見出し画像

心と言葉の日本語文法(19)日本語文の分析(10)ビジネス文章の日本語を分析する(3)「山田商事営業部の山田太郎でございます。」

(↑のつづき)

山田商事営業部の山田太郎でございます。


認識=命題:なし
対事的モダリティ(判断・態度):なし
対人的モダリティ(伝達):「山田商事営業部の山田太郎でございます」(儀礼的あいさつ)

 
まず、これがオンラインでのメールだとして、その全体像を考えてみると、このメールの差出人が山田商事営業部の山田太郎であるという情報は、この本文の前に、当然ながら提示されているはずである。

したがって、ここでわざわざ改めて情報提示する意味はない。

それを敢えておこなうのだとすれば、そこには命題内容として提示することではない他の働きがあると考えるのが普通ではないだろうか。

それが、伝達領域での「儀礼的あいさつ」という働きであると私は考える。

このように、「貴社ますますご清栄のことと大慶に存じ上げます」に続いて自分の名と所属を敢えてもう一度名乗ることによって、儀礼的なあいさつを更に手厚いものにしようとしていると私は考えるのである。

一方で、もし「山田商事営業部の山田太郎であるということ」という命題(認識・思考)を言語的に提示することがこの書き手の心の動きなのであると判断するならば、その場合の分析は次のようになる。
 
認識=命題:山田商事営業部の山田太郎であるということ
対事的モダリティ(判断・態度):(私は)「である」(命題に対する断定)
対人的モダリティ(伝達):「でございます」(ていねい)

 
実際に山田太郎君の心の動きがどちらかであったか、という問いには、意味がない。おそらく、「どちらも」だろう。

このように

「心と言葉」モデルでは基本的に「AかBか」という問いの立て方はしない。論理的でなく、また多くの場合において新たな価値の創造につながらないからだ

(もちろん「AかAでないか」という問いの立て方はする)。

「心と言葉」モデルでの基本的な姿勢は「AかBか」ではなく、「AもBも」である。

ここでいえば、「山田商事営業部の山田太郎でございます。」という言語表現は、命題的表現であるとともにモダリティ的表現でもある、と考えるのである。

なお英語の世界では(グローバル英語も含めて)、ここまで手厚く対人的モダリティを表現するという文化的な側面はない。したがって、基本的には、この「山田商事営業部の山田太郎でございます。」を英語で表現することはない。

(続きは明日)

☆☆☆

☆☆☆

「ことさきく|成瀬由紀雄の日英文章・翻訳教室」では、このほかにも日本と日本人、英語・日本語・翻訳その他に関するコンテンツを数多くアップしてあります。総数は1000本を超えています。

いくつものマガジンを設定していますのでぜひチェックしてみてください。

いいなと思ったら応援しよう!