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ドストエフスキー夫妻の出会いと馴れ初め、結婚生活について

さて、前回の記事から私のヨーロッパ旅行記『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』が始まりました。

新婚のドストエフスキー夫妻はヨーロッパへ1867年に旅立ちます。(当時ドストエフスキー46歳、アンナ夫人21歳。なんと、25歳の年の差婚でした。これは当時としても珍しいそうです。)

「ほお、新婚の2人はハネムーンで楽しい旅行を始めたのか」

そう思ってしまうかもしれませんが、実はこれが違うのです。2人の旅はそんなに甘いものではなかったのです。(有名なのがバーデン・バーデンでのドストエフスキーのギャンブル地獄や、ジュネーブでの貧困生活です。この旅行記でも詳しくお話ししていきます。)

ではなぜ彼らはそんな風変わりな旅をしなければならなかったのか。

結論から言いますと、借金取りからの逃亡と悲惨な家庭環境からの脱出。これに尽きます。

ドストエフスキー夫妻は新婚早々破滅の危機にありました。そんな窮地を脱出するためのヨーロッパ旅行だったのです。

そして逃避行とも言えるこの旅の最中で妻アンナ夫人は妊娠し、ドストエフスキー初めての子を出産することになります。妻と子のために奮起するドストエフスキーは狂気のごとく執筆に励み『白痴』を完成させ『悪霊』の草稿を書き進めています。

本来ならばこの連載でもその詳しい過程をお話しできたらよいのですが、それはメインのブログの記事を見て頂く形にし、ここnoteではシンプルに旅行記部分を紹介していくことにしたいと思います。

ただ、この記事ではその案内板として、二人の旅の前提となる記事をご紹介していきます。

これから紹介する記事を読めばドストエフスキーその人やアンナ夫人の人となりが見えて後の旅行記もより楽しめることでしょう。

では、早速始めていきます。

(1)妻アンナ夫人と出会うまでのドストエフスキー(1821~1866年「誕生から『罪と罰』頃まで)をざっくりとご紹介

この記事ではドストエフスキーが妻アンナ夫人と出会うまでの前半生をざっくりと振り返っていきます。

彼の波乱万丈な人生を短くまとめるのはなかなかに難しいことではありますが、できるだけコンパクトに要点をまとめてみました。

ドストエフスキーがいかに苦しい人生を送ってきたかを知れば、アンナ夫人との出会いがいかに幸運なものであったかがはっきりすることでしょう。

(2)ドストエフスキーとアンナ夫人との出会い~絶望的な状況で始められた『賭博者』の口述筆記

この記事ではいよいよ今回の物語の主人公であるドストエフスキーとその妻アンナ夫人の出会いについてお話ししていきます。

二人が出会ったのは1866年の10月のこと。ドストエフスキー45歳、アンナはなんと20歳の年でした。この時彼女は速記の講義に通う学生だったのです。 なぜこうも年の差ある二人が出会うことになったのか。まずはアンナ夫人の声を聞いていくことにしましょう。

(3)ドストエフスキーとアンナ夫人の恋のはじまり~『賭博者』口述筆記の共同作業を通して急接近する2人

前回の記事ではドストエフスキーとアンナ夫人の出会いをお話ししました。 今回の記事ではそんな2人の恋の始まりについてお話ししていきます。

「・・・いつになったらあなたの旅行記は始まるんですか?」

まあまあ、まずは2人の馴れ初めから結婚までゆっくり見ていこうではありませんか。その方が必ずや旅の空気というものが伝わるというもの。今しばらくお付き合い願います。 では、始めていきましょう。

(4)文豪ドストエフスキーの一風変わったプロポーズ!アンナ夫人に小説仕立ての愛を告白したドストエフスキーの大勝負!

『賭博者』の執筆は順調に進み、期限までに完成することになります。 しかし、この仕事が終わってしまえばもう二人は今までのように会うこともなくなってしまいます。せっかく恋が芽生え始めたのにそれも終わってしまうのか・・・ さあ、どうするドストエフスキー! そしてついに、彼は一世一代の大勝負に出ます。 ・・・プロポーズだ! そしてこのプロポーズが何ともドストエフスキーらしくてたまらない。 この記事では文豪ドストエフスキーの一世一代のプロポーズを紹介します。ぜひ彼のプロポーズを皆さんも見届けてください。

(5)結婚初期のドストエフスキーの危機的な経済状況~なぜ彼はいつまでも貧乏なままだったのか

前回の記事で見たように、めでたく結ばれた二人は翌1867年2月15日に結婚式を挙げ、同居をスタートします。 ですが案の定と言うべきか、幸せいっぱいに思われた新婚生活は問題が山積みでした。

この記事ではそんな二人の第一の問題である経済状況を見ていきます。この経済問題があったからこそ二人は後に西欧へと旅立たねばならなくなってしまったのです。

(6)ドストエフスキーが生涯苦しんだ持病てんかんの発作を目の当たりにするアンナ夫人

彼の抱えていた問題は借金だけではありませんでした。 ドストエフスキーのてんかんは彼の代表作『白痴』の主人公ムイシュキン侯爵や『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフを通して描かれています。

特に『白痴』はアンナ夫人とのヨーロッパ旅行中に執筆されたものであることも意味深いです。ドストエフスキーは常にてんかんの発作に怯えて生きていかなければならなかったのでした。

(7)客だらけのドストエフスキー家の家庭状況と新婚早々親類からの嫁いびりに苦しむアンナ夫人

これまでドストエフスキーの経済状況、持病のてんかんと彼の抱える問題を見てきましたがその最後に彼の家庭環境を見ていきます。

実はアンナ夫人の新婚生活にとって最も苦しかったのがこの家庭環境だったのでした。 嫁いびりといえばよくあることのように思えてしまうかもしれませんがそこはあのドストエフスキー家です。やはり一筋縄ではいかない苦難をアンナ夫人は味わうこととなりました。

(8)いよいよ旅の始まりへ~ドストエフスキー夫妻はなぜヨーロッパへ旅立たねばならなかったのか

前回の記事では心理描写の鬼ドストエフスキーも家庭ではどうしようもないただの夫にすぎなかったことを見ていきました。 誰にも理解されず、孤独を味わうアンナ夫人はいよいよ精神的に追い詰められていきます。

そしてついにコップの水が溢れるように、その時は来たのです。 彼女は悲しみあまり泣き崩れてしまうのでした。

そしてこれが彼らの4年にもわたる西欧放浪のきっかけとなるのです。 この記事ではドストエフスキー夫妻が旅に出ることになったその顛末をお話ししていきます。

おわりに

さて、ドストエフスキーが旅に出るまでのエピソードをこうして紹介しましたが、いよいよ次の記事から旅の本編へと入っていきます。

この旅はドストエフスキーにとって決定的に大きな意味を持つことになりました。そしてアンナ夫人との山あり谷ありの結婚生活は現代を生きる私たちにとっても非常に刺激的なドラマでもあります。超一級の小説と言っていいほどです。私はそうした二人のドラマに心底惚れ込みこの旅に出たのでありました。

では、いよいよ旅を始めていきましょう。最初の地はドイツの首都ベルリンです。

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主な参考図書はこちら

また、こちらの記事ではドストエフスキー小説をもっと楽しむためのおすすめの解説書をまとめています。ぜひこちらもご参照ください。

ドストエフスキーのおすすめ書籍一覧はこちら
「おすすめドストエフスキー伝記一覧」
「おすすめドストエフスキー解説書一覧」
「ドストエフスキーとキリスト教のおすすめ解説書一覧」

ドストエフスキー年表はこちら


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