カルチャーは、勝った瞬間に少し死ぬ
1. BEAMSって、いつからこんなに体制側になったん?
BEAMSって、いつからこんなに体制側になったん?
少し前に、そんな違和感について書いた。
防衛省の投稿をきっかけに、BEAMS的なカルチャーが、いつの間にか行政、自治体、官公庁、文化政策、地域創生の言葉と自然に接続していることへの違和感を書いた記事である。
ただ、そのあとで少し考えた。
そもそも、カルチャーと体制をそんなにきれいに分けられるのか。
コメント欄でも、カルチャー vs 体制という構造自体が、今はもう成立しにくいのではないか、という指摘があった。
たしかにそうである。
カルチャーは、最初から最後まで外側にいられるわけではない。
広がれば市場が接続する。
市場が接続すれば、企業が接続する。
企業が接続すれば、行政や制度も接続する。
思想は空気になる。
空気は商品になる。
商品は文化として制度化される。
この流れは、たぶんBEAMSだけの話ではない。
パンクもそうだった。
ヒッピーもそうだった。
HIPHOPもそうだった。
オタク文化もそうだった。
アニメもそうだった。
裏原も、ストリートも、クラブカルチャーも、たぶん同じ循環を通っている。
最初は外側だったものが、だんだん市場に見つかる。
商品になる。
広告になる。
ファッションになる。
教育になる。
観光になる。
国策になる。
その時、カルチャーの空気は少し変わる。
悪くなる、という単純な話ではない。
広がることで救われる人もいる。
市場化されることで食える人も出る。
制度化されることで、社会的に認められることもある。
それでも、何かは変わる。
かつて外側だったものが、内側の言葉で語られ始める。
かつて秘密基地だったものが、公式パンフレットに載る。
かつて分かる人だけが集まっていた場所が、誰にでも説明できる文化資源になる。
その瞬間、カルチャーは勝つ。
でも、勝った瞬間に少し死ぬ。
今回は、その話を書きたい。
2. 最初は外側だった
多くのカルチャーは、最初からメインストリームだったわけではない。
むしろ、外側から始まる。
パンク。
ヒッピー。
HIPHOP。
クラブカルチャー。
裏原。
オタク文化。
アニメ。
インディー音楽。
ZINE。
ストリートファッション。
スケート。
グラフィティ。
それらは最初、社会の中心ではなかった。
むしろ、中心から少しズレた場所にあった。
学校や会社や家庭や制度にうまく馴染めない人。
既存の価値観に息苦しさを感じる人。
メインの言葉では自分を説明できない人。
大きな社会の中で、自分の居場所が見つからない人。
そういう人たちが、外側に小さな場所を作る。
そこは、必ずしも立派な場所ではない。
汚いライブハウスかもしれない。
小さなクラブかもしれない。
古着屋の一角かもしれない。
掲示板かもしれない。
同人誌即売会かもしれない。
誰かの部屋かもしれない。
夜の路上かもしれない。
でも、そこには独特の濃さがある。
分かる人だけが分かる。
説明しなくても通じる。
外側にいること自体が、ある種の連帯になる。
この段階のカルチャーには、秘密基地のような感覚がある。
大きな社会から見れば小さい。
無名である。
金もない。
制度にも守られていない。
でも、その場所にいる人にとっては、かなり切実である。
そこに行くことで、自分が少し生きられる。
そこにいる人たちと話すことで、自分の違和感が間違いではなかったと思える。
服、音楽、言葉、態度、場所。
それらが全部混ざって、小さな空気を作る。
カルチャーの始まりは、多くの場合、そういう外側の空気である。
3. 外側は、やがて見つかる
しかし、外側は永遠に外側ではいられない。
面白いものは、必ず見つかる。
見つかると、人が増える。
人が増えると、店ができる。
店ができると、商品ができる。
商品ができると、雑誌やメディアが取り上げる。
メディアが取り上げると、さらに人が来る。
そうして、外側だったものが少しずつ市場に接続される。
これは悪いことだけではない。
むしろ、最初に外側で生まれたものが広がるには、市場の力が必要になることも多い。
音楽なら、レコードや配信が必要になる。
服なら、生産と販売が必要になる。
漫画やアニメなら、出版や放送や配信が必要になる。
イベントなら、会場やチケットやスポンサーが必要になる。
カルチャーが大きくなるには、どうしても流通が必要になる。
そして流通が始まると、市場が関わる。
市場は、カルチャーを多くの人へ届ける。
同時に、カルチャーを商品へ変える。
最初は生き方だったものが、スタイルになる。
最初は反抗だったものが、デザインになる。
最初は居場所だったものが、ビジネスになる。
最初は個人的な違和感だったものが、販売可能な空気になる。
パンクは服になる。
HIPHOPはブランドになる。
オタク文化は巨大産業になる。
アニメは海外輸出される。
ストリートはラグジュアリーブランドと接続する。
サブカルチャーは、サブのままではいられなくなる。
市場は、外側の熱を見つける。
そして、それを多くの人が買える形に変える。
この時点で、カルチャーはすでに少し変質している。
