銀蛇謳海~38~なんでもするから
夜礼は伊奢沙別との待ち合わせ場所の『竜宮』の小高い丘へとたどりつきました。
階段状に隆起した丘の斜面のところどころに白亜の東屋が据えられています。丘の頂上は広くテーブル状になっているのですが、そこには驚くほどたくさんの神さまがひしめいていました。
ー困る。これじゃあ、どこにイザサがいるか分からないぞ………。
夜礼は袖に手を突っ込み眉根を寄せ、親の仇でもみるようにひしめく神さまを見ました。
「…………よし、帰ろう」
彼が来た道を引き返そうとすると何処からか手が伸びてきて、神さまたちの輪の中に引っ張り込まれました。
「あんた何の神だ? みたことない面だがまあいいや、聞いたか綿津見はもう長いこと離宮から出てこないらしいぞ」
「なに? 海わ、いや綿津見さまに何かあったのか?」
夜礼を引っ張り込んだ神さまとは初対面でしたが、馴れ馴れしくも世話好きそうな老年の神は大通りで起こったことから綿津見の蟄居まで駆け足で話しました。
途中、何度も夜礼が聞き返すのでそのたびに左右の神々が説明に加わり、嘘か真か分からないことまで含めてこもごもに捲し立てました。
夜礼が大変な衝撃を受けたのはお分かりでしょう。起こってはならないことが起こったのです。
それは“夢”の通りでした。双子を送り出したのは他でもない自分です。変わり果てたウトゥと残されたサナを思うと悔やんでも悔やみきれません。
次に起こるのはーーー鯨骨に囲まれた自分か、海若の砕ける髪冠か………。意味するところは分からずとも、予言は不吉さだけをはらんでのしかかってきます。
「違う………なんでこんなことに。どうすれば………、どうすれば………」
周りにいる神の目に蒼白な顔になった夜礼は、ただ綿津見の暴挙を嘆いているようにしか見えません。老神は慰めるように言いました。
「皆が集まって知恵を出しておる」
「知恵? どうか………お力を貸してほしい。綿津見は貴方たちが言うような凶暴な神ではないし、我が事のみに没頭するようなこともない。彼は………他ならぬ『竜宮』のために『黄泉』で禁断の食べ物を食して戻ったんだ!」
「なんと!?」
「黒い神よ、その話は初耳じゃぞ」
「『黄泉』の食べ物など口にしてなぜ戻ってこられた?」
「詳しく聞かせよ」と大勢の神さまたちが夜礼を取り囲みました。
夜礼は海若を救いたい一心でした。
まず彼が皆の言うような横暴な神ではないこと。天都比古禰の目を抉ったのも伊奢沙別に怪我を負わせたのも大勢の者が亡くなったのも、彼の本意ではないこと………。それを伝えようとしたのです。
夜礼の口から出るの言葉は後悔と焦りに操られていました。
月読に釘をさされたことなど消し飛んで、『黄泉』での顛末と影が彼の心身を苛むものであることを洗いざらい喋ってしまったのです。
夜礼は起きてしまったことと、起こることの間で冷静さを失っていました。そのことさえ気がつかず前のめりに話に話を継ぎます。
それがどれほど危ういものであったか………。この場が綿津見の一連の挙動を審議する神々の集まりであったことを彼は知らなかったのです。
寄り集まった神々の中には、天都比古禰もいましたし筒之男三神に沫那芸神、磯螺も、姿は見えませんが伊奢沙別もその場にはいたのです。
そして夜礼は知らぬ間に“証人”となって綿津見の『黄泉』での素行を、そして影のもたらすものを語っていたのです。
神々は風に大木の葉が裏返るようにざわめきました。
彼らが聞いていたのは夜な夜ななぶり殺される竜人の話でした。正体不明の邪な魚影の話でした。彼らが見た物は誇り高い竜神に振り下ろされる容赦のない波の刃でした。彼らが嗅いだのは大通りに溢れ出る血の匂いでした。彼らが見たのはかつての腹心の目を抉る王の姿でした。彼らが見たのは身を挺した若い神が傷つけられる場面でした。
何度も蒸し返され、憶測と疑心の中で綿津見はもうかつての綿津見ではないと、誰もが思い始めたところに降ってきたのが夜礼の話だったのです。
「『黄泉』の食物を口にしただと…………」
「自ら穢れを取り込むとは、やむを得ない選択とはいえ汚らわしいことを」
