『マルチバースの缶コーヒー』
「もしあの時、別の選択をしていたら――」 理想の世界を求めて並行世界を彷徨う男が、宇宙の果てで見つけた「本当の居場所」とは。壮大なSFの果てに、ちっぽけな日常を100%肯定する、切なくも温かいマルチバース小説です。
第4話:観測者の影
何度目かのシフトだった。
大富豪の資産を使ってデータサーバーを構築した世界、国家機密にアクセスして国際指名手配犯となった世界、数千の並行世界の歴史を脳内でパズルのように組み合わせ、蓮はひたすらマルチバースの『座標』を解析し続けていた。
今、蓮が立っているのは、最新鋭の量子コンピューターが何十基も並ぶ、冷徹な青い光に満ちた地下巨大研究所だ。この世界線での彼は、多国籍テクノロジー企業の最高技術責任者(CTO)。資金も機密データも、すべてが彼の指先ひとつで動いていた。
「これで、最後のピースが揃う……」
キーボードを叩き、数万の世界線から持ち帰った『時空の歪みの数式』の同期を開始する。モニターには、無限に分岐するマルチバースの構造が、複雑な三次元の幾何学ホログラムとして浮かび上がっていた。
世界の真実、そのシステムの核心へアクセスする座標の特定まで、あと一歩だった。
だがその時、メインモニターの端に、真っ赤な警告インジケーターが点滅した。
『WARNING: SPACE-TIME ANOMALY DETECTED』
(警告:時空アノマリーを検出)
「なんだ……? エラーチェックの余波か?」
蓮は眉をひそめ、ログを解析する。しかし、画面に表示されたデータを見た瞬間、彼の指先が凍りついた。
それは、蓮がこれまで渡り歩き、そして「捨ててきた」世界線の崩壊ログだった。
最初のホームセンターの世界。その次のIT企業の世界。さらにその後の大学研究室の世界。
蓮が去った直後のそれらの世界線において、局所的だったはずの青と赤の「モアレ」が消えずに拡大し、空間ごと『何か』に消去されている形跡が残っていた。
まるで、巨大なプログラムが、バグを発見してデバッグ(消去)していくかのように。
「……違う。これはシステムが自動でやっているんじゃない」
蓮の背筋を、じっとりと冷たい汗が伝う。
モニターの波形データの中に、明らかに意図を持って蓮のシフトの軌跡を「追跡(チェイス)」してきている、未知のシグナルが混ざっていた。
何かが、自分を追って世界線を渡ってきている。
バチバチッ、と派手な火花が散り、研究所の量子コンピューターが次々とシャットダウンし始めた。冷徹な青だった室内が、一瞬で禍々しい赤の警告灯に染まる。
空間が、鳴いている。
「チチチチチ……マママママ……ッ!!」
前回の比ではない、鼓膜が裂けるような金属音が室内に響き渡る。
視界の端から、空間の輪郭が赤と青の二重にブレ始め、幾何学的なモアレの縞模様が、地下室の壁や床を侵食していく。
ゴ、ゴ、ゴ、と不気味な地鳴り。
防音仕様のはずの分厚いスチール扉が、外側から恐ろしい力で「歪んで」いくのが見えた。まるで、空間そのものが押し潰されているかのように、鉄扉の表面に巨大なモアレが走り、ガラスのようにひび割れていく。
扉の向こうに、影が見えた。
それは人間の形をしていたが、顔のパーツはモアレの霧に隠れて見えず、ただ『世界のエラーを修正するプログラム』そのものが肉体を持ったかのような、圧倒的な拒絶の威圧感を放っていた。
(システムが、バグである俺を消そうとしている……!)
本能的な恐怖が蓮を支配する。扉が完全に崩壊するまで、あと数秒もない。
「……だが、遅い!」
蓮は狂気的な笑みを浮かべ、メインサーバーのエンターキーを叩いた。
同期率99.9%。世界の中心、システムの根源へと繋がる『特異点』の座標が、赤く点滅するモニターに映し出される。
「バグがプログラムを書き換える方が先だ。俺を消せると思うなよ、世界――!」
バリンッ! と音を立ててスチール扉が完全に粉砕された。
それと同時に、蓮は限界まで引き上げた脳のバグを炸裂させ、目の前の空間を強制的に引き裂く。
迫り来る観測者の影。
蓮は狂気と執念の瞳でその影を睨みつけながら、光の海と化した裂け目の向こう――時間も空間も存在しない、マルチバースの『真実の中心』へと、自らその身を投げ出した。
(第5話に続く)
📖 バックナンバー
前回のストーリーはこちらからお読みいただけます。
【第1話】確率のバグhttps://note.com/natty_llama5121/n/n4e1e144c7c74
【第2話】因果の逆転https://note.com/natty_llama5121/n/nfa1e49142a8c
【第3話】万物の理論https://note.com/natty_llama5121/n/nc2a656910d8c
