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「歩く水のような人の形をしたもの博士とスロウ・ボート氏」論 : 北村紗衣ファンさえ距離をとった人とは?

「スロウ・ボート」こと「歩く水のような人の形をしたものさんから挑まれた、千葉雅也『センスの哲学』の評価に関する、半年ほど続いた論戦について、またいきなりスロウ・ボートさんの方から「最終回=終結」宣告がなされ、私の方も「最終回」を書いて、この「終結」宣言を受け入れました。

一一こうした経緯については、私の側の「最終回」の「先行公開」として発表した記事、及び、スロウ・ボートさんの方でアップした、私の「最終回」で報告しておいたとおりです。

スロウ・ボートさんは、コメント欄での私との事務連絡的なやりとりの中で、この論争の終結後は、自身の本来のアカウントである「歩く水のような人の形をしたもの」の方で、「まとめ記事」を書いて、それで完全に終結となると、そう書いておられたので、私はてっきり、その「まとめ記事」というのは、スロウ・ボートさんの14回分、私の応答10回分のログを、そのまま並べたものを「まとめ記事」として、あらためて制作するのかと思っていました。

なにしろ、「スロウ・ボート」名義のアカウントで紹介された「一連のやりとり」、つまり、スロウ・ボートさんが言うところの、

極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/

「歩く水のような人の形をしたもの」「千葉雅也『センスの哲学』を巡る論戦 Operation William Blake Leviathan」より)

は、個々の記事へのリンク集でしかありませんし、結果として、古い記事の上に新しい記事を追加していくという形式になっているから、新たな読者を想定するなら、とても不便で、読みづらいものとなっているためです。

ところが、スロウ・ボートさんから届いた「まとめ記事」完成のコメントのリンクを辿って、本来の「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方にアップされた、新たな記事、

「終決の告知:/千葉雅也『センスの哲学』を巡る論戦:/Operation William Blake Leviathan/Slow Boat./」

を見てみると、それは私が予想していたような「やりとりをまとめたもの」ではなく、あくまでも「歩く水のような人の形をしたもの」さんの立場から、私とのやりとりを「総括したもの」であり、それを「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの読者に紹介するための記事となっていました。

「あのやりとりには、こういう意味があったのです」という、あくまでも「歩く水のような人の形をしたもの」さん視点での「総括」です。

で、その「総括」の趣旨を、簡単にいうと、

「論争しようと思ったけれど、論争にならなかった。なぜなら、年間読書人の方にその気が無く、議論から逃げ回ったためである」

ということになっています。
これはスロウ・ボートさんが、これまでの記事の中で繰り返してきた「主張」です。

しかし、これに続けて「歩く水のような人の形をしたもの」さんは、私とのやりとりが、「まったく無意味なものでもなかった」とアピールしてもいます。

それは、ご自分の書くものはもちろんそうではないけれども、私(年間読書人)の書くものは「ネット言説」のむなしさを体現したものだから、それを明らかに出来たことにこそ、やりとりした「意義もあった」のだと、大要そのように「意味づけ」なさっているのですね。

で、これは、いかにも「スロウ・ボート歩く水のような人の形をしたもの」さんらしい「やり口」だなあと、私は呆れてしまいました。

「歩く水のような人の形をしたもの」という人は、私に論戦を挑むに当たって、わざわざ「スロウ・ボート」という別アカウントを作って、本来のアカウントには「影響のない」かたちで論戦をする、という形式を整えていました。

一一つまり、論戦の経過や結果次第では、私との論戦は、本来のアカウントである「歩く水のような人の形をしたもの」に影響を与えないものとして、あらかじめ「切り離されて」いたのです。

無論、論戦が自身の予定どおりに勝利を収めれば、その勝利報告を「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方でするつもりだったのでしょう。だが、不本意な結果になった場合は、「歩く水のような人の形をしたもの」の方で報告する気が無かったという蓋然性も、決して低くはない。

平たく言えば、負けた論争までわざわざ自分本来のアカウントの方で報告する気など無かったから、わざわざ予防的に「別アカウント」を作ったのだろう、ということです。
そうでなければ、初めから、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方にアップしても、何ら問題はなかったからです。実際、この半年、「歩く水のような人の形をしたもの」の方は、ほとんど更新されず、私との論争に係りっきりでした。

