銀蛇謳海~24~酩酊
そこへ波渡りに興じていたイサラメと海若が戻ってきました。先ほどまでの深刻な雰囲気はかき消えます。
偉ぶっていようと気怠げでいようと、そこにいるだけで海若には他者の心をさらうようなところがあります。機嫌の良い時ならなおさら、清涼な光の粉でも撒かれたような心地にさせます。
筏の上は狭くなりましたが、身を寄せあっていることも楽しく、めいめいに好きなものを食べ好きなものを飲みました。
「さあて、あたしはこれにて退散としましょう」
と月読はそれぞれにー小さな双子たちにまでー別れの挨拶をして、あの鹿の顔をした奇妙な獣の牽く輿車に乗り込みました。
「兄さんに会えて良かったわ。御二方もおチビちゃんもあたしの国に来たら歓待するわ。もちろん、兄さんなら特別に」
夜礼は海若に視線を移しましたが聞いていないように見えます。
銀の光が滑りおりる髪が一房、頬にかかっています。手の中の盃をじっと見据えた目の端が潤んでいるのが、銀糸の向こうに見えました。
「ほう…………」
と思わずため息が出た夜礼は、海若の酔って色のさした横顔に見とれました。
その時、瀬織津姫がおもむろに立ち上がると夜礼の前に立ち塞がりました。
「ん?」
「見てはなりません!」
「え、なにを………?」
見るなと言われれば見たくなるのが人の、いえ神のさがです。瀬織津姫の向こうに座る海若を覗きこみます。
そこにはいつものまなじりを決したような鋭さやツンとした表情は影も形もなく、頬は上気し薄い唇はやんわりと開いています。とりわけ目元の甘やかさはどうしたことでしょう。
それを明視した瀬織津姫までが動転しております。
「いやあ、随分呑んだんだなぁ海若」
「……やれぇ? ちょっとだけれよ。つくよみが……」
と言って持ち上げた盃から中身が溢れ出ました。それが着物を濡らしたことさえ気がつかないように海若はにへらにへらと笑っています。
月読に勧められ呑んだのでしょうが、溢れ具合からすると一口分も呑んでないでしょう。
「ああ………、お酒を呑めないことをお忘れですか!」
「そうらっけ?」
瀬織津姫は彼の着物を拭い、海若は左右に揺れながらされるがままになっています。
海の王綿津見には知られていないことがありました。先代の威厳に満ちた風貌からは想像もできないのですが彼はお酒に弱いのです。ひとくち呑めばたちまち酩酊してしまいます。
そこで酒宴では横に控えた瀬織津姫が、彼の盃を気づかれないように飲み干していたのです。綿津見が一滴も呑めないことも、楚々とした姫が顔色ひとつ変えずどれだけで呑めることも彼らだけの秘密でした。
月読もそうとは知らず、ということなのでしょう。輿から半身乗り出し、クバ扇を思わずとり落としそうになります。海若と瀬織津姫は月読を挟んで座っていましたし、その正面が夜礼とイサラメだったので、姫は酒を口にするのを気づいていませんでした。気づいていたら止めたに違いありません。
「いやあ、絶景だなこれは」
惚れ惚れと彼を見続ける夜礼の視線がどうしても防げないとみるや、瀬織津姫は衣を脱ぎ去りえいっとばかりに海若に被せてしまいました。
なにをされても海若はぽやんとしていますが、夜礼は「あああ」とそれを非難します。
「隠すことはないだろう」
「見てはなりません」
「姫のものではないだろう」
そう言って衣をのけようとする夜礼を姫が食い止めました。
「あなたの邪な視線に晒させるわけにはいきませんから」
「よこしま! 俺がか!?」
「そうですよ。いつもいつもわが君を見ているのは存じております」
「ちょっと待て待て! そんなことあるわけないだろう」
「あります! ありますとも!」
「ない! ないって言ったらない!」
そのまま二柱の神さまは押し合いになりました。と言っても夜礼も男神ですから本気で姫を押したりはしません。立ち上がり手と手を合わせたまま押し合い睨みあう格好になりました。それを下から双子たちは面白そうに見ています。
「「がんばれー! どっちもがんばれー!」」
力加減はしていますが姫の方は全力で押してきますので、そのうち夜礼の着つけのだらしない着物ははだけてずり落ちてきます。一方の姫も内着一枚というよく考えればはしたない格好ですが、もう、そんなことにはかまっていられないほど白熱しております。
「幼い綿津見さまをひとりじめしたのみならず、まだ執着するのですか」
「だから押しかけてきたのはそっちだろう!」
「では分をわきまえてください」
「なんだよ分って。そもそも海若は誰のものでないだろう」
「私は100年前から存じ上げております!」
「俺だってずっとずっと前から知ってたさ」
「それは名前だけのことでしょう」
「じゃあなんだ、近くにいたら貰えるのか」
「な! 無礼にもほどがあります。もうあなたのような邪恋の者はわが君に近寄らないでください」
「執着してるのどっちだよ!」
と、売り言葉に買い言葉。風雅な夜はいがみ合いへと様相を変えてしまいましたが、衣の下から海若がもぞもぞと頭を出してきました。
目の前には手に手を取りあい、頬どころか首まで真っ赤に染めた男女が薄衣まま見つめあっています。
「………いつの間にそういう仲になったのらい………?」
海若の声にギョッとして二柱はそちらを見ました。彼は相変わらず酔いの相を滲ませてにこやかに、けれどじっとこちらを見ています。
自分たちの格好に気がつき慌てふためいて、片方は手を離そうとし片方はそのまま着物を直そうとしたものですから……………、ザッバーン! と大きな音と共に筏から海へ落ちてしまいました。
しばしの間…………。
誰も海からあがってきません。
「落ちたね」
「うん、落ちたね」
と双子たちは波間を見続けました。
天へ駆け上った月読の輿からは甲高い笑い声が響き、それが月の裏側へ消えた後も夜はいっそう輝くのでした。
次回、『神さまと始める脱ぼっちラブコメ大作戦!~三角関係も乗り越えて~』をお送りします(仮)
いいなと思ったら応援しよう!
読んでくれてありがとうございます。