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【シロクマ文芸部】春の風【2000字小説】

「春の風って感じだ」
と、憲秀が空を見上げて唐突に言った。

のりひで、じゃなくて、けんしゅう、と呼ぶ。
坊主だ。
スキンヘッドという意味ではなく、寺の僧侶、という意味で。
大船と江ノ島を結ぶ、湘南モノレール沿線の小さな浄土宗の寺の住職。
作務衣姿、竹ぼうきを持って、境内を掃除している憲秀は、目をしぱしぱと瞬かせている。
見た目は2、30代の若者にしか見えないのだけれど、実年齢はもっと上だというのだから化け物じみている。

「春の風って何」
「春の風ってのはねえ、目が痒くなるんだよ」
「花粉症じゃん」
「いや、断じて花粉症ではない」
そう言い切って、憲秀は風に散らされた竹の葉をもう一度竹ぼうきで集め始める。
俺はそれをただ眺めていた。
手伝いもしないでぼんやりと見ているしかない今の自分は、何の役にも立たない。それがほんの少しもどかしい。

「どうしたの、ちょっと不満そうだね」
憲秀がこちらを見ないで、背中越しに笑う。
背中越しなのに、どうしてこちらの顔色がわかるのか。ザッザと、竹ぼうきが地面を掃く音が耳に響いてあまり気分は良くない。
人間だった頃よりも、今のほうが耳が良いのだ。
俺は、少しでも音が響かないように距離を取ろうと、すぐそばにあった石灯籠の上へとジャンプする。
石灯籠に飛び上がった猫の俺に驚いたのだろうメジロが、近くの松の木から飛び立った。それを見て、悪いことをしたな、と思う。
「境内で殺生は困るよ」
冗談めかした声で憲秀が言う。その言葉が思いのほか重くて、すぐに返事ができなかった。
「ちげーし、わざとじゃない」
「なんだ、本気で落ち込んでるの?」
憲秀がまた手を止めてこちらを見る。
その隙に、風がせっかく集めた竹の葉を散らしてしまう。
ああ、とこちらが思っているのに、憲秀はちっとも気にしていない。
俺のことなんか放っておけばいいのに、憲秀がこちらへとやって来る。
「ねえ、時間がもったいないよ。さっさと終わらせないと」
「まあねえ、でもこの風じゃ、どうせすぐにまた同じになるよ」
そう言って、憲秀は竹ぼうきを石灯籠に立てかける。
「ほら、おいで」
と手を伸ばされる。
白魚のような、と綺麗な手のことを言うけれど、まさしくそんな手だ。年のいった男の手だとは思えない。
おいで、と差し出された手に自分から行くのがなんだか嫌で、動かずにいると、ひょいと無理矢理に抱え上げられる。人間に抱きかかえられる時の、ひゅっと宙を浮く感覚にはまだ慣れない。怖くなって慌てて憲秀にしがみつく。
「あ、こーら。暴れないの」
「急に持つなって。怖いんだよ」
「習うより慣れろってね」
憲秀によいしょと抱きかかえられて喉を撫でられる。撫でられているうちに、ゴロゴロと喉が鳴ってしまうのは不可抗力だ。
「ほーらいい気持ちだ」
「勝手に鳴ってるだけだから」
じたばたと暴れて、憲秀の腕を蹴って着地する。
着地地点で踏んだ竹の葉が、かさりと小さな音を立てた。
なんにも掃除ができていないのに、憲秀はほうきを片付けようとしている。
「待て待て、まだ掃除できてねえじゃねえか」
「うーん、でもお前耳が痛いんでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「その上、なんでか今日は私のそばにいたいみたいだし」
その通りだけれど、認めるのは癪に障って、しっぽがたしーんたしーんと勝手に土の上をはたいてしまう。
「とりあえず、掃き掃除は後回しだ。風が強すぎるからね」
ほら行くよ、と声をかけられて後ろをついていく。

羽音がして、メジロが松の枝に戻ってきたのだろう気配がある。振り向きたいのを我慢して、憲秀の後を追いかける。

憲秀はまだ目をしばたたかせている。
「かゆいんだろ」
「春の風はいろんなものを運んでくるからね」
「花粉とかな」
「花粉症ではないから」
「じゃあ、猫アレルギー?」

憲秀はびっくりしたような顔で振り返る。
「そんなこと誰に言われたの、お前」
なだめるような声音だ。
よいしょっという掛け声と共に、もう一度抱え上げられる。
「さあ、なんでだろう。覚えてないけど、誰かに言われたのか、誰かに言ったのか」
「言ったってことはないでしょうに、猫はお前なんだから」
「でも、前世は人間だったかもしれない」
「だとしても、今は猫だからねえ」
また、喉を撫でられる。ごろごろと音が鳴る。

「そんなに気負わなくていいよ。せっかくうちに来たんだから、のんびりしてなさい。さっきも変に気負っていただろ。なんにもしなくていいんだよ」

抱きかかえられて撫でられているうちに、だんだんと眠くなってくる。
春の陽気だからだ。
春の風が吹く。いろんなものを運んで。
「喋る猫は気持ち悪いか」
ほとんど目を開けていられないまま、呟いた。
カラカラと笑っている声がする。それきり、憲秀の声が遠くなっていく。

「死んだ情人が生まれ変わる度、人間以外でも関係なく捕まえちゃ囲ってる坊主のほうが、よほど気持ち悪いからねえ、お互い様だよ」

聞こえた言葉を理解するよりも前に、春の風の音がした。

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画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。


#シロクマ文芸部

今週もシロクマ文芸部さんにお邪魔しております。

ここ最近あまりnoteに来られていませんでしたので、ちょっとだけ久しぶりです。
今週は「春の風」とのこと。

なんの目算もビジョンもなく書き始めて2時間、ちょっと不思議な話ができました。



シロクマ文芸部さんに参加させていただくのは、今回のこれで6回目。
これまでに参加させていただいたシロクマ文芸部提出物です。

いつも楽しく参加させて頂けて感謝です。

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