ただし、ここで安易に市場化は悪だと言うのは違う。
市場化されたからこそ、続いたものもある。
市場化されたからこそ、作り手が生活できるようになったものもある。
市場化されたからこそ、地方や家庭や学校で孤立していた人が、同じ空気に触れられるようになったものもある。
外側のままでは届かなかった人へ届く。
それは大きな意味を持つ。
しかし、届くということは、薄まることでもある。
ここが難しい。
4. 市場化すると、制度も接続する
カルチャーが市場化されると、次に制度が接続する。
企業。
行政。
自治体。
学校。
観光。
国策。
文化事業。
地域創生。
PR。
かつて外側だったものが、社会の中で使える資源として認識されるようになる。
アニメや漫画は分かりやすい。
かつては、オタク文化として少し下に見られていた時代があった。
日陰の趣味。
子どもっぽいもの。
閉じた人たちのもの。
そんな扱いをされることもあった。
しかし今では、アニメや漫画は日本の文化資源として語られる。
海外に発信される。
観光と結びつく。
自治体がコラボする。
企業が広告に使う。
政治家も語る。
国のイメージ戦略にも組み込まれる。
これは、良い面も大きい。
作り手の社会的評価は上がった。
海外で日本の作品に触れる人も増えた。
産業としての規模も大きくなった。
かつて恥ずかしいものとして扱われていたものが、誇れる文化として扱われるようになった。
それ自体は、間違いなく前進である。
ただ、その瞬間に何かも変わる。
オタク文化は、オタクだけの秘密基地ではなくなる。
アニメは、内輪の熱だけで回るものではなくなる。
作品は、文化資源になり、観光資源になり、経済資源になる。
カルチャーは、行政や企業にとって使いやすい言葉へ変換される。
地域を盛り上げる。
日本文化を発信する。
若者に届ける。
海外へ展開する。
新しい価値を創出する。
そうした言葉に包まれる。
もちろん、それは必要な言葉でもある。
でも、どこかで少し温度が変わる。
あの湿度。
あの偏り。
あの説明しにくい熱。
それが、きれいな資料に収まる。
カルチャーが制度化されるとは、そういうことである。
5. 思想は空気になり、空気は商品になる
カルチャーは、最初は思想として始まることがある。
反抗。
違和感。
逃避。
連帯。
怒り。
寂しさ。
退屈への抵抗。
大きな社会への不信。
そうしたものが、音楽、服、言葉、場所、振る舞いとして現れる。
しかし広がると、思想は空気になる。
パンクの思想を知らなくても、パンクっぽい服は着られる。
HIPHOPの背景を知らなくても、HIPHOP的なスタイルは使える。
ヒッピーの思想を知らなくても、ヒッピー風の柄や空気は消費できる。
ストリートの現場を知らなくても、ストリートっぽい服は買える。
思想は、見た目へ変換される。
見た目は、商品になる。
商品は、スタイルになる。
スタイルは、誰でも使えるようになる。
この流れは避けられない。
そして、ここで多くの人が違和感を持つ。
本来はもっと切実だったものが、急に軽くなる。
本来は生き方だったものが、コーディネートになる。
本来は怒りだったものが、広告のビジュアルになる。
本来は居場所だったものが、消費の選択肢になる。
ここでカルチャーは少し死ぬ。
完全に死ぬわけではない。
でも、最初の熱とは別物になる。
ロックも、パンクも、ストリートも、HIPHOPも、ある段階でファッション化される。
それは、広がった証拠でもある。
同時に、薄まった証拠でもある。
この二つは、ほとんど同じ場所にある。
カルチャーが勝つとは、多くの人に届くことである。
しかし、多くの人に届くためには、説明可能で、消費可能で、流通可能な形になる必要がある。
その時、最初の曖昧で危険で面倒な部分は、削られやすい。
この話は、ファッションにおける引き算や静けさの話とも近い。
情報が過剰になるほど、余白や沈黙は価値になる。しかし、余白が価値になった瞬間、その余白もまた商品化される。
カルチャーは、勝った瞬間に少し死ぬ。
6. でも完全には死なない
ただし、カルチャーは完全には死なない。
ここが面白い。
表層が市場化される。
様式が商品化される。
言葉が制度化される。
それでも、そのカルチャーの奥にあった違和感そのものは消えない。
なぜなら、社会の中に外側は常に生まれるからである。
どれだけ市場が整っても、どれだけ制度が拾っても、どこかに拾われない人がいる。
メインストリームに馴染めない人がいる。
言葉にされると違うと感じる人がいる。
商品になった瞬間に冷める人がいる。
公式化された瞬間に、そこから離れたくなる人がいる。
だからまた別の地下が生まれる。
パンクが商品化されれば、別のノイズが生まれる。
HIPHOPが巨大産業になれば、別のローカルな音が生まれる。
アニメが国策化されれば、また別の小さな制作圏が生まれる。
ストリートがラグジュアリーと接続すれば、また別の路上が生まれる。
地下は消えない。
ただ、場所を変える。
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