ともあれ、私との論戦が始まっても、スロウ・ボートさんは、それを「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方では、「やっている」とも「始めた」とも、いっさい書いてはいなかった。報告をしなかったのです。
それで私の方から

「せっかく論争を始めたのだから、本来のアカウントである「歩く水のような人の形をしたもの」の方に、簡単でも良いから、論争を始めたという報告記事をアップしてはどうですか?」

と提案し、その結果書かれたのが、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの記事である、

千葉雅也『センスの哲学』を巡る論戦 Operation William Blake Leviathan

だったのです。
つまり、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんが言うところの、

極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/

は、この時初めて、このように「命名」されて、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの読者にお披露目されたのです。

ですが、その内容というのが、例の、

わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!

というやつだったわけです。

こうしたことからわかるのは、「歩く水のような人の形をしたもの」さんという人は、自分の読者には「演出された顔」だけしか見せない人だ、という事実です。

言い換えれば、私とのやりとりの中で見せた「素顔」は、可能なかぎり「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの読者やフォロワーには、見せたくなかった。

だから、私の提案により、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方で、やむなく「スロウ・ボート」名義での論争を紹介しなければならなくなると、それをわざわざ、当初から予定されていた「極秘作戦」だとしなければならなかった。つまり、

極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/

というのは、私の推測どおり、当初は、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの読者には内密で遂行され、その「結果次第」で、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方で、誇らしく報告するつもりだった、のだということです。

ところが、現実には、そううまくはいかなかった。

しかしながら、その結果が明らかになった時点ではすでに、私との論争については、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方でも報告済みだったからこそ、シンプルな、

「実際の「論争」でのやりとりを読んでもらえば、それがすべてです。」

と言うわけにもいかず、最初に書いたように、

「論争しようと思ったけれど、論争にならなかった。なぜなら、年間読書人にその気が無く、議論から逃げ回ったためである。
しかしながら、このやりとりがまったく無駄だったとは思わない。なぜなら、このやりとりによって、ネット言説の実態を示し得たからだ」

という趣旨の、いかにも手前味噌かつ取ってつけたような「意味づけ」がなされ、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの読者(フォロワー)向けの、セルフフォローがなされた、というわけなのです。

しかし、一方的に、論争の「終結」を宣言して、「次の貴方(年間読書人)の最終回で、この論争を終えることにします」と言っておきながら、単なる「ログのまとめ記事」ではなく、自分視点の「総括」記事をアップするというのは、いささか「未練がましい」し「アンフェア」なのではないでしょうか?

言いたいことがあるのなら、それは論争の中で言うべきなのに、論争の終結宣言をしておいて、その後にあれこれ言うというのは、姑息なルール違反でしょう。
それでは、論争が「終結」したことにはならない。

しかしながら、むしろこうしたところにこそ、「歩く水のような人の形をしたもの」という人の本質が、よく表れてもいます。

私は、論争の「最終回」において、次のように指摘していました。

『「善人そうな人」は「善人」だと思いたいし、「褒める人」は「善人」だと思いたい。
そう思いたいから、(※ 褒める人は)「みんな、いい人!」と、簡単に、そう見えてしまうだけなのです。
ですから、(※ 『センスの哲学』を褒めていた)スロウ・ボートさんの本質は、むしろ「貶す」時にこそハッキリと表れ、隠されていたものが、そこに露呈しているのだと考えるべきでしょう。
また、(※ 自身が)貶された時、それで感情が劇した時にこそ、その人の「素顔」が露呈する。
つまり、スロウ・ボートさんの本質とは、

年間読書人さんが〈もっともらしいあれこれの言い訳をして、論戦から逃げ回ることしかできない〉姿を現し続ける必要性も、「罵倒された」と泣き言を喚き散らして、逃げ回る必要性も、これで無くなり、終わりになります。

と、こうした「言い回し」にこそ、よく表れているのだと、そう考えるべきなのです。

それにしても、今回が〈最終回〉ということで、スロウ・ボートさんは、やたらに「謙虚ぶった」ことを書いています。例えば、

※、「論戦の様子を知りたい」と思われて、noteにアクセスして、この記事を、ご覧になられている、読者の皆様方におかれましては、大変、申し訳ありません。わたしひとりでは論戦は出来ません、何卒、ご理解下さい。

