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書籍紹介『漢字と日本人』(高島敏男、中公文庫)

この頃、とくに感じることなのですが、現代の日本人は――いやそもそもいつの時代の日本人も――漢字というものを根本的に誤解しているのではないでしょうか。

さらにいえば、おそらく「ナメている」のでしょう。

たとえば、わたしなどもそうですが、漢字がもともと中国の文字であることはわかっていましたが、それでも、漢字はなんとなく、日本の文字でもあるような気がしていました。

しかし、中国文学者である高島俊男は、この『漢字と日本人』(中公文庫)のなかで、それが単なる思い込みであることを我々に思い知らせてくれます。

つまり、

漢字は中国の文字であり語であって日本のものではなく、日本語にとって英語とまったく同じように外国語である

のだということを。

同書のなかで、高島は次のように書いています。

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「日本人が千数百年前に中国から漢字をもらったことをもって、恩恵を受けた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは不幸なことであった」(27ページ)

なぜか。

第一に、そのことで日本語の健全な発達がとまってしまった。

第二に、漢字は中国語には理想的な文字だが、まったく性質の異なる日本語にとっては、それは身にそぐわない不便で窮屈な服にすぎないのであって、そのために非常な困難と混乱が生じ、それが千数百年後のいまもなお続いている

では、そんな不便な文字をなぜ日本人は採用したのかというと、それはそのときには漢字しか選択肢がなかったからである。

そして高島はこう続けます。

「もし、漢字と同時にアルファベット文字がはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう」(28ページ)

しかし、とにもかくにも日本は漢字を受け入れてしまいました。そして千数百年がたってしまった。さらに「文明開化」の際に、西欧の概念を受け入れるために膨大な数の新漢語までつくってしまった。

こうなっては、もはやそれをできるかぎりうまく使いこなすほかに、進むべき道はありません。もう後戻りはできないのです。

結論として、高島はこういいます。

☆☆☆

「では、日本語は健全なすがたにかわり得るのであろうか。

日本語は畸型のままで成熟してしまった言語であるから、それは不可能である、とわたしは考える。

これをしいて完全に正常なからだにしようとすれば(つまり漢字を全廃しようとすれば――成瀬注)、日本語はきわめて幼稚なものとなってしまう。ある程度正常にしようとすれば、その分だけ幼稚になる。(略)

漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にはあわないのだから、いつまでたってもしっくりこない。しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。

この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。(略)日本語は、畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない、というのがわたしの考えである。(243-246ページ)。」

この本に出会ったときから、わたしの日本語に対する見方は、大きく変わりました。

あるいは、日本文化そのものに対する見方が変わったというべきでしょうか。たとえば、日本と中国とは同じ「漢字文化圏」で近しい関係だ、などと無邪気に信じていたことが、まるでうそのようです。

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