銀蛇謳海~30~竜神対海神
天都比古禰を撃つ鞭はただの鞭ではありません。
高圧の水がしなりながら切りかかってくるのです。厳密には違いますがウォーターカッターが自在に動いているところを想像すれば恐ろしさが分かるかも知れません。
彼の首が断ち切られると思った神々からは悲鳴があがりました。
鞭の先は天都比古禰に届きましたが聞こえたのは断末魔ではなく硬く鋭い音でした。
そこに彼の姿はなく代わりに竜がいました。
立派な角と鋭い爪を持った一つ目の水竜です。その鱗は鋼より硬く、水の鞭を弾き返したのです。
「天都比古禰命のご本体だ!」
その神々しい姿に皆が目を見張ります。
普段は人の姿の天都比古禰ですが本来はこのような竜の姿なのです。
海若は声高らかに、
「ほおう。若造相手にその姿! 天都比古禰どのは出し惜しみがなくてよい!」
と言うや鞭を捨てると駆け出しました。
「逃げるのか?」
「いいや、あの姿の天都比古禰どのとやり合えば、我らが…………」
そうです。周りを取り囲む神々の舟にとばっちりがいかない所へと戦いの場を移したのです。
すぐさま天都比古禰は海若を追います。竜と化した天都比古禰は黒雲を呼び海面の波はにわかに高くなりました。
程よいところまで来た海若はその高波の波頭に駆け上ると手を触れました。
すると波はさらに高くなり空を覆うほどにまで伸び上がりました。
海若に追いつこうと竜が迫った時、その波は巨大な刃に変わりました。白波は研ぎ澄まされた刃になって、断頭台のように彼の上に落ちてきます。
竜は素早くそれを避けましたが波の断頭台は海が続く限り続いています。避けても避けても波の刃は彼の頭上から襲ってきます。竜体になったせいで余計に当たりやすくなったことは天都比古禰も分かりましたが、息を整えて元の姿に戻るような隙もありません。
海中に潜るか上空に逃げる以外に避けようがないと思った時、海水は鳥籠のように牢のように竜を囲いこみました。その上に断頭台の刃が光ります。
「降参するかい?」
断頭台の頂上に腰かけ、見下ろしながら海若は言いましたが、竜は大きな口と牙で牢を破ると彼目がけて飛翔しました。
海若が飛び退き断頭台が落ちます。それをかわし竜は体を捻って海若を捕らえようとします。
砕ける波の波紋は観覧する神々のもとにまで届き、舟は大きく揺れました。
再び海若が高波の嶺を刃に変えた時です。わずかに体が傾き、右脚が水に引き込まれたようにみえました。
同じ時に夜礼が預かっている海若の影が魚影に変わり、船底から一瞬立ちあがったのです。異変に気づいたものはほとんどいません。
体勢を整えた海若でしたが、今までと明らかに違う動きになっています。波の断頭台はこれまで天都比古禰が避けられるタイミングが計られていたのが、不規則で乱雑になっています。
身をくねらせた竜の鱗を白刃がかすめます。
硬い鱗が火花を散らすように音を立てて削げ落ちました。予測不能な場所に現れる断頭台は、先程までが揃えたように同じ大きさ同じタイミングだったのが、大きさもまちまち形も歪になっています。海若の変化を如実に現しているかのように。
夜礼は海若の右脚に目を凝らしました。はっきりとは分かりませんが黒く濃い影が巻きついて動きを妨げているようにも見えます。
突如、竜の咆哮が響きました。腹に斜めに傷が走りほとばしった血は海の色を変えました。神々はどよめき不安げな空気が生まれます。
今までのが真剣な手合わせだとしたら、それが徐々に悪意を帯びた蹂躙に変わったようにも見えるのです。神々の中に困惑と懸念が波紋のように広がりました。
再び怒りとも苦しみともつかない竜の咆哮が響きます。その様は綿津見が腹心の神を執拗に痛めつけているかのようでした。
その様子を始終無言で見ていた瀬織津姫でしたが、水を掻いてその手をかざそうとしました。
しかしここから海若のいる場所は離れています。全身に焦りが滲みます。
姫が同舟の夜礼を振り返った時、彼は全てを理解しました。海流の神である夜礼は流れを起こし、神々の舟の群の中から飛び出し、瞬きもしないうちに舟を海若の元へと運びました。
瀬織津姫は人魚の縄張りに現れた『下海』を清めたように、海若の右脚に絡みついた穢れを祓おうとしているのだろうと夜礼は考えました。
近寄るとのたうつ竜の熱い息で湯気が立ち込めはじめていました。海若の姿はその向こうにあって不確ですが、竜とは別の何かと組みあっているようでした。
「わが君!」
瀬織津姫の呼びかけに彼は湯気をかき分けて姿を見せました。
昂っているか、さもなくば苦痛におかされているのではと二柱の神は思いえがいていたのですが、なんと海若は微笑んでいました。海を映す瞳は碧色に鎮まってわずかの揺らぎもありません。
それが虚勢であっても誰が止めることができたでしょう。瀬織津姫は激しく逡巡しました。
海若の影から這い出た邪なものを清めれば、彼は今は楽になるでしょう。その少しばかりの手助けが、彼の中の何をどれだけ損なってしまうのか、瀬織津姫にも分からないことでした。
救いたい思いと救えない思いとで彼女はもう動くことができませんでした。
ふいに夜礼は自分体が急に軽くなったのを感じました。同時に海若の足下へと影が収斂していくのを見ました。
「こいつらをきつく躾けておかないとな………。大事な右腕に傷を負わせてしまった」
海若は先程までの羽のような跳躍が嘘のように重い足取りで天都比古禰に近づきました。
「ここまでだ」
すると竜は人の形へと戻り“波の舟”ではなく、夜礼たちの舟に倒れ込みました。
わらわらと近づいてきた筒之男三神の手に瀬織津姫は仙薬を授けます。
「これで傷はすぐに塞がります。綿津見わだつみさまはお疲れのご様子なのでわたしが水晶宮までお連れします」
と告げ、天都比古禰と入れ違いに海若を舟に乗せました。夜礼が指を動かすとすぐに舟は走り出しました。
続く
黄泉の影を抑えられない海若……………次回『海の王』。その心内は、いかに…………
幕間コラム⑧三ツ星の神さま筒之男三神
日本神話の神様をややこしくしているものに「実は〇〇神と××神は同一です」と「⬜︎⬜︎は〇〇の別名です」があると思う。
なのでここでは全てをすっ飛ばし、
『筒之男三神は仲良し三人組』
とだけお伝えしたい。
基礎情報として伊弉諾(イザナギ)が黄泉から戻って穢れを清めた際に誕生した。
底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)の三柱を称して筒之男三神。
祀られている神社は住吉神社。日本各地に約600社というメジャーな神様。
一般的には海と航海の神である。
そして古代の航海に欠かせないのは星の位置。筒之男三神(住吉三神)は航海神であり、オリオン座の三ツ星を象徴すると言われている。
これは数ある「かも知れない」説のひとつだが、三つ子のお星さまの神さまなんて可愛いじゃないか。
きっと仲良しに違いない。
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