この「読者」様への、漫画的なまでの「へり下り」ぶりは、どうでしょう。

これなんかは、先に紹介した「糞リプマン」さんが、コメント欄へのコメントでは、私を「おまえ」呼ばわりなのに、第三者に読ませる記事のタイトルでは「年間読書人氏」と表現したのと、同様の狙いによるものと見ていいでしょう。
要は、自分の「紳士」ぶりを「第三者」にアピールしたい、好印象を与えておきたいから、心にもないことを、くそ丁寧に表現しているのです。』

(※ 上の引用文の中の引用文については、ここでは、頭に「>」記号を付しました)

つまり、「歩く水のような人の形をしたもの」という人の「本質」は、こうした「二重人格」性(極端に裏表のある性格)にある、と言って良いでしょう。

「謙虚」そうな顔とは、無論「読者向けの作られた仮面」でしかなく、その「本性」は、感情が劇した時にこそ、表面化する。

しかし、この程度のことは、まともに文章の「読める人」には、見え透いたものでしかありません。

実際、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントでの、最初の「自己紹介」記事の冒頭部は、次のように「歯の浮くようなもの」でした。



『特別なものは何も持ってはいません。特別な知識、特別な経験、特別な見識、特別な感受性、他の人と比べて特段秀でている何かがあるとは思いません。ただ、いくらかの平凡な人生という日常と非日常を過ごしてきました。文章を書く特別な才能が自分があるとは思ってはいません。私はただ「いろいろ思ったり、考えること」が好きなのです。



思わず「嘘こけ」とツッコミを入れたくなりますが、ともあれ、これを「自己紹介」として書いた人と、

『わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!』

などと臆面もない「セルフ・ヨイショ」を書いた人とが、「同一人物」だなどというのは、なかなか驚きの事実なのではないでしょうか。

しかし、上のどちらに「歩く水のような人の形をしたもの」という人の「本性」が表れているのかは、もはや明らかだと思います。

つまり、「歩く水のような人の形をしたもの」という人の「本性」が、「自己紹介」文に書かれたような「謙虚」なものだったのだとしたら、「私はこーんなに凄い極秘作戦を考えつき、それを遂行しているのです!」みたいな、恥ずかしい「自家宣伝」など、できる道理がない。

したがって、「歩く水のような人の形をしたもの」さんをフォローしている人というのは、基本的に、あの「自己紹介文」を鵜呑みにして信じた人(騙された人)か、「歩く水のような人の形をしたもの」さんの「過剰に自己賛美的な形容」に満ちたレトリカルな文章に圧倒され、「凄い」と思って、高く評価した人たちだと、そういうことにしかならないと思います。

実際、そうした人たちというのは、「歩く水のような人の形をしたもの」さんの文章を、ちゃんと読んで、理解した上で高く評価したわけではなく、私が『出来損ないの黒死館と形容したような、衒学趣味的に装飾過多的な文体をして、単純に「凄い」と評価してしまった人たちなのだと、そう考えて良いと思います。

なんか凄そうな人だから、ひとまずフォローしておこう」とか「なんか凄そうな記事だから、よくわからないけど、ひとまずスキを押しておこう」ということです。

その証拠に、「歩く水のような人の形をしたもの」名義での記事は、軒並み「130」を超える「スキ」が付いているのに、「スロウ・ボート」名義の記事は、スキが「10にも満たない」ものばかりです(フォロー数も少ない)。

これが何を意味するのかと言えば、それは無論、「歩く水のような人の形をしたもの」の記事に「スキ」を押している人の大半は、記事をろくに読まずに、ひとまず「凄そう」だからと、「スキ」を押しているだけだ、ということです。

言い換えれば、「歩く水のような人の形をしたもの」さんの書くもの、あるいは「歩く水のような人の形をしたもの」その人の力量を、理解した上で評価していたのなら、当然、別名義「スロウ・ボート」の記事も読むはずだし、「スキ」も押したはずなんですが、現実には、そうではなかった、ということです。

「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの方で、私との「論争」、つまり、

極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/

を告知した記事、

がアップ後も、「スロウ・ボート」名義の論争記事に、「スキ」か増えることはなかった。

つまり「スロウ・ボート」名義の記事の方は「読むに値しない」ということで読まれなかったのか、読んでも評価できなかったか、このどちらかでしかない、ということです。

言い換えればこれは、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントのフォロワーというのは、記事の中身ではなく、見かけ的に華やかな「衒学趣味の記事」を有り難がっていただけ、ということになるわけですね。
「なんか凄そうだから、ひとまず私は理解できたという証拠として、スキを押しておこう」と。

