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【歴史学の歴史9】啓蒙主義的歴史観

こんにちは、ニコライです。今回は【歴史学の歴史】第9回目です。

前回の記事はこちらから。

18世紀、新たな思想的潮流がヨーロッパを席巻します。それは、人間の理性を重視し、知識の普及と教育によって無知蒙昧な段階にある人々を啓発し、旧弊を打ち破ろうとする「啓蒙主義」です。啓蒙主義は政治思想として、アメリカ独立革命やフランス革命、プロイセンやロシアにおける社会改革の精神的支柱となりましたが、歴史研究にも多大な影響を与えることになります。今回は、啓蒙主義の時代の歴史学について見ていきたいと思います。


1.啓蒙主義の登場

啓蒙主義とは、フランス語で「リュミエール」、英語では「エンライトメント」といい、「」あるいは「照らす」という意味であり、「批判の精神」という「光」によって、無知をなくし、偏見を正し、差別を直視し、その改善を図ろうとする思想です。啓蒙主義は主に次の3つの要因によって登場しました。

第1に、新興市民層の台頭です。15世紀に始まる大航海時代以降、貿易によって財をなした商人たちが、王侯貴族や聖職者と並ぶ力を持つ勢力として成長してきます。彼らは、オランダ独立革命や、イギリスでのピューリタン革命・名誉革命を経て、政治的権利をも獲得するようになります。そして、こうした新しい社会層の権利を擁護するための思想が必要とされるようになったのです。

第2に、世界観の転換です。コロンブスのアメリカ大陸「発見」を皮切りに、ヨーロッパ人たちは大規模航海によって世界中に進出していきました。こうしてそれまで未知の土地であった新大陸、インド、中国、アフリカなどの情報がもたらされたことで、従来のキリスト教的世界観に代わる、新たな世界の見方が求められるようになったのです。

第3に、認識論の転換です。中世西欧では、知識や真理は神の啓示によって示されるものであり、自然について語る際も神学的・哲学的解釈が必要不可欠でした。しかし、近世に入ると、実験や観察に基づき自然の姿を明らかにしようとする活動が活発になり、17世紀後半には「科学革命」と呼ばれる近代科学の確立にまで行きつきます。このような転換によって、神の啓示や宗教的権威が否定され、理性に基づく合理的な説明が重視されるようになります。

これらの出来事が基礎となり、18世紀の啓蒙主義の登場を後押ししました。そして、人類の歴史についても、キリスト教から解放され、全世界を包括する新たな歴史叙述が求められるようになります。

2.ヴォルテール・歴史叙述の新たな展望

それでは、いよいよその新たな歴史叙述を見てみましょう。最初に取り上げるのは、フランスを代表する啓蒙思想家であるヴォルテールです。

ヴォルテール(1694−1778)
パリの法律家フランソワ・アリエの次男。青年時代から劇作家として名声を博すが、一方で、専制や貴族政治、宗教的不寛容との戦いに身を投じた。
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ヴォルテールは主著『ルイ14世の世紀』の中で、本書の課題を次のように述べています。

一個人の行跡ではなく、文化史上最も栄えある世紀に、生を享けた人々の精神の歴史を、後世に語り伝えるのが筆者の希望だ。

ヴォルテールは、キリスト教的な人類救済史でも、古代ギリシャ以来の戦争史でも、あるいは君主個人や王朝の歴史でもなく、人類の文化史・精神史について記そうというのです。そして、ルイ14世の時代を、人智が進歩し、最も完璧の近づいた時代と称賛し、同じように芸術の完成と人智の偉大さが発揮された世界史上の特筆すべき時代として、フィリッポスとアレクサンドロス大王の時代、カエサルとアウグストゥスの時代、イタリア・ルネサンスの時代をあげています。

ルイ14世(1638−1715)
フランス国王。「太陽王」とも呼ばれ、戦争による領土拡張、壮麗なヴェルサイユ宮殿の建設などで知られ、ブルボン王朝の黄金時代を築いた。
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実際にヴォルテールは、内政、司法、商業、公安、立法、軍規、海軍など、これまでの歴史書にはなかった新しい分野について取り上げ、学問や芸術についても章を割き、さらに宗教問題や経済事情について述べています。このように、従来の歴史学の型にとらわれず、社会史や文化史など幅広い分野にその叙述が広がっているのです。