「その食べ物とは一体なんなのだ」
「やめてくださいな、胸が悪くなりまする」
男神女神もそれには露骨に嫌悪を示します。
それより何より神々が注目したのは影の影響でした。
それを分散させることができれば海若の負担は減ると夜礼は訴えます。夜礼は負担と言いますが、『真海』の神々にはそれは”危険”というほうが正しいでしょう。
議論は延々と繰り返えされました。
夜礼は天都比古禰の姿をみとめましたが以前はなかった眼帯が左目を覆っています。神々の中心にいましたが積極的に話すのではなく、成り行きを注視しているようです。
彼ならば自分の真意が分かってもらえるかも知れないと夜礼は、神さまたちをかき分けはじめました。
しかし彼に辿り着く前に結論は下されました。
「では綿津見の体を二つに別けることによって、影の脅威もそれぞれ半分になると!」
「体と魂だ。それをそれぞれ半々にする」
「各々に各々の役割を与え、いずれ神去りの時には骸は『竜宮』の礎に変わると」
「なかなかの妙案だ」
夜礼は青ざめました。
神さまはその神霊を性格によって荒御魂・和御霊に分かれることもあります。しかしそれは誰かによってなされるものでは決してありません。
「何言ってるんだ!!!」
夜礼は叫び続けました。他にも異を唱える神はいて、またもや四方八方から飛び交い始める声は、夜礼をその他諸々の中に紛れさせてしまいました。
「そんなことできるものか! やめろと言ったらやめろ!」
渦になった神々の声に封殺されながらも、やっと天都比古禰のいるひときわ高い丘の中心部へとたどりついた時です。
「彼がそれを受け入れることはないだろう」
天都比古禰の声に水を打ったように場は静かになりました。
「しかしそれをなさねば明日の『竜宮』はない」
またあちこちで声が上がります。
「この件、『高天ヶ原』に力添えしてもらうのが間違いない」
落ち着いた様子で目をふせていた沫那芸神がきっぱりと言いました。
「『高天ヶ原』にはわしと妻沫那美神が話をもっていこう」
と言う厳かな言葉に諾う声が溢れ、一応の決着に神々の気は緩み場はまたそれぞれにざわめき始めました。
「待てよ! 勝手に決めるな! 綿津見のことだぞ、何が体を分けるだ! 狂ってるのか!」
「どっかで見たと思っていたが、瀬織津姫に抱きついておった不埒者ではないか」
叫ぶ夜礼を捕まえて見知らぬ若い男神が言いました。するとあっという間に彼は囲まれ、吊るしあげられました。そのようなことにはかかずらってはいられません。
半ば力づくで男神たちの包囲を脱すと伊奢沙別とようやく出会いました。
「探していたんだ、イザサ!」
「深淵之水よ、この場に間に合ってよかった」
「いやちっともよくないんだ。愚かなことをやめろとイザサから言ってくれ」
しかし伊奢沙別は渋い顔をしてうんともすんとも言いません。
「なあ、頼む。俺じゃだめだ、誰も聞きやしない。助けてくれ、海若を!」
そう言って伊奢沙別の肩を掴みました。傷は癒えていましたが万全ではありません。伊奢沙別はうめき声を漏らして肩を抑えました。
「あ……、すまない」
「黒いの! 何しているんだ。鹿角の主は綿津見に怪我を負わされているんだぞ」
先ほどの男神たちが彼と伊奢沙別を引き離します。
「わ、悪かった。だが頼むよ、一生のお願いだ。お前から皆にやめさせるように言ってくれ」
しかし伊奢沙別は目を逸らしたまま男神たちの中に消えていきます。
「イザサ! 待って、お前の頼みは何でも聞く。仕事も手伝う」
耳を傾けまいとする伊奢沙別の抵抗が背中に滲みます。彼は惨殺の渦中にいたのです。それでも夜礼は叫び続けました。
「行かないでくれ! 頼むから」
夜礼は最後の頼みの綱とばかりに彼を追いますが、男神たちが壁となって塞がります。
「行くな! なんでもするから! なんでもするから!!!」
伸ばした手が届くことなく彼は遠ざかり、夜礼は男神たちによって丘の下へと突き落とされたのでした。
続く
布団から出てみたところで空回り………。それでも夜礼は。次回、明かされる『竜宮』創生の謎!いいなと思ったら応援しよう!
読んでくれてありがとうございます。