つまり、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの記事に対する、常時「130」超えるような「スキ」の内実とは、このように、記事の中身とは関係のない、見かけの「派手さ」に与えられたものに過ぎなかった、ということになるわけなのです。

まあ、「類は類を呼ぶ」と言いますから、「衒学趣味」のある「歩く水のような人の形をしたもの」さんをフォローしている人にも、似たような「衒学趣味」があって、そのため、記事の中身は抜きにしても、その外見的な「派手さ」に「スキ」を与えたのかも知れないし、もしかすると、「歩く水のような人の形をしたもの」さんも、現時点で「316」人をフォローしていますから、相互フォローの相手から、義理の「スキ」がついているだけなのかも知れません。

ですが、総じて言えることは、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの記事に「スキ」を押している人というのは、記事の中身を理解していないか、そもそも読んではいないか、なのではないか、ということです。

そんなわけで、わりあい「本性」を剥き出しにした「スロウ・ボート」名義での記事とは違い、「歩く水のような人の形をしたもの」アカウントの記事は、あの「自己紹介文」に典型的に示されるとおりで、要は「飾られたもの=作られたもの」だということです。

無論それは、場合よって、過剰に「謙ったもの」であったり、過剰に「自身を大きく見せようとするもの」だったりするのですが、「歩く水のような人の形をしたもの」さんの「素顔」というのは、そうした「矛盾した外ヅラ」の背後に隠されている、ということになる。

つまり、その「隠された素顔」を読み取ってこそ、初めて正しい「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」評価だということにもなるですね。

 ○ ○ ○

ちなみに私は、スロウ・ボートさんとのやりとりの「最終回」で、こんなことを書いています。

『例えば、私が、スロウ・ボートさんと並行して相手にしている、「匿名」捨てアカウントの、ハンドルネーム「糞リプマン」という人も、スロウ・ボートさんが言うところの、私の攻撃に晒されている人の一人ですが、この人がどんな人かは、その記事を読んでもらえば、すぐにわかるはずです。

https://note.com/merry_badger7870

つまり、こんな「悪質な荒らし」は、これまでにも方々で似たようなことを繰り返してきたはずですから、単にブロックをして済ませることで、「勝った勝った」という妙な「達成感」を持たせるべきではない。
つまり、このままこれまで通りに「野放しにしておくべきではない」から、徹底的に反撃をくわえて、これまでに経験したことのない嫌な思いをさせてやっている、ということなのです。

で、この「糞リプマン」さんも、自分と同様に、私から「酷評」されているスロウ・ボートさんの存在を、当然知っています。
だから、スロウ・ボートさんの私に対する批判文を「長い」と言いながらも、貴重な仲間の「年間読書人批判文」として読み、それなりに褒めている。一一つまり「同病相憐む」というやつです。

で、スロウ・ボートさんの方も、当然「糞リプマン」さんの存在をすでに承知していますが、さすがにその名を出したりしないのは、「糞リプマン」さんのレベルがあまりにも低いために、それに「共感」を覚えているなどと、第三者には思われたくはないからです。

だから、「糞リプマン」さんの名前は出さないが、「年間読書人はあちこちで喧嘩している」といった「漠然とした書き方」はしても、その相手が、笠井潔や北村紗衣のような著名人なのか、それ以外の、ネット右翼「荒らし」なのかといった、具体的な事実には触れようとしない。
そこに触れてしまったから、私に批判されているスロウ・ボートさんは、明らかに前者の著名言論人ではなく、後者の類でしかないのは、明らかだからです。』

このような、私としても、スロウ・ボートさんが「糞リプマン」さんに対して「内心では、同病相憐むで共感を覚えていたとしても、さすがに、公然とその共感を示すような、愚かなことはしないだろう」と思ってしたのですが、一一現実は、そうではありませんでした。

現実には、スロウ・ボートさんと糞リプマンさんは、「共感的なやりとり」を交わしていました。

つまり、この「最終回」を書いた段階でも、私はまだ、「スロウ・ボート歩く水のような人の形をしたもの」さんのことを「過大評価」していたわけです。「そこまで馬鹿ではないだろう」と。