ヴォルテールのもう一つの主著は『諸国民の風俗および精神についての試論』です。197章・1650頁におよぶこの大著は、ヨーロッパ以外にも、中国、日本、インド、ペルシャ、アラビア、モンゴル、トルコ、アメリカ、アフリカなど、全世界を対象しており、『ルイ14世の世紀』と同じく、法、風習、学問、宗教など文化史・社会史に多くの章を割いています。そして、キリスト教史観でお決まりだった天地創造ではなく、中国史から叙述が始まっていることも大きな特徴です。

エミリー・デュ・シャトレ(1706−1749)
ヴォルテールのパトロンにして愛人。彼が『風俗試論』を執筆した動機は、シャトレ夫人が、ボシュエの『普遍史』に不満を持ち、その続きを書くように依頼したことにある。
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このように、ヴォルテールは従来の救済史観を排し、社会史・文化史に力点を置き、ヨーロッパのみならず、アジア、アフリカ、アメリカをも含んだ新たな歴史叙述の展望を開いたのです。

3.コンドルセ・人間精神の進歩

そんなヴォルテールを崇拝し、「理性」に重きを置く歴史を展望したのが、コンドルセ『人間精神進歩史』です。

コンドルセ(1743−1749)
フランス革命期の啓蒙主義者。立法議会議員として活躍したが、ジャコバン独裁が始まると投獄され、獄中死した。本書は、死の4ヶ月前に書き上げられたもので、『歴史』という大著の導入部分として構想されていた。
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本書は、世界史でも、諸民族の歴史でもなく、「人間精神の進歩に関する歴史的展望」であり、「人類が経過してこなければならなかったいろいろの次期を性格づけている一般的な特徴」を示すもの、とされています。ここでコンドルセが「進歩」という言葉を使っていることが特徴的です。古代ギリシャ人は歴史は循環すると考え、キリスト教徒たちは歴史は終末に向かう過程と考えており、時間を経るごとにより良くなっていくという「進歩」の概念は、極めて新しいものでした。

コンドルセは、人類の歴史を次の9つの段階に区分しています。

①狩猟・漁労状態
②遊牧民から農耕民への移行
③文字を持つまでの農耕民族の進歩
④ギリシャにおける人間精神の進歩
⑤ローマ時代を中心とする学問の進歩
⑥ローマ崩壊後の知識の衰退と十字軍における復興
⑦西欧における学問の復興と印刷術の発明
⑧科学および哲学の権威からの解放
⑨デカルトからフランス共和国建国まで

よく見てみると、狩猟や遊牧、農耕といった生業、学問、技術など、文化史・社会史上の出来事を基準に区分されていることがわかります。ここにはキリスト教史観でおなじみの天地創造も、ノアの大洪水も、イエスの誕生も登場していません。それどころか、序論で「自然がわれわれを生んだ地球」と述べているように、神による天地創造を否定しています。コンドルセの歴史は、完全にキリスト教史観とは別物といえます。

ヴォルテールが世界規模の歴史を叙述したように、コンドルセもまた、地球規模で歴史を構想しており、アジアやアフリカにも言及しています。しかし、アフリカは①の段階、アジアも③の段階でとまり、④~⑨までの「進歩」を遂げたのはヨーロッパのみであると考えていました。先ほどの9区分という縦軸に対し、「進歩したヨーロッパ」「停滞したアジア」、そして「未開・野蛮なアフリカ・アメリカ」という横軸が重なっているのです。

コンドルセは「理性」を重視し、「進歩史観」を明瞭に打ち出しました。しかし、その進歩史観には、ヨーロッパの優越とアジア・アフリカ・アメリカへの蔑視という危うさが含まれていました。

4.ガッテラー・普遍史から世界史へ

次に、ドイツにおける啓蒙主義的歴史学について見ていきましょう。ドイツにおける歴史学の中心地となったのが、ゲッティンゲン大学です。ハノーファー選帝侯ゲオルグ・アウグスト英国王ジョージ5世)によって創建されたこの大学は、神学部を排除した自由な校風が特徴であり、1766年に「歴史学研究室」が設立され、ここから後の時代に「ゲッティンゲン学派」と呼ばれる優れた歴史学者たちが次々に登場することになります。

ゲッティンゲン学派の開祖であるガッテラーは、4冊の歴史教科書を執筆しています。そのうち最初の2冊である『普遍史教科書』『普遍史序説』は、中国や日本、インド、アラビアを含み、宗教や政治制度・教育制度など文化史を重視している点はヴォルテールなどと共通しています。一方で、その記述は天地創造から始まり、年代も創世紀元が使われ、各民族の出自もノアの3人の息子たちの系譜に連ねられ説明されているなど、キリスト教的歴史観に基づいていました。

