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終決の告知:/千葉雅也『センスの哲学』を巡る論戦:/Operation William Blake Leviathan/Slow Boat./

2025/1/14/20:07、にお知らせした、極秘の作戦/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/、が終決しました。ここに、そのことを、みなさまに、お知らせします。

とは、言っても「わたしによる、千葉雅也さん『センスの哲学』に対する擁護として、実行される予定であった〈『センスの哲学』を巡る論戦〉」は実際には、全く、行われていません。「今更、どういうことなの?半年近くも経過した後で。」と奇妙で不可解なことなのですが、偽らざる現実です。

『センスの哲学』を巡る論戦〉を行う予定であった、「お相手の方には、(わたしが考える)〈論戦〉を行う、意思が無い。」と、わたしが判断した結果です。〈論戦〉はひとりでは出来ません。終決は、論理的な必然です。

わたしに限らず、誰であれ、御都合主義的に、自身に於いて都合の悪い話を「スルーして、キャンセルした後で、〈あなたの話には内容も論理も何も、無い。〉と主張する、批判のやり方」を行う人と自由に対話することは困難です。論戦を、暴力の行使による勝敗を決するものとする方とも、誰であれ対話は不可能です。論戦は勝負でもなければ、屈服させ支配する場でもありません。論戦とは互いの自由のために、他者の論理を自己の領域に取り込み組み込み、自己/他者の論理を再編成しアップデートする場/こと/、です。

※、さて、奇妙で不可解な複雑に入り組んだ細切れの事柄は、以下にリンクした、わたし/スロウ・ボート/の記事:〈第14号〉、あるいは、〈最終回〉を参照して下さい。同じ内容を繰り返しても、あまり意味があるとは思えません。ここにある大部分は、切り出された複数の切断面の幾つかを用いたコラージュ。それに、少し、これからの言葉たちを、新しく書き添えました。

論戦が行われていないにもかかわらず、「論戦の終決のお知らせ」というのは、まちがった記述なのかもしれません、しかし、部分的にはまちがったものですが、部分的にはまちがっていません。厳密には正しいと言えるかも。

正確に言えば、告知は、「論戦の終決のお知らせ」ではなく、「〈スロウ・ボート〉による、〈Operation William Blake Leviathan/オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/〉の終決のお知らせ」となります。

※、2024年12月26日から行われている、 オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/〉とは、 「わたしによる、千葉雅也『センスの哲学』に対する擁護として実行される〈千葉雅也さんの『センスの哲学』を巡る、論戦の記録〉」であり「無数の発生し得る可能性のある想像の、事象/レイヤーのひとつの記録」であり、「21世紀(2024/2025)の日本の、風景の断片/部分の描写の記録」であり幾重にも重奏した音楽、論戦と事象と風景の透かし絵、のようなもの。

結果として、〈千葉雅也さんの『センスの哲学』を巡る論戦〉が、全く、行われなかったということは、大変、残念に、わたしは思っています。

しかし、では、


オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/スロウ・ボートOperation William Blake Leviathan/Slow Boat〉、が、

「意味のない、無意味なもの、であったのか?」、と誰かに、問われれば、
「違います。そうではありません。」、とわたしは、鮮明に答えます。

「21世紀(2024/2025)の日本の風景の断片/部分の、描写の記録」としての、オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/〉は使命を十全に果たし、21世紀(2024/2025)の日本の風景の断片を正確に精緻に活写して、終決を迎えることが出来たと思います。現在の日本の風景の断片、別の言い方をすれば「〈SNS〉の時代の〈分断〉を象徴する、風景」となります。わたしたちが生きている現在の風景の光と闇(の断片)を、切り取った結果が、ここに、存在しています。

わたしとわたしのお相手の方の固有の名前と固有の事柄の名前が、そこには書かれています。しかし、書かれている固有の名前たちは、単なる「とりあえずの登場人物たちの名前と事柄の名前」でしかありません。ここに存在している風景は、時代と場所を超えた〈人間のありようの普遍的なかたち〉です。この場限りのサーカスの光景の描写ではありません。わたしの生の時間の中を、揺れ動く、不定形と定形の意味の断片が放つ、光と闇が織り成す、姿かたちを変貌させて行く、〈人間の存在のありようの普遍的なものたち〉

異なった言葉で言い換えれば、刻明に存在している事柄は、「人と人が、〈対話をすることの困難さ〉と〈対話をしないことの容易さ〉」、あるいは「人と人が、〈分断することの容易さ〉と〈分断しないことの困難さ〉」とも言えます。「SNSというテクノロジーは魔法ではなくツールでしかない」という、シンプルな事実があらためて浮き彫りにされた形です。裏返せば、「わたしたちはテクノロジーの奴隷ではない。まだ、わたしたちは、わたしたちの意志で、世界を変更することが出来る。」世界を変更する時間はある

騒めき犇めき喚く、わが内なるダークサイドたちに導かれて、わたしの〈行わざるを得ないこと〉として、オペレーションは実行されました。結果、わたしの目前に広がっているのは、〈滑稽と惨劇に彩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、現在という時間/2025の中の、風景の光と闇の断片の絵図です。目を背けてはいけない荒々しい残虐な現実の相貌が、そこに。

オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/Operation William Blake Leviathan/〉が、わたしに、開示してくれたもの、

言葉は、消滅していない。今も尚、自由と人の思いの中に、存在している。
言葉が存在する限り、世界は、必ず、変更することができる。
あきらめるのは、まだ、早すぎる。



さて、さて、ともかく、終決しました。途上に浮遊している、わたしの草稿たちを掴み取り搔き集め、草稿から離陸させなければなりません。散逸してしまった、わたしの思考の断片のいくつかは行方不明となったまま。そして約束事は忘れてはいませんが、慌てず急がずさりとて逡巡することなく、わたしに、〈言葉にせよ!〉、と世界に解き放たれることを狂おしく求めるものたちの声に耳を澄ませ、わたしは、わたしが書かなければならない事柄を書かなければなりません。書かれる出来事の生成の時間の前後は、順序が入れ替わってしまうことになるとしても。それはそれ、あれはあれ、として。

わたしの内的なるものたちが〈言葉〉となりわたしの身体の外へ出るのを、いまかいまかと待っています。火の具合を確かめ、鍋を洗い直し、包丁を研ぎ直し、皿を磨き、深呼吸をする。待たせたね。さあ、はじめましょう。



オペレーション・ウィリアム・ブレイク・リヴァイアサン/スロウ・ボートOperation William Blake Leviathan/Slow Boat/〉

Slow Boat//Pieter Bruegel/Pieter van der Heyden/

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