「糞リプマン」さんと「スロウ・ボート歩く水のような人の形をしたもの」さんが意気投合しているという事実については、「糞リプマン」さんの方から私に報告があって、初めて知りました。

私は、スロウ・ボートさんや「歩く水のような人の形をしたもの」名義の記事の「コメント欄」までは読んでいなかったので、ぜんぜん気づかなかったのですが、私が「糞リプマン」さんに、

「いくらスロウ・ボートさんに媚びたところで、さすがに相手にはされなかっただろう。北村紗衣ファンに媚びても、少しも「スキ」がつかなかったのと同様、さすがに、北村紗衣ファンもスロウ・ボートさんも、貴方のような、わかりやすい匿名の荒らしなんかと、同類だとは思われたくないだろうし、そのせいで、スキも付けてもらえないんだろう」

と、そのように書いたからです。

それで、「糞リプマン」さんは、「そんなことないぞ。スロウ・ボートさんとは、コメント欄で相互理解的なやりとりをした」と、スロウ・ボートさんのコメントを引用し、そう報告してくれたのです。

で、今回初めて確認したところ、たしかに、「糞リプマン」さんとスロウ・ボートさんは、まことに共感的なやりとりをなさっており、スロウ・ボートさんは「糞リプマン」さんのコメントに、もれなく「スキ」を付けていました。

前述とおり、スロウ・ボートさんは、「糞リプマン」さんが「荒らし」であり、程度の低い人物であることを知らないはずがない。
それなのに、間に「憎き年間読書人」を挟むことで、節操もなく、「敵の敵は味方」式で意気投合し、「野合」してしまった。一一これが事実なのです。

この両者のやりとりは、(他にもあるかも知れませんが)スロウ・ボートさんの「最終回」の記事の「コメント欄」でなされていますから、是非ともご確認ください。

もちろん、私の方ですでにスクリーンショットも撮ってありますから、削除されることも内容が改変されることもないはずです。

ともあれ、この事実から分かることは、私がすでに指摘した、

『だから、「糞リプマン」さんの名前は出さないが、「年間読書人はあちこちで喧嘩している」といった「漠然とした書き方」はしても、その相手が、笠井潔や北村紗衣のような著名人なのか、それ以外の、ネット右翼「荒らし」なのかといった、具体的な事実には触れようとしない。
そこに触れてしまったから、私に批判されているスロウ・ボートさんは、明らかに前者の著名言論人ではなく、後者の類でしかないのは、明らかだからです。』

という評価の、結論部分は当たっていた、ということです。

つまり、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんは、『後者の類』であり、平たく言えば「糞リプマンの同類」だということです。

もちろん、「教養」の有無の程度に違いはありますが、人間的本質に大差はない、ということなるのです。

そんなわけで、結論として言えることは、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんの本質とは、「自己紹介文」の、

『特別なものは何も持ってはいません。特別な知識、特別な経験、特別な見識、特別な感受性、他の人と比べて特段秀でている何かがあるとは思いません。ただ、いくらかの平凡な人生という日常と非日常を過ごしてきました。文章を書く特別な才能が自分があるとは思ってはいません。私はただ「いろいろ思ったり、考えること」が好きなのです。』



の方ではなく、

『わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!』

の方にこそ表れていた、ということです。

前者は、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんの、わかりやすい「謙虚ブリッコ」(見え透いた演技)であり、後者には、その抑え難い「本性」が露呈していた、ということになるわけですね。

「文章を読む」というのは、著者の「誘導」にそのまんま乗せられて、著者が読み取らせたいと考えている「虚構」をそのまま鵜呑みにすることではありません。
その「表面的な記述」の裏に隠された「著者の本意」を読み取るということが出来て、初めて「読み取れた」と言える。

例えば、小説でも漫画でもいいのですが、その登場人物が「あんたなんて、大嫌い!」と言ったからといって、読者がそれを字面どおりに真に受けて、「ああ、この人は、彼のことが大嫌いなんだな」と思うようでは、漫画や小説すら、まともには読めない。

ましてや、自らの意見の「正当性」をアピールする、評論や論争文などにおいて、書き手の言い分を、字面どおりに「鵜呑み」にするようでは、「読解力ゼロ」と認定されても、致し方のないところでしょう。

だとすれば、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんによる「好対照」と言って良いような、下の2つの文章、

『特別なものは何も持ってはいません。特別な知識、特別な経験、特別な見識、特別な感受性、他の人と比べて特段秀でている何かがあるとは思いません。ただ、いくらかの平凡な人生という日常と非日常を過ごしてきました。文章を書く特別な才能が自分があるとは思ってはいません。私はただ「いろいろ思ったり、考えること」が好きなのです。』

『わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!』

を示されて、まだ「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんを高く評する人というのは、

まったく「読めていない人」

と呼ぶしかなく、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんと同様に、自分を「大きく見せることに余念のない、承認欲求のかたまりみたいな人」ということになるのではないでしょうか?