ヨハン・クリストフ・ガッテラー(1727−1799)
32歳のときにゲッティンゲン大学に招聘され、ドイツには有用な歴史の教科書がなかったことから『普遍史教科書』を執筆。その講義は大人気で、教室に入れず窓の外から聴講する学生もいたという。
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しかし、後半の2冊である『世界史』『世界史試論』は、前期の2冊に入っていた「普遍史」の語が使用されなくなり、代わって「世界史」の語が使われています。そして、その内容も、聖書の記述が伝説的歴史として扱われるようになり、諸民族をノアの系譜に連ねることもやめるなど、普遍史的要素を大幅に減らしています。ガッテラーは敬虔なキリスト教徒であり、聖書そのものを否定はしませんでしたが、合理的な歴史叙述をするために普遍史を否定せざるを得なかったのです。

5.シュレーツァー・世界史の世俗化

ガッテラーと同じように、普遍史家から世界史家へと転換した人物としてあげられるのが、当時最も代表的な啓蒙主義者の一人であったシュレーツァーです。彼もまた、初期の著作は『普遍史の観念』というタイトルで、「世界が成立してから6000年になる」と述べているように、聖書的時間の枠組みを採用していました。

アウグスト・ルートヴィヒ・フォン・シュレーツァー(1735−1809)
もともとロシアのアカデミーに在籍し、スラヴ史・北欧史の専門家として知られていた。絶対主義の批判者でもあり、かのマリア・テレジアはことあるごとに「シュレーツァーが聞いたらどう思うだろか」と恐れていたという。
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しかし、『普遍史の観念』の改訂版では、タイトルが『世界史』へと改題され、内容も、モーセ以前の時代を「寓話・伝説的な世界」と規定し、世界史の対象をアケメネス朝のキュロス大王以降とするなど、大きな変更が加えられています。そして、啓蒙主義者にふさわしく、世界史の目的は、批判的研究によって検証された「諸事実」の体系的記述により現状の根本的理解に資すること、そして、それを通じて読者である市民の判断力向上に資することだと主張しています。

さらに、シュレーツァーが革新的だったのは、年代表記にキリスト紀元を使用したことでした。キリスト紀元は、6世紀のディオニシウスによって発案されたものでしたが、長らく創世紀元の補助としてしか使用されてきませんでした。しかし、シュレーツァーは『世界史』の中で、創世紀元を完全に廃止し、初めてキリスト紀元のみの年代を表記したのです。シュレーツァー以降、キリスト紀元による年代表記はドイツ歴史学の中で急速に広まり、そして、現在使用されている西暦へと至るのです。

6.まとめ

最後に、啓蒙主義的歴史観の特徴をまとめてみましょう。

①脱キリスト教
なんといっても、最大の特徴は歴史から聖書の記述を排除したということです。科学革命によって自然が神から解放されたように、啓蒙主義は歴史学と宗教を切り離し、合理的な歴史叙述を確立したのです。

②記述対象の幅広さ
啓蒙主義的歴史は、ヨーロッパのみならず、中国、日本、インド、アラビア、アフリカ、アメリカなど、全世界をその対象としています。さらに、政治史・軍事史、王朝史のみならず、幅広く文化史・社会史についても詳しく記述しており、啓蒙主義者たちの視野の広さが伺われます。

③進歩史観
啓蒙主義者たちは、時代を経るごとに人類社会は発展しているという「進歩」を信じていました。この進歩の考えは、ヨーロッパの経済的・科学的発展を賞賛する一方で、その裏にはアジアやアフリカ、アメリカといった非ヨーロッパ地域を「停滞」した地域とみなし、植民地主義を肯定しさえする危うさを含んでいました。

啓蒙主義的歴史学の登場は、これまでヨーロッパで支配的だったキリスト教史観に代わる新たな歴史観を準備したという意味で、歴史学における大きな画期となりました。これ以降、歴史学はますます科学性を強めていき、宗教や文学から独立した独自の学問として発展していくこととなります。

その一方で、ヨーロッパだけが進歩し、その他の地域は停滞しているという考えは、昨今批判されているヨーロッパ中心史観を要因にもなりました。啓蒙主義者たちに悪意はなかったとはいえ、こうした問題も抱えていたことは指摘されておくべきでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考

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