【🎨展覧会レポ】大田区立龍子記念館「源流へのまなざし モティーフで見る川端龍子」
【#342、約4,300文字、写真約65枚】
初めて大田区立龍子記念館に行き「源流へのまなざし モティーフで見る川端龍子」を鑑賞しました。その感想・レビューを書きます。
※ 本展覧会はすでに終了しています。
▶︎ 結論
思いの外、満足感の高かった美術館でした!それは主に、1)200円で質の高いアートが約20点見られる、2)近代画家の三巨匠の一人と言われる川端龍子を初めて深掘りできた、3)丁寧なキャプション、広々した館内、少ない観覧者により、快適に鑑賞できたことによります。難点は、アクセスが良くないこと。
おすすめ度:★★★☆☆
会話できる度:★★★☆☆
混み具合:★☆☆☆☆
展覧会名:源流へのまなざし モティーフで見る川端龍子
場所:大田区立龍子記念館
会期:2025年12月6日(土)~2026年3月8日(日)
休館日:月曜日
開館時間:9:00~16:30
住所:東京都大田区中央4丁目2−1
アクセス:大森駅などで東急バス「荏原町駅入口」行乗車、「臼田坂下」下車、徒歩2分
入場料(一般):200円
事前予約:ー
所要時間:約1時間
撮影:すべて可能
巡回:ー
URL:こちら
▶︎ 訪問のきっかけ

訪問の主なきっかけは2つ、1)過去にNHK番組『アートシーン』で見た時、この美術館をメモしていた、2)直近に読んだ本『商業美術家の逆襲』に川端龍子が載っていたためです。
『商業美術家の逆襲』では、"商業美術家"は"純粋美術家"と比べて地位が認められなかったこと、その"商業美術家"に小村雪岱をはじめ、素晴らしいアーティストがいたことが書かれていました。そして、川端龍子は以下のように紹介されていました。
”龍子も当初は、雑誌や新聞に挿絵を描き、挿絵画家として人気を博しました。(略)龍子自身は大家になることを望んでいたのだと思います。…結局は自分が親分になりたかったのでしょう。…存命中に自分で自分の大画面作品を展示する美術館まで建てています”
▶︎ アクセス

龍子記念館へは、大森駅などから東急バス「荏原町駅入口」行乗車、「臼田坂下」下車、徒歩約2分です。美術館までのアクセスが面倒!作者の自宅前に美術館がつくられるケースは多いですが、その多くが行きづらい。
大森駅からアクセスするのが主なルートです(歩いても約20分)。私はGoogleマップで調べた結果、旗の台駅から歩いて「北馬込一丁目」からバスに乗り、「臼田坂下」で下車しました。








▶︎ 大田区立龍子記念館とは?

龍子記念館は、1963年にオープン。川端龍子の文化勲章の受賞と、本人の喜寿を記念して建てられました。当時は青龍会(川端龍子が設立)が運営していたものの、その解散(1990年)を理由に、1991年に大田区立に変更。

住宅街の中に突如として現れることに加え、一見して美術館に見えないため、看板を見た時は「え、こ、これ?!」と少し意外でした。


記念館の向かい側には、川端龍子の自宅とアトリエが保存されています。毎日、1日に3回、無料で紹介ツアーも実施しています。


記念館の所蔵品は、川端龍子の作品約140点のみ。入館料は200円!

なお「龍子」にちなんで、上空から建物を見るとタツノオトシゴに見える形になっているそうです。

▶︎ 川端龍子って誰?

川端龍子の本名は昇太郎。私は龍子記念館に着くまで「龍子」=「たつこ(女性)」だと思っていました(苦笑。読み方は「りゅうし(男性)」です。

川端龍子は1885年、和歌山県生まれ。1895年に日本橋(東京)に引っ越しました。その後、洋画家になりたかったものの、ボストン美術館で日本の古美術に魅力を感じたことから、日本画家に転向。
そして、1914年から自ら「龍子」と名乗り始めました。1885年6月6日は、十干十二支でいう17番目の「庚辰の日」(龍の日)だったことが、名前の由来みたいです。
例えば、鈴木大拙(本名:貞太郎)は、禅僧から法名として「大拙」を名付けられました。「龍子」もイカツイ名前だったため「誰かから名付けられたのかな?」と思ってしまいました。

1928年、川端龍子は、横山大観を中心に設立した日本美術院=繊細な絵ばかりの「床の間芸術」とみなし、龍子の大画面で迫力がある作品=「会場芸術」とは「方向性の違い」があるとして日本美術院を退会(その後も、川端龍子と横山大観は友好な関係が続く)。
なお、現在でも度々「三巨匠」として、大観・龍子・玉堂を並べた展覧会が開催されています(足立美術館、小林美術館ほか)。

