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チャールズ・ウィリアムズ 『ライオンの場所』 : 異端神学的な幻想小説

書評:チャールズ・ウィリアムズライオンの場所』(国書刊行会・ドーキー・アーカイヴ9)

本作の魅力は、版元である国書刊行会の本書紹介ページに記された、次の紹介文に尽きており、私には特に付け加えることなどないほどである。

『見世物小屋から逃げ出した一頭のライオン
それをきっかけに異形の〈天使〉たちが降臨し平穏な田舎町を恐怖と混沌が襲う――

『ナルニア国物語』の作者C・S・ルイスに多大な影響を与えた希代の幻視者ウィリアムズによる幻想小説の傑作!

〈「霊的小説」の極北――オカルティズムとキリスト教神学が混淆し、魔術的想像力と超越的ヴィジョンが炸裂して、不可視の世界がここに現前する〉横山茂雄

ロンドンに近い田舎町で、雌ライオンが見世物小屋から逃げ出した。友人と郊外を散策していた青年アンソニーは、雌ライオンが人を襲う瞬間を目撃する。しかしその直後、咆哮する獣は巨大な雄ライオンになっていた……謎の導師によりプラトン的イデアが現世に召喚され、住人たちは己の本質を体現する〈天使〉に引き寄せられていく。侵食される現実世界を救おうとするアンソニーの前に現れる驚愕のヴィジョンとは――C・S・ルイスを魅了し、T・S・エリオットに賞賛された希代の幻視者ウィリアムズによる〈神学的スリラー〉にして〈形而上学的ショッカー〉がついに刊行!(1931年作)』

ここに書かれていること以外で、あえてつけ加えることと言えば、著者のチャールズ・ウィリアムズは、プロテスタントの中では最も保守的でカトリック寄りである「英国国教会(イングランド国教会・イギリス国教会・英国聖公会)」の敬虔な信者でありながら、しかしその「神学」理解は独自なものであり、いわゆる正統派のカトリック神学などからは、逸脱した部分の多い、「似て非なるもの」だったという点であろう。

カトリックの場合、教会の定めた正統神学があって、それを研究するために異論に接することは許されても、異論を唱えることは許されなかった。
異論とは、すなわち異端の説」であり、それが異端審問でそうと認定されたならば、その神学者は教会から追放されるだけではなく、昔なら世俗権力に引き渡され、その手で火刑に処されたからである。

その点、英国国教会の場合は、もともとカトリックだったものが、英国内の教会の支配権をめぐって、カトリック教会(バチカン)と英国の王権が対立した結果、国王が英国国教会のトップとなって、カトリック教会の支配を脱したために、その結果として「プロテスタント」ということになった、という特殊な経緯があった。
そのため、教会のトップこそ違え、その信仰形式はカトリックの伝統をほとんどそのまま引き継ぐものになったので、「最右翼の保守的なプロテスタント」という、奇妙なものになってしまったのである。

したがって、本書作者のチャールズ・ウィリアムズが、カトリック神学的な教養を持ちながら、それでいて神秘主義的な傾向を強く持つ、折衷的な神学理解をもっていたのは、彼が英国国教会の敬虔な信者であったからなのだ。
彼はその敬虔な信仰意識と同時に、その知的探究心において、「最も納得のいく神学体系」をみずから築いた人であり、その「世界観」をフィクションとして表現したのが、本作『ライオンの場所』だったのである。

ただし、彼はもともと小説を書く人であり、その中で、自身の信仰を前面に出すようになっていっただけで、決して、その神学を表現するために小説を書き始めたわけではない。
そのせいで本作は、意外に読みやすい、エンタメとしても楽しめる、幻想小説になり得ている。

無論、キリスト教神学だとか神秘主義思想に馴染みのない人には、その「象徴体系」の独特さゆえに、理解不能な部分も多々あるだろう。
だが、そのあたりは、理論的に理解できずとも、「幻想的なイメージ」として楽しめばそれでいい。

例えば、上の紹介文では〈天使〉と紹介されているものは、いわゆる一般的なイメージとしての「翼の生えた、白いローブ姿の美青年」ではなく、一種の異形だし、謎の導師によって現世に召喚された『プラトンイデア』というのも、今風のものではなく、神秘主義思想においてしばしば利用された、ライオンとか蝶とか蛇とか羊といったものであり、わかりやすい怪物的なものでも、邪悪な姿形のものでもない。

ただ、そういう、ある意味では当たり前の形相を採りながらも、元来この現実世界には存在しないものが、この世界を侵襲してきて、世界を作り変えていく、その曰く言いがたい不気味な恐怖を、「上品に」描いているのが本作なのである.

なお、あと付け加えておけば、本書の訳者が、英文学者で本邦におけるオカルト研究の泰斗である、横山茂雄であるという点だ。

彼自身、学的なオカルト研究書だけではなく、オカルト小説の傑作『アクアリウムの夜』をも物した、小説家気質も併せ持つ人なのである。

その横山茂雄が、武田崇元との対談において、自身の幻想小説に対する思いを、次のように語っている。

武田 ところで横山さんはなんでオカルトに吸引されたの?
横山 僕は自分が生きている現実は本当の現実じゃないんじゃないか、もっと別のリアリティがあるんじゃないかと小さい頃から思っていた。文学もオカルトも映画もすべてはその現実を乗り越えるヴィジョンを垣間見せてくれるのではないか、ただそれだけでこの歳までやってきている。自分でいうのも何ですが、すごくわかりやすい姿勢なんだよね。
武田 それ、わかりやすいんだろうか(笑)。
横山 ただ、文学についてそんなふうに思っていない人が大部分だということが、長ずるに従ってわかってきました(笑)。文学の価値が現実を超越するヴィジョンを開示するところに存すると思っている人は、きわめて少数派でしょうね。

(武田崇元・横山茂雄『霊的最前線に立て! オカルト・アンダーグラウンド全史』 より)

つまり、本作の魅力とは、横山がここで語っている、

現実を超越するヴィジョンを開示する

ところにあるのだ。

無論、本作が、横山の求めたところにどれほど応えられたものなのかは、私にはわからない。
だが、そんな横山が、翻訳して紹介するに値する作品だと判断したもの、だというのも間違いのない事実だ。

本作は、横山茂雄が言うところの『きわめて少数派』のために訳されたものなのだから、そうした少数派に属する者ならば、本書を読まない手はないのである。


(2026年1月22日)


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