【歴史学の歴史15】社会史の諸潮流
こんにちは、ニコライです。今回【歴史学の歴史】第15回です。
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前回・前々回ご紹介した通り、アナール学派は歴史学の刷新運動をけん引し、「社会史」の発展に大きく貢献しました。しかし、社会史の登場と発展はアナール学派だけの成果ではありません。アナール学派と同時期に、フランス以外の国々でも、政治だけではなく社会の、エリートだけではなく民衆の歴史を書こうとする潮流が登場していたからです。今回は、イギリス、イタリア、ドイツ、米国、そして日本における社会史の諸潮流について見ていきたいと思います。
1.イギリスの場合〜下からの歴史〜
19世紀後半のイギリスの歴史学界では、国民国家を自明のものとした国制史やエリートの歴史がその中心をなしていました。しかし、20世紀になるとこれに対抗した「反政治史」「反国制史」を掲げた潮流が生まれ、第二次大戦前から、庶民を対象とする「下からの歴史」や「人民の歴史」として社会史研究が本格的に開始されました。この時期の代表的な成果は、ジョージ・マコーリー・トレヴェリアンの『イギリス社会史』(1942)で、政治史を省略した庶民生活史を基本としました。
戦後、1950年代になると、福祉国家化の進展や労働運動の興隆、さらにマルクス主義の流行に影響を受け、イギリスの歴史学は社会経済史へと傾斜していき、労働者の歴史に強い関心がもたれるようになりました。共産党系の歴史家たちによって1952年に創刊された『過去と現在』が社会史研究の足場となり、オックスフォード大学でも、労働者階級の生活経験に密着するヒストリー・ワークショップ運動が展開しました。
1950‐60年代の労働史研究で記念碑的著作となっているのが、エドワード・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』(1963)です。トムスンはマルクス主義者でありながら、古典的マルクス主義の特徴であった経済決定論や発展段階論を退け、労働者のあり方を文化的・社会的に構成されたものとして、同時代の歴史的文脈から評価すべきだという立場を取り、イングランド下層階級の願い・理想・戦いを生き生きと描きました。

左の拡声器を持った人物。ケンブリッジ大学在学中に共産党に入党、1956年のスターリン批判後に離党するも、非共産党系左翼活動家として生涯活動した。大学での教員職にあったのはわずか3年ほどで、研究のほとんどは在野で労働・平和運動と並行して行っていた。
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1970年代においてもマルクス主義史学の影響が非常に大きく、19世紀の労働運動史を研究したエリック・ホブズボームや、フランス革命における群衆を研究したジョージ・リューデらが登場しました。一方で、都市史、人口史、家族史、女性史、植民地史、犯罪史など、比較的アナール学派に近い「新社会史」と呼ばれる潮流も形成されたのもこの時期です。

20世紀イギリスを代表する歴史家の1人。1936年、ケンブリッジ在学中に共産党に入党、56年のスターリン批判後も党に残り続けた数少ない歴史家の1人で、91年の解党まで籍を置いていた。主著として『創られた伝統』(1983)や『極端な時代―短い20世紀』(1994)が有名。
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1980年代になると、マルクス主義的社会史の見直しが進められます。大きな理由は、フェミニズムや多文化主義の登場により、労働者中心の歴史からより多元的な歴史が目指されたこと、そして、サッチャー政権の誕生に伴う新自由主義の台頭や東欧社会主義圏の衰退・解体により、マルクス主義そのものが効力を失ったためです。こうして、80年代には、バーバラ・ハナワルトに代表される日常文化史研究や、ジョナサン・クラークらによる修正主義的な研究が登場することになります。

