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【シロクマ文芸部】五月病【3000字小説】

「五月病だな」
作務衣姿の坊主は、どうということのない調子で言い捨てた。
言われたほうの女は、ぼんやりと立ち尽くしている。

家族の様子がおかしくなったと言って、思い詰めた様子でこの寺に現れた。あまり見かけない女だ。少なくとも、寺の檀家ではない。
一体どこでこの寺の話を聞きつけたのか。ごくまれに近所の人間や檀家が顔を出してくれるくらいで、大して流行っているわけでもない寺だ。
身の上相談を対外的に請け負っているわけでもないこんな場所に、悩み事を抱えて現れるなんて、よほど追いつめられているのだろうか、いささか違和感がある。
そんな相手にこんな調子でいいのか。口を出しそうになって、俺は慌てて堪えた。
今の自分は猫だ。人語を操るところを、早々披露するわけにもいかない。
咄嗟に堪えたのが、坊主には伝わったのだろう。白魚のような手が伸びてきて、俺の頭をひと撫でする。撫でられながらじいっと見つめていると、そのまま黙っていろと言わんばかりに、坊主は目くばせをしてみせた。

憲秀けんしゅう
「どうした?」
「帰してよかったのかよ」
結局大して話も聞かずに追い出した女が、心細そうに振り返り振り返り去っていくのを見送りながら、俺は傍らの坊主に声をかけた。
「ご立腹のようだね」
「そんなんじゃないけど」
憲秀が、両手を広げて見せるので、ぐっと心構えをする。予想通りに手が脇に差し込まれて、身体がひゅっと持ち上げられた。そのまま猫の自分は憲秀の腕の中に納まる。

「おや、今日はおとなしく抱かれてくれる」
「断ると後が面倒だって学んだんだよ」
「つれないねえ。でもまあなんだっていいよ、こうして腕ん中にいてくれんならね」
「ちょっとの間だけだからな」
「はいはい」

晴れ渡った初夏の空は青く、日差しは暑いくらいで、毛皮を着こんだ身体にとって、抱きかかえられるのは正直に言ってしまえば鬱陶しいのだけれど。断ってばかりいたら、これしきのことでと驚くほどに気落ちされてしまった。毎日、しょぼくれた様子で鬱々とされているのを、延々見せつけられていたら、こちらまで気鬱になってきてしまったのだ。

「気鬱な家族を見てるだけなのは辛いもんなんだよ」
「何の話だい?」
憲秀の気落ちした姿を思い出しているうちに言葉が零れただけなのだけれど、当然のように“家族”などと言ってしまった自分に少し慌ててしまう。
ただ、当の本人が自分のことを言われた、とはわかっていないらしいのを幸いに、話をすり替えた。
「えーと、さっきの人だよ。家族が、五月病って憲秀が言ったんだ」
「ああ、あれか」
うまく誤魔化せたのか、憲秀は納得したように肯いている。
それはそれで、なんとなく釈然としないで、自分の気持ちを持て余していると、憲秀は妙なことを言い出した。
「私が言ったのは違うよ、あれが五月病だって言ってやったんだよ」
「へ?」
「それと、お前が思っているような気鬱の話とは違うな」

何が違うのか問いかけようとしたところに、妙に生温かい風が吹いた。
急にどうしたのかと空を見上げる。その間もあたりがどんどん暗くなっていく。

「おとなしく帰れば先送りにしてやったのに。腹が空っぽだと頭まで悪いんだな」

憲秀は嫌みったらしく毒づいた。どうも、何か面倒に巻き込まれたらしい。
「寺に悪いもんは入ってこないって、そう言ったよな?」
「悪いもんってほどでもないんだよねえ。あまり派手なこともしたくないし、どうしたもんか」
さっきまでの晴天が噓のように、やにわに荒れていく天気に、思わず力が入ってぎゅっと捕まってしまう。
「いてっ」
「あ、ごめん」
作務衣を突き破ってどうやら爪が刺さったらしい。引っ込めてやろうと力を緩めると「そうだよ」と、憲秀は急に俺の身体を高々と掲げた。
そうして、こちらの全身を上から下まで眺めると、
「猫じゃないか!」
と大きな声を出した。
「猫だけど」
「猫は魚が好きだよな」
「なに急に」
憲秀は、良いことを思いついたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべている。
「嫌な予感がすんだけど」
「悪いな、今日はちょっと手伝っておくれ」
そうして憲秀は、勢いよく吹き付けてきた風の中に、俺の身体をぽんと放り投げた。

