【noteでBL】はちすのうてな
※こちらは企画参加作品です。
皆様こんばんは、四四田です。
素敵企画 #noteでBL 4回目の参加、今回もよろしくお願いいたします。
今回のお題は、
「花」「つめ切り」「大嫌い!でも好き❤️」でした。
お題むずいなーと思ってるときに、
全然別で考えてたものがこのお題と合うのでは、と気づいてからは早かった。
今回も書いててめちゃくちゃ楽しかったです。
なみさん、いつも楽しい企画にしてくださってありがとうございます。
今回の登場人物は、
これまでにも別の機会で書いてた人たちです。
3本目か……?
そろそろシリーズ名つけてもいいかもしれない……。
見出し画像は住んでるとこのそばにある池で撮った写真です。
ちなみに本文の文字数は5,000字きっかりです。
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「憲秀?」
俺が見つけて声をかけると、作務衣を着た僧形の男はハッとした様子で振り返った。
夏の暑い日ざかりのことだ。
庭仕事に出たきり、いっこう庫裏に戻ってこない憲秀を探して歩いていたら、本堂の裏手にある蓮池をぼんやりと眺めている姿があった。
猫の俺にとって、最近の夏の暑さは耐え難いものがあるけれど、それは人間である憲秀にとってだって同じだろう。彼が、素直に「人間」と断じてしまっていいのかどうかはわからない奴だ、というのはまた別の話として。
庭仕事をしているうちに、のぼせでもしたのかと心配になるくらい、こちらを振り返った男の顔はぼんやりとしていた。
近づいていくと、蓮池を囲う柵に、とんと飛び乗る。
なにしろこちらは猫だから、顔を見て話そうにも物理的にいろいろと制限がある。
柵は、憲秀の胸くらいの高さまでしかなかったけれど、地面から見上げるよりは近くなった距離で顔を覗き込めば、もとより色白の男の頬はかすかに赤くなっているように見えた。
熱中症にでもなっているんじゃないかと、憲秀の身体を支えに伸びあがって、ぴとり、と頬に手を添える。
猫の手でも、触れた皮膚が熱を持っていることはわかった。
直前までぼんやりとしていたはずの憲秀は、びっくりしたような顔をしてこちらを見返すと、慌てて俺の身体を柵から抱え上げた。
「こんな炎天下に出て来て、手が焼けてしまうだろ」
憲秀は俺の手を確かめるように握っている。
「大丈夫だよ、こんくらい」
と、俺は言った。
本当は、憲秀を探し回っているうちに、随分と熱いところを歩いたものだから、柔らかな肉球はほんの少しひりついている。けれど、それを言ったら大げさに騒がれそうだったので言わずにおいた。
「中に戻ろう、涼しいところに行かないと」
妙に気遣わしげな声だ。
憲秀は時折、こんな風に過保護とでも言いたくなるような雰囲気になることがある。
そういう時はすぐにわかる。視線が、こちらを見ているようで見ていないから。猫の俺を通してなにか別の、もっと遠くのものを見ているのだ。
「憲秀だって、ずっと外にいたくせにさ」
「私はいいんだよ」
よくはないだろう、と思うのだけれど、自分が一体どの程度憲秀を案じたりしていいのかがよくわからなくなって、俺は口をつぐんだ。
案じたところで、猫の自分にできることなど、たかが知れている。
抱えられた腕の中から、大きな蓮の花が見えた。
蓮は、朝の早い時間が見頃になる花だ。
日が中天に高々と上がっている今時分では、すでに萎れている花もある。それでも、それは夢の中の景色のように広がっている。
「蓮を見に来てたのか」
「そう」
「綺麗だな」
と呟くと、まるで答えるかのように風が吹いて花が揺れた。
「明日は俺も連れて来いよ。一緒に花を見よう」
憲秀は一瞬虚をつかれたような顔を見せて、それから噛み締めるように、
「そうだな、明日は一緒に見に来よう」
と言った。
その顔が、なんだか泣きそうに見えた。