近世イギリス史を専門とするクラークは、17世紀の市民革命を近代の始点とする従来の歴史観に対し、革命の意義を過小評価し、革命の前と後における連続性を強調した。
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2.イタリアの場合〜ミクロストリアの世界〜
イタリアにおいても、20世紀半ばまでに政治や国制だけでなく、構造的局面に着目した経済史・社会史が登場し、社会階級や労働、社会関係などをテーマとする研究が行われるようになりました。また、前回も少し紹介しましたが、ブローデルの『地中海』が注目を集めたこともあり、1950年代のイタリアの歴史家たちはアナール学派の影響を強く受けていました。
1970年代になると、アナール学派を批判的に乗り越えた独自の潮流、「ミクロストリア」が形成されます。ミクロストリアとは「微視的歴史」という意味で、アナール学派が反復的で、長期的で、広い空間に渡る「構造」や「長期持続」に関心を持ったのに対し、特定の共同体や特定の個人を対象とする単独的で、個人的で、狭い空間を対象とし、その細部を顕微鏡で見るように接近して観察する手法を取りました。
ミクロストリアの代表作は、カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』(1976)です。本書は「1600年前後の粉ひき男の世界」という副題の通り、16世紀に異端として処刑された粉ひきメノッキオの世界観を、彼に対して行われた異端審問記録から再構成したものです。ギンズブルグは、キリスト教の教義に反し、「神とは空気、土、火、水以外の何物でもない」とするメノッキオの世界観を、古来からの地中海世界における農民文化との関係で理解し、彼の処刑を、そうした農民文化を抹殺しようとする新しい経済と政治権力による行動と結びつけて説明しました。
3.ドイツ〜社会構造史から日常生活史へ〜
近代歴史学の牙城であったドイツでは、1960年代まで伝統的な政治史中心の歴史学が主流派をなしていました。ドイツにおいて社会史が花開いたのは、1969年にビーレフェルト大学に創設され、ここでビーレフェルト学派と呼ばれるグループが誕生した1970年代以降のことです。
ビーレフェルト学派の中心にいたのは、ハンス=ウルリヒ・ヴェーラ―とユルゲン・コッカであり、彼らは、各時代の出来事・行為・事件の基礎にある社会構造を、政治・経済・法制など多種多様な現実領域から成る全体と捉えて分析する「社会構造史」を提唱しました。そして、この社会構造を理解するために、カール・マルクスやマックス・ヴェーバー、ユルゲン・ハーバーマスらの社会理論を積極的に活用していることが特徴です。

戦後西ドイツを代表する歴史家。1952年の米国留学をきっかけに社会史に関心持ち、帰国後に歴史学を専攻するようになる。真新しい理論を提唱したり、新領域を開拓したわけではないが、戦後立ち遅れていたドイツ歴史学を建て直し、国際水準に復帰させた功績は大きい。
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アナール学派が主に中近世を研究テーマとしたのと対照的に、ビーレフェルト学派では、近代以降の工業社会に関心がもたれました。というのは、彼らの根本的な関心が、なぜナチスが出現したのか、その原因を追求することだったからにほかなりません。こうしてヴェーラーは、ドイツでは経済と社会の分野では近代化が進んだ一方で、政治的には遅れをとっていたという近代化の不十分さが、ドイツの悲劇を招いたと結論するドイツ近代史を提示しました。

ヴェーラ―ら戦後ドイツの歴史家たちは、ナチズム登場の歴史的説明こそがドイツ近現代史における最大の問題とする歴史観を共有していた。英仏を「正常」とした場合、ドイツは逸脱した近代化をたどったとする彼らの主張は、「特有の道」論と呼ばれる。
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しかし、ビーレフェルト学派のヘゲモニーは短命に終わることになります。ヴェーラーらの研究は社会構造を把握しようとする巨視的歴史であり、人々の日常生活や文化的側面についてはほとんど取り上げていなかったことが批判の対象となりました。また、近代化を肯定的に捉えるその歴史観も、工業化や近代化、さらにはヨーロッパ近代そのものが批判対象となると、若い世代からの共感を得にくくなってしまったのです。
このため1980年代になると、政治史と関連する構造やプロセスではなく、より「平凡なこと」や「小さき者たち」に焦点を当てるべきだとするグループが登場します。「日常生活史」と呼ばれるこの潮流は、80年代以降にビーレフェルト学派から交代し、ドイツ歴史学界の主流をなすようになります。日常生活史の代表的研究としては、ハンス・メディックによる南ドイツの農村のおける産業・社会的実践・自己認識に関する研究や、ドロテー・ヴィアリングによる、農業的な封建社会から都市的な資本主義社会への移行過程における女性の家事奉公人の日常生活研究があげられます。
4.米国の場合~数量史とアイデンティティ・ポリティクス~
19世紀後半、ヨーロッパへの留学生たちによって、米国にもランケ流の近代歴史学が導入され、米国でもヨーロッパと同じような政治史中心の歴史研究が定着します。また、歴史学の制度的な専門化も進み、1884年には専門家団体としてアメリカ歴史協会が設立、1895年には、専門雑誌である『アメリカン・ヒストリカル・レビュー』が創刊されました。
しかし、20世紀に入ると、ドイツ歴史学の模倣ではなく、一般大衆を対象とする新しい歴史学が目指されるようになります。「ニュー・ヒストリー」と呼ばれるこの新潮流は、隣接科学である経済学と社会学の手法を取り入れた歴史研究に取り組みました。代表例としては、チャールズ・ビァードによる合衆国憲法成立の経済的・社会的要因に関する研究などがあげられます。
第二次大戦後の1950年代になると、米国の経済史学界においても数量化の波が押し寄せ、「クリオメトリックス」あるいは「ニュー・エコノミック・ヒストリー」と呼ばれる数量史研究が盛んに行われるようになりました。米国における数量史研究の古典とされるのが、ロバート・ウィリアム・フォーゲルとスタンレー・エンガーマンによる共著『苦難のとき』(1974)です。本書は、黒人奴隷の農場労働・生産および家族生活に関する研究ですが、奴隷経済は自由主義経済よりも効率的であり、奴隷制廃止が米国の経済を後退させたと結論付けたことで、徹底的な批判を受けることとなりました。

