心と言葉の日本語文法(41)現代日本語三脚論(1)日本語は二度、接ぎ木をされている
(↑のつづきです)
「ことば」は生命体である。
私のイメージでは、それは樹木に近い。
私たちを支えてくれている存在であるが、しかし普段はそのありがたみになかなか気づかない。
ただし世話を怠ったり、あるいは枝を折ったり根を踏み固めたりしていると、そのうちに少しずつ弱っていき、ついには枯れてしまう。
そして一度枯れてしまえば、もう二度と生きかえることはない。
日本語という樹木は、二度たいへんな接ぎ木をされた樹木である。
最初は1500年ほど前のことであった。
まだ幼木だったときに中国語というまったく種類の違う樹木を接ぎ木された。
漢語の流入である。
そのため、日本語という樹木でありながらも、その知的語彙のほとんどが中国語という樹木になってしまった。
サクラだかマツだかよくわからない、ある意味で奇妙な樹木となったのである。
そうやって千数百年のあいだ、この日本列島のなかで生き延びてきたのであるが、200年ほど前に、さらにもう一度接ぎ木をされることになった。
相手は西欧語という、今度もまったく異質であり、かつ繁殖力の異常に強い木であった。
そこで日本語は、西欧語という樹木を中国語という樹木のうえに、さらに無理やりに接ぎ木をした。
西欧語を漢語に訳したのである。
これは世界の歴史上でも他に類のない荒業であったが、日本語という樹木はそれでもなんとか生き延びることができた。
しかしそうやって二度の歴史の激変期に大きな接ぎ木をして生き延びてきたものであるから、その格好はとても奇妙なものになってしまった。
このサクラだかマツだかスギだかわからないかたちになった言語が、現代日本語である。
そして日本語人の心情や思考とは、この数奇な運命を経てきた樹木の果実である。
(つづきは↓)
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