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伊藤和夫がやり残したこと(1)言葉に対する静的・俯瞰的な認識・分析から、動的・予測的な認識・分析へ

(以下、2010年5月執筆)

伊藤和夫は、「直読直解」のための方法論について、1977年初版の『英文解釈教室』で基本的な骨格を完成させたのち、1988年初版の『ビジュアル英文解釈』でそれをさらに動的なものへと発展させた。

伊藤の遺稿となった1997年出版の『予備校の英語』のなかに「『英文解釈教室』を斬る」というエッセイがある。

ここには、以下のように伊藤の英語教育方法論の破壊と創造の様子が、伊藤自身によって述べられている。

既に述べたように、文法の視点は、言語の線を離れた高所から言語を俯瞰し、抽象する立場である。

しかし、それは言語を使う者の立場ではない。

言語の使用にあたって我々は、たとえアタマに無数の想念がひしめいていても、一度に一つのことしか言えない。

一本の線の上にそれを継時的に配置してゆくしかないのである。

そのかぎり、言語は静止状態にあって全体を同時に眺められる線ではない

時の流れと等しい方向に流れる、「方向」を持った線なのであり、言語の使用にあたって、我々はその線に束縛されつつ、みずからも流れることを強制されているのである。(略)

「読む」時、我々は線の最初から出発してそれを進行方向にたどってゆくが、その際、次々に出現する要素は受動的に送迎されているだけではない。

我々は既に与えられた部分に基づいて、そこから先の思想の流れと言葉の組み立てを予想している。

自分の予想が正しいか裏切られるかを、新たに出てくる部分と突き合わせて確認し、その正しさに満足したり、基本の枠組みは変わらぬままにそこに付加される情報を受け入れたり、予想が大きく狂うことによって読みの誤りに気づき、前へ戻って読み直しかつ訂正したりすること、それが具体的かつ創造的な読み方である

(伊藤和夫 『予備校の英語』 研究社 pp.52-5

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言葉に対する静的・俯瞰的な認識・分析から、動的・予測的な認識・分析へ、というのが研究者としての伊藤の歩んだ道である。



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私自身も、きわめて不完全なものにすぎないが、後期の伊藤が目指した英語の動的・予測的な認識と分析をおこなっている。

こうした手法に私が着手したのは、2000年前後のことであった。

当時は、まだ誰も着手していない分野に自分が最初に手をつけたのだとうぬぼれていたが、じつは、その十数年前に伊藤がすでに着手していたのである。

汗顔の至りというほかはない。

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こうして「直読直解」の静的分析から動的分析へと歩を進めた伊藤だが、その後、無念にも病にたおれ、その探求の道程は閉ざされるに至った。

だが、

もし伊藤がさらにその歩みを進めていたとすれば、それはどのような方向に向っていたのであろうか。

それを私なりに考えるのが、本論の目標である。

(つづきは↓)

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