自分は、記憶している限り、前世は人間だった、はずだ。
うすぼんやりとした記憶の中で人間だった感覚が残っている。猫として生まれてからの記憶もおぼろげで、気がついたら今の自分になっていた。
だから、人間から猫に生まれ変わったというよりは、気がついたら猫だったというのが正直なところだ。それが一体どういう因果因縁の上で起きたことなのかは、自分のことなのにわからずじまいだ。
憲秀は、何か知っているのだろうなと思うけれど、きちんと聞いたことがない。
はっきり覚えていないとはいえ、当然なにがしかの浅からぬ因縁があるのだろうとは思う。
だからといって、じゃあ自分は憲秀にとって何なのか、彼に対して、どんな風に振る舞うのが正解なのかは未だにわからない。
「お前、爪が随分と伸びて来てるね」
いたわるように、猫の手をやわやわと揉んでいた憲秀が、まだ少しぼんやりとした調子で言った。
大切にはされていると思う。
決して、名付けられることはなく、特定の名で呼ばれることはなくとも。
憲秀は俺のことを「お前」としか呼ばない。
だから俺も、自分のことをうまく捉えきれないでいる。
ここには憲秀と俺しかいない。俺の名前を呼ぶ相手は誰もいない。
「庫裏に戻ったら久しぶりに爪切りかね、この伸び具合じゃ」
「ええ……」
「嫌そうな声を出して」
憲秀はくすくすと笑っている。その声が段々といつもの調子を取り戻していくようで、ホッとする。
「実際大嫌いなんだよ、お前も自分よりでかい生き物に無理矢理押さえつけられた状態で刃物向けられてみろ。わかってても反射的に怯えるだろ、おっかないんだから」
「なるほど……、大嫌い!でも好き♡、と……」
あからさまにふざけた裏声を使って、わざとらしくおどけてくる。つとめて、常の自分を取り返そうとしてから回っているのだ、と理解してやることにして、俺は憲秀に白けた視線を送る。
いや、案外本気で言ってるのかもしれないけれど。
「好きって何が」
「私のことだよ、爪切りは大嫌いなのに、結局はおとなしくさせるんだから、私のことは好いてるんだなと」
何を今更当たり前のことを、と当然のように口に出しかけてしまった言葉を、直前で飲み込む。憲秀はニヤニヤとしている。
そのニヤニヤ顔を見ているうち、血が沸騰して、ぶわわ、と毛が逆立っていく。今、自分は何て言おうとしたのか。
憲秀の視線が耐え難くなった俺は、後ろ脚を思い切り蹴り出して、腕の中から飛び出した。
毛を逆立てながら、軒下を走り去る小さな姿を笑って見送ったあと。憲秀は、不意に気配を感じて後ろを振り返った。
そこには、つい今し方まで眺めていた蓮の池があるばかりだったが、水面に蜃気楼が立ち上っていく。
その蜃気楼を、じいと目を細めて見つめていれば、山奥の庵の中にいる二人の男の姿が映し出された。
一人は布団の中にふせっていて、一人は坊主の形をしている。その面差しは、鏡の中を覗き込んだかのように、憲秀と瓜二つだ。
「……『先立たば送るる人を待ちやせん花のうてなのなかば残して』」
布団の中から声がする。
「なんだって?」
傍らの坊主は、急に歌を詠じた男の顔を覗き込んだ。横たわる男の爪を、切ってやっているところだったのだ。
起きているとは思っていなかった。
かといって、寝ているとも思ってはいなかったのだけれど。
生死の境目を幾日もふらふらとして、朦朧としていたから、まさか口をきくとは思わなかった。
男はくふくふとくぐもった笑い声を上げている。笑うような気力がまだあったのか。
そもそも、こんないつ命が尽きるともわからない身体のくせして、それでも爪は伸びているのだから、人間の身体というのは不思議なものだと、男の面倒を甲斐甲斐しく見ていた坊主は思った。
力ない手を委ねて、坊主が爪を切るにまかせている男。
いや、委ねているのではなく、動かす力がないだけかもしれない。手の感覚が残っているのかもあやしい。