要は、「自分を殊更に大きく見せたい」がための「衒学趣味」であり、また「実のない、見せかけだけの謙遜」でしかなかったのでないか、ということです。
そして、それを鵜呑みにできる読者の方にも、同様の欲望があったからこそ、そこに「嘘っぽさ」を感じることが出来なかったのではないでしょうか。

そしてその点では、「糞リプマン」さんの、次のようは言葉にも、同じような心性を読み取ることができます。

糞リプマン
2025年7月11日 05:51
ああ、俺は勤め人には向いてないよ。たとえ無能な上司でもその意向に従うなんて絶対無理。従わない事で結果を出して益々嫌われる🤣

糞リプマン
2025年7月12日 16:15
(※ 上司には)負けてねえよ。上司(※ の方が)が辞めた🤣

そいつに影響与えた老害ジジイは俺が圧迫かけて辞めさせた。
ああいうの一人出ると数十年影響が出る。

(「年間読書人は北村紗衣氏の本を切り刻めない(年間読書人のエア読書シリーズ①)」より)

このように、誰にも確認のしようがないことだからと、好き放題に強がる「糞リプマン」さんと、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんとは、「表面だけを繕う」という点では、まったく同じだということです。

ちなみに、「糞リプマン」さんは、私が今年63歳だということを公にしていることに対して「爺さん」呼ばわりして、自身は若ぶっています。

しかしながらその一方で、自分の「満年齢」は決して明かさないところが、いかにも胡散くさい。
もう、半年もの間、「人を老ぼれ扱いにするのなら、自分の年齢くらい明かしたらどうだ」と何度問うても、「糞リプマン」さんは、言を左右にして、決して答えようとはしない。
私がしつこく追求して、せいぜいが「個人情報なんか書くわけないだろ」という返事なのです。

ですが、私は何も「生年月日」を書けと言ってるわけではない。そんなに若ぶるんなら「満年齢くらい書け」と言っているだけなのに、それすら明かせないとは、どんな臆病者なのでしょうか?

仮に「生年月日」がわかったところで、氏名も住所も隠しているんだから、何の心配もないはずだというのに。

このように、頑なに「年齢」を隠している「糞リプマン」さんですが、しかし彼自身、決して若くはないのは、その発言内容の数々に照らして明らかです。

その典型的なものとして例えば、「糞リプマン」さんは、私を貶すためだけに、わざわざ、かの懐かしき「2ちゃんねる」のログまで漁ってくるような人なんですから、普通に考えて、私と同世代か、もしかすると年上かも知れない。
「2ちゃんねる」に現役で出入りしていた人というのは、大半が私よりも年上だからです。ですから、「糞リプマン」さんが、年上である可能性は、十二分にある。

(昭和の「荒らし」臭ぷんぷんのアスキーアートの使用。糞リプマン「年間読書人の「議論」とやらについて Part4」より)

それに、仮に、嘘の「年齢」を書いたところで、それだって裏の取りようがないのだから、適当に私より10歳ほど若い年齢を書いても良さそうなものなのですが、それすら頑なに書こうとはしない。
これは、「糞リプマン」さんが、実は私よりも年上であり、そのやましさがあっての過剰反応なのではないかと、私はそう見ているのです。

さて、私がここで指摘したかったのは、「糞リプマン」さんと「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」には、たしかに「教養」の差はあるけれども、両者は共に、一一その「承認欲求の強さ」のゆえに、臆面もなく、自身を「過大に飾り立てる人」だ、という事実です。

だからこそ、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんは、自身のそうした「卑小さ」を棚に上げて、

「本当なら、中身のある論争も出来たのだが、相手である年間読書人にその気が無いのなら、論争にならなくても仕方がない(つまり、論争にならなかったのは、自分の責任ではなく、年間読書人の責任だ)」