フォーゲルとエンガーマンの研究は、奴隷制度の収益性に関する論争の中で書かれた著作であったが、その結論のみならず、数量史家たちからも、量的データを質的な主張へ移し替える際の恣意性が批判された。
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20世紀の米国における歴史学のもう1つの潮流として、「アイデンティティ・ポリティクス」を上げておきます。こちらは1960‐70年代における公民権運動や女性・同性愛者の解放運動などを背景として登場した潮流で、女性や移民、民族的・人種的マイノリティや性的マイノリティなど、従来の歴史研究では排除されてきた人々を対象とし、彼ら・彼女らの目線からの研究が盛んに行われるようになりました。
5.日本〜社会史ブームの到来〜
第二次大戦後、日本の歴史学界では、マルクス主義史学と大塚久雄を中心とする比較経済史学派がその中核となりました。マルクス主義史学はその拠点となった歴史学研究会を通じて、歴史学者だけでなく小中高の教員や一般の歴史愛好家にも広く影響力を持ちました。また、比較経済史学派は、マルクスとウェーバーを接合した独自の理論を展開し、その近代化論は戦後復興期の日本社会に広く影響を及ぼしました。
しかし、1960年代になると、マルクス主義はその理論的硬直性が指摘され、さらに社会主義国の実態が明らかになってきたことで、権威を失墜させていきます。また、公害問題など経済発展の負の側面が顕現したことで、近代化を肯定する比較経済史学派も魅力を失っていきました。
こうして新しい歴史学が望まれる状況の中、1970年代になると、ヨーロッパに留学した西洋史研究者たちによってアナール学派の研究成果が翻訳・紹介され、日本でもアナール流の社会史が導入されます。そして、単なるアナール学派の模倣に留まらず、日本独自の社会史研究の成果も発表されるようになっていきます。
例えば、二宮宏之は、社会史を従来の社会構成史・国家論を結び付け、都市・ギルド・村落共同体などの社団が王権の秩序を成り立たせていたとする、近世フランスにおける絶対主義研究を発表しました。また、ドイツ中世史を専門とする阿部謹也は、ドイツのハーメルンに伝わる笛吹き男の伝説から、実際に起こったとされる子供の集団失踪事件の謎を解明しつつ、ヨーロッパ中世における差別問題を明らかにしました。

「ハーメルンの笛吹き男」はグリム童話の1つとして有名だが、当のハーメルン市では、1284年6月26日に実際に起きた130人の子供の失踪事件として伝えられている。
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日本における社会史研究を語るうえで、欠かすことができない人物が、網野善彦です。網野は日本=農業国家とする従来の歴史観を批判し、漁民、旅芸人、遊女、浮浪の民などの非農業民を対象とする研究を注力しました。1978年に発表された『無縁・公界・楽』では、遍歴漂白の旅人、芸能民、聖などが担ってきた「無縁」の原理に注目し、日本中世における自由と平和の隠れた伝統を明らかにしました。
こうした阿部や網野の研究は、学界のみならず、広く一般の人々に間でも話題となり、1980年代には「社会史ブーム」と呼ばれる社会現象が巻き起こりました。先ほど挙げた『無縁・公界・楽』は、歴史書としては極めて珍しくベストセラーを記録し、後に増補版も出版されています。
6.まとめ
前回も紹介した通り、社会史の登場によって、歴史学の対象・手法は多様化していきました。今回紹介した社会史研究は、今から半世紀ほど前のものになりますから、当然、現在では批判されているものもあります。しかし、全否定されているわけではなく、批判したうえでその遺産を享受している、というのが正しく、現代の歴史学も20世紀に登場した社会史研究の延長線にいることは間違いありません。
ところで、なぜ社会史の研究はここまで世界的に広まったのでしょうか。第1に、社会からの要請があげられるでしょう。いずれの国においても、最初は社会主義やマルクス主義によって、時代が下るとフェミニズムや反差別運動などの影響を受け、下からの歴史や社会経済史を発展させてきているように見えます。このような現実的な社会問題に対応するように、社会史が注目されたという面があると思います。
第2に、社会史の研究は読み物として非常に面白い、ということがあげられます。研究者ならばまだしも、一般の読者からすれば、堅い制度史や縁遠いエリートの話よりも、民衆史や日常生活史の方がより身近に感じられるでしょう。また、ミクロストリアが手掛けた個人の歴史をたどる手法は、小説のような感覚で当時の人々の人生や心性を伝えてくれます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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