数日、いや数週間は前になるだろうか。
山中で行き倒れているところを、坊主が見つけたときには、もう長くはないだろうことはわかっていた。
脚は折れ、腕は切られ、腹には穴が開いていた。あたりが黒く湿るほどの血が流れ、頭は割られ腫れ上がり、当然目なんて見えちゃいないという有様だった。
そんな男を、坊主は拾って来て、山中に見つけた無人の庵で世話を始めた。
男の名も知らない。
どうせ幾日ももたないだろうし、尋ねて答えが返って来るとも思えなかった。
それでも、予想に反して細々と男は生き延びていた。いつ消えるとも知れない頼りない命の灯火だった。
いつものことだ、と坊主は思った。
一体いつからこうしているのか、坊主にはわからない。
ただ、もう自分がおおよそ人間だとは口が裂けても名乗れないほどの年月を、死ぬこともなく、老いることもなく、僧形で、ただ生きている。
僧侶の形は、適当な猿真似というわけでもない。
終わらない命に辟易として、仏門に入った頃があったのだ。結局のところ、救いのようなものは見いだせず、答えのない生を生きていくほかないことがわかって、寺からは離れた。
ただ、身につけた所作や知識は無駄にはならない。
見た目の変わらない、死なない人間。
人間なのかももうわからない。そんな生き物が一つ所に腰を落ち着けるのは難しい。
となれば、旅をするしかないのだけれど、得体の知れない男の一人旅も、着ている衣が袈裟だというただそれだけで、人は警戒心を解く。
その都合の良さに、坊主は坊主として立ち居振る舞って過ごすようになった。
頼まれれば昔取った杵柄で経の一つも上げてやる。
似非の坊主の読経に、はたして功徳があるのか知れないが、何もないよりはマシだろう。今となっては、すっかり堂にいっている。
そうして、生きて、たった一人を探して旅をし続けている。
そのたった一人は、いつだって坊主が見つけた時には死にかけているのだ。
ある時はなぶり殺された少女の姿、ある時は飢え死にしかけた老夫の姿、あるいは痩せこけた犬、矢を射られた鳥の姿で見つけたこともある。
口のきけない、人ですらない姿形であったとしても、見つければ、探していた相手だと何故かわかる。
初めのうちは、目の当たりにさせられる相手の惨状に憤っていたはずなのに、あらゆる形で死に別れを繰り返すうちに、何とも思わなくなってしまっていた。
どこまでも探し歩いて見つけ出してきた、愛しいはずのたった一つ。それが失われる場面に、薄情なものだが慣れてしまった。
一体いつまでこうしていなくてはならないのか。
何の罰なのか。自分たちの始まりは、坊主にも思い出せない。
この理不尽に慣れた、とはいえ気づいて捨て置くことなんて当然できなくて、いつだって拾って帰って来る。
相手は自分が生まれ変わり死に変わり、坊主に看取られることを繰り返していることを知っているときもあれば、知らないらしいこともある。
今回はどうなのか、それもよくわからない。
早くこの時間が終わらないだろうか、とふと思ってしまって、とうに追いやったはずの罪悪感が顔をのぞかせる。
「歌、ですよ」
と、布団の中から男は言った。
「あんたが、なんだかつまらなさそうだったもので。ほんの気晴らし……」
男がゴボッと咳き込んで、唇の端から血が溢れた。それを、坊主は黙って拭いてやる。
「歌の意味がわかって言ってるのか」
「さあ、どうなんでしょうか」
そう言って男は笑う。
もう長くはないだろう。死ぬその瞬間になっても、目の光が消えない。いつもそうだ。今度こそもういいと思うのに、諦めないその目に射抜かれると、結局次を待ってしまう。
「また……先立つことになるようです……。あちらに着いたら……蓮華の座を調えてお待ちしましょうか」
男の言葉に、坊主は思わず嘆息した。
何もわからない記憶のない相手であろうと、同じように待つし、同じように見送ってやるつもりだけれど。