というような趣旨の、わかりやすい「自己美化」が出来たのだし、

「論争にならなかったのは、ぜんぶ年間読書人が悪いのです」

などと、臆面もなく「自己正当化(責任転嫁)」をせずにはいられない、「言い訳がましい人」だったということです。

「糞リプマン」さんが、上のような「半分事実・半分自己美化の嘘」の「告白」をしたのも、私が、「糞リプマン」さんの記事である、

年間読書人は北村紗衣氏の本を切り刻めない(年間読書人のエア読書シリーズ①)

の冒頭部分の、

『今日二回目の(※ 投稿をする)糞リプマンです。
明日から長期出張みたいなもんで今日中にUPしなければなりません』

(※ ゴシック強調は引用者)

について、

『長期出張みたいなもん』とは「長期出張」そのものではない、ということを意味しているが、では、その真相は何なのか?
仕事のある平日でも、朝昼と欠かさず、私宛てのコメント投稿を会社から投稿しているので、ついに職場で上司からのお叱りを受けて、職場でのネットを禁じられ、ネットができないような部署に配置転換にでもなったのではないか。
そうじゃないと言うのなら、『長期出張みたいなもん』とやらの、真相を説明してみろ。

と、そのように突っ込んだからなのです。

それまでの「糞リプマン」さんは、自称「出張族」であったり「プロジェクトリーダー」だなどと自己申告して、自分の「有能さ」をセルフアピールしていたのに、その人が、自身が好きでやっている「職場でのネット」をしにくい立場になった(変わった)のだとすれば、それは無論、当人の意志からではなく、それを周囲から強いられたに違いない。

だから、私は、上のようなツッコミを入れたのですが、その結果「糞リプマン」さんは、自分は有能なのだが、上司が無能で、自分はその被害を被っていると、上のように「自己正当化」の言い訳(被害者アピール)を始めた、というわけです。

それで、私が「配置転換」か「クビ」になったのかと、さらに突っ込むと、「糞リプマン」さんは、

糞リプマン
2025年7月12日 16:15
(※ 上司には)負けてねえよ。上司が辞めた🤣

そいつに影響与えた老害ジジイは俺が圧迫かけて辞めさせた。

ああいうの一人出ると数十年影響が出る。

などという、あり得ない自慢話を始めたというわけです。

「糞リプマン」さんの自己申告によると、何でも、その上司の無能さを、会社の同報メールでばら撒いてやり、それで上司を撃退したとかいうような話なのですが、一一こんなことが、「まともな会社」で通用するはずがない。そんなことは、常識で考えればわかることです。
つまり、そんな無茶なことをすれば、上司の面子が潰れるとしても、処分されるのは、まず「糞リプマン」さんの方なのです。

ですが、「糞リプマン」さんは、これによって自分が勝利したから、自分は「配置転換(左遷人事)」にも「クビ」にもなっていないと、そう主張するのですね。

ですが、上司との闘いに完全勝利したのなら、「糞リプマン」の立場は揺るがないはずなのに、どうしてそれか『長期出張みたいなもん』だなんて表現で、誤魔化さなければならない事態に、立ち至ったのでしょうか?

これは、普通に考えれば、「糞リプマン」さんが、上司に叱責されて、それに反論することもできずに、「不利な配置転換(左遷人事)」を受け入れたか、「クビ」になったか、しかあり得ない、ということです。

で、これも普通に考えれば、クビなるのを恐れた「糞リプマン」さんの方が、上司に泣きを入れ、謝罪して、何とか首の皮一枚で会社に残れはしたものの、「勤務時間中にネットをしたりしません」という「始末書」でも書いたのだろう、というのが妥当な理解なのではないでしょうか。

しかし、それが現実であれば、なおさら、その「敗北」という事実を受け入れがたい「糞リプマン」さんは、ネット上では匿名であり、身元を隠している以上、何を書いても、裏を取られることはないというのを知っているので、あのように「上司をやっつけてやった」みたいな、「ホラ話」を書いて、幼稚な腹いせをしている、いうことなのではないでしょうか。

「糞リプマン」さんが「上司に圧をかけて撃退した」という話と、「上司から根拠のあるお叱りを受けて謝罪した」という話の、どちらにリアリティがあるかは、言うまでもないことだと思います。

