【歴史学の歴史14】アナール学派と社会史②
こんにちは、ニコライです。今回は【歴史学の歴史】第14回です。
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1956年、雑誌『アナール』の主宰者であったリュシアン・フェーブルが亡くなります。これ以降、『アナール』の活動は、戦後に集まった新しい世代メンバーが牽引していくことになり、以降、同誌に集った人々は「アナール学派」と呼ばれるようになります。今回は、20世紀後半におけるアナール学派の発展について見ていきたいと思います。
1.ブローデルの時代
フェーブル亡き後、新たに『アナール』の主催者となったのは、彼の弟子であったフェルナン・ブローデルです。ブローデルは1967年までこの役職を務め、アナール第二世代の主導的人物となってきます。

アナール第二世代の指導者。父親の強い意向で歴史の教師となることを目指し、ソルボンヌ大学を卒業後、アルジェリア、ブラジル、フランスで教鞭をとる。第二次大戦後、『アナール』の編集委員となる。
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ブローデルの研究には2つの特徴があります。1つは、地理学を重視したことです。『アナール』の創始者であるフェーブルとブロックは、「人文地理学」を提唱したポル・ヴィダルド・ラ・ブラーシュの影響を受け、地理と歴史の対話に着目していましたが、ブローデルはより明確に地理的条件と人間社会の関係性を強調しました。
もう1つは、より長期的に続く出来事を重視したことです。ブローデルによれば、歴史は長さの異なる3つの「波動」から構成されます。まず、数日~数年の短い単位の波動である「短期持続」です。これは「事件」とも呼ばれるとおり、歴史的事件と同義であり、アナール学派が批判した近代歴史学が対象としてきたものです。ブローデルはこれを「泡」や「白波」に例え、歴史の表層に過ぎないと位置づけました。

第二次大戦中、ブローデルが収容された施設の1つ。主著『地中海』のもととなる博士論文は、この収容所で過ごす間に、その驚異的な記憶力によって執筆したものである。ブローデルが短期的な事件に「敵意」を抱いたのは、収容所での過酷な生活が影響しているとされる。
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次に、「事件」の下で10年~50年程度の周期をたどる波動が、「中期持続」です。これは物価や人口、賃金、利子率の変化などの経済現象や社会現象のことで「景況」とも呼ばれます。そして、「景況」の下にある数百年単位という人間には知覚できない非常に緩慢な波動が「長期持続」です。これは「構造」とも呼ばれ、歴史の最も基層にあたり、人間の生活様式や社会、経済のあり方を規定し、制約する地理的条件のことです。ブローデルは「事件」よりも、「景況」や「構造」により強い関心を寄せました。
ブローデルの主要著作である『フェリペ2世時代の地中海と地中海世界』(通称『地中海』)は、この3つの「波動」理論に基づいています。『地中海』は3部構成となっており、第1部は「環境の役割」と題され、山々、平野、海域、島々といった地中海地域の地理的条件を、第2部「共同の運命と全体の動き」では、人口密度や物価、商業や交通など、地中海の地理的条件に規定された経済、社会的形態、人間集団の歴史を、そして第3部「事件、政治、人間」で、歴史の表層的であるフェリペ2世時代におけるスペインとトルコという二大国の争い、すなわち従来的な意味での政治史が取り扱われています。

スペイン・ハプスブルグ帝国最盛期の国王。ブローデルはもともと『地中海』を、従来通りのフェリペ2世の外交政策史して描こうとしていたが、しかし、1930年代にフェーブルと出会った際、「”フェリペ2世と地中海”は”地中海とフェリペ2世”となるべきだ」と説得され、方針転換した。
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2.数量史の台頭
アナール第二世代において活発に行われた研究が、数量史です。
数量史とは、数量化できるデータに着目し、これを系列化し、コンピューターを利用した統計処理を行い、客観的事実を確定しようとする手法の事です。数量的研究はもともとは経済史の分野で、特に物価史の研究として行われており、フランスでは、1920‐30年代に活躍したアンリ・オゼールやフランソワ・シミアン、そしてエルネスト・ラブルースらが先駆者としてあげられます。特にラブルースは、厳密な統計的方法に基づく数量経済史研究を確立した人物であり、フランス革命の経済的起源を明らかにしようとした研究で知られます。