略歴を見ると、川端龍子はさまざまな団体を入ったり出たり。そして最終的に自ら、青龍社を設立しました(1929年)。その主宰として展覧会(青龍展)を1929年から自身が亡くなる1966年まで、計38回開き続けました。

普段、私たちが美術館で見る作品は、その当時に認められたものがメインです(伊藤若冲などの例外はあり)。
一方で、現在、個人がSNSで作品を自由に公衆送信できますし、若手メインのギャラリーもあります。しかし、ひと昔前は、展覧会に出展・評価されるには、特定の団体に所属する必要があるなど、構造的な課題や葛藤があったんだな、感じました。


▶︎ 「源流へのまなざし モティーフで見る川端龍子」感想

川端龍子(1885-1966)の作品において描かれた対象に着目し、「古典的モティーフ」、「現実にあるモデル」という視点から作品をセレクトしました。(略)龍子がいかにモティーフを捉え、表現しているか、先例や先人たちの作品、そして対象に向ける龍子のまなざしを、本展出品の作品を通してお楽しみください。



✔️ 快適な鑑賞体験

一見して広々とした展示室にびっくり。また、平日の館内には、ほとんど人がいませんでした。スペースに余裕があることに加え、イスも多かったため、快適に鑑賞できました。

それぞれの作品に、川端龍子の直筆解説が設置してあります。青龍展に主宰としての作品を出品する際、それなりに準備が必要だったのでしょう。

キャプションの設置が多く、内容が丁寧だったため、読み応えがありました。また、モティーフになった物の写真も併せて置いてありました。モティーフと実際の作品を見比べると、川端龍子が何をどのように改変したのかが一目でわかるため、参考になる取り組みでした。

✔️ 柔らかさの中に感じる威厳

川端龍子の作風は、塗り重ねず、ぼんやりと淡く、時に輪郭は分厚く描く。柔らかなタッチの中にも緊張感を感じました。それに加え、先輩である横山大観のタッチにも似た印象も受けました。


私は川端龍子に先入観があったため、作品を見ても「展覧会で権威を認めてもらうために描いたんやなぁ」「主宰として威厳を示したかったんやなぁ」と、邪な感想が最初に来てしまいました(苦笑。


そのため、柔らかなタッチにもかかわらず、実際の性格は神経質で堅物なのかな、と感じました。



✔️ 気になった作品群
作品の展示数は19と小規模ながら、2mを超える大作が多かったです。そのため、入館料200円は、お得感がありました。

《虎の間》は、245cm x 277cm!でかい!絵の中に、襖絵が描かれていることに加え、本人や三女、弟子も描かれており、遊び心が伺えました。本人の姿は、胸を張って、手を腰にやるなど、少し気取っているように見えます。

《逆説 生々流転》の大きさは、48 cm x 2,806cm!横山大観の《生々流転》を換骨奪胎しています(東京国立近代美術館所蔵、重要文化財)。横山大観と仲が良かったからこそ、可能だった作品。なお、《生々流転》の大きさは55 x 4,070cm!





横山大観は「万物が絶えず変転する<生々流転>の真理(無常の美)を表現し、水の循環と人の一生を重ね合わせ、形なき本質(精神)」を表現しました。一方、川端龍子は、実際に伊豆半島を襲った台風を表現。なお、絵の中で、時代も場所も変わっていく点は、若干の違和感がありました。




邪鬼は、京都市京セラ美術館で見た村上隆の作品を思い出しました。


《やすらい》も、242x728cmと大きい!明王は、少し怖い印象がある原作から随分変更されています。川端龍子の描いた明王は、優しい中にも威厳を秘める「お母さん」のようでした。


川端龍子がキャプションに自身で「裸婦を描きたいが故の発念」ではないと言い訳を書くのが微笑ましかったです。青龍会の主宰として、くだらないツッコミが入る前に、ガードしたのでしょう(現代のSNSと似ている)。
モティーフはありつつ、作品に作者のオリジナリティを感じました。例えば、同じカメラを使っても、写真にはその人の性格が表れます。塩谷亮が描く写実的な絵も写真とは違います。みんな同じにはならない、表現の面白さがそこにあると感じました。
▼ 写実絵画家・塩谷亮の展覧会




▶︎ まとめ

《山葡萄》
龍子館の魅力が伝わったでしょうか?観覧者が少なく、200円で質の高いアートを見られるのでオススメでした。また、知名度は高くないため、通な美術館を探している人にもイチオシです。近代日本画の三巨匠と言われるうちの1人、川端龍子の知識が深められた点も良かったです。ただし、アクセスが悪い点が難点。
▶︎ 次回予告
次回は、三重県立美術館で開催された「榊莫山展」や、現在も開催中の「コレクション展」の感想を投稿する予定です。
▶︎ あなたにオススメ
▼ 比較的近くにあるギャラリー(品川)
▼「龍」つながりの展覧会
▶︎ 今日の美術館飯



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