どうやら私は、ひとりだけ別の世界に住んでいるようだ #1
「最寄り駅からすぐですから、絶対に迷うことはないですよ。とてもわかりやすい位置にあります」
そのような説明を受けると不安になる。
「大丈夫ですよ!ウチに来るのに迷いましたなんて人いませんから!」
これに対して「初日だからお出迎えに来てください」などと言えるだけの精神力やコミュニケーション能力を持っていれば、どこの職場へ行ったとしても大抵のことはうまくやっていけるだろう。
件のウチの会社というのは、とある駅の改札を出てまっすぐ。
しばらく歩いて左折。
その先の古びたビルだった。
目の前に公園もあった。
これは、世界の中で私を除いた全人類共通の「わかりやすい」位置だったのかも知れない。
でも、世界の中で私だけが、これが全人類共通にはならない可能性にいち早く気付いていた。
問題は、どこの交差点で左折すれば良いのかという1点だけに絞られていた。
最初の頃は、慎重に左折しては確認し、違えば引き返すことを繰り返しながらなんとかたどり着いていた。
しかし、一発でたどり着ける頻度が少し増えてくると、人間とは調子に乗るものだ。
次第に、主に自分に近い、右手側の看板を目安に思い切って左折するなどという冒険をし始める。
これは手に汗握る壮大な挑戦だ。
生きるか死ぬか。
出勤できるかできないか。
この冒険の成否を握る一番のカギは考えごとだ。
気付いたときには、交差点なんて単語は脳細胞1つ分にも残っていない。
頭の中でプログラムをガリガリ書いている。
こうなってしまうと、左折すべき交差点にたどり着くというのがさらに大変な仕事になってしまうのだ。
そもそも、興味のない看板など覚えていられない。
しかも、その看板はある日突然入れ替わる。
街の景色というものは、ときにそのように過酷で残酷な試練を課してくるのだ。
雰囲気が違えば、それはもう別のものであって、目印にはなり得ないのだ。
そもそも、直進しただけなのか、途中でなんとなく気分で曲がったのか、その記憶すら疑わしい。
結局、そのような事態に陥ると、あっという間に30分やそこら経過してしまう。
ターミナル駅での迷子時間と合わせると1時間近くに及ぶこともザラである。
もちろん、それを見越して自宅を出るので、ギリギリ出社になることは多かったが、遅刻をしたことはなかった。
「ウチに来る前にも使っていた駅なんだから迷いようがないでしょ」
なんて気楽なことを言っていた同僚は、ほどなくして出張時や他社訪問時、可能な限り早いタイミングで私をピックアップするようになっていったのだった。
これは、私が冒険に勤しむ後ろ姿を幾度となく見てきた同僚が、ときには危険な挑戦へ向かう私を引き止めながら、経験として学んだ結果なのだろう。
📖 全4話
どうやら私は、ひとりだけ別の世界に住んでいるようだ #2
どうやら私は、ひとりだけ別の世界に住んでいるようだ #3
どうやら私は、ひとりだけ別の世界に住んでいるようだ #4
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