互いを結ぶ因縁の糸があることを、わかってくれる、知ってくれる相手に出会えるのは、何もかもを凌駕する慰めだった。
長い長い時間の中で、わずかに許された互いの時間が重なる瞬間が今だ。
「お前は、記憶があるのかい」
坊主は震える声で言った。
坊主の問いには答えず、男はゆっくりとひとつ瞬きをする。
「蓮の台を調えるだなんて、そんなことはしなくていい。どうせ私はお前と同じ場所に行かれないようだから。お前はいつもそうやって先に逝くくせに、私は着いていけないんだ」
爪を整えてやっていた手をぎゅっと握りしめる。
「私はいっつもこうやってお前が来るのを待っていることしかできない」
「ああ、なんだ。そうだったんですね。じゃあ、すぐに戻ってくることにします。次にあんたと見るのは、彼岸じゃなくて、此岸の花だといいんですけどね」
「ああ、ほら。蓮が綺麗ですよ」
と言い残して、男は事切れた。
男が指し示した先にはあばら家の壁があるばかりで何もなかった。
風が吹いて、蓮の花が揺れる。
死んだ男も、坊主も、風に吹き飛ばされるように、掻き消えて見えなくなった。
後に残されたのは、憲秀だけだ。
「幻視か」
憲秀の言葉に答える者はいない。
サワサワと風に揺れる葉の音が、人の声のようだ。
「こんなもの見せなくたって、明日はあの子を連れて来るよ。此岸の蓮を一緒に見るって約束をしているからね」
そう言って歩き去る憲秀の後ろで、お待ちしてますね、と言わんばかりに、一際大きな蓮の花がお辞儀でもするかのように、かしいで揺れた。
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※ちょっと用語解説※
蓮の台
仏教において、仏・菩薩が座る蓮華の台座のことです。極楽浄土で往生を遂げて仏になった人が座る場所。
善導大師の古歌
「先立たば送るる人を待ちやせん花のうてなのなかば残して」
最近知ってすっかり気に入ってる和歌。
仏教は、死ぬと人は極楽浄土に生まれ変わるのだ、という思想がベースにあります。人は誰でも絶対に死ぬ。だからこそ、この世の別れは永遠の別れではないわけですね。どうせ先行ってまた会えるよねってことです。
そういう思想の下、この歌の意味は、
『私が先に浄土に生まれたら、後から浄土に来られるあなたの為に、蓮の台を調えてお迎えいたします』
というわけです。
誰が誰にどんなシチュエーションで言うのかとか考えるだに萌え……。
そもそも、
『半座を分ける』
とか、
『蓮の台の半座を分かつ』
なんて慣用句がありますが、
座席を半分あけて人に譲る=極楽浄土で同じ蓮 の台 に二人で座ることを意味します。
関係が深い相手と、良くも悪くも運命を共にするということ。一蓮托生、という意味ですね。
一蓮托生も蓮って漢字が出てくる四字熟語。これも蓮の台に一緒に身を寄せる、という発想から来てます。
この歌は、善導大師の歌、と紹介されるのですが、善導大師は中国は唐の国のお坊さん。
中国の高僧が和歌を残すのか?と思ってたのですが、正確には、和歌を善導大師が直接詠じたわけではなく、
善導大師の残した著作、
『般舟讃』の『依観経等明般舟三昧行道往生讃』の中に書かれた言葉が元になって、
後の世の日本人が和歌の形にととのえた、というもののようです。
一到即受清虚楽 願往生
(一たび浄土に到りぬれば即ち清虚の楽を受く 往生を願う)
清虚即是涅槃因 無量楽
(清虚は即ちこれ涅槃の因なり 無量の楽しみ)
表知我心相憶念 願往生
(我が心を表知して相い憶念し 往生を願う)
各留半座与来人 無量楽
(おのおの半座をとどめて来たる人に与う 無量の楽しみ)
このちょっと堅めの修行の目指す先を語っているような内容から、あのはんなりした歌を詠じてしまう日本人のセンス……と感心します。
全ての死別カップリングに花のうてなをどうするか語らせたい。
