心と言葉の日本語文法(46)表現の多機能性――ひとつの表現が複数の機能を併せ持つ(3)
(↑のつづきです)
以上をまとめると、次のようになる。
「吾輩は」=命題要素(わたし)+対事的モダリティ(トピック)+対人的モダリティ(社会的ポジション)
「猫」=命題要素(猫)
「である」=対事的モダリティ(断定の判断・態度)+対人的モダリティ(低い丁寧度)
「吾輩は猫である」という表現は、これらの命題要素、対事的モダリティ、対人的モダリティのすべてを一体化した「心のはたらき」を持つものである。
これを敢えて図示するとすれば、次のようになる。

いちばん内側の四角の層が命題、真ん中の四角の層が対事的モダリティ、いちばん外側の四角の層が対人的モダリティを表すものであると考えてほしい。
この図から、「吾輩は」という言語表現は、内側の命題とまんなかの対事的モダリティと外側の対人的モダリティのいずれの機能も強く有していることがわかる。
いっぽう「猫」という言語表現は、内側の命題の機能を強く有していることがわかる。
「である。」という言語表現は、まんなかの対事的モダリティと外側の対人的モダリティという2つの機能を強く有していることがわかる。
これまでの文法は、それぞれの表現が命題、対事的モダリティ、対人的モダリティのうちのひとつの意味を担っているということを前提として分析がなされていた。
だがそうした方法論では言葉の役割の全容を解明することができないし、文法理論を実践の場で有効に活用するケースも限られてしまう。
これまで文法が実際の役に立たないと一般に思われてきた理由のひとつがここにあるのではないかと私は考えている。
(つづきは↓)
[1] 自然言語の表現をこのような記号的な表現に移し替えたものを「心の文法」では「命題関数」と呼ぶ。これは記号論理学の命題関数の概念を借用したものだが、記号論理学の命題が真・偽を定めるためのものであるのに対して、「心の文法」での命題関数はそうした制約を持っていないところが本質的に異なっている。「心と言葉のグローバル日本語文法」の場合の命題関数は、「述部」を関数として「補足部」を変数とするのが基本形である。
