銀蛇謳海~29~波猟り
海若と天都比古禰の手合わせは『竜宮』あげての祭りの様相をていしました。
場所は『真海』の海上。八十諸神がわれもわれもと集まって、“波の舟”のみならず屋根付きの本格的な飾り舟まで用意して波間を埋めています。
夜礼も瀬織津姫と海若が乗った柳の葉のような形の舟の船尾に腰掛けていました。
「俺、これ見たら帰りますからね」
海若に引き留められて戻れない夜礼は念を押します。「それがいいですね。さっさと帰って下さい」と言わんばかりに瀬織津姫はうなづきます。
海若は不服そうに眉を吊り上げましたが、
「まあいいや。でも夜礼には頼みたいことがある」
と手招きしました。
「もっと近く。もっと」
言われるままに距離を詰め、足元の影がどちらかのものか分からなくなったところで海若は自分の腕を切りつけました。ボトボトと鮮血が船底に溢れます。
「な、なにを!」
一瞬海若の影が渦を巻くように動きました。
「預かって………」
「え? は? 何をですか?」
「私の影」
途端に夜礼の体は鉛の塊がのしかかったように重くなりました。急に息苦しさを感じうずくまった彼を労るように海若は手を伸ばしました。
「血を介して夜礼の影に移したんだ。全部じゃないからそんなにって思ったけど。だめかい?」
「………いまさら、だめとか言えないでしょ」
「うん。夜礼にしか頼めない」
瀬織津姫が海若の手を取り素早く止血しました。布を巻いた後もしばらく押さえて離すことができません。
「そんな悲しい顔しないで姫。ねえ、姫ができると言ったから私はできるんだよ。天都比古禰も不器用な彼なりにこういう場をつくってくれたんだ。私はそれに応えるから、ねえ、姫、見ていて」
「………はい。わが君」
「じゃあ、ちょっと遊んでくる」
助走をつけた海若は舟から飛び出ると、そのまま波頭を蹴り海上で待つ天都比古禰のもとまで駆けていきました。
神々たちの舟から歓声が上がります。海若を歓待する声援あり、天都比古禰への応援ありで一気に盛り上がりをみせました。
「い、いいよなアイツらお気楽で………」
夜礼は重くなった影に足首を捩じ切られそうな苦痛をこらえて、舟のへりにしがみつきました。
海若の背中は見るまに遠くなります。薄曇りの真昼、海面から一段高い波の飛沫が昇ったかに見えました。その波高にいるのは海若で光って見えたのは彼の髪でした。
高い位置から間合いをつめます。天津比古禰の手には抜き身の長剣があり、海若の手に得物はありません。このまま近づけば彼の刃の元へ素手で飛び込むことになります。
観衆に一抹のどよめきが起こった時、海若の手には水から生まれた刀が握られていました。それは半月刀のような形で、水から抜ききった刀身は天都比古禰のものより長く見えました。
下降する波の勢いに乗って、そのまま上から切りかかります。天都比古禰は“波の舟”を足場に振り下ろされた半月刀を受けました。
一度払われても海若はすかさず切りこみます。何度か切りむすんだ後、海若は後ろ飛びに下がって距離をとりました。
「綿津見どの! それでは軽すぎる。先代なら一振りで私の腕は耐えられない」
「はは。天都比古禰どのでも冗談を言うのだな。いくらなんでも一撃でなんてことはなかったぞ」
「無理をしてたのだ。綿津見どのに見限られたくなかったのでな」
「知らなかったよ!」
「次は私からいきます」
踏み込んで打ってきた彼の剣を受けると、なんと半月刀は折れて水に戻ってしまいました。
「私を失望させないで頂きたい」
丸腰になった海若に白刃が迫りますが、海面から盾を起こしなんとか抗います。
綿津見には海が剣であり盾でした。そこに海水があれば触れるだけでどんな物でも造り出せたのです。その盾も切っては壊され、造ってまた切られザバっザバっと波が砕ける音が続きます。海若に反撃の隙はありません。
「あのオヤジ……、手加減ってものを知らないのかよ」
追い込まれる海若を見て、夜礼は思わずオヤジ呼ばわりしてしまいます。神さまたちの間でも彼への感嘆と、綿津見への落胆の声が入り混じっています。
「あの方は手を抜くことなど致しません。だから先代の右腕でいらっしゃったのです」
瀬織津姫は淡々と言うのですが、
ー古参め………。
と夜礼は体の不自由さも相まって誰に怒っているのか分からない怒りで悶々としました。そして彼は自身の心の動きについて違和感を覚えていました。
暗い怒りが喉を締めるように迫り上がってきます。抑えようのない破壊的な衝動はかつて一度も感じたことのないものです。
確かに天都比古禰への反感はあるのですが、それ以上の憎しみに近い衝動………。その出所が海若から預かった“影”だと気づいた時、「これは相当やばいものだ」と悟りました。
ー重いだけの影じゃない。これは邪なものの塊なんだ。こんな物にまとわりつかれて海若はいつまで正気で………。
視線を海若へ戻すと、彼は反転攻勢へ出ていました。距離を置いたところから今度は弓矢を射かけます。それも一度に何本もです。
天津比古禰はそれを剣ひとつではねのけますが、背後から“波の獣”が牙を剥いて襲いかかります。矢を捌きながら獣の喉をついて水に沈め、一旦海中へと潜りました。
「今のはヒヤっとしたがさすが天都比古禰命だ」
「綿津見さまは一撃は弱いが手数が多い。これは分からなくなってきたな」
神々の応援にも力が入ったところ、海中で体勢を整えていた天都比古禰が波の上に引き摺り出されました。
海若が手にしているのは長鞭でした。しかも鞭自体が蛇でできており、天都比古禰の胴体に巻きついて締めあげています。
「貴方は………もう少し剣の練習をなさったらいい。水から作るものはどうしても………、脆い………」
締めあげてくる蛇を彼は腕の力で引きちぎってしまいました。蛇は水に戻り、海若の手には鞭の柄だけが残りました。
「頭が固いよ、天都比古禰どの。先代は剣が合っていたから使った。私の体格には合わない。じゃあ、やり方を変えよう」
「これまで培ってきたものがあるでしょう。海神綿津見として」
「あったかも知れないけど、皺だらけの身体の中に全部置いてきたよ」
「それでは今はただの若造だと」
「………私が『黄泉』へ発つ時、貴方たち八十諸神は言った。これまでと同じではいけない。綿津見は強くあらねば、あらねば『竜宮』は消える。だから私は選択をしたのだし、貴方がたは見届けるだけだ」
海若が再び鞭の柄を振った時、それは鋭利な水の刃となって天都比古禰の首筋に届いたのです。
続く
海の神・海若と竜神・天都比古禰の激闘!しかし、戦いの裏には邪な影が………次回、お楽しみに!登場人物紹介。若干、追加してます
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