フランス革命当時の王妃。「パンがなければブリュオッシュ(菓子パン)を食べればいいじゃない」という言葉は彼女が言ったとされてきたが、ラブルースはパンの価格の最大値とバスティーユ襲撃事件の時期が一致していることを発見した。
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アナール学派はその創設期から物価史の研究、特にラブルースの研究に注目しており、早くも『アナール』第二巻において、ヨーロッパ規模での物価史研究の開始を呼びかけています。ラブルース自身はアナール学派の一員ではありませんでしたが、その影響力は非常に大きく、フェーブルらと連携を惜しまず、同学派の拠点である高等研究実習学院第六部門で講義を行ったりしていました。

20世紀フランスの社会学者・経済学者。学生時代に共産主義に傾倒し、フランス社会党に入党。1920年の社共分裂後は共産党に入党するが、25年に離党。その後は経済研究に没頭し、その卓越した研究成果から「経済史の父」とも称される。
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第二次世界大戦後になると、数量的歴史研究は物価に限定せず、より経済全体の計量に向かう方向へと発展していき、貿易、貨幣鋳造、穀物収穫量、織物生産量など、様々な諸分野の数量化が進められました。こうした系列化されたデータを扱う研究は、「系の歴史学」あるいは「時系列史」と呼ばれます。
代表的な研究としては、ブローデルの弟子であるピエール・ショーニュらによる『セビーリャと大西洋(1504‐1650)』(1955‐1960)があげられます。同書は全12巻の大著であり、スペインや中南米、大西洋初頭における船舶の数や種類・使用期間、船・商品・乗員の消失、運搬される各種のモノ、寄港に使われた港とその取引量など、非常に様々な項目が数量化されており、現在でも「時系列史の模範」とされています。
3.歴史人口学の誕生と発展
経済史とともに、数量史の分野として扱われるようになったのが、「人口」でした。1950年代は、世界的な人口爆発や先進諸国における少子化が問題視されるようになっており、人口研究が注目を集めていたのです。こうして、人口の系列的数量化を行い、分析をする分野として「歴史人口学」が誕生しました。

1946年に創刊された国立人口学研究所の雑誌。戦後フランスにおける人口研究と拠点の1つとなる。人口学者と歴史家の共同事業的な性格を持ち、常にジャン・ムーヴレなどの歴史学者の論文が掲載されていた。
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この分野の開拓者となったのが、人口学者ルイ・アンリと、アナール学派の歴史学者ピエール・グーベールです。2人は、これまで一部の系譜学者らにしか関心を持たれなかった教区簿という史料に注目しました。教区簿とは、キリスト教会が教区ごとにまとめていた教区民の洗礼、結婚、埋葬の記録が書かれた登録簿のことです。そして、この教区簿を使用して、個々人の誕生、結婚、出産、そして死までを追い、これを重ねていくことで、一教区ないし隣接教区単位ごとの家族を復元する方法を考案されます。この手法を「家族復元法」といいます。

