。
BEAMSは時代に適応している。
セレクトショップから、カルチャー企業へ。
カルチャー企業から、地域編集企業へ。
地域編集企業から、官民連携のパートナーへ。
これは企業としてはかなり自然な進化である。
むしろ、強い。
時代が変わり、服だけを売ることが難しくなり、体験や地域や文化発信が価値になる中で、BEAMSは自分たちの編集力を拡張してきた。
それ自体は見事である。
ただ、その見事さが気持ち悪さにもなる。
なぜなら、あまりにも自然に体制側へ移動しているからである。
かつて軽さとして見えていたものが、今は行政にも使いやすい軽さになっている。
かつて洒落ていると感じていたものが、今は官公庁の言葉を柔らかくする技術になっている。
かつて街の空気だったものが、今は地域創生のパッケージになっている。
そこに、今の違和感がある。
Threads民が感じたのは、たぶんBEAMSそのものへの怒りだけではない。
カルチャー全体が、いつの間にか権力と仲良くなりすぎていることへの嫌悪感である。
AIやアルゴリズムによって、ファッションが見た目や情報量へ回収されていく問題については、この記事でも書いた。
▶ AI時代に、ファッションは何を作るのか
10. 結論
BEAMSって、いつからこんなに体制側になったん?
この問いは、BEAMSだけに向けたものではない。
カルチャー全体に向けた問いである。
行政と組むことは悪ではない。
地域文化を発信することも悪ではない。
自治体と協業することも、官公庁の文化事業に関わることも、それ自体は必要な場面がある。
BEAMSの仕事によって、地域の産品や文化が新しい形で届くこともある。
そこは認めるべきである。
しかし同時に、カルチャーの顔をしたものが、体制側の言葉と場所に自然に馴染んでいくことへの違和感も消えない。
カルチャーは、いつの間にか反骨ではなく、行政に使いやすい編集技術になっている。
ストリートだったものが、地域創生になる。
若者文化だったものが、観光PRになる。
街の空気だったものが、官民連携の事業になる。
その変化は、たぶん時代の流れである。
でも、だからこそ気持ち悪い。
何かが露骨に悪いわけではない。
誰かが明確に間違っているわけでもない。
むしろ、全部が正しく、全部が上手く、全部がきれいに接続されている。
そのきれいさが怖い。
カルチャーが権力に対抗するものではなく、権力を感じよく見せるための技術になった時、私たちはそれをまだカルチャーと呼べるのか。
たぶん、Threadsで多くの人が感じた気持ち悪さは、そこにある。
追記
この記事では、BEAMS的なカルチャーが行政や官公庁、地域創生の言葉と接続していく違和感について書いた。
ただ、その後に考えたのは、これはBEAMSだけの話ではないということだった。
パンクも、ヒッピーも、HIPHOPも、オタク文化も、アニメも、最初は外側から始まる。
しかし広がると、市場が接続する。
市場化されると、制度も接続する。
思想は空気になり、空気は商品になり、商品は文化資源になる。
その瞬間、カルチャーは少し死ぬ。
でも完全には死なない。
制度化されるたびに、また別の地下が生まれる。
この循環について、もう少し広く書いた。
こういう、ファッション、カルチャー、権力、生活の違和感を掘る記事は、Void Labでも続けています。
Void Labでは、有料noteの読み放題に加えて、ラボメン限定掲示板でファッション、AI、働き方、海外進学、ブランド、夜型生活、消費、ラグジュアリーについて話しています。
完成した答えより、途中の思考や違和感が好きな人へ。
▶ Void Labはこちら
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