しかしながら、「糞リプマン」さんご当人は、「上司に圧をかけて撃退した」という話を書けば、読んだ人がそれを鵜呑みにしてくれると、そう信じているのです。

では、なぜそんな「あり得ないこと」を「糞リプマン」は信じるのかと言えば、それは「信じてもらえると信じたいから」信じる、ということに他なりません。

つまり、「糞リプマン」さんは、「信じてもらえない(すなわち、自分が笑い物になる)」という可能性は信じたくないから、ひたすら、自分が信じてもらいたいものを、読者も信じてくれるものだと、そう信じ込んでいるのです。

つまり、自分で自分を騙して、自分を心理的に救おうとしているのですね。

で、これは「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんも、まったく同じことです。つまり、

『特別なものは何も持ってはいません。特別な知識、特別な経験、特別な見識、特別な感受性、他の人と比べて特段秀でている何かがあるとは思いません。ただ、いくらかの平凡な人生という日常と非日常を過ごしてきました。文章を書く特別な才能が自分があるとは思ってはいません。私はただ「いろいろ思ったり、考えること」が好きなのです。』

なんて書けば、それを鵜呑みにしてくれる人が少なからずおり、また、それとは真逆に近いような、

『わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!』

なんてことを書いても、それを信じてくれる人がいると信じているから、このような「糞リプマン」的な「自己賛美」も書けるのです。

で、また実際に、こんなものを鵜呑みにする人が一定数いるからこそ、いくらテレビなどで「注意喚起」がなされても、「詐欺」の被害者が、あとを絶たない。

「客観的に見て、あり得る話か否か」ではなく、自分の信じたい「派手な話=リアリティに欠ける話」を信じてしまうから、その「欲望」につけ込まれて、騙されてしまう。

つまり、

『わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!』

とか、

糞リプマン
2025年7月12日 16:15
(※ 上司には)負けてねえよ。上司が辞めた🤣

そいつに影響与えた老害ジジイは俺が圧迫かけて辞めさせた。
ああいうの一人出ると数十年影響が出る。

とかいった、年甲斐もない「厨二病」丸出しの自己申告を、信じてしまうのです。

そしてこれは「絶対儲かります」「元本保証」とかいった、「リアリティを欠いた話」を、それでも信じてしまう心理と、まったく同じことなのです。

したがって、この種の「派手な話」を真に受けてしまう人は、くれぐれも自分自身の「甘さ=読めなさ」を反省すべきです。
言い換えれば、貴方は「騙されやすい人だ」ということなのです。

社会人として、人並みの「常識」が備わっていれば、

わたしは今、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行中です。コードネーム:〈スロウ・ボート〉〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中、わたしの〈行わざるを得ないこと〉があります。騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちよ!

とか、

糞リプマン
2025年7月12日 16:15
(※ 上司には)負けてねえよ。上司が辞めた🤣
そいつに影響与えた老害ジジイは俺が圧迫かけて辞めさせた。

ああいうの一人出ると数十年影響が出る。

とか、

「絶対儲かります」「元本保証」

とかいった話を、決して真に受けたりはせず、

「何なのこいつ? 馬鹿? それともペテン師?」

と思うだけ。

そんなわけで、「歩く水のような人の形をしたものスロウ・ボート」さんは、本稿タイトルのとおり、

歩く水のような人の形をしたもの博士とスロウ・ボート氏」

と呼ぶべき「二重人格」者なのです。

ですが、その本質は、無論「スロウ・ボート」の方にあると言えます。
つまり「表には出さない方」にこそ、その「本性」がある。

その点では、「歩く水のような人の形をしたもの」博士の方は、

『特別なものは何も持ってはいません。特別な知識、特別な経験、特別な見識、特別な感受性、他の人と比べて特段秀でている何かがあるとは思いません。ただ、いくらかの平凡な人生という日常と非日常を過ごしてきました。文章を書く特別な才能が自分があるとは思ってはいません。私はただ「いろいろ思ったり、考えること」が好きなのです。』


なんていう、とてもわかりやすい「世間向けのカマトト仮面」でしかなく、この人の正体は、「糞リプマン」さんと同様の、使い捨てにするためのアカウントである「スロウ・ボート」の方にこそ示されていたと、そう考えるべきなのです。

(2025年7月14日)


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