英国ノリッジの聖ステファノ教会の洗礼の記録(1796‐1797)。教区簿は14世紀ごろに登場し、特に宗教改革以降に信者を登録するために熱心に推進されるようになった。
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この家族復元法によって、結婚年齢や死亡年齢の分布、出生率、平均出生間隔、非嫡出子出生数、独身数、再婚数など、単純に教区簿を読むだけではわからない情報を知ることが可能となりました。この手法を用いて、アンリはノルマンディーの、グーベールは北部フランスのボーヴェの人口研究を行い、後続の研究の模範となりました。
歴史人口学の関心は、家族の復元や人口動態に留まらず、人口とその環境との研究にも向けられ、特に食糧、飢饉、疫病などと関連付けられた研究が盛んに行われました。また、人口動態を自然的・生物学的側面のみならず、文化的・心的側面からも説明しようと、人類学的アプローチを採用する研究も登場しました。さらに、無名の人々の家族生活を明らかにしようとする「家族史」という分野の開拓にも、歴史人口学は大きく貢献しました。
4.第三世代の動向
ブローデルが1968年に『アナール』編集長の地位を、1972年に第六部門部門長の地位を退くと、アナール学派は第三世代へと世代交代します。ここでは、第三世代を代表する3つの潮流を紹介したいと思います。
①時系列史の「第三水準」
第二世代において始まった数量化の流れは、1960‐70年代にかけて人口、教育、宗教、思想、政治などの文化的な諸領域にまで及ぶようになります。こうした数量化の文化的領域への拡大は、時系列史の「第三水準」と呼ばれました。
こうした「第三水準」に属す研究というと、例えば、ショーニュによるフランスにおけるプロテスタント化と再改宗の研究、フランソワ・フュレによる16‐19世紀におけるフランスの読み書き能力の研究、ロベール・マンドルーによる書物の生産と読書習慣に関する研究、ダニエル・ロッシュによる啓蒙思想の普及に関する研究など、実に多様です。
特に独創的なものは、ミシェル・ヴォヴェルによる死生観に関する研究です。ヴォヴェルはプロヴァンス地方に残る3万通の遺言状を調査し、守護聖人の庇護に関する言及、遺言者のためのミサの回数、葬儀の手筈や儀式に用いられたローソクの数までも系列化し、死と来世に対する態度の研究から、脱キリスト教化の過程を明らかにしました。

フランス革命期に、フランスでは脱宗教化が進行するが、ヴォヴェルはこれが従来考えられていたジャコバン派による「理性崇拝」の強制によるものではなく、自然発生的に生じたものであると主張した。
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②心性史
人間社会の集団心理を扱う「心性史」は、ブロックやフェーブルらが『アナール』創設当初から研究していた分野でしたが、第二世代においては、あまり重視されてきませんでした。しかし、1970年代になると、第二世代への反発、時系列史において文化的・心理的側面への関心が高まったこと、さらに1960年代に発表されたフィリップ・アリエスの「子供期」に関するセンセーショナルな研究などが影響し、心性史が「復活した」することになります。

フランスの歴史学者。教授職や研究職に就かず、在野で研究を続けたことから「日曜歴史家」と呼ばれる。1960年に発表した『子供期の諸世紀』は、「子供」という概念は近代に誕生したもので、中世以前の子供観は近代以降と全く異なっていたと主張し、大きな話題を良んだ。
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第三世代の心性史研究を代表する人物が、ジャック・ル・ゴフです。ル・ゴフは、中世ヨーロッパを停滞した「暗黒時代」、あるいは理想的な「黄金時代」と見なす従来の歴史観を批判しつつ、中世における時間、身体、知識人、都市、さらには夢などの分析を通して、中世人の想像力を再評価しました。特に評価が高い著作が、中世における死後の世界に関する表象の変遷をたどった『煉獄の誕生』(1981)で、煉獄の観念の登場という知的変化が及ぼした社会的変化について論じています。

アナール第三世代を代表する中世史家。青年期を第二次大戦の戦火の中で過ごした後、21歳で高等師範学校に入学。1959年から高等研究院第六部門に入り、1969年からは『アナール』編集責任者、1972年からは第六部門の部門長を務めた。
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③歴史人類学
時系列史の文化面への拡大や心性史の復活に伴い、第三世代は新しい手法を採用することになります。それは人類学的・民族学的手法です。つまり、人間の文化的・心的側面を研究するために、図像や儀礼、象徴、身振りなどの解釈、さらに記号論などに着目したのです。こうした分野を「歴史人類学」と呼びます。
歴史人類学的研究の代表的人物は、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリです。ラデュリのその主著『モンタイユー』(1975)において、14世紀に地方司教が行ったモンタイユー村のカタリ派に対する尋問記録を、彼らへのインタビュー記録として扱い、人類学者が行う共同体研究の形式で整理し直しました。こうして、モンタイユーの村民たちの心性、すなわち時間と空間に対する感覚、子供期と死、神、自然などに対する心理を明らかにしています。