文句を言う間もなく、放り出された身体は、空中でくるりと態勢を変える。いつまでたっても地面に着地をする感触はなく、まるで底なしの川の中に飛び込んだかのようだ。一体何ごとかと周囲を見回すと、吹き付ける風の中、こちらに向かって勢いよく何かが進んでくるのが見えた。
きらきらと、鱗のようなものを光らせながら、川を泳ぐように進んで来る。そのうねうねと動く様を見ていたら、猫の本能だろうか、たまらない気持ちになって、俺は後先も考えないままその背中に飛び掛かった。
途端、身体は境内の土の上に着地をしている。
一瞬のことだった。

空は雲一つない青空で、風も吹いていない。
踏みつけた足の下には、薄汚れた大きな布。
「お見事」
ぱちぱちと手を叩きながら憲秀が近づいてくる。

「ひとのことを投げておいて」
「お前なら大丈夫だと思ってたからね」
俺の頭をひと撫でしながら、憲秀がおもむろに布を取り上げるのに合わせて、身体を脇にどけてやった。

「それは?」
「鯉の吹き流しだよ」
「鯉のぼり?」

なるほどそう言われて見たら、うっすらと鱗模様が描かれている。
「鯉って、長生きをして霊性を得た個体は、まれに龍になれるんだけどね」
「それはまあ、知ってるよ。鯉のぼり自体、その伝承があるから飾られてるだろ」
「こいつはね、ただの鯉のぼりのくせして、どうにかすりゃ龍になれるって思っちまった奴なんだろうね。龍になる方法も色々だろうに、何の落ち度もないただの坊主を狙ってくるとはまあ、性根が悪い」
抵抗するように、鯉のぼりが憲秀の手の中でびちりと跳ねる。
憲秀は、鯉のぼりをぱんぱんとはたくと、綺麗に畳んでしまった。
「ふん、もとはさぞかし名のある家で飾られてたんだろうが、分もわきまえられないようじゃ、ただの老害だよ」
「要はそいつ付喪神ってことだろ? それを老害呼ばわりって」
「長生きして精霊を得たところで、やることがこんなお門違いなんだ、まさしく老害だろう」
憲秀の視線の先では、山門に寄り掛かるようにして、さっきの女が倒れている。
「憲秀、あれ」
「放っておきな、すぐにいなくなる。どんな因縁があるんだかしらないが、この鯉のぼりが憑いてただけ。ここに来るまでのただの足に使われただけだ、あの人は何も覚えちゃいないさ」
「あの人の家族の話は……」
「あれも、これが言わせた嘘だよ。吹き流しは腹がないから、中身のない嘘を言いふらすもんだ」
「そう……」
それならば、それはよかった、と思う。助けを求めなければならないくらい困っている家族がいないというのなら。嘘でよかった。
ひょい、と身体が持ち上がる。
「五月病ってのは」
憲秀に抱えられながら尋ねると、
「鯉のぼりは五月のものだからね、まさしく五月病だろ」
と答えが返ってくる。
左腕には俺を、右手には鯉のぼりを持って、憲秀は上機嫌だ。
「おかげで面白いものが手に入った。礼を言うよ」
「どういたしまして、でもそれどうすんだ」
「さあ、どうしようか」
ふふふと怪しい顔をして笑う憲秀に、ハアとため息を吐く。
「人語を喋る猫がいるだけで十分だろうに、妙なものを集めたがるとは悪い坊さんだな」
「悋気かい?」
「言ってろ」
鼻を鳴らしながら憲秀の肩の上で振り返る。女の姿はもう、いなくなっていた。


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画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。

#シロクマ文芸部

今週もシロクマ文芸部さんにお邪魔しております。

今週は「五月病」でした!

シロクマ文芸部さんに参加させていただくのは、今回で9回目。
今回も楽しく参加させていただいております。
感謝です。


前回のシロクマ文芸部提出物はこちら


今回と同じ登場人物が出てくる過去書いた話がこちらです。

なんかこういう感じになる予定ない人たちだったんですが、謎の怪異譚が出来てしまった。
五月病って単語を頭の中で転がしてたら、古い鯉のぼりに襲われたら怖えなっていうイメージが浮かんでしまって……(なんだそれ)
憲秀と猫が一体どういう因果関係の人たちなのか、四四田もまだよく知らないです。
憲秀さんは、なんか変なモノ集めてるんだろうか……。

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