12世紀に南フランスで有力となった異端派。アルビジョワ派とも呼ばれる。二元論的な世界観を持ち、教会の権力を否定した。1209‐29年にかけてカタリ派に対する十字軍が行われ、ほとんどが殲滅された。
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5.アナール学派の影響力
最後に、当時のアナール学派の影響力について触れておきます。
前回もご紹介しましたが、歴史学界における少数の「異端派」として出発したアナール学派は、戦後にはフランス歴史学界の主流をなすようになります。さらに、第三世代になると、フランスでは学会だけでなく、広く一般にもアナール学派の著作が読まれるようになりました。例えば、先ほど取り上げたル・ロワの『モンタイユー』は、出版されるやたちまちベストセラーを記録し、当時の大統領ミッテランもテレビで言及し、舞台となったモンタイユー村は観光客が押し寄せるほどだったそうです。
アナール学派の影響はフランス国内にだけとどまったわけではありません。ブローデルの『地中海』は、舞台であるイタリアやスペインで熱心に読まれ、アナールの運動に共感する歴史家たちも登場しました。ポーランドではマルクス主義史学が正統派を形成していましたが、彼らはアナールに多大な関心を寄せていました。イギリスでは概ね不評だったものの、イギリス史に関心のあったブロックだけは高く評価されており、またブラジルではかつてこの地で講義を行ったブローデルが記憶されています。
6.まとめ
やや駆け足でしたが、1950~80年代までのアナール学派の変遷を見てきました。最後に、その特徴をまとめてみます。
①特定の「ドグマ」の不在
通常、「〇〇学派」というと、特定の教義・理論・方法論に基づき研究を行っているイメージがあるかと思います(例えば、マルクス主義史学における経済決定論のような)。しかし、ここまで読んでいただいたとおり、アナール学派においてはそういった「ドグマ」は存在せず、逆に有効だと思った理論・手法はなんでも吸収してきた、という事実があります。このように特定の「理論」に固執せず、柔軟に理論を吸収・活用することこそ、アナール学派の第1の特徴です。
②多種多様な手法と対象の採用
①とも関連しますが、アナール学派は非常に多種多様な手法を、社会学、経済学、人類学、民族学、心理学など諸社会科学から吸収してきました。また、その研究対象も、地理、経済、人口、教育、宗教、思想、政治、心性、文化、家族、子供、女性など、非常に多種多様で、今回は紹介しきれなかったものもあります。こうした手法と対象の多様さが、アナール学派の第2の特徴です。
③全体史への志向
前回紹介した通り、フェーブルとブロックは、政治史に偏重する従来の歴史学を批判し、代わりに人間活動の全域にわたる歴史を考察対象とし、全体史を明らかにすることを目指しました。1950年代半ば以降になると、社会が多様な構造やシステムの混合物であると考えられるようになり、全体史を描くことはひとまず延期されますが、それでも最終目標として位置付けられています。このような全体史を志向することが、アナール学派の第3の特徴です。
④長期持続への関心
ブローデルは歴史を構成する3つの波動の中で、短期的な「事件」よりも、最も緩慢な変化しかしない「長期持続」に強く関心を持ちました。時系列史においても、数十年から数百年にわたる数量的変化が対象とされ、また心性史も、人間の心性は最も変化が遅いものだと見なしていました。このように短期的な変化よりも長期の持続に関心を抱くことが、アナール学派の第4の特徴です。
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アナール学派は、1990年代以降、影響力を失っていきました。それは、アナール学派が衰退したわけではなく、その手法が広く歴史学界に浸透したため、歴史学刷新運動がひと段落したからです。雑誌『アナール』は、現在でも続いています。
アナール学派が目指した人間集団やその構造、そして両者の関係性を分析する歴史は、「社会史」と呼ばれ、現代歴史学の主要な分野の一つとなっています。社会史の登場により、歴史学の扱う分野は爆発的に増加し、また、その手法も非常に多様化しました。かつてのような政治史に傾倒し、史料批判のみに終始する(それ自体は未だ歴史学の基本ではありますが)ような歴史学は、今日ではほとんど見られなくなりました。アナール学派の歴史学刷新運動は、まさしく歴史学界における「革命」だったわけです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考
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